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2006.07.25

106,398歩、ソウルの旅(4)

5月3日。いよいよソウルに向けて離陸である。日本を離れるまでに、これ程の字数を重ねることになろうとは思ってもみなかったが、書き始めてみると、あれこれ懐かしく思い出され、ついつい長舌になってしまった。

久しぶりに飛行機に乗って驚いたのはエコノミークラスの充実ぶりである。昔に比べれば座席も広くなり、座り心地も随分とよくなった。座席ごとにディスプレーがあって各自好きな番組が見られるようになったのもビックリだ。こんなことはしばしば飛行機を利用している人にとっては驚きでもなんでもないのだろうが、なにしろボクは5年ぶりだか6年ぶりだかの飛行機である。

緊急時の避難方法等の説明が終わるとゆっくりと飛行機が動き出した。息子は家から持ってきた文庫本を読んでいる。ボクはガイド本を見ながら初日の旅程について妻と話をしていたが、実は内心、少しずつ飛行機恐怖症が頭をもたげ出していた。

滑走路についたのだろうか。いよいよ本格的に加速が始まる。息子は顔を挙げ驚いたような表情を見せる。すげー加速、何キロ出てんだこれ。聞いてて恥ずかしくなるような大声を出す。そして離陸。眼下の風景に息子の興奮度は更に高まり、すげー、すげー、を連発する。久しぶりに見る子供らしい無邪気なはしゃぎぶりにボクの気分も高揚し、いつになく(いつも以上に?)多弁になる。

こうして息子の乗物酔いもボクの飛行機恐怖症もあっけなく克服されてしまった。案ずるより産むが易しとはよくぞ言ったものだ。

続きはいずれまた……。

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2006.07.18

北秋津の夏祭り

7月16日。われ等が所沢・北秋津の鎮守、天王様(八雲神社)の夏祭り。山車と御輿が町内を巡り、夜には火渡りの神事も行なわれる。今年は町内会の木端役員を務めている手前(輪番制)、朝から手伝いに追われた。といっても、朝9時半、近所の駐車場に休憩場所を設営し、夕方5時、再度集合して御輿を迎え、ご接待のあと撤収作業を行なうだけだ。それでも、こうした奉仕作業に積極的に参加するのは長く地元に暮らしている高齢者が中心で、若い世代は見向きもしない。御輿行列に参加するような子供の親の世代でさえ、しぶしぶ手伝っているといった様子。その気持ちは分からないでもないのだが、できれば、こうした行事はいつまでも続けられるようにしたいものだ。

今年は息子の高校受験やらなにやらで、わずかな手伝いしかできなかったが、来夏は久しぶりに御輿行列について回って、少しは世話を焼いてやろうかと思う。年寄りの手を煩わせるばかりでは気が引けるし、なによりボクは祭り好きだから。はしゃぎ回る子供たちを見ながら、汗をかきかき、地元の人々と車座になって杯を交わすのは本当に楽しいことだから。

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2006.07.13

106,398歩、ソウルの旅(3)

5月3日。午前7時半、羽田空港第1ターミナル駅に到着。改札を抜けると広大な吹抜けに高々とエスカレーターが聳える。なんとなくバベルの塔を思わせる。人類の英知の産物、文明の利器を代表する航空機にも神罰を招きかねないような負の側面があるということか……などと思いをめぐらす暇は今はない。国際線のターミナルに向けて巡回バスに乗り換えなければならないのだ。例によっていつもの性分が発揮される。バスに乗り遅れないよう、また、できれば妻と息子が、そしてついでに自分も座れるよう、ボクは先を急がずにはいられないのである。発着場に着くと、そこには既に多くの人を乗せたバスが止まっていた。次のバスを待つか、いやいや遅れるよりはまし、とばかり重たいスーツケースを運び込み、バスに乗る。妻も息子もボクの性分に呆れ顔だ。結局、満員のバスに立ったまま揺られてターミナルに向かうはめになる。

