« 2005年を振返る―創作篇 | トップページ | 茨木のり子さんが亡くなられた »

2006.02.15

詩の秘法のありか―現代詩手帖2月号から

2月15日。『現代詩手帖』2月号を読んでいる。「特集I:『討議 詩の現在』の問い」から印象に残った言葉を抜き書きしておこう。

まずは巻頭の座談記事、藤井貞和・稲川方人・野村喜和夫・城戸朱理による「世界像の変容のなかで」から稲川方人の発言。

人間を侮蔑してはいけない、それが一番重要なことなんです。

文学にとって何が一番大切なことは何なのか、稲川の回答は彼の回答としては少々意外なものであった。そしてはっとさせられた。たしかに文学の原点はここにこそあるはずだ。

続いて高岡修の「詩姦する現在」から。

詩とは絶えず現前する新しい言語のことである。(中略)その作品がいかなる過去に書かれたものであろうと、そこからは絶えず詩の現在が立ち上がる。永遠の一回性をみずみずしくする。

一篇の詩の固有性が却ってその場限りではない永遠の新しさをもたらす。あたかも秘法のようだ。しかし、そのために詩人は……
<詩の現在>に永遠に生成しつづけるただ一篇の詩を書くためだけに、詩人は、詩人自身さえ苛酷に捨象しつづけなければならないのだと。

最後に横木徳久の「限界という価値―『討議 詩の現在』を読む」から。

歴史の中では、どんな人間も「可能性」と「限界性」との両義性を生きていかざるをえない。歴史における「限界性」を見極めることは、決してその作品や詩人の価値を貶めることにはならない。今後「戦争体験」ですら払拭されて、どんな読み方がされようとも、その作品を背後から支えているのは、忘却された「体験」にひそむ「限界性」の価値にほかならない。

歴史の中での「限界性」、これは高岡の「一回性」とも合い通ずる概念であろう。そして、詩人は「限界性」がもたらす価値にもっと注目すべきだ、とする横木の主張は、「人間を侮蔑してはいけない」という稲川の言葉とも通底している。「永遠」やら「可能性」といった浮ついた言葉に酔うことなく、地に足をつけ、そこからぐっと根を張るように掘り下げることが必要だと、野村・城戸の両氏に苦言を呈しているようにも思われた。その掘り下げの深さにこそ詩の秘法があるのだと……。

なお『討議 詩の現在』は昨年11月に思潮社より出版された城戸朱理・野村喜和夫の両氏による著作で、現在活躍中の詩人や作家や批評家らとの2年間にわたる連続討議を収録したものだ。

|

« 2005年を振返る―創作篇 | トップページ | 茨木のり子さんが亡くなられた »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30439/8670672

この記事へのトラックバック一覧です: 詩の秘法のありか―現代詩手帖2月号から:

« 2005年を振返る―創作篇 | トップページ | 茨木のり子さんが亡くなられた »