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2004.09.29

弥勒

足穂の「弥勒」を読んだ(新潮文庫『一千一秒物語』所収).「真鍮の砲弾」と題された第一部は,例によって夢見がちな少年の夢想を陳列したかのような趣きで,私はなかなかその世界に馴染むことができなかった.しかし第二部「墓畔の館」に入ると一転.アルコール中毒に由来する極貧生活,苛烈な現実が淡々と描写される.その筆致には静かな迫力が感じられた.この落差が必要だったのかと思うと,なるほど第一部の退屈も合点がゆく.そして奇想天外な方法でアルコール中毒を克服する結末部分.再生の予感の中で夢見られた夢幻は,妙な物言いだが筋金入りの夢想家のものだ.本物の夢想は私のようなものにさえセンセーションを与えてくれる.

表題の「弥勒」菩薩は作中わずかに2回しか登場しない.しかも2回目は「菩薩」や「半跏思惟像」といった言葉でほのめかされるだけだ.しかし「弥勒」は主人公「江美留」の半生を見事に象徴している.少年時代は夢想に耽溺し,長じてはいつしかアルコールに沈潜するようになり,無一物になってようやく覚醒を迎えた「江美留」.それは足穂自身をモデルとしたものだという.

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2004.09.27

初物ミカンの香りよりも……

果物の話が続く.今日は初物のミカン.もちろん隣の家の庭になったものではなく妻が買ってきたものだ.まだ青く酸味の強いミカン.私は真冬の甘いミカンよりも,むしろそのほうが好きだ.

それにしても何というタイミングだろう.つい先日,私は,中桐『詩の読みかた詩の作りかた』に引用された中桐自身の詩「海」にとても印象深いミカンを読んだばかりだ.

蜜柑の皮をむきはじめると
蜜柑のうえに涙が落ちた、君の好きだった蜜柑、
いちどきに十以上も食べた蜜柑。

ミカンを好んだ友人「M」は十五年戦争中にビルマ(現ミャンマー)で戦死した.湘南電車で根府川を通った時その美しい海の色に「僕」はふと「M」のことを思い出した.そして……
僕の心は壊れかけた目覚し時計のように鳴りだし、
湘南電車はそれよりももっと鋭い音を発して
僕の心をえぐった。
いま過ぎたのがどこの駅か、
僕は知らない、知ろうともせず蜜柑の皮をむいていた。

続いて中桐は「M」が鮎川信夫との共通の友人,森川義信であることを告白している.そう言えば鮎川の作品にも「M」はしばしば登場する.たとえば初期の名作「死んだ男」にも……
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの傷口は今でもまだ痛むか。

この作品は,むきだしの喪失感が痛ましく,忘れ難いものとなっている.殊にその冒頭部分は印象深い.
たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。

中桐も鮎川ももうこの世にはない.両氏と共に詩誌『荒地』で活躍した黒田三郎も田村隆一も.先週は更衣着信の訃報を聞いた.戦後の現代詩にとって計り知れないほど大きな役割を果たした荒地派の立役者達はもう殆ど残っていない.この喪失感はなかなか拭い得ないものだ.指に残るミカンの香りよりも…….

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2004.09.25

となりの柿は……

隣の庭の柿の木の初もぎを貰った.たまたま買ってあった林檎も一皿に盛ってみた.なんだか国木田独歩の「仲良きことは美しき哉」のようだ.

実はお隣は2年前の夏から長い長いお留守である.一人暮らしだったおばあさんがグループホームに入居され,いまは誰も住んでいないのだ.ときどき娘さん――といって私より5歳ほど年上だが――が掃除や庭の手入れに見える様子.昨日も半日,庭仕事をされ,初収穫のおすそを分けて下さった.

  主なき隣家に熟す柿たわわ 矮猫
  
拙作,2年前の秋に詠んだものだ.隣のおばあさんと私は庭好きで,よくフェンス越しに草花の話をしたものだ.そのおばあさんのいない庭に柿がたわわに実っている.主の帰りを待つかのように…….

