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2008.07.30

矮猫亭・2003年7~9月

古い日記の再掲載、今回は2003年7~9月。振り返ってみると5年前の夏は随分と映画を観ていたことに気付く。ジャンルも西部劇ありSFあり、ヒューマンなものから官能的・耽美的なものまで多彩だ。それに比べて今年の夏は……。いよいよ夏休みも近づいてきた。そろそろ巻き返しにかかるとするか。


眼鏡が壊れちゃいました 2003/07/02

先週の木曜日のことです。レンズを拭いていたらフレームがブリッジのところで真っ二つに折れてしまいました。土曜日に眼鏡屋にいって新調したのですが、レンズ加工に1週間かかると言うので今は以前使っていた眼鏡で急場をしのいでいます。当時は未だひどくなかったので、この眼鏡は乱視の矯正がしてありません(乱視は、歳を取るにつれて脳が調整できなくなって、度が進むんだそうです)。お蔭で視界がボヤけて、目が疲れること、疲れること。気分的にもイライラがつのります。こんな、些細なことにさえ人の気持ちは左右されるものなのですね。

で、初めて眼鏡を掛けたときのことを思い出しました。中学生の頃です。当時はアレコレ悩みが多くて、すっかり落ち込んでいました。学校の視力検査で要矯正と言われて、眼鏡を作ってもらったのですが突然、視界がクリアになって、見るもの全て新鮮に思えました。今から思うと大げさな話ですが、あぁ、生きてて良かったなぁ、って思ったのです。

そんな些細なことにも感動できた自分がいたのですね。さぁ、今週末、新しい眼鏡を掛けたら少しは感動できるかな?少しは新しい自分になれるでしょうか?


かくかくしい 2003/07/07

また変な夢を見ました。私は江戸時代(と思わしき)ある村での訴訟の陪席している。村役人(と思わしき)男が判決を述べる。ちょっと意外な裁きに村人たちの席がどよめく。その様子を察した男が言う。乙の考えは各々しく、和を尊ぶこの村にはそぐわない。各々しい、とは、人は人、自分は自分、といった態度のことらしい。それにしても私の脳は、一体、なんで、こんな夢を見させるのだろう。不思議としか言いようがない。う~む。


無言電話 2003/07/11

久しぶりに無言電話である。夜中、子供が眠ってから、妻と二人で出かけたところ、ケイタイに電話がかかってきた。てっきり、目を覚ました息子がかけてきたと思ったが、いくら声をかけても何も言わない。ちょっとからかってやろう。

鈴木、鈴木だろう。今、どこにいるんだ。奥さんも心配してるぞ、早く帰って来いよ。

電話は何も言わないまま切れた。何故か、相手が本当に鈴木だったような気がしてくる。行方不明の鈴木などと言う男は知り合いには一人もいないのだが。

もっともこれは今朝の夢の話。ここのところ、おかしな夢を良く見る。なぜだろう。


自動車レース初観戦 2003/07/16

生まれて初めて自動車レースを見に行きました。先週の日曜、義理の兄と息子と3人で富士スピードウェイに行ったのです。全日本GTカー選手権、第4戦。あいにくの雨と霧で、スタートは遅れ、周回数は減らされズブ濡れになりながら、寒さに震えながらの観戦でしたが他には例えようもない最上級の興奮を覚えました。耳を聾するエンジン音、猛烈なスピード。そしてGTRとスープラとの熾烈な競合い。病みつきになりそうです。

レースの結果は、子供の頃から好きだったGTRが1-2フィニッシュ。大人気なくも大はしゃぎしてしまいました。スープラファンの息子には気の毒なことでしたが。


奥の細道 2003/07/20

芭蕉の『奥の細道』を読みました。随分、久しぶりのことです。この前、通しで読んだのは多分25年前。未だ高校生でした。

今回は岩波文庫で読みました。岩波文庫版は付録が充実していてお勧めです。芭蕉に同行した曾良の旅日記がついています。代表的な注釈書である菅菰抄もついています。先ずは一通り本文を通して読み次は「曾良旅日記」を付け合わせながら読み次は「奥細道菅菰抄」を参照しながらと、1冊で3回は楽しめます


