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2009.01.29

『墨汁一滴』を読む

1月9日。『墨汁一滴』(正岡子規、岩波文庫)読了。子規がその死の前年、約6ヶ月にわたって新聞『日本』に連載した同名の随筆をまとめたものである。子規は執筆の動機をこんな風に書いている。

年頃苦しみつる局部の痛の外に左横腹の痛去年より強くなりて今ははや筆取りて物書く能はざるほどになりしかば思ふ事腹にたまりて心さへ苦しくなりぬ。かくては生けるかひもなし。はた如何にして病の牀のつれづれを慰めてんや。思ひくし居るほどにふと考へ得たるところありて終に墨汁一滴といふものを書かましと思ひたちぬ。

原稿用紙に吐きだされることで名随筆に結晶した腹にたまっていた「思ふ事」は、身の回りの事物や過去の回想から、俳論・歌論といった文学論、社会批評、ショートショート風の小品までと、実に幅広く、しかも「雑多な羅列」に堕していない。粟津則雄は文庫版の「解説」に「病床にあって毎日一回ずつ書くという条件」が「子規という人を全体的に生かすための格好の場」を提供し、「なまなましい批評的場を形成」したとしている。
一 人間一匹
右返上申候時々幽霊となって出られ得る様以特別御取計可被下候也
 明治三十四年月日                      何 が し
     地水火風御中

「四月九日」の作品。徐々に容態が悪化し死を覚悟しながらも自己観察、自己批評とユーモアを忘れない子規の強靭な精神が感じられる。

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2009.01.27

あら玉の年のはじめの七くさを

1月7日。妻が夕食に七草粥を炊いてくれた。例年のこととはいえ時候に合った季節感のある食べ物を頂けるのは嬉しい。照れくさくて面と向かってはなかなか言えないことだが、妻に感謝である。

さて七草といえば会社帰りに読んでいた正岡子規『墨汁一滴』(岩波文庫)に七草にちなんだ短歌があった。

あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため

『墨汁一滴』は子規の晩年の随筆で、病床から見た身の回りの事物や幼少の或いは若き日の思い出、俳論・歌論といった文学論、更には社会批評やショートショート風の小品まで、幅広い内容となっている。弟子をはじめとした見舞い客との交流もしばしば取り上げられていて、外出はおろか庭に出ることも病床を離れることさえできなくなった子規を慰めようと、みな様々な工夫を凝らしていた様子が伺える。たとえば墨井恕堂が当時まだ珍しかった蓄音機を持ち込み海外の音楽を聞かせたり、寒川鼠骨がブリキ缶に本物の御籤を入れて持ってきて子規に引かせたり、といった具合だ。子規も見舞い客の好意に応え、蓄音機から流れる曲におどけた歌詞をつけてみたり、ブリキ缶から引いた凶のくじの詩句が分からないと1ヶ月も考え込んだりする。

子規は短歌や俳句の近代化を目指し、自ら作品や評論を残す一方、伊藤左千夫長塚節斎藤茂吉高浜虚子河東碧梧桐、といった数々の弟子を育てた。『墨汁一滴』に示された心温まる交流からは名伯楽・子規の指導力を支えたであろう人徳・人柄が伺えるように思われる。

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2009.01.21

映画に寄席に

1月4日。10日間に及んだ年末・年始の休暇も今日が最後。仕上げに家族そろって出かけることにした。いつものように妻は映画を見たいと言い息子は寄席に行きたいと言う。年明け早々もめるのも面倒なので欲張って両方行くことにし、さっそく池袋に向かった。

まず午前は映画。サンシャイン通りのヒューマックスで『K-20怪人二十面相・伝』を観た。ひとことで言えば痛快アクション活劇、頭を空っぽにして観れば間違いなく楽しいひと時が過ごせる、といった作品だ。江戸川乱歩「怪人二十面相」シリーズをベースに斬新なアレンジ、再解釈を加えたおり、その意外性や面白さも作品の魅力の一つとなっているが、その一点にばかり寄りかかることなくエンターテイメントとしての面白さを追求しており好感が持てる。出演者の中では名探偵・明智小五郎を演じた仲村トオルの嫌味なくらいにクールな二枚目ぶりが主演の金城武と松たか子をも喰う勢いで印象的だった。

続いて向かったのは池袋演芸場。松の内は混むだろうと食事も取らずに駅の反対側へ直行。案の定チケット売り場には早くも行列が出来ていた。新春興行は顔見世の趣きが強く出演者が多い分ひとりひとりの持ち時間は短い。それでも現代的で賑やかな春風亭昇太の『時そば』や並外れた粗忽ぶりをカラッと自然に演じた三遊亭小遊三の『堀の内』が聴けて大満足。また懐かしい三笑亭可楽が見られたのも嬉しかった。噺の最中に客の携帯電話が鳴り、可楽はキッとにらむような表情で「ケイタイ、うるせぇぞ」とひと言。会場は一瞬シーンと静まりかけたが、すかさず可楽はおどけた表情で「どこまで話したか忘れちまったよ」。一転して笑いと拍手が会場を轟かした。この時の可楽の顔と声の表情、そして絶妙な間の取り方は実に良かった。

