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2008.04.23

矮猫亭・2001年1~3月

古い日記の再掲載。今回は21世紀の最初の3ヶ月。当時は仕事の都合で中期経済予測を一生懸命集めていたようだ。なおリンク先が削除されたものについてはリンクを切断してある。

驚いたのが旅行記リンク集「DESLINKS」。リンク切れしていないか確認のため7年ぶりに訪れてみたがリンク切れどころか当時よりずっと充実していた。初志を貫徹された地道なご尽力に敬意を表する次第である。


空いてるドアへ行こう! 2001/01/26

ある地下鉄の駅のホームでのこと。こんな駅員さんのアナウンスが流れました。

間もなくドアが閉まります。お近くの空いているドアから順にご乗車下さい。(ドアが閉まる)空いてるドア行き発車致しま~す。

朝の殺伐とした通勤時間。ちょっとクスッとさせられました。なんだかちょっとホッとして、なんだかちょっと幸せな気分。


木枯らし 2001/01/31

木枯らしや岐路に立てるを告ぐ便り

三十代も半ばを過ぎると仕事の面でも私生活でも重大な決断を求められることが多くなるようです。木枯らしの吹きすさぶ日、学生時代の友人から人生の岐路に立たされたと便りが届きました。具体的なことには何も触れず、ただ一言、岐路に立ったと。

こんな時は多くを語らずとも解るものなのですね。具体的なことは書いてなくても、その心境は痛いほど解る。彼がどんな決断を求められ、どんな選択をしたのか、今もって尋ねもせぬままですが、その選択が人生の新たな旅路への出発であることは疑いようもありません。

人生の岐路に立たされているのは恐らく彼ばかりではなく、この世界のあちらこちらで多くの友が決断の時を迎え、新たな出発を果たしていることでしょう。そんな仲間たちに敬意と餞を送りたいと思います。そして感謝を。彼らの勇気に思いを馳せるとき、私の怯えた心も奮い立つのだから。


旅行記リンク集「DESLINKS」 2001/02/22

弊誌「矮猫亭雑誌」に久しぶりにリンク依頼がありました。といってもお目当ては友人の寄稿してくれた「ニカラグア旅日記」で、ちょいとそこがシャクなのですが。ま、少しでもアクセスが増えてくれればいいか。

リンクして下さったのはKENYさん。東京外大の4年生だそうで、各地の旅行記をあつめたリンク集「DESLINKS」を主催されています。その網羅性といい、行き届いた整理といい、これはお奨めです。


経済予測 2001/02/22

各種研究機関のホームページを巡って中期経済見通しを集めておりましたら、「陰陽五行による経済予測」なる書籍にぶつかりました。ふひゃぁ、そんなんもありかぁ。びっくりしなぁ。

ま、それはともかく、もしかしたら小生の他にも経済予測を集めている方がいらっしゃるかもしれませんので、WEBで集めることのできた予測の一覧を下記にお示します。殆どのリンク先がPDFファイルなのでAcrobat Readerを導入していない方は導入の上ご覧下さい。

⇒Acrobat Readerのダウンロード(無償)

68SNAベース
 ・国民経済研究協会.中期経済予測.No.29.2000.10(PDF)
 ・国民経済研究協会.長期経済予測.2000.5(PDF)
 ・野村総合研究所.中期経済予測2001-2005.1999.11(PDF)
 ・野村総合研究所.中期経済予測2001-2005.2000.11(PDF)
 ・大和総研.日本経済中期予測.1999.10
 ・大和総研.日本経済中期予測.2000.11(PDF)

93SNAベース
 ・国民経済研究協会.短期経済予測.No.94.2000.12(PDF)
 ・日本経済研究センター.第27回日本経済中期予測.2000.11(PDF)
 ・野村総合研究所.日本経済見通し再改訂について.2000.12(PDF)
 ・ニッセイ基礎研究所.中期経済見通し.2001.1(PDF)
 ・富士総合研究所.日本経済の10年予測.2001.2(PDF)
 ・三和総合研究所.日本経済の中期見通し(2001~2005年度).
  2001.2(PDF)
 ・大和総研.第127回日本経済予測.2000.12(PDF)

[注記]
SNAはGDPなどを算出する国民経済計算の国際ルール。1993年に国連が22年ぶりの改正を行ったため、新しい体系は「93SNA」、それ以前の体系は「68SNA」と呼ばれています。日本では昨年(2000年)10月末から「93SNA」に移行しました。詳しくは内閣府経済社会総合研究所の公開している「我が国の93SNAへの移行について」をご覧下さい。