卓球してぇなぁ 2003/07/22

3連休は如何でしたか? ゆっくりできたでしょうか。私は日曜日にビデオを買い、昨日は久しぶりにレンタルビデオで映画を見ました。今月の初め頃、ビデオが壊れてしまい、それ以来、映画とは縁遠い暮らしでしたがもう我慢できん、と意を決して池袋のビックカメラに。驚いたなぁ、今時はビデオなんて1万円ちょっとで買えてしまうのですね!で、昨日見た映画は、と言うと去年大ヒットした『ピンポン』。よかったなぁ。青春ですね。★★★★☆です。見終わったら無性に体を動かしたくなって息子と一緒に公園でバドミントンをしました。本当は卓球がしたかったのだけど――実は中学時代は卓球部――近所に卓球できるところがないんですよねぇ。あぁ、卓球してぇなぁ。


夢は枯れ野に(その0) 2003/07/23

旅について考えてみようと思っています。じっくりと時間をかけて。芭蕉の力を借りて、つまりは『おくのほそ道』を読み解いてゆく。もっとも、旅らしい旅をしたことのない私に何が解るというのか。自分で並び立てた問いの海に溺れてしまうのが関の山かも。そんな不安もありますが、先ずは溺れてみよう、と思うのです。海のことは溺れてみなければ判らないだろうし藁をもつかまんと延ばした手が蕉翁の足先に触れないとも限らない。

旅をめぐる旅の記録を不定期ながら連載してゆきます。「夢は枯れ野に」と題して。いつまで、どこまで続くか判りませんが、おつきあい願います。

旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻る 芭蕉


映画三昧 2003/07/29

週末は2日間に3本の映画を見ました。全部ビデオとテレビではありますが私にしてみれば映画三昧と言っても過言ではないです。

先ずは土曜の夜、ケーブルテレビで「ザ・セル」。不気味、悪趣味、と妻にはさんざん酷評されましたが、私はそんなに悪くないと思いました。欲を言えば、もっと幻想的に、もっとどぎつく暴走しちゃっても良かったのではないかと。ちょっと甘めの★★★★☆です。

このまま寝たら変な夢見そう、と妻が言うので以前録画した「ビッグウェンズデー」を口直しに。なんと言っても海、特にサーフィンのシーンがきれい。でも、それだけの映画、と言ったら言いすぎかな。ちょっと辛めの★★★☆☆です。

最後はツタヤで借りた「黄色いリボン」。日曜の夜、息子も一緒に3人で見ました。ジョン・ウェインの演じる老兵がかっこいい。(こんな上司がいたらよいのですが......)でも子どもの頃に見たときほど感動できませんでした。それはもしかするとイラク戦争があったからかも。やつらは未だに騎兵隊のつもりなんじゃないかってふと思ってしまったのですよねぇ。これも辛めの★★★☆☆です。

映画を見終わった途端に息子の姿が消えました。自分の部屋から戻ると、父ちゃん、久しぶりにやるか。何かと思ったら軍人将棋。映画を見ながら、しこたまビールを呑んでいた私は早々に大将を失い完敗でした。


夢は枯れ野に(1) 2003/07/30

月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

 時は過ぎゆくもの。去ってゆくもの。取り残される者の痛みは誰もが知っているはずのことだが、皆、知らぬ振りを決め込み平然を装って暮らしている。今がいつまでも続くかのように思いなして。だが。
 時のように。過ぎゆくこと、去ってゆくことを生きた者もいる。芭蕉もそうした旅人の一人であった。
 幼くして父を失った芭蕉は親戚の家で育てられた。少年時代、その文才を認められ、後継ぎ息子の俳諧の相手として土地の有力者の家に出仕。だが芭蕉は23歳にして、その主君を失い、栄達の道を閉ざされた。このような生い立ちからすると、芭蕉は、取り残されることの悲しみが身にしみていたはずだ。それなのに、なぜ、過ぎゆく者の側に、去ってゆく者の側に芭蕉は立ったのだろう。
 別の言い方をしてみよう。流転ということ、無常ということを強く思い知らされた者が、それゆえにこそ日常を栖とせず、旅立ってゆくことの不思議さ。
そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取もの手につかず

