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2004.12.14

もはや生理として

ここではすっかりおなじみのfaceさんの『な~んちゃって通信』にトラックバックである。

僕にも愛する日本の風景や土地はたくさんあるが、「国」「祖国」という言葉にはどうしてもいかがわしい、そして哀しいイメージがつきまとう。だから僕もホイットマンのように祖国を歌うことはできない。(face「祖国を歌えない」より)

僕もこの国の風土を愛している。思春期には憎しみの対象でさえであった、この国の風土を。だが、いや、だからこそ、僕には歌えない歌がある。サーキットでも野球場でも、息子の卒業式や入学式でさえ、僕には歌うことができなかった。それは思想的にというよりも、もっと素朴に良心として、いや、もはや生理として。

思いだすことがある。僕の父はサンマの塩焼きが食べられない。胃が弱く油ものを避けていた父のことだから特に不思議にも思っていなかったのだが、ある夜、ふと、その理由をもらしたことがあった。

それは父がまだ高校生だった頃のこと、学校の講堂で原爆の記録映画が上映されたそうだ。初めて見た被爆直後の映像に父は大変ショックを受けたという。その夜、食卓にのぼったのがサンマだった。夕餉のおかずを見るなり、一面の焼け野原と化したヒロシマ、まっ黒に炭化した遺体、あるいは力なく横たわる被爆者の焼けただれた皮膚、そうしたイメージが次々と思いだされ、焼けこげたサンマに重なり、父は夕飯を食べることが出来なかった。それ以来、父はサンマが食べられなくなってしまった。

僕には歌えない歌がある、父に食べられない魚があるように。

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