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2008.07.16

最果タヒ『グッドモーニング』を読む

7月7日。最果タヒの詩集『グッドモーニング』(思潮社、2007)を読む。今年の中原中也賞受賞作品だ。

きっかけはブログでつくる詩人名鑑に最果タヒのリクエストを頂いたことだ。まだ『現代詩手帖』を定期購読していた頃、投稿欄でしばしば最果タヒの名を見かけた。あるとき、ふと、「タヒ」を横書きにすると「死」に見えることに気付き、そのことが記憶に残っていたのだ。しかし当時の作品については印象に残っていない。既にボクが熱心な読者ではなくなってしまっていたからだろう。そんなわけで慌てて『グッドモーニング』を読んでみた次第だ。

支配されていたものに戻ってきて
いまこれを
かき始めている
視界と
言葉をひきはがして(「0」)

巻頭に収められた作品「0」の最初の一連を読んで、この詩集はウロボロスのような円環(=〇≒0)をなしているのではないかと、ボクは思った。ここから旅立ちここに戻る――この詩集は、著者の筆名から連想させられた最果て=死へのタビではなく、意外にも原点に回帰し再び生き始める旅であると、直感したのだ。しかし「yoake mae 1」から「yoake mae 5」と「good morning」の6章に収められた20篇の詩を読み終えたとき、ボクは、その直感はハズレだったと思い知らされた。「0」はそこから始まる「yoake mae」各章の作品群とこそ近しいものであり、最終章「good morning」の作品とは大きな隔たりがある。そこから「0」に立ち戻る回路は開かれていない。
わたしは、衝動に追い立てられて書くさいにきらめいて見えるこの世界をあいしていた。いつかそこにまた、帰りたいと、そして十代の経験に固執し、攻撃的でいなければ出会えないと、一年間思い続けていた。賛美すべきものは攻撃性ではない。うつくしさだ。そう思い出した瞬間、目の前の世界が、懐かしく鮮やかな色を帯びて広がった。(「あとがき」)

久しぶりに見たモネの絵をきっかけに世界は再び輝き始めたとする「あとがき」を読んで、ボクの直感もまんざらではなかったと思いなおした。やはり最果はこの世界に戻ってきていたのだ。例えば、真上から垂直に螺旋運動を俯瞰して見れば、それは平面上の円周をたどって幾度も同じ場所に回帰する円運動に見えるだろう。最果は再び十代の血を抱きしめている。しかし、それは同一平面上での出来事ではない。「0」から出発して「yoake mae」を巡り「good morning」に至る。そこは「0」と同じ世界だが次元が異なっている。それは最果にとっても予想外の出来事ではなかったか。
言葉にすることが
すべてを
台無しにし
わたしが
ここからでていくことを不可能にする(「0」)

最果が出発したのはこのような場所だ。十代の最果がどのような経験をしたのか、「yoake mae」の詩群はその経験を具体的には明かしていない。しかし、最果が自分を取り囲む世界を閉塞感に満ちたものとして受け止めていたことは、はっきりと感じられる。最果は抗いがたい衝動に突き動かされて、その世界を攻撃的な言葉で描く。世界はそのとき思いがけない輝きを示すが、そこに出口が見えていたわけではない。攻撃的な言葉を重ねることで攻撃的な姿勢は一層強固となり、閉塞感もますます強くなる。むしろ最果は、言葉に、詩に幽閉されていると感じていたのではないか。
体が
わたしになにかを
見せることを拒否しているが
わたしをまだ
殺させはしない(「0」)

最果が旅立った場所と辿りついた場所との違いを示唆するヒントがここにあるように思われる。ここには「体」が「わたし」を拒否していると書かれているが、ボクには同時に「わたし」が「体」を拒否しているように見えるのだ。この文章は、「体」が「わたし」を殺そうとしているのか、「わたし」が「体」を殺そうとしているのか、どちらともとれるような構造を持っている。ボクは最初、どちらなのだろうと頭を悩ませたが、よく考えてみれば同じことなのだ。「わたし」が「体」を殺すことも、「体」に殺されることも、いずれも結局は自殺に他ならない。それを押し止めているのは「わたし」なのか、「体」なのか、これもまた決して分かちえないことだ。

少々、「0」に長居しすぎたようだ。「yoake mae 2」に移ろう。この章でまず目を引くのは、「/」や「+」、「*」などの記号が多用された、散文詩とも行分け詩とも言い難い独特の詩形だ。なかでも「苦行」はミスタイプを思わせるような無意味な字句を意図的に並べる等、ペンではなくキーボードで書かれた詩ならではの表現が目立つ。