買っちゃったぁ! 2001/02/27

Eギターのマルチエフェクタを買ってしまいました。Zoomの505Ⅱという機種です。何しろ安くて――池袋のクロサワで¥5200でした――エフェクトが豊富なのが魅力。早速、愛機を繋いでみましたが、とってもそれらしく、何だか腕まであがっちゃったみたいに聞こえて、いやぁ、もう、はまりそうで恐い。

経済見通し2 2001/03/16

その後、日本総研さんから↓が発表になりました。どこの予想があたるやら興味深々ですね。

日本総合研究所.2000~2001年度 日本経済改訂見通し.2001.3(PDF)


経済見通し3 2001/03/19

今度は野村総研さんです。

野村総合研究所.2001年度・2002年度経済見通し.2001.3(PDF)


最新鋭の設備で煙も出ません  2001/03/27

先週木曜日のこと。身内に不幸がありまして葬儀に出席しました。上尾の葬儀場からマイクロバスに揺られること約30分。見渡す限り田んぼの真ん中にえらく近代的な建物が見えたと思ったら、そこが火葬場とのこと。最新鋭の火葬場は電気仕掛けで煙もでないとか。てなわけで、無いんですよ、煙突が。これじゃぁ、風情も詩情もあったもんじゃありません。昔はこんな詩↓をひねったりもしたものですが。

  希望 ─ 長くは続かない

ちょっと不謹慎モードで、ごめんなさいでした。


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2008.04.22

高浜虚子『五百句』を読む

4月9日。高浜虚子の句集『五百句』を読む。俳誌『ホトトギス』500号刊行を記念して発行されたもので、虚子が17歳にして句作を始めた明治24年(1891年)から昭和10年(1935年)までの作品を対象に500作を選出したものだ。もっともボクが読んだのは『日本の詩歌』第3巻(中公文庫、1975)に収録された100余句ほどである。

2月末に入院した義母の容態が3月半ばから著しく悪化し、それからはどうも難しい本を読んだり考えたりする気力が湧かず、せっかく買った吉本隆明の『日本語のゆくえ』もページを開く気にすらなれなかった。そんなある日、ふと、本棚に収められていたこの本に目が留まり、今の自分の読み物としては俳句や短歌がうってつけなのではと思い、とりあえず虚子の作品を読んでみることにしたのだ。

虚子は正岡子規や河東碧梧桐と並ぶ近代俳壇の巨人。俳誌『ホトトギス』を主宰し飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男などを輩出したことでも知られる。伝統に根ざした古典的な作風で碧梧桐に代表される革新派の俳人とと激しく対立した。『五百句』から気に入った作品を幾つか引いておこう。

遠山に日の当りたる枯野かな 明治33

虚子の代表作として名高い句だ。「客観写生」を旨とした虚子だが初期の作品はむしろ主情的で、当時、師の正岡子規も「虚子は熱きこと火のごとし」と評したそうだ。そんな虚子の作風が一変したのがこの句の頃からで、確かな観察に支えられた風景描写が前面に押し出され、叙情はほのかに香る程度に抑制されている。
桐一葉日当りながら落ちにけり 明治38
露の幹静に蝉の歩き居り 大正5
白牡丹といふといへども紅ほのか 大正14
流れ行く大根の葉の早さかな 昭和3
蕗の薹の舌を逃げゆくにがさかな 昭和6

これらの句には虚子の観察眼の鋭さが遺憾なく発揮されている。いや、眼ばかりではない。耳も鼻も舌も皮膚も五感の全てを研ぎ澄ませて対象に迫っていると感じられてならない。
夕鯵を妻が値切りて瓜の花 大正9
父母の夜長くおはし給ふらん 大正14
やり羽子や油のやうな京言葉 昭和2
蜘蛛打つて暫心静まらず 昭和5
春の浜大いなる輪が画いてある 昭和7
浴衣着て少女の乳房高からず 昭和8

虚子は晩年、俳句の目的は「花鳥諷詠」であると語ったが、これらの句を読むと花鳥風月を観察し諷詠するのと同じ視線が人にも向けられていたことが分かる。中には主情的と映る句もあるが、それらもやはり自分自身の心を客観的に見据えた上での諷詠であると受けとりたい。
春水や矗々として菖蒲の芽 大正6
どかと解く夏帯に句を書けとこそ 大正9
底の石ほと動き湧く清水かな 大正14
ほつかりと梢に日あり霜の朝 昭和5
かわ(かわ)と大きくゆるく寒鴉 昭和10
※括弧内は原本では繰返し記号(大返し、くの字点)

