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2005.04.30

あぁ、わが谷は……

待ちに待ったGWだが早くも2日が終わろうとうとしている。読者の皆さまはいかがお過ごしだろうか。

下って私は散歩をしたり買い物に行ったり、今のところは、まぁ、ごく普通の休日である。多少なりとも変わったことといえば、4月のわりには夏のような暑さが続いたので慌ててエアコンの準備をしたくらいだ。エアフィルタを交換したりカラ運転をしたり……。

あとは久しぶりに映画を見た。映画といったってツタヤで借りたDVDだけど、実に、実にいい映画だった。ジョン・フォード監督『わが谷は緑なりき』(41年・米)。20世紀初頭のことだろうか、ウェールズの炭鉱町を舞台に、ある鉱夫の一家が過ごした激動の日々を淡々と丁寧に描いたものだ。西部劇の巨匠として知られるフォード監督の数少ない非西部劇作品だが、却ってフォードの作風、殊にモノクロ画像の美学がひときわ露わだ。

それにしても、1941年、太平洋戦争の始まった、あの年に、アメリカではこのような映画が作られていたのだと思うと、そりゃぁ、まぁ、残念ながら勝ち目はないわな。う~む。

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ムウンストラック――詩のスケッチブックから

仕事帰りの電車の中で三角みづ紀の詩を読んでいたら
左側のページの裏から若い女の立ちあがる気配がした
ようやく座れる、その程度のことがまるで恩寵のように感じられた

  誰かが石を投げてくるように思えるので
  表通りは避けて歩くのです
       (「ムウンストラック小詩集」から「序章」全文)

三角みづ紀の詩を抱き寄せ
体を半身に女の立ちあがる空間を作る
すれ違いざま網棚の鞄に右手を伸ばすと
真後ろから年老いた男の疲労が波立ち
目の前にできた女ひとり分の隙間に押し寄せる
呆然と見送る私をうかがうように見上げながら
男はそっと腰を落としてゆく

  鬼さんこちら
  手の鳴る方へ
  私を食べて下さい
  きれいに
  私を食べて下さい
       (前掲「第2.2章」部分)

左側のページの下から男の眼がのぞいている
その眼を満たし今にもあふれ出しそうな恐怖が
(なにを怯えているのだろう)
私をいらだたせる、激しく、冷たく

  誰かが石を投げてくるように思えるので
  表通りは避けて歩くのです
  こうしてひとり、いきている。
       (前掲「最終章」全文)

ムウンストラック・三角みづ紀
月(のような裸の尻)を叩かれた人は
いらだちの野茨の野に草隠れてゆく
その詩をいくど読み返しても
血をにじませた白い皮膚を見失うばかりだ
ページの向こうに広がる暗い荒れ野に
怯えた瞳が冴え冴えと吊り下げられている

三角みづ紀の「ムウンストラック小詩集」は中原中也賞受賞後第一作として『現代詩手帖』4月号に掲載されたものだ。思えば彼女が現代詩手帖賞を受賞したのは、ちょうど昨年の今ころのことだった。それまでは同誌「新人作品」欄の投稿者にすぎなかったのだが、三角は当時から常連の中でも群を抜いて注目度が高かった。受賞をきっかけに本格的にデビューを果たし、昨秋、上梓された第一詩集『オウバアキル』(思潮社)は中原中也賞を受賞、今でも詩書としてはトップセラーの1つである。

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2005.04.20

今日もタネあかし

今日もタネあかし。今回の「13ページの7行目」はこの一行である。

つの生の全体像が見えてくる。これは石田さ

『現代詩手帖』4月号。特集「新鋭詩集2005」の冒頭を飾る対談「存在の境界に立つものたち―新しい詩人をめぐって」(石田瑞穂、杉本真維子、田野倉康一)から、三人の中では先輩格である田野倉のひと言。ライフ・デザインとしての詩という石田の発言に対し、田野倉は、杉本の批評は詩の「ひとつの生の全体像」に寄り添っていて石田の「ライフ・デザイン」という見方にも通じると受けてみせた。個性の異なる石田と杉本、この二人の議論がうまく噛みあうよう、細心の注意を払ったものだろう。こういう人を座もちがするというのであろうか。