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2009.01.13

箱根駅伝を観る(2)

1月3日。今日も箱根駅伝を観る。昨日の往路は驚異の新人・柏原が5区の山登りを制して東洋大が優勝。しかし2位・早大との差は僅か20秒余り。しかも早大は下りのスペシャリスト・加藤を擁しており逆転の可能性も十分。そんな訳で否応なく注目の集まった6区・山下りであったが、早大・加藤は実力を発揮しきれず(区間7位)、トップにこそ立ったものの東洋大を振り切ることはできなかった。調子の上がらない加藤が必死で作ったリードは僅か18秒。7区・8区ではこの18秒をめぐって早大と東洋大の壮絶なバトルが繰り広げられたが、8区で東洋大・千葉が早大・中島をかわし、東洋大は9区・大津、10区・高見がそのまま逃げ切り、初の総合優勝を果たした。

区間賞を数えてみると、早大は3つ(1区・3区・4区)で東洋大の2つ(5区・7区)に勝っている。しかも早大は3つのうち2つが区間新記録だ(3区・4区)。また東洋大が区間賞を占めた7区も両校の差は僅か6秒。こうしてみると総合的な実力は早大も決して東洋大に引けをとらない。1位と2位を分けたのは5区の上りと6区の下り、結局、「箱根は山で決まる」ということだろうか。

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2009.01.09

箱根駅伝を観る(1)

1月2日。箱根駅伝をテレビ観戦。早大の期待の新人・矢沢の活躍に始まり(1区・区間賞)、日大・ダニエルの20人抜き(2区)、山梨学大・モグスの2年連続の区間新記録(2区)、オリンピック選手の意地を見せた早大・竹沢の快走(3区・区間新)、同じく早大の新人・三田の区間新記録(4区)と劇的なシーンが続く。5時間半に及ぶ長丁場だが少しも飽きさせることがない。殊に小田原から箱根の23.4キロを一気に駆け上がる5区・山登りで東洋大のスーパールーキー・柏原が見せた8人抜きの激走には度肝を抜かれた。竹沢・三田の万全のリレーで往路優勝確実と思われた早大だったが、山の神童・柏木が圧倒的なパワーでねじ伏せ東洋大を往路優勝に導いた格好だ。

それにしても、いつの日か我が母校が箱根参戦を果たす日が来ないかと、つくづく思う。もしそんなことがあれば正月返上で応援するのに……。ちなみに我が母校の予選会の成績は20余位。13位で決勝出場を果たした青学大とは50分以上の差がある。う~む。

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2009.01.08

直感について

元旦。とはいえ喪中の身の上、屠蘇も雑煮も年始の挨拶もなく(お年玉だけは取られたが)、普段の休日通りに遅めの朝食をとる。初詣も控えることにし代わりにというわけではないが義母の墓参りに出かけた。義母が眠る霊園は某駅からバスで20分ほどかかる。駅前ロータリーのバス停に着いたときには5~6名の先客が待つばかりだったが、バス待ちの列は次第に長くなり、発車する頃にはラッシュ時の通勤列車並みの混雑となった。

ボクらは運よく座ることができたが、ふと嫌な予感に襲われた。このバスはどうもさっきから挙動がおかしい。停留所に止まる度に立っている乗客が大きく揺さぶられる。停車の仕方が余りにも乱暴なのだ。しかもボクの席の斜め前方には太った女性の大きなお尻がある。揺れた拍子にボクの左足が床に落ち、そこに女性が倒れこんできたら……。

まさかと思った予感が的中したのは正に霊園前のバス停に着いたときだ。さぁ到着と不用意に下ろした左足が、停車時の揺れで体勢を崩した女性の尻に押されハンドレールにあたる。更に女性の体重がのしかかり太ももの筋肉が悲鳴を上げる。幸い軽い打撲で済んだが、午後、初ランをと思っていたボクには結構ショックだった。

もし、あのとき直感に従ってバスが止まりきってから足を下ろしていれば、ボクは痛い目に遭わずに済んだわけだが、かといって常に直感に従えばよいという訳でもなさそうだ。というのもボクの直感は午後の初ランは延期せよと主張したが、帰宅後、テレビで観たニューイヤー駅伝の劇的な結末にほだされたボクは、直感に逆らって18キロのランニングを敢行。もちろん打撲の痛みはあったものの大事に至ることもなかったのだ。

では、どんな時に直感は当たり、また外れるのか、ボクは走りながらそんなことを考えてみた。ヒントになったのは、あの大きな尻だ。よくよく思い出してみるとボクは足の小指を女性の尻に潰され骨折したことがある。もう10数年も前、息子が通う幼稚園の運動会で父兄の綱引きに出場したときのことだ。バスの中でボクが感じた直感は、どうやら、大きな尻に喚起された骨折の記憶、意識にまでは届かなかった潜在的な記憶に起因するものだったようだ。

直感はしばしば潜在的な記憶に起因する。もし、そうだとすれば直感の因って来たる記憶を探ることで、その直感の蓋然性を評価することができるかもしれない。もっとも、そのような時間の猶予があればのことだが……。

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