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2008.11.13

義母(はは)を悼みて

11月13日。久しぶりに現代詩フォーラムに投稿。3月の末に義母が亡くなってから新盆を迎える頃まで、ボクは句作にいそしむことで哀しみと喪失感を紛らわしていた。その頃の作品から12句を選び「義母(はは)を悼みて」と題する小句集としたのだ。各句の由縁も合せて書き留め改めて義母を偲ぶ縁としたい。

春の雷母の遺せし管四本
風光れ母は遺せし金の尿

義母が亡くなったのは3月30日のこと。折からの雨が一層はげしさをまし、散りぎわの桜を容赦なく叩いていた。遠くに雷も聞こえる春の嵐の夕暮れ。家族に見守られながら義母は静かにこの世を去った。義母の身体には点滴に酸素、蓄尿バッグなど、4本もの管が繋がれていた。

初つばめ月命日の軒かすめ
旅やつれ運ぶ疾さや初燕
4月30日、初月忌。連休の狭間だったが有給休暇をもらい妻と二人で妻の実家を訪ねた。途中の商店街を燕が低く飛んでいた。義母は毎日、この商店街で買い物をし、近所の友達とおしゃべりをしていた。妻の実家に着くと軒先を燕がかすめてゆく。旅を終えたばかりの痩せた燕だ。

枇杷実る月命日も二度目かな
5月30日、二度目の月命日。とはいえ仕事の都合がつかず、いつものように会社に向かう。電車の窓から外を見ていると線路脇の枇杷の木の実が色づき始めていた。

ほととぎす亡母も天辺駆けをるか
6月1日、週末のランニング。いつものように八国山を走っていたら「テッペンカケタカ」とホトトギスの声。ウグイスの鳴き音やコゲラが木を打つ音は珍しくないが、さすがにホトトギスはめったに聞けない。「お母さんはここにいるよ」と空から教えてくれたように思われた。

入梅や自由と書いてみたくなり
義父ひとり衣更ふ日も延べしまま
6月3日、梅雨入り。なんとなく鬱屈した気持ちに追い討ちをかけるような天気だ。早めに家に戻り食卓に着くと、近々、実家に行って父の様子を見てくる、と妻が言う。夏物のシャツがどこにしまってあるのか分からないと電話があったそうだ。

手向けしは螺髪の如き花あぢさゐ
6月7日、庭のアジサイの花を義母の遺影に供える。葬儀のときに使った写真を焼き増ししてもらったものだ。去年の敬老の日に皆で食事に出かけ、たまたまボクがシャッターを切った1枚。その時はまさかこんなことになろうとは少しも思わなかった。

五月雨や普及於一切濡らしゆく
6月29日、百日忌法要。墓石の完成が遅れたため納骨も兼ねることとなった。柔らかく降りそそぐ雨の中、墓前に僧侶の経を読む声が響く。「普及於一切」は読経の功徳が全ての衆生に及ぶことを祈る「回向偈」の一節。思えば義母も周囲の全ての人を思いやる人だった。

汗拭ふ義父の庭べに夏蝶来
新盆や亡母の御前に酔ひ伏して
7月13日、新盆の集まりのため妻の実家へ。ボクたち一家三人が到着したとき義父は庭で草花の手入れをしていた。汗を拭いながら居間に上がってきた義父に挨拶をしていると庭にクロアゲハが舞い込んできた。蝶は亡くなった人の魂が姿を変えて現れたものと言われる。

義父と義兄一家そしてボクたちの計八人で会食。義母の思い出を和やかに語り合ううちに義父とボクは少しばかり酒が過ぎてしまい、「おかあさんがいつも心配してたでしょう」と二人して妻から小言を食らってしまった。

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