新進気鋭の詩人15名、批評家3名の競演を収めた本特集は、さすがに読み応えがあった。さらに三角みづ紀の中也賞受賞第一作「ムウンストラック小詩集」も収録されており、豪華絢爛、現代詩の春を感じさせる一冊である。

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2005.04.15

書くことの力、レトリックの力

少々無沙汰を重ねすぎた。どうにも厄介な問題を抱えこんでしまい、何を書こうにも一向に気乗りがしなかったのだ。しかし、考えてみれば、そんな時こそ私は書くことを頼りに生きてきたはずだ。

さて言い訳はともかく恒例のタネ明かしである。今回、『現代詩フォーラム』のスレッド型会議室「今読んでいる本の13ページ7行目を書き写すスレ」に投稿したのはこんな一文だ。

それが論争にも役立つことはいうまでもない。いや、じつを言えばレトリックとは、はじめは

佐藤信夫の『レトリック感覚――ことばは新しい視点をひらく』(講談社文庫)から。この後は「文学的効果などを目的としたものではなく、ひたすら討論に勝つための技術であった。」と続く。佐藤はレトリックには3つの役割があるとする。ひとつは論争に役立つ「印象的な説得力」。もうひとつは「文学的効果」あるいは「芸術的な挑発力」。そして3つ目の役割、この本のなかで佐藤が最も重要視している役割が「発見的認識の造形」である。

レトリックの「発見的認識の造形」とは、言葉では言いしれぬ事態を敢えて言葉で表現することによって、自分自身の視点をずらし、その事態に対する認識を造形しなおす、切実な試みである。書くことは程度の差はあれレトリックを伴う。だから時として書くことは私たちのものの見方を変え、私たち自身を、私たちの暮らす世界をも変えるのだろう。そして、そういった書くことの力、レトリックの力こそ、私が頼りとしてきたものなのだと思う。

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2005.04.03

詩の本、クリック・ベスト10

昨年の7月にココログへ転居してきてから、あれこれ詩書をご紹介してきた。ご承知の通り、書名をクリックするとamazonが開くようにリンクしてあるのだが、このクリック数をamazonがカウントしてくれている。そこで、この9ヶ月間のクリック数ベスト10を調べてみた。なおクリック数が同じ場合は当ブログに後から登場したほうを上位とした。


1位 黒田三郎詩集 32クリック

2位 体操詩集(村野四郎) 27クリック

3位 続・川崎洋詩集 23クリック

4位 風ぼうぼうぼう(山崎るり子) 22クリック

5位 草野心平詩集 21クリック

6位 石垣りん詩集 20クリック

6位 世間知ラズ(谷川俊太郎) 20クリック

8位 詩七日(平田俊子) 17クリック

9位 会社の人事―中桐雅夫詩集 17クリック

10位 西脇順三郎詩集 16クリック

数えてみて寂しく思われるのは物故詩人の詩集が多いことだ。殊に川崎石垣は未だ訃報の記憶も生々しい。改めて哀悼の意を表したい。一方、現役詩人はというと、谷川の人気はさすがに根強い。しかし山崎平田といった中堅詩人への関心もうかがわれ、今後のことを考えると嬉しい限りだ。というか、もっと若手を取上げなきゃ、ということかもしれない。反省。

ところで何冊売れたんだ? アフィリエイトである以上、そりゃあ売れたほうが売れないよりいいに決まっている。けど、そもそも売るつもりで紹介しているわけではないのだ。ま、言い訳はそれくらいにして告白すると僅かに3冊だ。『黒田三郎詩集』と『川崎洋詩集』(「続」ではない)、そして『会社の人事―中桐雅夫詩集』がそれぞれ1冊づつ。ん、いや、だから、最初から当てにしてないんだから、いいんだって、それで、ほんと……。

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