« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005.03.30

やはり調和が大切ですね

愛・地球博。さつきとメイの家が評判のようですね。昨日は、この二人のお母さんが入院していた七国山病院に行ってきました。もちろん正確にはそのモデルとなった病院、八国山の新山手病院です。持病の顎関節症が悪化して余り口が開かなくなってしまい、3週間前から口腔外科に通っているのです。週に一度、会社を半休して……、いまに席がなくなりそう、はは。

でも、もしかすると、生意気なことばかり言ってきたからバチがあたったのかもしれない。これ以上、大口がたたけないように。それこそ席がなくなる前に、会社から、家庭から、仲間から……。

昨日は親知らずを抜いてもらいました。一本だけ残っていた親知らず。これが伸びて噛み合わせをおかしくしていたらしいのです。時には突出することも必要ですが、やはり、そればかりではいけない。調和が大切なのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.27

42歳の目覚めか?

久しぶりに『現代詩フォーラム』に行ってきた。もっとも今回もスレッド型会議室「今読んでいる本の13ページ7行目を書き写すスレ」に書き込みをしただけなのだが……。

さて、今回の投稿はこんな一行だ。

当たり前さ。間違っていると自分でわかっていることを、どうしてわざわざ人に主張したりするも

池田晶子の『14歳からの哲学―考えるための教科書』(トランスビュー)から。この後は「のだろう。」と続く。もともとは息子に買ってやった本なのだが、いっこうに読み始める気配がなかったので先に読むことにした。で、読んでみて思ったのだが、この人はえらく腹のすわった覚悟のできた人のようだ。抹香臭いわけではないのだが、般若心経に通じるものを感じた。

厄年を過ぎても一向に腹のすわらないボクは読みながら何度も何度も唸らされた。うんうん言いながら、ボクの中の奥底で「精神」が目覚めたがっているのを感じた。こんなことは久しくなかったことだ。この著者はすごい人かもしれない。何冊か続けてつきあってみたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.03.26

笑う花たち

ボクのうちのささやかな庭
ハリネズミはこないけど
三毛ネコがよく来る
で、用を足して去ってゆく
でも、おかげで土が肥えたのか
花がよく咲く、よく笑う

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.14

現代詩手帖の読みどころ 拾遺

1月号と2月号から紹介し損ねていた詩を拾っておこう。まずは1月号から、四元康祐小池昌代による連載「対詩 詩と生活」から四元の「15 ハリネズミ」。

こいつはいま、独りで、一所懸命死のうとしているんだから、その
邪魔をするな、そう云ったのが自分ではない父の
そのまた見知らぬ父のように聞こえた

庭の隅で見つけた瀕死のハリネズミをめぐる父と娘の会話。いかに死を受け容れるか、父は親の立場から教え諭すのではなく、娘と共にその術を探り、生命の謎、その深淵に迷いこんでゆく。

2月号からは倉石信乃の「KAWASE」。人はいつから貨幣や市場経済とつきあってきたのだろう。ずいぶん旧い仲のはずなのに、いつまでたっても上手くつきあう方法が見つからない。そんなことを考えさせられた。

きょう とうとう わたしの透明な普段着を脱ぎ 売る
わたし自身を 交換し わたしは なんでもない もの になる
それもできない 売れるならまだ いい

労働だか労働力だかを企業に売ることでボクは生計を得ている。見方を変えれば、それは、社会的に価値のある事業に貢献することを通じて社会に貢献することのはずなのだが、その実感は薄い。むしろ自分を切売りし、すり減らしているだけのように感じられる。

詩と、生活と、生命と、市場と……、その噛み合わない歯車を調整し、そこに通底しあう回路を築くこと。ボクにとっては旧くて新しい課題である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.12

タネあかし3連発! 13ページの7行目

今日も『現代詩フォーラム』のスレッド型会議室「今読んでいる本の13ページ7行目を書き写すスレ」に行ってきた。今回の投稿はこちら。

どもって衝動で身体を動かすじゃないです

う~む、偶然は時々おもしろいことをしてくれるものだ。「どもって」というのは実は「子どもって」の「子」がとれてしまったもの。そのおかげで、すっかり別の文意を担うことになった。また語尾も「ないですか」から「か」が落ちた結果、なんとも曖昧で奇妙な言いまわしができた。

さて出典はというと『現代詩手帖』3月号に掲載された座談「いまを踊る!」(康本雅子・森下真樹・貫成人・片岡直子)からダンサーの康本の発言である。『手帖』は、時々、詩以外の分野を特集することがある。例えば去年は4月号でドキュメンタリー映画を、その前は2002年7月号で演劇を特集した。そして、今回、俎板にのったのはコンテンポラリーダンス。詩と他の分野との接触は刺激的で興味深いことが多いが、ダンスはボクには余りに縁遠く、どうもピンとこない。それでも食わず嫌いにはならないようにと思うのだが……。

それにしても1ヶ月なんてあっという間だとつくづく思う。まだ2月号の読みどころも紹介しきれていないのに、もう3月号が出てから2週間も経ってしまった。気がついたら2005年も詩作はお休みでしたなんてことにならないように頑張らなくちゃねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.06

今日もタネあかし、13ページの7行目

『現代詩フォーラム』のスレッド型会議室「今読んでいる本の13ページ7行目を書き写すスレ」に行ってきた。今回の投稿は、なんとたったの10文字。

そして北風がそれらを

これはプレヴェールが作曲した超有名なシャンソン「枯葉」の一節である。北風が何をどうするのかというと、思い出や悔恨を「忘却の冷たい夜へと吹きとばす」のだ。プレヴェールは、こうした親しみやすい作風で国民的な人気を獲得したフランスの詩人。昨年、代表作『ことばたち』(ぴあ)の本邦初全訳をアニメ作家の高畑勲が成し遂げ大いに注目を浴びた。

もっともボクがいま読んでいるのは『ことばたち』ではない。プレヴェールの詩集でもシャンソンに関する本でもない。それでは何かというと辻井喬『詩が生まれるとき――私の現代詩入門』(講談社現代新書)である。1994年、いまからほぼ10年前に出版されたこの本は、現代詩は困難を強いられている、という問題意識に根ざしている。社会からの孤立と歴史的伝統からの孤立。この二重の孤立が現代詩から活力を奪っているというのだ。

辻井の問題意識は『伝統の創造力』(岩波新書)に引き継がれ、「大胆な自己革新を行う運動体」という新しい伝統観を構築するに到った。また創作においても詩集『わたつみ 三部作』(思潮社)に結実した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »