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2008.06.25

高浜虚子『六百句』を読む

6月5日。引続き『日本の詩歌』第3巻(中公文庫、1975)から『六百句』(抄録86句)を読む。『六百句』も『五百句』や『五百五十句』と同様に俳誌『ホトトギス』六百号を記念したものだ。昭和22年刊行、昭和16~20年の作品を収録している。

この頃の句は一転して原点回帰、写生の冴えを感じさせるものが多い。

帯結ぶ肘にさはりて秋簾(昭和16)
大根を洗う手に水従へり(昭和16)
木の股の抱ける暗さや秋の風(昭和17)
初夢の唯空白を存したり(昭和18)
枯れ蓮の水を犬飲むおびえつゝ(昭和18)
枯菊に尚色といふもの存す(昭和20)

もちろん独特の感性がもたらす超現実主義的な感じを帯びた句(「木の股の」・「初夢の」)や老境を象徴するような句(「枯れ蓮の」・「枯れ菊に」)が姿を消してしまったわけではないが、叙情側に傾きかけたバランスが客観写生側に戻ってきた感じがする。
犬ふぐり星のまたゝく如くなり(昭和19)
牛の子の大きな顔や草の花(昭和19)
夏草に延びてからまる牛の舌(昭和20)

この頃の句のもう一つの特徴は野や牧の草花のような小さな生命に向けられた温かみのある視線だ。写生への回帰も含めこうした変化は戦争という時代背景と無関係ではないように思われる。
黎明を思ひ軒端の秋簾見る(昭和20)

添書きに「二十二日。在小諸。詔勅を拝し奉りて。朝日新聞の需めに応じて。」とある。加藤楸邨の解説によると、この句に加え「秋蝉も泣き簔虫も泣くのみぞ」、「敵といふもの今は無し秋の月」の計3句が、「需めに応じて」詠まれたそうだ。「秋蝉も」の句には敗戦の衝撃を受け止めかねている様子が伺える。「敵といふもの」の句も口当りは良いが思考は停止してているように感じられる。「黎明を」の句に至ってようやく覚悟が固まったのではないかと思われるのだ。

最後にもう1句引いておこう。

風邪引に又夕方の来たりけり(昭和18)

風邪引きで寝込んだだけでも日暮れ時は心細く感じられるものだ。まして3ヶ月も入院していた義母はどれほど寂しく頼りなく思っていただろうか。
手向けしは螺髪の如き花あじさい 矮猫

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