  柿ひとつ空の遠きに堪へむとす 石坂洋二郎
  
お口直しに名句をどうぞ.石坂は「青い山脈」で知られる小説家.

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麦酒のように

中桐雅夫の『詩の読みかた詩の作りかた』を読んだ.

「詩とはなにか」と正面切った問いかけから始まる18のレッスンは,比喩からイメジへ,イメジから想像力へ,想像力から記憶へ,形式と内容へ,と展開され,深まってゆく.その到達点に待っていたのは,美の追求と真の追求との関係という,芸術や詩にとって永遠のと言ってもよい究極の課題.中桐はオーデンの言葉を引き,真と美との間の緊張と協力があってはじめて詩が成立するとしている.

そこで思い出すのが中桐のこんな詩句だ.

戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ(「やせた心」より)

1979年,17歳だった私は刊行されたばかりの詩集『会社の人事』の書評でこの言葉と出会った.それから数年間,青春期の自分はこの言葉に導かれ励まされて生きてきた.だが当時の私はこの言葉を誤解してもいた.『詩の読みかた詩の作りかた』を読んでようやくそのことに気づいたように思われる.ようやく呪縛から解かれたように…….

久しぶりに『会社の人事』を開いてみる.何篇か拾い読みしただけでもはっきりと分かる.中桐の詩は17歳の頃に読んだときよりもずっとずっと苦く,そして味わい深い.いま私の喉を落ちてゆく麦酒のように.

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2004.09.23

一千一秒物語

稲垣足穂の『一千一秒物語』(新潮文庫)を読んでいる.

この本には元祖ショートショート(?)集「一千一秒物語」の他にも:
  黄漠奇聞
  チョコレット
  天体嗜好症
  星を売る店
  弥勒
  彼等
  美のはかなさ
  A感覚とV感覚
といった短編,エッセイが収録されており,いまちょうど「星を売る店」を読み終えたところだ.

ここまでで感心したのは「黄漠奇聞」である.まず,その冒頭部分,あっという間に物語の世界を構築し読者を誘い込む.

赤い太陽が砂から昇って、砂の中へ赤く沈む。風が砂の小山を造って、またそれを平らかにしてすぎ去る。来る日来る日の風は世界の果てから運んできた多くのことをささやくが、それは人間には判らぬ言葉である。

「黄漠奇聞」はこのような砂漠を背景に語られるファンタジーだ.「一千一秒物語」や「チョコレット」等も同様にファンタジーであるが,大正モダンな色彩の濃い道具立てをひけらかし,その華やかさを頼りにしているように感じられるところがある.一方,「黄漠奇聞」は抑制が効いた文章で嫌味がなく,それでいてきらびやかな艶がある.

『一千一秒物語』は作品が発表順に並べられている.「星を売る店」までの前半部分は大正時代,20代前半に書かれた作品だ.足穂はその後アルコール中毒による10余年に及ぶ断筆状態を経験している.「弥勒」以降の4編は戦後,創作を再開した40代から50代に書かれたものだ.独特の感性と才気を誇った足穂がどのように成熟してゆくのか,後半を読み進めるのが楽しみである.

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2004.09.19

満開!曼珠沙華

昨日,妻と二人で巾着田の曼珠沙華を見に行った.
まさに満開,幻想的なほどの天然の赤の氾濫である.
曼珠沙華の花期は長くないから,もし行くならこの三連休.
行き方等は西武鉄道のホームページが詳しい.

ところで曼珠沙華と言えば思い出すのはこの句だ.

つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子

曼珠沙華の生々しい赤,すっくと伸びる花姿が目に浮かぶようだ.
仏典に,吉事の兆しとして天より降ったとされる,花名の由来にも通じる.
むらがりていよいよ寂しひがんばな 日野草城

曼珠沙華は,しかし彼岸花でもあり,死を想わせるものでもある.
「むらがりていよいよ寂し」とは多くの死者を送った者の感慨だろうか.
曼珠沙華寂しき人のよりどころ 矮猫

拙作.そこのところを逆手にとっての「よりどころ」である.
花を「よりどころ」とせねばならぬほどの寂しさとは何か.
今夜,ぬる燗でも呑ませて聞き出してやろう.

