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2005.01.19

飯島耕一語録――『現代詩手帖』1月号から(2)

抜書き第2段は飯島耕一と福間健二、小池昌代の3人による座談「素手で世界を掴む――詩集『アメリカ』から見えてくるもの」から。座談は終始、飯島耕一の発言を中心に展開されており、またその発言が非常に面白かった。中でも印象的だったものを3つ引く。

だいたい詩はね、ぼんやりした人が書いて明晰な人が読むものなんだよ。……中略……みんなが用心深く利口になったら何にもおもしろくないよ。

なるほど、詩人の「ぼんやり」と読み手の「明晰」が詩の両輪だったのか。そういう意味ではボクは書くほうが向いているかもしれない。

詩までクソマジメになってはね。本音でやったらいいんだよ。デリダとかドゥルーズとかあんまりかっこうつけるよりも本能を大事にしたほうがいい。

おー、やっぱり詩はボクに向いていそーだ、……などと油断しちゃぁいけない。なにしろフランス文学にも日本の古典にも通じている、むしろ主知的な印象の強い飯島の言葉だ。

いまという世の中、どう料理していいのかどう付き合っていいのかわけがわからないことになってきているからね、……中略……そういうときには素手になったほうがいい。

この「わけがわからな」さ、いくら頭をひねってもどうにもならない、というところを十全に認識してこそ、始めて「本能」と「素手」へのひとひねりが可能になるということか。飯島は「バス停に五分間立っただけで、ひどい世の中ってわかるからね」という。こうした感覚、直感的な認識力を飯島は「詩的本能」と呼んでいる。「詩的本能」を研ぎすまし、「素手」で世界を掴む。半世紀に及ぶ詩業の果てに辿りついた飯島の方法論は素朴なように見えて実は奥深いもののようだ。

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