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2008.04.22

高浜虚子『五百句』を読む

4月9日。高浜虚子の句集『五百句』を読む。俳誌『ホトトギス』500号刊行を記念して発行されたもので、虚子が17歳にして句作を始めた明治24年(1891年)から昭和10年(1935年)までの作品を対象に500作を選出したものだ。もっともボクが読んだのは『日本の詩歌』第3巻(中公文庫、1975)に収録された100余句ほどである。

2月末に入院した義母の容態が3月半ばから著しく悪化し、それからはどうも難しい本を読んだり考えたりする気力が湧かず、せっかく買った吉本隆明の『日本語のゆくえ』もページを開く気にすらなれなかった。そんなある日、ふと、本棚に収められていたこの本に目が留まり、今の自分の読み物としては俳句や短歌がうってつけなのではと思い、とりあえず虚子の作品を読んでみることにしたのだ。

虚子は正岡子規や河東碧梧桐と並ぶ近代俳壇の巨人。俳誌『ホトトギス』を主宰し飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男などを輩出したことでも知られる。伝統に根ざした古典的な作風で碧梧桐に代表される革新派の俳人とと激しく対立した。『五百句』から気に入った作品を幾つか引いておこう。

遠山に日の当りたる枯野かな 明治33

虚子の代表作として名高い句だ。「客観写生」を旨とした虚子だが初期の作品はむしろ主情的で、当時、師の正岡子規も「虚子は熱きこと火のごとし」と評したそうだ。そんな虚子の作風が一変したのがこの句の頃からで、確かな観察に支えられた風景描写が前面に押し出され、叙情はほのかに香る程度に抑制されている。
桐一葉日当りながら落ちにけり 明治38
露の幹静に蝉の歩き居り 大正5
白牡丹といふといへども紅ほのか 大正14
流れ行く大根の葉の早さかな 昭和3
蕗の薹の舌を逃げゆくにがさかな 昭和6

これらの句には虚子の観察眼の鋭さが遺憾なく発揮されている。いや、眼ばかりではない。耳も鼻も舌も皮膚も五感の全てを研ぎ澄ませて対象に迫っていると感じられてならない。
夕鯵を妻が値切りて瓜の花 大正9
父母の夜長くおはし給ふらん 大正14
やり羽子や油のやうな京言葉 昭和2
蜘蛛打つて暫心静まらず 昭和5
春の浜大いなる輪が画いてある 昭和7
浴衣着て少女の乳房高からず 昭和8

虚子は晩年、俳句の目的は「花鳥諷詠」であると語ったが、これらの句を読むと花鳥風月を観察し諷詠するのと同じ視線が人にも向けられていたことが分かる。中には主情的と映る句もあるが、それらもやはり自分自身の心を客観的に見据えた上での諷詠であると受けとりたい。
春水や矗々として菖蒲の芽 大正6
どかと解く夏帯に句を書けとこそ 大正9
底の石ほと動き湧く清水かな 大正14
ほつかりと梢に日あり霜の朝 昭和5
かわ(かわ)と大きくゆるく寒鴉 昭和10
※括弧内は原本では繰返し記号(大返し、くの字点)

初めて虚子の句をまとめて読んで気付いたことはオノマトペの豊富さ、ユニークさである。これもやはり虚心に対象を見つめることで得られる感覚を素直にそのまま詠んだものであろう。
大いなるものが過ぎ行く野分かな 昭和9

この句を読むと、虚子の観察眼はついに眼に見えないものを見、身体では感じられないものをも感じるに至ったと思われる。

ボクにとって「大いなるもの」が去ったのは3月30日のことだ。その日、ついに義母は息を引き取った。春の嵐と言うには大げさかもしれないが雨の激しく降る午後だった。

その日(その日)死ぬる此身と蒲団かな 大正2
※括弧内は原本では繰返し記号(大返し、くの字点)

病床で義母もそのような思いを抱いただろうか。そう思うと改めて切なさがこみ上げてくる。

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