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2004.10.04

あなたが空しく生きた今日は――再び

先日の記事にnakoさんからこんなコメントを頂いた.

でも私は、それでも毎日虚しく過ごしているような気がします。難しいなあ。

「私も偉そうなことを言えるほどの者ではありません.でも,だからこそ,こういう言葉が身にしみるのでしょうね」と,私はお応えした.それは率直な実感である.私も十全に生きているとは思えない.更に言えば,nakoさんが紹介してくれた「あなたが空しく生きた今日は……」という言葉が,これほどに支持されたところを見ると,そのように思っているのは我々だけではなさそうだ.

nakoさんのコメントに私は茨木のり子の詩を思い出した.

いまなお<私>を生きることのない
この国の若者のひとつの顔が
そこに
火をはらんだまま凍っている(「魂」より)

「そこ」は手鏡の中,「若者」は「そこ」に写った自分だ.茨木のこの作品は女性の立場から書かれたものだが,「<私>を生きる」ことができていないのは女性に限らないのだろう.「若者」だけではなく私のような不惑を過ぎた者さえもそのように感じさせられる.

それは「この国」だからなのか.それともこの時代だからなのか.或いはそういったことに限らないのか.私には判らない.どうしたら「<私>を生きる」ことができるのかも.

判らないながらも言えることは,私にとって詩を読み,詩を書くことは「<私>を生き」ようとする試みだということだ.その試みはいつも奏効するとは限らない.むしろ失敗することのほうが多いのかも知れない.しかし少なくともその試みは,自分が「<私>を生きる」ことができていないことに気づかせてくれる.凍ったまま燃える火に気づかせてくれるのだ.

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