ツアーデスクで受付を済ませ出国手続き。なにごともあっけないほど円滑に進み出発便ロビーへ。搭乗まで1時間以上もある。売店で飲み物を買いホッと一息。だが、ひと心地ついても、ふた心地もついても、まだまだ時間が余っている。息子と一緒に免税店を冷やかしたり、書店を覗いたり。なんか買ってやろうか、と声をかけても、高いもんばっかりだし本も持ってきたから特にいらねぇなぁ、と気のない返事。ずいぶん大人じみた分別のあることを言うようになった、とも思えるし、損得を考えない素直さは残っているのだな、とも思える。そうこうするうちに、ふと息子の顔が妙に黒々としていることに気づく。ひげだ。15歳ともなると段々ひげが濃くなり、長い間、剃らないでいると、いかにも不精な面持ちになってしまう。売店で電池式のシェーバーを買い洗面所でひげを剃らせる。15歳、大人になってきたようでも、こういったことはまだまだ不慣れ。ひげを剃る手はぎこちなくたどたどしい。

待ちくたびれた頃になって、ようやく搭乗開始のアナウンス。今度は座席が確保されているから急ぐ必要はない。ゆうゆうと席を立ち長い列の後ろの方にくっついて飛行機に乗り込む。飛行機……これまた心配のタネだ。息子の乗り物酔いも気になるが、それ以上に心の騒ぐことがある。そうボクは大の飛行機嫌いなのだ。

続きはいずれまた……。

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2006.07.06

楽都はふたたび歌う

7月1日。NHK教育テレビの番組『楽都はふたたび歌う』(ETV特集)を見る。ハリケーン「カトリーナ」の猛威にさらされたニューオーリンズ。なかでも未だ復興の進まぬ貧困地区・Lower 9th Wardで、音楽を支えに再起を図るミュージシャンたちの姿に感動を覚えた。「初めの炎」を保ち続けることの力を見せつけられた思いだ。

ニューオーリンズのミュージシャンたちの多くはアフリカ系住民である。彼らは、奴隷としてこの地に渡ってきた祖先の各部族の文化と先住民であるネイティヴアメリカンの文化とをミックスした、独特の文化を築き守り伝えてきた。ニューオーリンズのミュージシャンたちのユニークな音楽性も、こうした文化を背景に発展したものだという。

そうした音楽にひかれてニューオーリンズに移り住んだ日本人ブルースギタリスト・山岸潤史の姿も紹介されていた。音楽少年だった高校時代、ボクは彼のアブレッシブなプレイに感動させられた。山岸もまたニューオーリンズでハリケーンの被害を受けたが、被災の後もこの街で地元のミュージシャンたちと演奏を続けている。ここにも「初めの炎」の力が現れているように思われた。音楽への想いという「初めの炎」の交歓が山岸と地元ミュージシャンたちを固く繋いでいるように思われたのだ。

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2006.07.04

初めの炎

6月20日。見田宗介の『社会学入門』(岩波新書)を読む。学生時代、文学と社会学とのどちらを専攻するか、あれほど悩んだ末に社会学を選んだボクだったが、いまでは社会学の本を手に取ることも殆どなくなってしまった。それでも見田の本だけは読みたいと思う。そのように思わせる力がある。

人が学問に志す、その志の<初めの炎>を保つこと、自分にとって、時代にとって、人間にとって、あるいは人間を含む一切の存在にとって、本質的な問題を問いつづけるために

見田は自分が社会学を選んだのは<初めの炎>を保ち、本質的な問題、切実な問題を問い続けるためだったという。それは「人間はどう生きたらいいか」、「ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」、ということだったそうだ。見田はその問いを「単純な問題」としているが、これ以上に切実な、また難しい問題はなかろう。

ところでボクは<初めの炎>を保っているのだろうか。初めに詩を志し、後には社会学を、そして再び、日常生活に沈潜することから詩に回帰したはずのボクは<初めの炎>を保つことが出来ているのだろうか……。

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