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2009.03.31

至福のとき

3月22日。東京マラソンを走る。それはまさに至福のときであった。

3~4年前に走り始めた頃から東京マラソンで初フルに挑戦したいと漠然とながら思っていた。一昨年は息子の受験があったのでレースは全面的に自粛。昨年は抽選倍率4.7倍の狭き門をせっかく突破できたのに腰痛で出走を断念。そして今年、3度目にしてようやく念願がかなった。ちなみに今年の抽選倍率は7.5倍。2年連続して当選する確率は3%にも満たない。まさに千載一遇のチャンスだ。

しかし運は抽選で使い果たしてしまったのか、当日の天候は余りよくなかった。特に吹きさらしのスタート地点でレースウェアのまま待たされた1時間はそうとうきつかった。待ちに待ったスタートの合図。3万5千人の大行列が一斉に動き始める。もっともこの人数だ。すぐに走り出すことはできない。とぼとぼと歩いてスタートラインを超え、ようやく渋滞が解消するまでには、スタートの合図から更に20分くらいかかった。

さぁ、いよいよゴールに向かってまっしぐら……と行きたいところだが、スタートを待つ間に身体が冷えたせいか、尿意を催してしまい、先ずはトイレを目指して走る破目になった。スタートから程なく仮設トイレをみつけることができたが、案の定、既に大行列ができている。諦めて走り続けると今度はセブン・イレブンが目に入った。後援企業のセブン・イレブンは店のトイレを貸してくれるとのことだったが、店内に入いるとやはり早くもランナーが列をなしている。結局5キロを過ぎたあたりで観念しトイレ待ちの列に並んだ。ロスタイムはおよそ10分ほどだろうか。

気を取り直して再スタート。ここからは予定通りキロ7分前後のスローペースでひたすら足を前に運ぶ。コースはほぼ平坦で快適そのもの。給水所も多数用意されているしバナナやチョコなどの補給食も豊富だ。走りながら見る都心の景色、沿道の賑やかな声援、チアリーディングなどの応援イベント、そして出走者たちの思い思いのウェア姿が走る楽しさに華やぎを添え励ましとなる。悪天候もなんのそのだ。

とはいえレースも終盤30キロを越えたあたりから少し気持ちが萎えてきた。3時間半もスローペースで走ってきたせいか、少し「飽き」を感じるようになったのだ。こんなペースで完走したところで何の達成感もないだろうな、ふとネガティブな考えが頭をよぎる。フルマラソンは今回限りかな……。それでも35キロまではとにかく我慢と自分に言い聞かせる。築地本願寺別院の独特な建物が見えてくる。いよいよ35キロ地点到達。まだ余力が残っていることを確認しスパート開始のきっかけを探る。

そして迎えたのが37キロ、佃大橋の上り坂だ。東京マラソン最大の難所と言われるだけあって歩いている人が多い。だがボクが日ごろ走っている八国山や狭山丘陵の坂に比べればさほどのことはない。ここからが勝負だ。そんな思いにボクはビニールポンチョを脱ぎ捨て一気にペースを上げる。40キロ地点まではキロ5分半のペースを維持し、そこでもう一段ギアを上げる。これがランナーズ・ハイというものだろうか。佃大橋からゴールまでの5.2キロ、約28分は本当に楽しくてしかたなかった。ゴールを迎えてもまだ走り足らない、いつまでも走っていたい。そう思ったほどだ。

正式なタイムは未発表だが手元の時計ではネットタイム4時間48分。トイレ待ちのロスタイムを加えても、どうにか5時間はクリアできたのではないか。特に最後の1.2キロはハーフのベストタイムとほぼ同じペースのキロ4分50秒台。翌日、勤め先の走友に話すと目標が甘すぎだと一喝された。今回はとにかく完走することを第一に走ったが次回はタイムにもこだわってみたい。

……おやおや、フルマラソンは1度で十分と思ったボクはどこへ行ってしまったのだろう? 東京を駆け巡ったこの1日は、それくらい楽しい正に至福のときであったのだ。

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2009.03.10

2月の読書録から

2月28日。今月は日数が少なかったせいか(笑)、わずか2冊しか本を読まなかった。しかも依然として詩はお留守のままだ。

『三分間コーチ―ひとりでも部下のいる人のための世界一シンプルなマネジメント術』(伊藤守、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008)

