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2005.06.29

お久しぶりのタネあかし 13ページの7行目

現代詩フォーラム今読んでいる本の13ページ7行目を書き写すスレと勝手に連携する企画である。そっちに投稿した「13ページの7行目」の出典をこっちでこっそりタネあかししようという寸法だ。早いもので今回が13回目である。

うかがわれる。二つの視点間に交渉が成り立

越川芳明・原成吉・斉藤修三の3人による座談「自分自身を架け橋として――チカーノ/チカーナ詩を語る」から斉藤の発言。アメリカ社会には主流をなす白人とメキシコ系の人たちの間に深い断絶がある。しかも、それは単なる断絶ではなく、明確な力関係が支配しており、両者の視点が交わる余地はない……そういった趣旨のものだ。

掲載誌はご想像の通り『現代詩手帖』。「ボーダー文学最前線」と題してヒスパニック系アメリカ人チカーノ/チカーナの作品を特集した5月号から拾った。ついでに、と言っては申しわけないが、5月号の読みどころを紹介すると、越川・斉藤両氏の編訳によるアンソロジー「チカーノ/チカーナの詩人たち」がよい。ことにゲーリー・ソトの「メキシコ人はジョギングにいそしむ」とジミー・サンティアゴ・バカの「おれじゃなくて誰が」に感心させられた。

バカは昨年9月に次いで2度目の登場(「ふたたび現代詩手帖9月号から」)なのでご記憶のかたもいらっしゃることだろう。「おれじゃなくて誰が」は、ストリート・ギャングが服役を機に自我に目覚める、その瞬間を捉えた自伝的作品。近頃の日本の現代詩には見られない直截的でゴツゴツとした言葉の迫力が感じられる。最終行を引いておこう。

だからさ、「すばらしいね」なんておれが言ってもさ、
 自分以外のいったい誰が信じるっていうんだい?

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