 無常ということと旅に棲むということとの間に何があるのか。芭蕉にしたところで何らかの確信を持って漂泊を続けたわけではないのではないか。何かに憑かれたように、未だ見ぬ風景に心を奪われ、旅立たずにはいられない。

 旅という福音。
 あるいは呪縛。

草の戸も住替る代ぞひなの家

 『笈の小文』の旅から僅か半年。まだ住み慣れ始めたばかりの草庵を芭蕉は去った。譲り受けたのは雛人形を商う者だったという。話が決まると間もなく人形が運び込まれ、芭蕉庵は倉庫となった。
 薄暗く狭い部屋に隙間なく並べられた人形たち。異様な風景だ。早く立ち去れ。二度と戻ってくるな。ここはもうお前の居場所ではない。芭蕉は無言の圧力のようなものを感じていたのではないか。

 旅への畏れ、躊躇。
 そして残される者への想い。

 芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発するまでには更に1ヶ月の時を要した。病気のためとも、天候のためとも言われる。老いの目立つ芭蕉の身を案じた門人たちは、せめて北国に遅い春の訪れるまではと旅立ちを引き止めたであろう。だが。
 それを振り払ってでも旅立つというほどには芭蕉の決意も熟していなかったのではないか。そして、いよいよ覚悟の固まったのが、あの有名な瞬間であったとしたら。

古池や蛙とびこむ水の音

 無常ということ。
 ささやかな命の、その
 はかなさを告げるような水音。
 余韻をにじませた静けさ。

 門人杉風の別荘に仮寓を求めてから1ヶ月。ようやく芭蕉に旅立ちの時が訪れた。元禄2年(1689)、芭蕉45歳の初夏のことである。

出典:「古池や」の句は『春の日』より。注釈本『奥細道菅菰抄』に杉風の別墅(別荘)を指して「祖翁蛙飛込の句を製し給ふ地と云」とある。他は全て『おくのほそ道』から。


2度目の富士山 2003/08/07

夏休み中の息子(小6)が富士山に登ってきました。一昨年に続いて2度目の登頂です。前回は生憎の天候で、視界も悪く、寒さに震えながら登ったそうですが今回は天候に恵まれ絶景を堪能することができたようです。満天の星、流れ星、眼下に見下ろす花火、日の出、雲海......。想像もつきませんね。

自転車の鍵につけるキーホルダーを買わなきゃ、と言っていたのを覚えていて方位磁針つきの立派なキーホルダーを土産に買ってきてくれました。泣かせるぜぇ、でも、もったいなくてつけられないよ。

来年こそは私も登りたい。登ろうかな。登るかも。


温泉三昧、映画三本 2003/08/18

お盆休みは如何でしたか?それどころじゃなかった方、大雨で散々だった方には恐縮ですが私は二泊三日の家族旅行で箱根小涌園に行き、温泉三昧を楽しんで来ました。小涌園には水着で入れる広~いスパがあって、家族連れには(カップルにも)お勧めです。ホテルには卓球室もあって、久しぶりにラケットを握ることが出来ました。

旅行から帰ってきてからは、映画を3本(例によってビデオではありますが)。

山の郵便配達(★★★★☆)
荒野の七人(★★★★☆)
はだしのゲン(★★★☆☆)

とりわけ印象深かったのが「山の郵便配達」です。派手な映画ではないですが、しみじみと感じさせられ、考えさせられます。


夏休みも終っちまった 2003/08/18

私もその一人ですが、昨日で夏休みの終った方も多いかと思います。夏休みの最終日、私は息子の宿題の手伝いに明け暮れました。息子の通う小学校では毎年、アイデア貯金箱を作るという宿題が出ます。息子はいつも志が大き過ぎて実現できずに終るパターン。今年も金種の自動選別に挑戦しましたが、結局、オミクジ付き貯金箱でお茶を濁しました。

