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2007.11.17

ボクらは明日に間に合うのか

11月2日、ダグラス・スミスの『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社)を読む。普段から漠然と感じていた不安・危機感と自己欺瞞・閉塞感とをズバリ言い当てられたような気がした。このまま経済発展を追及していては、地球環境が持たないし、貧困や格差の問題もより複雑により深刻になるばかりだ。しかし分かってはいるものの具体的な行動がとれない。長時間労働と大量消費とで経済発展を支え、破滅への航路を進む船をこぎ続ける毎日だ。

スミスは言う。ボクらをこの船に縛りつけているのは経済発展という神話、国家という神話、そして、これほどまでに働き消費しなければ幸せになれないという幻想だ。環境破壊がいよいよ深刻になったとき、ボクらはこうした神話・幻想からいやおうなく目覚めさせられる。現実に直面させられる。問題はボクらの目覚めが間に合うのか、手遅れとなってしまうのか、だ。

20世紀の最後の年に予言された目覚めの日をボクらはまだ迎えていないようだ。臨界点は一体どこにあるのか、いつまでなら間に合うのか。今日の延長線上には破滅しかないとしたら、ボクらは別の明日に間に合うことが出来るのだろうか……。

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