中間管理職として僅かながらも部下を持ち、コーチングを学び実践を試みるようになってから既に何年か経つ。だがコーチングのつもりが単なる指導・命令になってしまっていることに後から気づくこともある。慣れからくる油断だろうか。そんな時に本書を手に取りコーチングの原点を思い出さされた気がした。もちろんコーチング入門者にもお薦めできる本だ。

『所沢史話』(内野弘、所沢市教育委員会、1974)

郷土史の面白さに目覚めさせてくれた一冊。登場する地名が慣れ親しんだ地元の風景を思い起こさせ、そこにはこんな歴史があったのかと気づかされる。残念なのは図書館で閲覧するか貸出ししてもらうほか手に取る術がないこと。しかもA4版と版形が大きく持ち歩きにくい。もっと手軽に親しめるよう、また長く手元に置いておけるよう、復刻版をハンドブックのような形で市販して欲しいものだ。

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2009.03.05

『所沢史話』を読む

2月19日。『所沢史話』(内野弘、所沢市教育委員会、1974)読了。昨年の秋、市立図書館で見かけてからずっと気になっていた本だ。図書館のネット貸出、コンビニ受取りサービスを利用して拝借。まったく便利な世の中になったものだ。

本書は上質紙に孔版刷り、しかも袋綴じという、あたかも学校のプリント教材を一冊にまとめたような極めて手作りな感じの本だ。しかし製本はしっかりと頑丈で、長く読み継がれるようにと細心の注意を払った、作り手の志を感じさせる。その志は著者による「あとがき」にもはっきりと見てとれる。

この史話は
一、市民の方が、おおまかに所沢の歴史・土地がらを知ることができるよう
一、中学生が、社会科の郷土学習をする時の参考になるよう
一、小学校三年担任の先生が、社会科教材研究の際、その一助となるように
ということを考えに置いて資料を選び、さらに郷土の歴史相談日に多く出た質問の答えも加え、「みち」を頼りにまとめました。道が文化を運ぶ動脈であることは、昔も今も変りないので、「できた道」「つくられた道」をとおし、所沢の関係位置と併せて所沢地方の歴史を見ていたゞきたいと思います。(「あとがき」より)

大人も子どもも市民として郷土の歴史を知ってほしい、その歴史の上に今があり、現在の土地がらも歴史を反映しているのだから……そんな思いが伝わってくる。もう一つ見逃せないのが「みち」というキーワードだ。本書は先史時代を扱った第1章を除くと「二、ふみわけ道」に始まり、「三、入間道」・「四、鎌倉道」・「五、江戸道」・「六、東京道」と、各章題が各時代に所沢を通っていた道を示している。本書によれば所沢はいつの時代も交通の要所として栄えてきた。関東の(或いは日本の)中心は奈良時代に国府の置かれた府中から幕府が開かれた鎌倉、江戸、そして首都・東京へと移り変わってきたが、所沢はその中心地と北方の群馬や長野、新潟とを結び、また西方の秩父とを結ぶ場所に位置してきた。それは著者の考えに従えば「文化を運ぶ動脈」を支えてきたということである。本書にはそんな郷土・所沢への愛着と誇りが感じられる。

ところで本書は図書館で閲覧するか貸出ししてもらうほか読む術がない。しかもA4版と版形が大きく持ち歩きにくい。もっと手軽に親しめるよう、また長く手元に置いておけるよう、復刻版をハンドブックのような形で市販して欲しいものだ。

◆ 後記(2009/3/6) ◆

所沢の歴史、ことに近代以降の歴史については写真集『目で見る所沢・狭山・入間の100年―写真が語る激動のふるさと一世紀』(郷土出版社、2002)もお薦めしたい。大正生まれの義父と一緒に見ていたら小学校の担任の先生が映っていると嬉しそうだった。古い写真を見ていると街並みは変われど、そこには過去も歴史も密かに息づいていると実感させられる。

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