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2004.09.18

現代詩フォーラム

えらく久しぶりに現代詩フォーラムを覗いたら,スレッド型会議室が大増殖していた.
ひと目で気に入ってしまったのが今読んでいる本の13ページ7行目を書き写すスレ
わたしも早速2つ書き込んでみた.

エッセイ書くみたいにつるつるつるつる書け

こちらは『現代詩手帖』9月号から.
平田俊子との対談「詩のある人生:日本語・身体・文学」での伊藤比呂美の発言.
「つるつるつるつる」がなんとも良い.
また改行のせいで書きぬいたら命令形みたいになってしまったところも気に入っている.

その石が 煙突の上で唄を歌っていたお月様に当たった お月様の端がかけてしま

こちらは稲垣足穂『一千一秒物語』(新潮文庫)から.
世に名高い「一千一秒物語」だが実はこれまで読んだことがなかった.
で,読んでみると,始めのうちはその独特な世界に入り込めずもどかしい感じ.
しかし読み進むうちに体になじみ,読み終わる頃にはまた読みたくなる.
なるほど稲垣がこれらの作品を「タバコ」と呼んだのはそういうことだったのか.

もう1つ目を引いた会議室が「レコ☆ポエ」.
膨大な投稿作品から「これは」というものを推薦しあうというものだ.
で,宣伝になってしまうが私の作品「あかあかと」にもお二人からレコメンドを頂いた.

構造さんからは「赤が有する衝撃ですね。」
川村透さんからは「端麗で誠実な気づき。オ―ソドックス」
どーも,ありがとうございました.
正直,やっぱり誉められると嬉しいし励みになるものです.

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2004.09.17

ふたたび現代詩手帖9月号から

『現代詩手帖』9月号,後半から印象に残った言葉をいくつか.

先ずは井川博年のエッセー「岩田宏の詩と言葉:詩が書けなくなったときに」から.

詩は社会と、そこに生きる人間を書かなければ駄目だ。

井川は高校時代に詩を書き始めたときからずっと岩田の熱烈なファンだったという.その岩田の詩から学んだのが,社会と人間を書かなければということ.私にとっても社会と個人との関係は常に意識させられる,通奏低音的なテーマであり,共感を覚える.

ところで冒頭に引用されている岩田の詩が素晴らしい.内容を簡単に紹介しておく.「おれ」には子どもの頃リイ君という(在日?)韓国人の友だちがいた.しかし,その友だちを裏切り,他の子ども達と一緒に「くさい くさい 朝鮮 くさい」とはやしたてたことがある.そのことを思いだすと「おれ」は……

おれは一皿五十円の夜中のギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!     (「住所とギョウザ」より)

これまで岩田の作品を意識して読んだことはないが少し誤解していたのかもしれない.

守中高明の連載詩「系族」から.

今朝あなたから届いた手紙は、ほんとうに大切な手紙、あなたが今
いる見知らぬ土地の、けれどなつかしいいつまでも鳴りやまぬ雪の
ざわめきを伝えてくれるほんとうに大切な手紙でした (「手紙」より)

まだ3回目ではあるが,この連載には毎回心を動かされる.どこを引用してもこの幻惑を伝えることはできないので,やむなく冒頭部分を引いたが,是非,全文を読まれることを薦めたい.

ジミー・サンティアゴ・バカの詩「サウス・ヴァレーの瞑想XVI」(訳:斉藤修三)から.(白人?)の役人から提示された父親の死亡証明書が気に入らない「おれ」は……

白を消して
「チカーノ」と書き入れた。死因の欄に書かれた「肉が喉
 につまる」という文字を消して、
こう書き直した
「白人になろうとしたため」

バカの作品を読んだのは初めてのこと.訳者である斉藤の紹介文「バリオの使者:ジミー・サンティアゴ・バカ、リーディング同行記」によると,バカは「民衆の声を代弁し,民衆に向かって語る」バリオ(スラム街)の詩人,転換期を迎えたチカーノ(メキシコ系アメリカ人)文学の代表的な詩人なのだそうだ.

