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2005.09.02

はしる、はしる、はしる……

草木の間を必死に走って走りぬけるとき、野性に還ったように思われる瞬間がある。(「『誰も知らない』補遺」より)

そんな瞬間のことを確か長谷川龍生が書いていたな。あれは何という詩だったか……。

ずっと心にかかっていたものの何となく気が乗らずほっておいた。しかし九月の声を聞くとさすがに「このままでは」という想いがわく。というわけで現代詩文庫を開いてみたら――あった、これだ。いとも簡単に見つかった。

攻撃とは変って、生き生きとはずんでいる。
攻めるときは、死の大隊だが
逃げるときは、生き生きとした男たちだ。

「逃げる真実」。長谷川の代表的な詩集である『パウロウの鶴』に納められていた作品だ。「アメリカ帝国主義戦争に参加せる国連軍兵士たちにおくる。」と添え書きされている。もちろん朝鮮戦争のことだ。第二次世界大戦の終結時にソ連と米国とによって南北に分断された朝鮮。血生臭い大地に共産ゲリラが「国連軍」の兵士を追う。だがなんというアイロニーだろう。敗走する米兵は民衆に銃口を向けていたときよりも遥かに生き生きとして見える。

これは長谷川が現場で見た映像ではなく日本から幻視したものだろう。だが、このリアル感は一体どういうことであろうか。特に最後の五行にはぞっとさせられた。

逃げているおまえのうしろの
命からがらの黒人兵の顔など
白い歯をぎいっと剥きだして
ジャングルから飛び出してくる
童顔の日そのものだ。

深い思想性と高度な表現力とが一つになるとき思いがけないほど肉感的な官能的な作品が生まれる……そうした長谷川の詩の魅力が存分に発揮された作品だとボクは思う。

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