初めて虚子の句をまとめて読んで気付いたことはオノマトペの豊富さ、ユニークさである。これもやはり虚心に対象を見つめることで得られる感覚を素直にそのまま詠んだものであろう。
大いなるものが過ぎ行く野分かな 昭和9

この句を読むと、虚子の観察眼はついに眼に見えないものを見、身体では感じられないものをも感じるに至ったと思われる。

ボクにとって「大いなるもの」が去ったのは3月30日のことだ。その日、ついに義母は息を引き取った。春の嵐と言うには大げさかもしれないが雨の激しく降る午後だった。

その日(その日)死ぬる此身と蒲団かな 大正2
※括弧内は原本では繰返し記号(大返し、くの字点)

病床で義母もそのような思いを抱いただろうか。そう思うと改めて切なさがこみ上げてくる。

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2008.04.09

『戦後詩史論』を読む

3月7日、吉本隆明の『戦後詩史論 』を読む。2005年に復刊されたもの(思潮社版)ではなく、以前、古本屋で買い求めた大和書房版(1978年刊行)だ。

この本には「戦後詩史論」、「戦後詩の体験」、「修辞的な現在」の3つの論考が収められている。

「戦後詩史論」は1959年から60年にかけて刊行された『現代詩全集』(ユリイカ版)に分載されたもので、戦後詩の源流をなした昭和初期の詩人たちをはじめ、戦時体制の確立に向かう社会変動の中で台頭した過渡的詩人たち、敗戦の経験に立脚した「荒地」や「列島」の詩人たち、そして50年代後半に登場した戦争の痕跡を持たない詩人たちを主に取り上げ、その思想と社会的背景、方法論や言語表現の特徴について分析している。概ね時間軸に沿った展開となっており現代詩誕生期の通史として読むこともできる。

「戦後詩の体験」は70年代に行われた講演の記録をもとに書下ろされたもので、戦後詩がどのように戦争体験をふまえてきたのかを思想史的な観点から取り扱っている。ここで主に取り上げられているのは「荒地」に代表される戦時中に青春期を過ごした詩人たちだ。彼らは「戦乱によって日常の自然感性を根こそぎ疑うことを強いられ」たため、敗戦の体験を出発点とした思想性の高い作品を創作する一方、その後の平穏な時代にあっても、その日常性への違和感との格闘を余儀なくされた。彼らの戦後とは対照的に、続いて登場した「自覚的な生活過程に戦争の影が無かった」世代にとっては同じ平穏な時代が「もう日常性しかない」時代として捉えられている。そこでは「自己体験を深めていくとか、それを思想化していく」といったことはあり得なくなってしまい、「<もの>そのものになってしまうより生きざまもなければ倫理もない」といった「現在の感性」に立脚した詩が書かれることとなった。

同じく書下ろしの「修辞的な現在」で取り上げられているのは、この「自覚的な生活過程に戦争の影が無かった」世代、「戦後詩の体験の終結」以降に登場した詩人たちだ。「生活の現実の場それ自体に<意味>をうしなった」彼らには「修辞的なこだわり」しか残されておらず、「切実さの中心から等距離に隔たった」多様な修辞のバリエーションを繰り広げるほかなかった。一方、彼らは古典的な感性とも相通じる大衆的な風俗、ことにフォークソングに代表される新しい歌謡との対峙を強いられる。この戦線においても彼らには「修辞的なこだわり」のほかに闘う術を持たなかったのだ。

現在、詩は様式的にある飽和点にしゃにむに駈せのぼり、変質し横溢しようとしている時期におもわれる

「荒地」に代表される世代の詩人たちを支えた、言葉で「じかに、現実を引掻いている感覚」から解放された彼らが、60~70年代に作り出した詩の潮流は80年代、90年代を貫き、今なお現代詩の底流をなしている思われる。この言わば「修辞的な現在」のなれの果てを吉本は新刊『日本語のゆくえ』で「いまの若い人たちの詩は『無』だ」と断じていると言う。大いに興味はあるものの未だ買ったきりで読んではいない。なんとなく読むのが怖い気がしているのだ。

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