いまアメリカ詩は二つの派に分裂してたがいに争っている。一つはアカデミックな知識人たちで主に趣味として詩を書く。もう一つはポエトリ・スラムの詩人たち。(「バリオの使者:ジミー・サンティアゴ・バカ、リーディング同行記」より)

バカは斉藤にこう語ったそうだ.お前はどっちに立つんだと問われているように感じられ緊張を覚える.だが……

「余が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし」(「柴門ノ辞」)といったときの松尾芭蕉は文芸に携わる者の覚悟を表明するとともに、人間の本源を追求することには世間の実用に代えがたい深い意義があることも同時に表明したのだった。(中上哲夫「虹はなんのためにあるのか:この世界に自分の居場所がないと感じたときに」から.)

中上のエッセーを読むと,どちらに立ったとしても詩は即時的な解決には何の役にも立たない,と感じさせられる.どちらの側に立って詩を書くにしても,その無用さを生きる覚悟が必要なのだろう.無用の用を信じる覚悟が.

これまでのように詩を読み続け,書き続けるために,そのような覚悟,腹を括ることが今の自分には必要だと感じている.私が詩を覚悟するための処方箋はどこにあるのだろうか.

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2004.09.12

9.11,そのとき私たちは(4)

私も含めて13人の「9.11」を見てきました.
読んでくださった皆さんはどのようにお感じになられたでしょうか.

あの日の衝撃の大きさ.
それ以来,世界が変わってしまったこと.
直接に被害をこうむったわけではない私たちの人生にも
「9.11」は確実に影をおとしているということ.
私はあの日に感じた恐怖と不安を新たにせざるを得ませんでした.

でも,それだけではない.
誰もが希望と願いを失わずに生きていることに感動しました.
それからBLOGってすごい,と思った.
この素晴らしい道具を正しく大切に使っていきたい.
私たちの人生のために.

最後にTakashi@videoから.

黙祷・・・

私もその祈りに加わります.

トラックバックして下さった,くぼたか。さん,るかさん,ありがとうございました.
それから勝手に引用&トラックバックさせて頂いた皆さまに,ごめんなさい&感謝.
もちろん,この単純な思いつきにつき合って読んで下さった皆さまにも感謝.
そして,もしも「9.11」で大事な人,大事なものを失くした方が
これらの記事を読んで心の痛みをかきたてられるように思われたとしたら……
申し訳ないことですが私にはお詫びの言葉も償う術もありません.
ただ,私たちも「9.11」をいつまでも忘れない,ということだけは信じて下さい.

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9.11,そのとき私たちは(3)

白夜の夢から.

そんなプレイに飽きて、テレビに映像を切り替えると、
青白い空にそびえる高いビルからあがる煙、
動揺を隠せない力のこもったキャスターの声、
先刻のゲームの非現実の世界よりも非現実的な光景、
しかしこれが現実であったのです。
私は見た瞬間に「こういう方法を用いるのか・・」と感じました。

確かに,こんなことまでするのか,って思いましたね.
ロシアの学校占拠事件の時もそう思った.おいおい学校だぜって.

オーベルジュ あかだまのシェフ日記から.

その時、仕事場のTVで飛行機の二機め三機目が
ビルに突っ込んでいる瞬間の映像を何が起こったのかわからないまま見ていました。
人が写っていないので、特撮の映画を見ているようでした。
  ……中略……
もうひとつこの日は、妻の親父の10年目の命日です。

あの年は21世紀の最初の年でもありましたね.
私たちの大事な時間を,そんなことで汚さないで欲しい.

Let's Run With こうめから.

2001年9月11日、数人で会食中に友人の携帯電話にその知らせが入った。びっくりして、食事もそこそこに家に帰ってテレビをつけると、そこには信じられない風景が映っていた。大好きなニューヨークが大変なことになっていた
  ……中略……
今年のニューヨークシティマラソンは大統領選挙の直後でもあるし、この時期にアメリカに渡るのは少々気持ちが重たい部分もあるけれど、せめて平和のメッセージを持って走ってこようと思っている。

がんばってきて下さいね.
きっとどこかに,きっとなにかに,つながると思うから.

