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2004.11.14

今月も『現代詩手帖』を読んでいる

もちろん今月も『現代詩手帖』を読んでいる。11月号は「[女性詩]新地点」と「平田俊子山崎るり子」のダブル特集。ちょうど「[女性詩]……」のほうを読み終えたところだ。『現代詩手帖』が女性詩を特集するのは2002年2月号の「女性詩人34人集」以来のこと。そのときと比べて特徴的なのは、女性詩のこの10年間を振り返るという歴史的な視点が貫かれている点だ。

特集の中核をなすアンソロジー「女性名詩選1995-2004」も2004年から遡ってゆく逆編年体となっている。新井豊美、吉田文憲、小池昌代の3人が選んだ38編は代表作と呼ぶにふさわしい力作揃い。中でも印象的だったのは河津聖恵「駅はカテドラル――光と夜のあいだで」(『アリア、この夜の裸体のために』所収)と小池昌代「伊木力という地名に導かれて」(『もっとも官能的な部屋』所収)だ。

駅はカテドラル。みあげれば高い穹窿状の天井の闇から、またアナウンスのこだまは意味を失った透明な雪となって返ってくる。言葉の塵たちがふうわりとふりだした。静かな恩寵ともききまごう、異国の言葉の残響。(「駅はカテドラル――光と夜のあいだで」より)

異国の街の、とある駅のホールでの経験。ありふれた言葉が軒高い天井に反響し、思いがけず聖性を帯びて返ってくる。暖かく懐かしい「恩寵」のように――。とっつきやすい詩ではない。少なくとも私は何度も読み返しようやく読破した。しかし、その崇高なほどの美しさは諦めずに読み終えてよかったと素直に思わせるものだった。

伊木力というところから蜜柑が送られてきた。
伊木力蜜柑というのだ。
「『伊木力』」って地名ですか」
「地名だろうが、きかないねえ」(「伊木力という地名に導かれて」より)

ありふれた日常のひとこま、どこにでもありそうな会話だが、小池は「伊木力」という言葉の持つ音の力を聞き逃さない。そして、その言葉に導かれるようにしてアメリカでの鱒釣りの思い出を回想する。強い引きに耐えて釣り上げた瞬間に、小池の手を逃れていった「虹鱒のうろこに一瞬宿った、光の粒のようにすばやく消えるもの」を。

最終連、「駅はカテドラル……」とは違った形で、しかし同じように暖かく懐かしく崇高なものが胸に迫る。それは「てのひらから てのひらへ」手渡されていく「なつかしいおもみ」、「いきていくちから」だ。

どんなに多くのものに触れ
そのたびにどれほど逃してきただろう。
すりぬけていく、猫のような感触の「生」そのものを。
みえないたくさんのてのひらをかすりながら
世界の中心を
丸太のような
時が流れていく。

最後にアンソロジーに収録された全作品を示す。女性詩人たちへの敬意と感謝を込めて。

  • 平田俊子「十四月七日」(『詩七日』2004所収)

  • 山崎るり子「受胎」(『風ぼうぼうぼう』2004所収)

  • 井坂洋子「狒狒」(『豹』2003所収)

  • 川田絢音「あの水牛」(『雲南』2003所収)

  • 栗原知子「午前」(『シューティング・ゲーム』2003所収)

  • 小池田薫「十一件目の契約」(『二十一歳の夏』2003所収)

  • 佐伯多美子「果て」(『果て』2003所収)

  • 杉本真維子「百年」(『点火期』2003所収)

  • 石牟礼道子「少年」(『はにかみの国』2002所収)

  • 河津聖恵「駅はカテドラル――光と夜のあいだで」(『アリア、この夜の裸体のために』2002所収)

  • 佐藤洋子「(海)子、ニライカナイのうたを織った」(『(海)子、ニライカナイのうたを織った』2002所収)

  • 支倉隆子「鹿と水仙」(『身空χ』2002所収)

  • 阿部日奈子「ヤブカラシの夏」(『海曜日の女たち』2001所収)

  • 新井豊美「春の形式」(『切断と接続』2001所収)

  • 海埜今日子「水琴窟」(『季碑』2001所収)

  • 川口晴美「ダブル/ダブル」(『EXIT.』2001所収)

  • 日和聡子「狭室」(『びるま』2001所収)

  • 大下さなえ「凧」(『夢網』2000所収)

  • 関富士子「ピクニック」(『ピクニック』2000所収)

  • 野木京子「土の粒子、すり抜けるように」(『枝と砂』2000所収)

  • 加藤律子「暴虐の腕」(『子羊の肉』1999所収)

  • 木坂涼「中途の高さ」(『陽のテーブルクロス』1999所収)

  • 小池昌代「伊木力という地名に導かれて」(『もっとも官能的な部屋』1999所収)

  • 白石公子「追熟の森」(『追熟の森』1999所収)

  • 中本道代「花と婚礼」(『黄道と蛹』1999所収)

  • 蜂飼耳「いまにもうるおっていく陣地」(『いまにもうるおっていく陣地』1999所収)

  • 倉田比羽子「テアトルの道」(『カーニバル』1998所収)

  • 財部鳥子「白絹と時と鏡」(『烏有の人』1998所収)

  • 多田智満子「薤露歌」(『川のほとり』1998所収)

  • 福井桂子「十一月に菫色の葉が落ちてきて」(『荒屋敷』1998所収)

  • 白石かずこ「カモン、ニコラ」(『現れるものたちをして』1998所収)

  • 新川和江「骨つきハム その他」(『今朝の陽に』1998所収)

  • 関口涼子「Relation」(『(com)position』1998所収)

  • 高橋順子「ふるえながら水を」(『時の雨』1996所収)

  • 長谷部奈美江「七面鳥もしくは、リンドバーグの畑」(『もしくは、リンドバーグの畑』1996所収)

  • 吉田加南子「波 波 波 Ⅸ」(『波 波 波』1996所収)

  • 伊藤比呂美「ヒツジ犬の孤独」(『手・足・肉・体』1996所収)

  • 吉原幸子「むじゅん」(『発光』1996所収)

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コメント

ならです。

こちらでご紹介した河津聖恵の「駅はカテドラル─光と夜のあいだで」は↓で読むことができます。尚、"rain tree"は詩人・関富士子さんの同名個人誌web版です。

河津聖恵.駅はカテドラル─光と夜のあいだで.rain tree vol.12 1999
http://www.interq.or.jp/sun/raintree/rain12/eki.html#eki

投稿: ならぢゅん | 2005.02.04 12:08

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