夜は家族揃って映画「雨あがる」を見ました。しみじみと良い映画でしたが、登場人物に語らせ過ぎだなぁ。コアメッセージは、観客に考えさせる、感じさせる。そんな演出にした方が良かったと思います。てなわけで★★★☆☆です。


創作ノートから 2003/08/21

炭素繊維の青い獣が疾走してゆく
絶え間ない咆哮
どこにも出口のないメビウスの輪の上を
誰よりも深い絶望を負って

あなたが踏むアクセルは誰よりも孤独
あなたが踏むブレーキは誰よりも絶望している


富士スピードウェイでレースを見たときの印象から言葉が生まれつつあります。果たして作品になるものやら、ただのスケッチで終るのか。まだまだ判りません。


いやな夢 2003/08/25

いやな夢を見た。内容は少しも覚えていないがその気分だけは鮮明に覚えている。せつなく、やるせない気分。内容を覚えていないせいか現実の気分と夢の気分の区別がつかない。わけもわからずただただ、せつなく、やるせなく。


新作です(散文詩「迷途」) 2003/08/29

5月に創作ノートをご覧頂きました間違っちゃう男の詩がようやく完成しました。散文詩なので改行なしで入力しています。読みやすいウィンドウ幅にしてご覧下さい。ご感想お聞かせ頂けると嬉しいです。

   迷途

いつからだろう。男はいつも間違った場所にいた。間違った道を間違った方向に間違った歩き方で歩いていた。だから思いもかけない三叉路に出くわし、驚かされることもしょっちゅうだった。そんなとき男は必ず自分の考えとは逆の方に進んでしまう。まれには思った通りに足を運べることもあったが、それはそれで、そもそも間違った道を選んでしまっていた。もうどこにも出口はなかった。

ある朝、男は珍しく車で出かけた。これもまた別の誤りの始まりであった。いつもの間違いが加速を重ね、あっというまに見知らぬ土地へと男を連れ去った。男は途方にくれた。どこにでもあるような、これといった特徴もない住宅街をのろのろとさまよった。ちょうど下校の時刻なのだろう。ランドセルをしょった子どもたちが怪訝そうにこちらを見ている。その視線に気をとられた瞬間、仔猫が車の前を横切った。

男はとっさにブレーキを踏もうとした。だが、その判断が本当に正しいのか、ひどく疑わしく思われた。男は躊躇した。迷った。仔猫の姿が消えた。仔猫の身体は軽過ぎて、微かな衝撃さえ残さない。ミラーの中で二、三度大きく跳ね、それきり動かなくなった。車道を渡り終えていた母猫が仔猫のもとに戻ってきた。しばらく我が子の耳や背を舐めていたが、一向に目覚める気配もなく、とうとう諦めて去って行った。

男は車を止め、ハンドルに顔を伏せた。通りすぎる子どもたちの冷たい視線。何台かの車が反対車線を抜き去って行った。あれから何時間たったのだろう。フロントガラスの向こうから赤い光が差し込んできた。ふと顔を上げると、いつまでもまっすぐな道の果てに太陽が低くぶら下がっている。男はエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。どこまでも西へ。日の沈む場所へ。そこが出口でなくても構わない。

そのころ子どもたちは、母親に耳を引っ張られたり、背中を叩かれたりしながら、布団にしがみついていた。朝が来るのはいつも早すぎる。死んだ仔猫の夢が未だ頭の中でざらついていた。


田んぼと芝生 2003/09/02

電車の車窓から見ると、つまりはちょっと離れてみると、田んぼは芝生に似ている。そうか、だから私は庭に芝を植えたのか。手入れが大変ということは知っていました。それでも芝をと思ったのは子供の頃に慣れ親しんだ風景を取り戻したかったからなのですね。そのことに気づいたのは、仕事で筑波に向かっていたときのこと。少し離れところから見てみないと判らないことって、やっぱりあるもんだな。