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9.11,そのとき私たちは(2)

晴れのち曇りから.

その日、私はハワイにいました。
何が起こったのか、把握するまでかなり時間がかかりました。
テレビ画面に移された、まるで映画のワンシーンのような、現実・・・。
そして帰国するまでの、混乱と不安。
  ……中略……
願わくば、世界平和と地球全土の安らかな毎日を。
日本人が夏に戦争の悲惨さを想うように、世界中のひとたちが今日という日に平和を話し合えるように。
今日から何かが変わりますように。

私も祈ります.まだ信じているから…….

ファニィ フェイスから

その日は部屋にひとりでした。
アメリカから嘘みたいなLive映像が流れていました。
只事じゃない事態を察して、出張先の同居人にメールをしました。
「ニュース見た?」と送信したら、
「目的は何だ?」と戻ってきたと思います。
眠れずにTVの前で不安な夜を過ごしたのを覚えています。

おひとりでしたか,心細かったでしょうねぇ.
私も不安でした.これから何が起きるんだろう,どうなってしまうんだろうって.

新・東京お買い物blogミラーから.

 私は当日、ヨーロッパ路線をフライト中だった。
 乗客に配慮してか、機内では一切説明はなく、成田に戻ってきてから事の重大さを初めて知った。知らぬが仏とはこのことだ。

う~む,飛行機の中であの事件を知ったら,そりゃたまんないですよねぇ.

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9.11,そのとき私たちは(1)

るかさんからもトラックバックを頂きました.感謝です.

あの日、ちょうどNYにすむ従姉妹と電話で話をしていた。お互いTVをみながら話していると、2機目がタワーに突っ込んでいく画像が流れた。日本とNY、同時に見ていた私達は、一瞬、何が起こったのか分からなかった。

当時,従姉妹は妊娠中だったとのこと.さぞや,ご心配だったでしょうね.

その年の11月に姪っ子が生まれたが、9.11が来るたびに姪っ子の成長を思うと同時に、テロ活動に対して深い悲しみを感じている。

子供の成長は嬉しいことのはずなのに…….

ココログナビで「9.11」を検索してみると,結構,ヒットしますね.

白湯さん(2度目のご登場)のお友達Mさんの場合.

ちなみにMはヨルダンでテロの日を迎えたそうで。連合赤軍の仕業だ、という情報だったんだって。そしてヨルダンの人は大喜びしていたらしい。反米感情がすごいんだなー(怒涛の3連続更新、最後は飲み話より)

連合赤軍はいまでもヒーローなんですか…….
私もサウジで仕事をしたことがあるので,その雰囲気はなんとなく想像できます.

夜長の考察から.CNNでご覧になられていたそうです.

直後、2機目の機体が残ったツインタワーの片割れに激突した。
その時の映像は衝撃だった。
1機目も激突したのは理解していたが、中継は激突後に始まったものだ。
リアルタイムにその瞬間を見た時の衝撃は、これまでの人生で最も大きなものだったかもしれない。(9.11より)

ほんとに衝撃的でした.
夜長の考察さん(お名前がわからないので……)も書いていらっしゃる通り
それでいて非現実的な感じもあった.
実は私には,美しい,とも感じられた.
あの恐ろしい凄惨な風景が,なぜか美しいと…….

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9.11,そしてイラク

くぼたか。さんからトラックバックを頂きました.ありがとう.

深夜のTVをザッピングしてたら、
でっかいビルに、でっかいジェット機が突っ込んでいた。
ちょうど1機目の。

いつものようにテレビを見ていたら……,ですね.
みんな,そうだよなぁ.
日常から突然,「9.11」的世界に引きずり込まれてしまった.

テロは許せないが、
戦争も許せない。
(とくに日本の)、過去の過ちを生かせないのは、もっと許せない。

私も許せない.
テロも戦争も,戦争を止められなかった私自身も.
私は息子に戦争を見せるために父になったのではない.
だが,戦争を止めることは出来なかった.

私は,くぼたか。さんにも謝らなくてはならないのかもしれない.
どうも……すみません……,でも……
くぼたか。さん,決して私を許さないで下さいね.
私も私を許さないから…….