   わたしの、素肌、を舐めるより 確実な
わたしの
     味
       です。ですますます。べつに
     詩人 *
ですからうまれたときから表現者ですからべつに
べーつーにー
いいです
     愛さないでも(「苦行」)

「苦行」の最後に置かれたこの詩句は、率直な心情の吐露とも自己戯画化を企図した諧謔ともとれるが、いずれにせよ読み手のこの作品に対する評価、毀誉褒貶を左右する箇所だ。ここで、最果は、愛されない肉体を抱えた孤独感を裏返し、自分の肉体は真の自分ではなく、肉体を愛されるくらいなら愛されなくて結構だと、肉体と他者とを激しく拒絶している。「yoake mae 2」から「yoake mae 3」の詩群には、このように自分の肉体と他者とを拒み自我に内閉するような趣きを持った作品が多い。

「yoake mae 4」に至ると変化の兆しを感じさせる作品が登場してくる。妊娠を主要なモチーフとした作品「死なない」である。

わたし、
妊娠して、
祝ってください
祝ってください窓からでもいいから開けて、こちらを、
みてください、妊娠したんですよ、わたしは妊娠したんですあなたたちの、あなたたちのかぞくを
う、

うむんですよ。(「死なない」)


妊娠のモチーフは「yoake mae 3」の「非妊」にも登場するが、ここではまだファンタジックな空想の色彩が強く肉体を受け入れた様子は感じられない。「yoake mae 4」の「博愛主義者」でも妊娠が取り上げられているが、「私」は妊娠を受け入れることができず、むしろその原因となった「女みたいな顔して、あなたをまっていた」ことを悔やんでいる。肉体と他者とを受け入れかけたことを悔やみ、いっそう激しく拒絶しようとしているのだ。しかし「死なない」では妊娠は祝うべきこととして捉えられており、それどころか出産によって「あなたたち」との間に「かぞく」という回路を開こうとさえしている。
きっと
捨てられています・・
かぞく ですから(「死なない」)

この大胆かつ強行な転回を目指した目論見はこの作品では成就しない。だが程なく夜明けを向かえ「good morning」の章で実現されることになる。
日にやけてずるずるになった肌が泥になって、
それを洗い流して銭湯
に入る
子供達が何人も、先にあたたまりながら、
わたしはその真ん中でおんなじぬくもりで温まるよ
そう、だね(「再会しましょう」)

自己と他者とが「おんなじぬくもり」を媒介にして繋がりあっている。直接触れ合っているわけではないが、肌と肌、肉体と肉体とを通じて回路が開かれた感がある。寒々とした言葉を旅してきた者にとっては、ほのかな灯りがともったように感じられる詩句だ。「good morning」の冒頭に置かれたこの作品はタイトルからして既に他者への拒絶を解除し自己を開き放ったことが示唆されている。この章には「再開しましょう」の他に「きみを呪う」と「世界」との3作品が収められているが、いずれの作品においても世界は危機的なものとして描かれている。しかし「yoake mae」各章の詩群で顕著であった閉塞感は感じられない。それは、最果の世界に対峙するその姿勢に大きな変化があったためと思われる。

世界は依然として危機的であり同時に「うつくしい」。だが、最果はもう自我の内側にうずくまろうとはしない。無限螺旋階段の新たな高みを目指して世界のただ中に打って出ようとしている。ボクにはそのように感じられるのだ。

人と人の間を疾走している。きみたちはわたしたちをなんと呼ぶ? 名前がない間わたしたちは疾走をしている。そうして竜巻をつくりあげていく。きみたちをめちゃめちゃに切り裂きながらわたしたちはああ孤独だと
叫んでいる。(ああ)

(うつくしい世界)(「世界」)


久しぶりに現代詩を、しかも新進気鋭の若手の作品を読んで、自分の帰る場所はやはりここにしかないと痛感させられた。たとえそれが世迷い言であっても構わない。ボクのような世迷い人はいつまでも世迷い言を書き連ねてゆくほかはない。例えそれが無限に続く螺旋階段であったとしても、いや同じ円周の上を這いずり廻ることでしかなかったとしても……。

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こんにちは。この度、妊娠法情報のHPを作りましたので、トラックバックさせて頂きました。ブログ訪問者の方には有益な情報かと思っています。よろしくお願いします。 [続きを読む]

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