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2005.06.20

すべて渡の言葉になっていた

シンガー・ソングライターの友部正人が「ジュークボックスに住む詩人」というコラムを『現代詩手帖』に連載している。フォークやロックを中心に様々なミュージシャンと彼らの歌の歌詞を紹介するもので、『手帖』としては少々異色ではあるが、毎号楽しみにしている記事の一つだ。

最新の6月号では4/16に他界した伝説的なフォーク歌手・高田渡が取り上げられていた(「高田渡がやったこと――くつが一足あったなら」)。高田は友部と同年代で若いころから交流があったそうだ。当時の思い出に触れながら、友部は高田の歌について、こんな風に言っている。

高田渡が詩人の詩を歌うとき、詩人の言葉はすでに渡の言葉になっていた。

う~む、さすが。高田の歌の本質、その独自性をズバリと言い当てている。とにかく高田渡が歌うとブルースもシャンソンも現代詩さえ高田渡になってしまう。しかも、その高田渡ぶりが余りにもフォークっぽいのだ。そう思うとますます高田の死が惜しまれてならない。

追伸:faceさん、コメント有難うございました。

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コメント

こんばんは〜。
御無沙汰してます。
友部さんが
『現代詩手帖』に
載ってるんですか。

吟遊詩人ですもんね。
武蔵野たんぽぽ団で
いっしょにやってましたもんね。
渡の場合は、歌を音に乗せるために
結構元の詩をいじってるみたいです。
例えば黒田三郎さんの
『夕暮れ』なんか
かなりちがってますね。
そうゆうのをみるのも
たのしいです。

投稿: face | 2005.06.23 17:36

faceさん、こんばんは。こちらこそご無沙汰しておりました。

『手帖』は友部の特集をやったこともあるんですよ。2003年4月号「友部正人の世界」。久しぶりに引っ張り出してみたら高田渡の談話も載っていました。

【引用】彼の好きなのは、じっとしてないところがいいやね。いつも動いてる。そうしないと自分が納得できないのかもしれないな。ぼくなんかはじっとして時間の流れるのを見ているのが好きだね。(「いつも動いている―友部正人をめぐって」から)

どうですか? やっぱり高田渡っぽいですよね。こんなことも言っています。

【引用】物を書くこともすごく素敵だけど、そこに映っている人間の方がいいんだとしたら、ぼくはそっちのほうになりたい。……中略……生きてて、呑んだくれてていろんな人に会って、ぼくはそれでいい。(前掲)

友部とどう関係があるのか分からないけど、きっぱりしたところが、なんかかっこいいなぁ。この人がもういないと思うと、ほんと不思議、ほんと残念。

投稿: (faceさんへ) ならぢゅん | 2005.06.25 23:10

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