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2004.09.11

9.11,そのとき私は

いつものようにココログの新着をチェック.
白湯さんのGinger Buiscuitに「9.11」というタイトルの書き込みがあった.

3年前の9月11日、私はイギリスにいてテロのニュースをクラスメイトから知らされた。

あの事件をどこでどのように知りどのように受けとめたのか
余り人と話したことがなかったような気がする.
そしてそのことには意味があるように思われ少し悔やまれる.

悔やまれる? いまからでも遅くないじゃないか.

私にとって9月11日は「9.11」である以上に結婚記念日だ.
3年前のその日も私たちは家族3人で食事に出かけた.
もう忘れてしまったが,妻には何かささやかな贈物をしたはずだ.
2時間ほど楽しんだ後,帰宅.
いつものように慌しく風呂に入り,息子をベッドへ.
茶を入れテレビのスイッチを入れた直後あの映像が眼に飛び込んできた.
私は世界の終わりの始まりであるように感じ恐れおののいた.
しかしその恐ろしい映像から目を話すことが出来ず
妻と私はいつまでも無言でテレビを見ていた.
あれから3度目の結婚記念日を迎えた.
もちろん今でも「9.11」とこの日とを切り離すことが出来ない.
私たちの結婚記念日は永遠に血で染められてしまったのだ.

あなたの「9.11」が知りたい.
もし良かったらここにトラックバックか,コメントしてもらえないだろうか.
(トラックバックのやり方はここを参照)


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2004.09.10

萩原朔太郎賞

@ニフティでニュースを見たら萩原朔太郎賞発表の記事があった.
驚いた.
今朝,伊藤比呂美との対談を紹介した平田俊子が受賞者だった.
受賞対象となったのは最新詩集の『詩七日』.
2年間にわたり現代詩手帖に掲載された同題の連載詩を中心としたものだ.
毎月7日は詩を書く日と決め,実際,そのようにして書かれたものだという.

ちなみに『詩七日』はこちらから購入できます(powered by Amazon).

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現代詩手帖から

『現代詩手帖』9月号を読んでいる.
まだ6割ほど読み終えたところだが印象的な言葉を幾つか.

詩はつらいよねぇ。ナマの自分とナマでぶつからなくちゃ行けないからね。

平田俊子との対談「詩のある人生:日本語・身体・文学」での伊藤比呂美の発言.
俺はそうしたつらさを避けてはいないか,ちと反省させられた.
また伊藤はこんなことも言っている.

自分の世界で自分が中心だっていうんで詩書けてたんだなって。

自分も思春期の頃はそんなふうだったかもしれない.
伊藤は敢えてをそこから卒業しないことで
「ナマの自分」と向きあうための緊張感を持続させているのだろうか.


牝鶏は卵を産むようにしかつくられていないから

                 (「ノートにメモした詩」部分)

エーリッヒ・ケストナー「改訂版 人生処方箋(抄)」(訳:飯吉光夫)から.
老成しているというか,達観しているというか…….
だが,こうした現実感覚が必要なことは決して否めない.
実は職場で流行らそうかと密かに思っている.

井戸のおもてはこなごな
そこに映るあなたは四散し
私は血の瀧となってあふれ
鏡に覆いがかけられる   (「産む」部分)

高橋睦郎「語らざる者をして語らしめよ」のから.
早いものでこの連載詩ももう27作目.
今回も心地よい緊張感を伴った上質な幻想を垣間見させてくれた.

一人であれ
群れるな           (「赤い鬼ユリ」部分)

飯島耕一「二〇〇二年夏 東京」その二から.
この人に言われるとすーっと胸に入ってくる.
そして自分への問いかけが広がってゆく.
覚悟はできているか,と.

詩とは、言語によって私(達)の世界を超出しようとする営為である。

岩成達也の長編論考「詩についてのごく僅かの手掛り」から.
著者の意図とはズレてしまうかもしれないが,これも一種の覚悟を強いる言葉だ.

もう夏は終わった.はしゃいでいる場合ではないのだ.

