« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007.09.27

蝉骸

9月18日、最後に走った日からちょうど1ヶ月がたった。今年こそフルマラソンに挑戦と猛暑の最中にも早起きして頑張ってきたが、オーバーロードであったのか、腰椎を傷めてしまった。42.195キロはゴールはおろかスタートさえ遥かに遠のいた。

椎間板牽かれし門に蝉骸――8年前に詠んだ句だ。この年も夏の終わりに腰椎を傷めてしまい、それから3年ほどは痛みに耐える日々が続いた。この時もそうだったが、思い込みの激しいボクはついついやり過ぎて自分や人を傷つけてしまうことがある。我ながら進歩のないことだと呆れるばかりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.09.25

巣鴨のトラさんのこと

もうすぐ10月だというのに、いつまでも夏の思い出にひたっているのもどうかと思うが、もう一つだけ書いておきたいことがある。それは巣鴨のトラさんのことだ。

初めてトラさんと出会ったのは7月30日のこと。いつもの朝のウォーキング、池袋から三田線の西巣鴨駅を目指して明治通りを歩いていたところ、「元気に歩いてるねぇ」と声をかけられた。ゴマ塩頭に黒縁メガネ、少々腰は曲がっているものの壮健そうなおじいさんだ。そのまま立ち去るのも悪いし、特に先を急いでいるわけでもないので「いやぁ、おとうさんこそお元気そうじゃないですか」と応えた。するとおじいさんは「それがねぇ、火事で6階から落ちたものだから指が曲がっちゃって……。」と靴を脱いで足先を見せた。確かに親指が内側に曲がっている。

そこからおじいさんの身の上話が始まった。「ボクはねぇ、大正14年生まれの83歳。それにしちゃぁ元気でしょ? むかしボクシングをやってたからね。白井義男って知ってる? おんなじバンタム級だったの。今でも時々ワタナベジムに行ってるん。」おじいさんはコブシを作りジャブをして見せる。なるほど素人とは思えない速さだ。ことにコブシを引き戻し体勢を整える仕草がプロっぽい。

「ここで会って話ができたのも何かの縁だから……」とおじいさんはズボンのポケットを探り、ミンティアを2~3個とり出すと、そのうちの1つを差し出す。「おとうさん、いいよ、いいよ」と断ったが、「お話しできたのが嬉しかったから、とっておいてよ」と言う。余り断るのも却って悪いからと受取ると、「じゃぁ、また会ったらお話ししましょう」と名残惜しそうに去っていった。

それから2~3日は毎朝、同じ道でおじいさんに会った。その度に一頻り立ち話をしてミンティアやガムをもらう。「火事のせいでこっちに越してきてからは一人暮らしだから、人と話をするのが楽しくてねぇ。だから色んな人にガムをあげるの。お返しとか持ってきてくれる人もいるけど絶対に受取らない。人にもらってもらうのが嬉しいんだから」

8月7日。二回に分けた夏休みの第一弾が終わって久しぶりに明治通りを歩いたがおじいさんには会えなかった。翌日もおじいさんの姿はなく猛暑で体調を崩されたかと心配したが9日にお会いすることができた。「しばらく会わなかったけどお元気ですか? 夏バテなんかしてない?」と声をかけると、「大丈夫、大丈夫」と明るい声で返事が返ってきた。そしていつものように立ち話。

「まだお話してなかったかなぁ。ボクはねぇ、渥美清さんの運転手をやってたの。17年。ボクシングをやめた後、金馬の弟子になって鈴本に出してもらってたときにね、渥美さんが時々来てて、声かけてくれたん。偲ぶ会にも呼んでもらったし今でも時々お墓参りに行ってるの。」

ここまで話すとおじいさんは「四谷赤坂麹町、ちょろちょろ流れるお茶の水……」とフーテンの寅さんのテキ屋口上を始める。よどみなく流暢な口上は、さすが元・噺家、聞いていて飽きない。「山田洋二さんにもよくしてもらってねぇ、映画に出ないかって誘われたこともあるん。なまけもののトラさんって役はどうかって。『なまけもの』なんてねぇ、ぼくはやだよって断っちゃった。そんな役やったら仲間や親戚から何を言われるか分かんないもんねぇ。」

という訳でボクはひそかにおじいさんのことを巣鴨のトラさんと呼ぶようになったのだが、実はそれ以来、トラさんとゆっくり話をしたことがない。翌週の17日には信号待ちをしていたトラさんをみかけ声をかけたが、すぐに信号が変わってしまったため、ほんの1~2分しか話すことができなかった。ここ1ヶ月ときたら姿を見かけることさえない。ご高齢なので体調を崩されたのではと気にもかかるし、トラさんの元気な声を聞かない朝はなんとなく物足りなく寂しい。

トラさん、またお会いしましょう。ボクはいつものように歩いていますから……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.09.18

夏休みの終わりに

8月14日、いつも思うことだが、待ちに待った夏休みも始まってしまえばアッという間に過ぎ今日が最終日。せっかくだから映画でも観に行こうかと声をかけると妻は『夕凪の街、桜の国』が観たいと言う。珍しくすんなり話がまとまり親子三人で池袋のシネ・リーブルに向かう。

この映画は「夕凪の街」と「桜の国」の二つの物語からなる。「夕凪の街」は昭和30年代の広島を舞台に被爆者・皆実の死を描いたものだ。一方、「桜の国」では皆実の姪にあたる七波がひょんなことから広島を訪れ被爆という家族の歴史の原点を見つめなおすことになる。この二つの物語が次第に交錯し、やがて一つの物語、戦争と戦後を生きた家族の歴史を描くタペストリーに織りあげられる。ささやかな日常を丁寧に描いており、全体に落ち着いたトーンを持つ作品だが、そのために却って幾世代にもわたる被爆の悲惨が染み入るように伝わってくる。

印象に残った台詞を一つ引用しておきたい。

なあ、うれしい?
十三年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やったぁ、また一人殺せた!』って、ちゃんとおもうてくれとる?

死を目前にした皆実の言葉だ。悲しみや怒り、憎しみを自分のうちに抑え、泣き叫びたい気持ちをじっとこらえて、それでも心の隙間から漏れ溢れる切なる想い。ボクには涙を耐えることができなかった。

戦争は畢竟、敵国に勝ち国益を守るために、人の命を奪い暮らしを破壊することなのだろう。原爆を落とした兵士も皆実を殺そうとしたわけではないはずだ。だが、だからこそ許せないのだ。なによりも尊いはずの人の命を道具や手段におとしめてしてしまう、戦争ということが、ボクには許せないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »