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2008.06.10

寺山修司『月蝕書簡』を読む

5月13日。寺山修司の未発表歌集『月蝕書簡』(田中未知編、岩波書店、2008)を読む。

面売りの面のなかより買い来たる笑いながらに燃やされにけり

巻頭歌である。この歌を含め、本書に収録された188首は、47歳でこの世を去った鬼才・寺山修司が未発表のままノートに遺したものだ。永年、秘書として寺山の活動を支えた作曲家の田中未知がこのノートを整理して歌集にまとめたのだそうだ。

詩や批評、随筆、演劇、映画など幅広いジャンルで活躍した寺山の創作活動の原点は俳句と短歌であった。10代で歌人としてデビュー、その後10年間の間に3冊の歌集を出版したが(『空には本を』『血と麦』『田園に死す』)、その後はしだいに歌を詠まなくなり、1971年、寺山はついに『寺山修司全歌集』の刊行をもって歌作に「終止符」を打った。

こうして私はまだ未練のある私の表現手段の一つに終止符を打ち、「全歌集」を出すことになったが、実際は、生きているうちに、一つ位は自分の墓を立ててみたかったというのが、本音である。(『寺山修司全歌集』跋文より)

30代後半になって寺山が再び歌を書き始め、しかし発表には至らずに終わった経緯は、本書に収められた田中の「『月蝕書簡』をめぐる経緯」に詳しい。かいつまんで言えば人に薦められて書いてはみたものの発表するだけの自信が持てなかったということのようだ。これではなんだか情けない話に聞こえるが、むしろ寺山の自分自身に対する要求水準の高さに思い至るべきだろう。例えば田中は辺見じゅんとの対談から寺山のこんな発言を引用している。
自分の過去を自分自身が模倣して、技術的に逃げ込むわけでね、……中略……自分自身の何か新しいことを語る語り口として、二十年ぶりで短歌を作るということに値するかどうか(『現代詩手帖』1981年9月号より)

本書の解説で佐々木幸綱は、この歌集は「既視感のある寺山ボキャブラリーにおおわれている」と記している。それは期待通りの「まぎれもなく寺山修司だという確かな手触り」とともに、どこかで見た記憶があるという失望、「期待が裏切られた印象」をもたらしたというのだ。寺山にはこのような周囲の期待のあり方が分かっていたのだろう。寺山でありつつ寺山を超える新機軸を打ち出す、それは周囲以上に寺山自身が求めていたことでもあったはずだ。

188首から気に入った歌をノートに抜書きしてみたところ40首にも及んでしまった。さらに厳選して何首か引いておこうと思ったが、どれもこれも捨てがたい。先ずはいかにも寺山らしいところを5首選んでみた。

出奔後もまわれ吃りの蓄音機誰か故郷を想わ想わ想わ
満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えて
義母義兄義姉義弟があつまりて花野に穴を掘りはじめたり
起重機に吊りあげらるる一塊の土の中なる義母人形や
パイロットひとりひそかに発狂し月明をとぶ旅客機もあれ

佐々木が解説で述べた「寺山短歌の大きな魅力」である「演歌的物語あるいは童心の物語等をいったん深く抱き込んで、シュールな色合いに染める手ぎわ」のよさが余すところなく発揮されているように感じられる。

こうした寺山の方法論は青春期の作品と何ら変わるところがない。しかし歌想という意味では年齢相応の変化が感じられる。

レコードに疵ありしかばくりかえす「鳥はとびつつ老いてゆくのみ」
ふしあわせという名の猫を飼いころすわが影の外へ出さず
父親になれざりしかば曇日の書斎に犀を幻想するなり
木のままで一生終るほかはなし花ざかりの墓地首吊りの松
地の果てに燃ゆる竈をたずねつつ父ともなれぬわが冬の旅

これらの歌には、老いの気配を感受し、過ぎこし方を顧みているような風情が顕著である。こうした歌想の変化を熟成であるとか円熟であるとかといった曖昧な言葉で賞賛することができれば話は簡単なのだが、なにしろ相手は寺山である。そうはいかないところに佐々木の失望感あるいは寺山自身の苦悩があったのではないか。最後にもう1首。
一本の釘を書物に打ちこみし三十一音黙示録

この歌からはある想像が浮かび上がってくる。寺山は従来の寺山短歌を越える何ものかを世に示し、その上で再び短歌という表現方法を自分のなかから葬り去ろうとしていたのではないか、そんな気がしてならないのだ。そして、そのことが惜しくも果たされなかったために、ボクらはこれまで寺山の晩年の短歌を眼にすることができなかったのだろう。単なる想像に過ぎないが、しかし、なんという逆説だろうか。だがそれもまた寺山らしいという気がする。

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