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2004.10.28

追悼 川崎洋さん(2)――最近の作品から

川崎洋さんの最近の作品から印象に残っている詩をいくつか書きぬいておこう。

まずは『現代詩手帖』2002年1月号に掲載された「木々の枝が風に揺れている」から。

木々の枝が
風に揺れている
その土地の言葉で
存分にしゃべり合っている人々のよう
わたしはわたしの言葉で
こんなにざわめくことが出来るか

5連32行、コンパクトにまとめられた作品の第1連。いたずらに巧むことなく、ただ風に吹かれるように自然に言葉を発したい。川崎さんが理想としていた詩はこのようなものだったらしい。

この年、朝日新聞(1月9日)に発表された「この寒さの中に佇めば」という作品にも同様の想いが語られていた。一生懸命練習してもちっとも鳴らなかったフルート。あきらめてテーブルの上に放りだしておいたら……。

部屋においてあるフルートが
吹いてくるささやかな風の具合で
ふと鳴るときがある と
楽器店の人から聞いたことがある
……略……
わたしの音色を出そうと
しゃかりきになるのは
もうよしにするか

血気をたしなめられたような心持ちがする。「しゃかりきに」ではなく自然体でいること。風が自在に歌口を吹きぬけられるように。

最後は『現代詩手帖』2003年1月号に掲載された「顔」から。

知らない顔に
会えるだけ会って
いきたい
当方に
いま見え聞こえている世界が
ふっと消えるまでに

まるで死期をさとっていたかのようだ。川崎さんは、自分が見たいのは「きれいな顔/やさしい顔/仏のような顔だけでなく」と言う。怯えた顔。卑怯な顔。どんな醜い顔でも見ておきたいと言うのだ。「にんげんの顔なのだから」、「おれ自身の折々の顔でもある」のだから、と。

会った一瞬の後には
次々にその顔は忘れていく
それで いい
別れとは
そういうことだから

そんなふうに言えるようになるまでには、どれだけ別れを重ねなければならないのだろう。無論、もう川崎さんに教わることは出来ない。ただ呆然と「寒さの中に佇」むばかりである。

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