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2005.07.09

『誰も知らない』補遺

先月ご紹介した映画『誰も知らない』については、まだ何か言い足りないことがある、ずっとそう思っていた。だが、どうにも言葉が見つからなかった。公園の水道で衣服を洗うような、子どもらのギリギリの生活に、なぜか悲惨さばかりではなく、ある清々しいものを感じていたのだ。これは一体なんなのか。そして、なぜなのか。

『現代詩手帖』6月号、杉本真維子の詩誌月評「痛みと忘却と」にその答えをみつけた。新潟県中越地震に被災した星野元一の個人誌『かぎゅう』27号からこんな一文が紹介されていたのだ。

なんとまあ、家に飼いならされた動物であったことか(「地震襲来記」)

これだ、これだ。子どもらはもちろん望んでそのような生活をしていたわけではない。だが家庭を脱がされ、学校を脱がされ、働くことにいたっては着ることさえもできない、そんな生活に、根源的な自由を、原始的な野性を感じさせられたのだ。それにひきかえ、ボクは、なんとまあ……。

そんなボクだが実は毎週末10キロほどのランニングを自分に課している。いや、今では待ち遠しい何よりの楽しみだ。それは八国山を抜けて多摩湖に到る走行ルートのおかげだと思う。草木の間を必死に走って走りぬけるとき、野性に還ったように思われる瞬間がある。だから続いているのだと思うのだ。それはほんとうに一瞬なんだけどね。

あの子どもたちの暮らしにも、こういう一瞬が感じられた。こんなところにも『誰も知らない』の独特の魅力があると思う。まったく大した映画だ。

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