今年は冷夏のせいで芝生の生育が悪い。芝刈りが少なくて済むのは助かりますが、やっぱり夏は青々とした芝が見たいものです。


創作ノートから 2003/09/06

レースの詩はここまできました。大分、目鼻がしっかりしてきたという感じ。

 誰もが知っているはずのことだが、この道は何処にも行き着かない。勝利や栄光、ましてや富などといった虚妄に憑かれ、迷いこんできた者たちには生憎なことだが、ここは純粋に不毛な場所なのだ。
 そのことを知り尽くした者だけが、誰よりも深くアクセルを踏み込むことが出来る。誰よりも微妙に、そして大胆にブレーキを扱い、誰よりも素早くクラッチを繋ぐ。ハンドルを切る。誰よりも鋭く。
 だが観客が熱狂するのも、実はその速さではない。虚無に酔うのだ。青い炭素繊維に包まれた虚無が、どこにも行き着かない道を疾走してゆく。その音、匂い、触れることの出来ない手触り。虚無のあらゆる属性に官能を覚えるのだ。
 どれほど激しいクラッシュも、死でさえも、はじめから失われているものを奪うことは出来ない。だからレーサーたちは不安に襲われることも、孤独に苛まれることもなく、走り続けられるのだ。


創作ノートから 2003/09/10

もしも私に愛が
ゆるされるなら
それは五月

もしも私の愛が
ゆるされるなら
それは五月

せせらぎの季節
木もれ日の季節
薔薇の花の風の季節
裏切りの季節


「もしも私に愛が......」という詩句は別の作品でも使ったのですがそちらの出来が余り思わしくなかったのでリユースできないかと考えています。でも未だ言葉あそびのレベルで詩になる気配、手ごたえは感じられません。


食玩フィギュア「王立科学博物館」 2003/09/18

神居光紀さんのサイト科学的日常の「本棚プラス」に紹介されていたのを見て試しに1個、買ってみたのが、落とし穴。まずい、コンビニで見つけると、ついつい買ってしまう。フィギュアもリーフも確かによく出来ているし、300円足らずという値段も買いごろ。すっかりハマりつつあります。


創作ノートから 2003/09/19

もしも私に愛が
ゆるされるなら
それは五月

せせらぎの
木もれ日の
薔薇の
花の
微風の
裏切りと


いろいろいじって遊んでみてます。そのうち何か形になってくるんじゃないかと。


八国山 危うし? 2003/09/24

久しぶりに東村山の八国山に行ってきました。「となりのトトロ」の七国山のモデルとなったところです。狭山丘陵の東の端に位置していて、この地域としては、よく自然が残されています。いつものように家族で森を散策。昼食はコンロでラーメンを作って食べました。屋外で食べると、これがうまいんだなぁ。

この八国山で署名運動をしていた人がいました。聞くと、山の一部を切り崩してマンションを建てる計画があるのだそうです。やれやれ、ここもですか。自然保護の対象となっているはずなのに。妻ともども建築反対の署名に名を連ねました。


映画の話 2003/09/25

最近映画の話をしていなかったですね。9月に見た作品を一挙ご紹介してみましょう。

普通の人々(1980/米) ★★★☆☆

レッドフォード初監督作品。とってもシリアスです。ラストに救いが見えるといえば見えなくもないですが気持ち悪いとも言えなくもない。

英雄の条件(2000/米) ★★☆☆☆
嫌いじゃないんですがやっぱり政治的なことが頭をよぎってしまう。

(1964/日) ★★★☆☆
このネットリ感が良くも悪しくもタマラナイ。若尾文子の妖艶と岸田今日子の怪演は見る価値あり。

レッド・バイオリン(1999/加-伊) ★★★★☆
唯一の四つ星。お奨めです。

乙女の祈り(1995/NZ-米) ★★★☆☆
タイトルにだまされてはいけません。かなりドロドロしてます。私には良い感じのドロドロなのですが正直言って途中で飽きてしまいました。

運動会 2003/09/29

土曜日は息子の小学生生活最後の運動会でした。天気が大丈夫かなぁとハラハラしていたのですが晴れましたねぇ。祈りが通じすぎてドーッと暑くなっちゃいました。息子は開会宣言をしたり、運動音痴なわりには徒競走も組体操も無難にこなし随分と逞しくなったように見受けられました。来年はいよいよ中学生。輝くような青春を謳歌して欲しいものです。

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