« iPod生活10日目 | トップページ | ささやかながら、これも使命と…… »

2006.02.01

命を使う

2月1日。先日、読んだ島泰三の『安田講堂1968-196』から印象に残った言葉を書き写しておく。

志と言うことができるのは、己の義を志として確立し、それに命をかける決意をした者だけだ。己の義とは何か? 祖先に向かって恥じず、子孫に伝えて恥じないと言える己の生き様ではないか。

ここのところずっと使命ということについて考えていた。それは昨年の11月、faceさんのブログ『な~んちゃって通信』にコメントしたところ、こんな返事をもらったのがきっかけだ。
自分には自分の使命のある場所が
あるんだなとは思いますけど…。
     (「『自由の女神』と『結(ゆい)』」より)

自分は「自分の使命のある場所」にいない。ボクはそのような思いがしてならないのだ。そのためか島の言葉がひどくまぶしく感じられる。
三島由紀夫はまがまがしい暗黒が迫るなかでの、栄光に満ちた死を求めていた。しかし、栄光は彼がその著作のなかで繰り返して夢想したような「ある日、天が開いて天使のラッパとともに輝く光の帯が」降りてくるというようなものではない。栄光は、この日常のただなかにある。

日々の暮らしの中で義を貫き、志を果たした者のみが「栄光」に浴することができるということだろうか。いまのボクには「栄光」は余りに遠く余りにまばゆい。
生きている間には、義を貫かなくてはならないときがあるが、そのときを得ることは、誰にもあることではない。そのときに出あえることは、むしろ幸運なのだ。

そのような「幸運」をボクはつかみ得たのか、つかみ得なかったのか。ボクが恐れるのは、つかんだはずの「幸運」をみすみす手放してしまったのではないか、ということだ。もはや既に……。

最後に安田講堂に書かれた数々の落書きの中でも最も有名な、あの言葉を引いておこう。

連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして倒れることを辞さないが
力尽くさずして挫けることを拒否する

思えば「使命」は「命を使う」とも読める。ボクも未だ終わるわけにはいかないのだ。この命は未だ燃え尽きていないのだから。

|

« iPod生活10日目 | トップページ | ささやかながら、これも使命と…… »

コメント

こんばんは、ならぢゅんさん。
おひさしぶりです。
トラックバックどうもありがとうございます。
自分のコメントがそんなにひっかかってしまいましたか〜。
あんまり難しいことを言ったつもりはないんですけど、
なんか悩ませてしまいましたか?
またまたこんなこというと
またまた悩ませてしまうかもしれませんが、
今いる場所で、使命をみつける
といいうのもあるのかな、なんて最近は
考えたりします。すいませんナマ言って。

投稿: face | 2006.02.04 21:08

faceさん、こんばんは。
コメント有難うございました。

> なんか悩ませてしまいましたか?

悩みましたよ(笑)。
でも悩んだ方がいいんです。
青臭いようですが、時にはこういうことに悩まないといけない、ボクの場合は。
なにしろ根がナマケモノですし、40代も半ばというのに肝が据わっていないし。
だから折にふれ自分の使命、生き方を確認しないと前に進めないのです。

というわけで悩みのタネを有難うございました。
しっかり育てて花を咲かせなくちゃ。

では、また。お体を大切に。

投稿: ならぢゅん / faceさんへ | 2006.02.06 19:32

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30439/8448250

この記事へのトラックバック一覧です: 命を使う:

« iPod生活10日目 | トップページ | ささやかながら、これも使命と…… »