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2004.09.10

現代詩手帖から

『現代詩手帖』9月号を読んでいる.
まだ6割ほど読み終えたところだが印象的な言葉を幾つか.

詩はつらいよねぇ。ナマの自分とナマでぶつからなくちゃ行けないからね。

平田俊子との対談「詩のある人生:日本語・身体・文学」での伊藤比呂美の発言.
俺はそうしたつらさを避けてはいないか,ちと反省させられた.
また伊藤はこんなことも言っている.

自分の世界で自分が中心だっていうんで詩書けてたんだなって。

自分も思春期の頃はそんなふうだったかもしれない.
伊藤は敢えてをそこから卒業しないことで
「ナマの自分」と向きあうための緊張感を持続させているのだろうか.


牝鶏は卵を産むようにしかつくられていないから

                 (「ノートにメモした詩」部分)

エーリッヒ・ケストナー「改訂版 人生処方箋(抄)」(訳:飯吉光夫)から.
老成しているというか,達観しているというか…….
だが,こうした現実感覚が必要なことは決して否めない.
実は職場で流行らそうかと密かに思っている.

井戸のおもてはこなごな
そこに映るあなたは四散し
私は血の瀧となってあふれ
鏡に覆いがかけられる   (「産む」部分)

高橋睦郎「語らざる者をして語らしめよ」のから.
早いものでこの連載詩ももう27作目.
今回も心地よい緊張感を伴った上質な幻想を垣間見させてくれた.

一人であれ
群れるな           (「赤い鬼ユリ」部分)

飯島耕一「二〇〇二年夏 東京」その二から.
この人に言われるとすーっと胸に入ってくる.
そして自分への問いかけが広がってゆく.
覚悟はできているか,と.

詩とは、言語によって私(達)の世界を超出しようとする営為である。

岩成達也の長編論考「詩についてのごく僅かの手掛り」から.
著者の意図とはズレてしまうかもしれないが,これも一種の覚悟を強いる言葉だ.

もう夏は終わった.はしゃいでいる場合ではないのだ.

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