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2004.09.05

たまらない週末の結末

待ちに待った十勝ラリー.
しかし終わってしまえばあっけないものです.
地元スバルのソルベルグが見事優勝.
とはいえシリーズ首位のローブがしっかり2位をキープ.
ソルベルグとのポイント差は2点しか縮まらなかった.

一方JGTCの方は大どんでん返し,
「もてぎ」をホームサーキットとするホンダ勢が意地を見せ
EPSON NSX,松田/ロッテラー組が優勝.
脇坂/飯田組と本山/ライアン組は予選の通り2位,3位に.
おかげでチャンプ奪回を狙う脇坂がシリーズ首位に踊り出し
連覇を狙う本山が1点差で2位につける面白い展開に.

それにしてもWRCといい,JGTCといい
地上波では余り見られないのはいかがなものでしょーかねぇ.

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田園に死す

昨日,久しぶりに映画『田園に死す』を観た.
独特の映像や不気味な音楽,陰鬱な登場人物と物語……
観る人によって好き嫌いがはっきりと分かれる作品だが
こうして改めて観てみると
実は寺山修司の映画の中では最もとっつき易いもののような気がしてくる.
そして,あの鮮烈なラストシーン.
日本の映画史上に残る画期的な名シーンだと思う.

ちなみにDVD『田園に死す』はこちらでも購入できます.

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2004.09.04

ハコ車好きにはたまらない週末

私の場合,F1に代表されるフォーミュラはなんとなく性が合わない.
市販車ベースの「ハコ車」の方が好みだ.
で,フォーミュラの世界最高峰がF1なら「ハコ車」の最高峰はWRC
なにしろ,この2つのカテゴリーしか世界選手権がないのだから.
そのWRCとしては国内初開催の十勝ラリーが昨日から始まった.
現時点では地元スバルチームが意地を見せソルベルグがトップ.
シリーズ首位を独走するローブ(シトロエン)が約1分遅れの2位.
だがローブは既に十勝ギブアップの声を漏らしているらしい.

WRCは海外,特に欧州ではF1に劣らず人気があるが
日本はというとラリー熱は今ひとつの感がある.
日本の「ハコ車」好きの関心はむしろJGTCに向かっているのでは?
この週末は栃木のツインリンクもてぎで第5戦.
今日の予選の結果は(GT500クラス):
  1位 イエローハットスープラ(服部/脇阪)
  2位 ザナヴィニスモZ(本山/ライアン)
  3位 エッソウルトラフロースープラ(脇阪/飯田)
日産,トヨタの両エースが2位,3位と好位置につけており
明日の決勝での激しいバトルへの期待がかきたてられる.
ポールの服部/脇阪組,4位の立川/荒組(auセルモスープラ)も
シリーズチャンピオンの可能性が残っており優勝を狙ってくるだろう.

2つのビッグイベントが重なりハコ車好きにはたまらない週末である.

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2004.09.01

アップル・パイを産む鶏

人生処方箋――今月号の『現代詩手帖』の特集は
ドイツの詩人ケストナーの同名の詩集にちなんだもの.
約20年ぶりに改訳され,再刊されることになったことから
これを記念して,というか,広告がてら,というか
まぁ,そんな企画で,現物も5編,収録されている.
たとえば,こんな,ちょっとウィットの効いた小洒落た作品だ.

 牝鶏たちは突然 卵のかわりに
 アップル・パイを産んだらどうかと考えた
 牝鶏のこの試みは水泡に帰した なぜなら――
 牝鶏は卵を産むようにしかつくられていないから
 (このようにして この種の着想がこれまでもいくつも 水
  泡に帰した)     (「ノートにメモした詩」全文.)

「知ったかぶりをする連中が話すだけ話したら」との添書きあり.
勤め先で,長年,企画畑を歩んできた者には身につまされる話だ.
それだけに,こいつは使えるかもしれない,とも思う.
今度,若いもんが自分でも未消化な受売りの企画を持ってきたら
ガツンと言ってやろう,アップルパイを産む牝鶏って知ってるか?
……などと思ってしまうのは歳をとった証拠だろうか.

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