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2009.04.28

4月の読書録から

今月はランニング関係の本を中心に6冊。寡読なボクとしてはまぁまぁの数だし、内容的にもなかなか充実した読書ライフであった。

『仰臥漫録』(正岡子規、岩波文庫、1989)

正岡子規が病床で綴った最後の日記。前作『墨汁一滴』と異なり公表を前提としておらず、よりあからさまで率直な日々の記録となっている。当ブログでも「正岡子規『仰臥漫録』を読む」で紹介した。

『浅井えり子の「新・ゆっくり走れば速くなる」―マラソン・トレーニング改革』(ランナーズ、1997)

初のフルマラソンを走り終えた直後は至福の5キロの印象ばかりが強かったが思い返すうちに不甲斐ないタイムが悔やまれるようになった。欲が出てきたというべきだろうか。次回は格段のタイムアップをと考えトレーニングの方法を学び直すことにした。まず手始めに読んだのが本書。恩師にして亡夫である故・佐々木功監督の後継者として浅井えり子が自らの経験をベースにLSD理論を解説したものだ。LSD(Long Slow Distance)で無理なく、しっかり身体を作る――トレーニングの原点はここだと学んだ。

『マラソン実戦力アップマニュアル―目標タイム別3カ月トレーニング計画』(ベースボール・マガジン社、2007)

続いて紐解いたのが本書。この本では目標タイムの設定方法や、目標タイムに応じたトレーニングのあり方を学んだ。殊に時期によって練習の内容を変える期分けの考え方は大いに参考になった。

『21世紀のマラソントレーニング―成功への道しるべ 』(前河洋一ほか、ランナーズ、2003)

極めつけが最後に読んだ本書。最新の運動生理学に基づきトレーニングのあり方を論じている。それだけに多少難解な面もあるが、トレーニングの教科書として役立つだけでなくサイエンスの本としても興味深い。

『赤色エレジー』(林静一、小学館文庫、2001)

「赤色エレジー」というと、あがた森魚の同タイトルの名曲を思い浮かべる人のほうが多いかもしれないが元祖はこちら、本書に収録されている劇画「赤色エレジー」だ。古典的な情念の物語を斬新な表現で描いた本作は40年たった今も、いや今だからこそ増して新鮮である。

『大法輪』2009年5月号(大法輪閣)

今号の特集は「図解・お寺と宗派の見分け方」。寺の建物や仏像・仏具、葬儀等の儀式や行事など、日本の主な宗派の特徴、それぞれの違いが示されている。前号から続く古山健一の「知られざるビルマ仏伝の世界(後編)」や田主誠の「興福寺阿修羅像の美」も面白かった。

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2009.04.07

正岡子規『仰臥漫録』を読む

4月3日。正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫、1989)読了。1月に読んだ『墨汁一滴』(岩波文庫、1984)と同様、子規が病床で筆を取った晩年の作品である。しかし『墨汁一滴』が新聞『日本』に連載されたのに対し『仰臥漫録』は公表を前提としておらず、よりあからさまで率直な日々の記録となっている。

明治卅四年九月二日  雨 蒸暑
庭前の景は棚に取付いてぶら下りたるもの
夕顔二、三本瓢二、三本糸瓜四、五本夕顔
とも瓢ともつかぬ巾着形の者四つ五つ

『墨汁一滴』校了から2ヶ月。子規の病状は更に進み最早うつ伏せになることもできなかったという。それでも子規は書くことをやめず、綴じた半紙に仰向けのまま筆を運び『仰臥漫録』の執筆を始めた。とはいえ、その内容は、食事や体温、便通などの記録を主とし、見舞い客や家族との交流、窓外の景物などを加える程度に留まることが多く、『墨汁一滴』ほどの多彩さは見受けられない。しかし、それだけに却って子規の書くことへの強い執念が感じられる。
つくつくぼーし明日なきやうに鳴きにけり

献身的に子規の看護にあたる妹・律への傲慢ともいえるような批判なども交えつつ、約1ヶ月間、子規は1日も休まず筆を執り続ける。しかし病いが進むにつれ精神状態も不安定となり、10月上旬には「この後は逆上のため筆をとらず」と4日間の中断。同月13日には「自殺熱」が「むらむら」と起こり、枕元の小刀で喉を裂き、千枚通しで心臓を突けば死ねるのではないかと記すに至る。その後も容態が安定しなかったのか、「十月廿九日 曇」の記述を最後に『仰臥漫録』は半年近い空白期間を迎える。
梅の花見るにし飽かず病めりとも手震はすは画にかかましを

日記が再開したのは翌35年3月10日。だが、これも3日しか続ない。そして3ヶ月後の6月20日からは「痲麻痺剤服用日記」が記されるようになるが、概ね1日1行、天気や麻痺剤の服用時刻、食事の内容など覚書き程度のものに過ぎない。服用日記も7月29日で途絶え、その後、日付の付された記述は9月3日のみ。花のスケッチの脇に添えられた僅か3行が日記の最後となった。
卅五年
 九月三日夜写
     夜会草ノ花

そのあとには夥しい数の短歌と俳句が残されている。絶命までの16日間に詠まれたものなのか、それとも折に触れて書き残されてきたものなのか、確かなことは分からないが、ボクには前者のように思われる。絵が描けなくなっても、文章が書けなくなっても、子規は最後の最後まで歌と句だけは手放さなかった。そのように思われるのだ。
千本が一時に落花する夜あらん

鳥の子の飛ふ時親はなかりけり


短歌と俳句に混じって夏の季語が羅列されている箇所がある。数えてみたところ114語あった。この季題も詠みたい、あの季題も詠みたい、まだまだ詠みたりない、と子規の呟く声が聞こえるような気がした。
糸瓜さへ仏になるぞ後るるな

明治35年9月19日、子規は34年の短い生涯を終えた。上記の句はそのほぼ1年前、『仰臥漫録』にしたためられた作品だ。前書きに「草木国土悉皆成仏」とある。子規の命日は「糸瓜忌」と呼ばれ今もなお墓前にその偉業を偲ぶ者が少なくないという。

※短歌、俳句はいずれも『仰臥漫録』より引用。

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高麗郷を歩く

4月4日。高麗郷を歩く。ヒガンバナの群生で有名な日高市の巾着田は実はサクラも見事だと聞き、花見がてらハイキングに行くことにした。息子は何やら用事があるというので、妻と二人、西武鉄道のハイキングマップ「高麗の里を訪ねるコース」を頼りに、西武秩父線の高麗駅から聖天院、高麗神社を巡って巾着田に戻る約10キロを歩いた。

駅から高麗川までは歩き慣れた道。まだ息子が小さかった頃は毎年のように巾着田に出かけ、彼岸花を見ながらピクニックをしたり、陽気がよければ川で水遊びをさせたりしたものだ。歩道もなくトラックが行き交う通りを避け、かつて息子の手を引いて歩いた畑間の細道を行く。台の高札場跡や水天の碑に江戸時代の庶民の暮らしが偲ばれる。

鹿台橋で高麗川を渡り聖天院を目指す。8世紀、唐と新羅との連合軍に敗れた高句麗から、この地に逃れ着いた若光王子の菩提寺である。当時、大和朝廷は関東各地に散らばっていた高句麗からの渡来人を高麗に移住させ、若光をその王(こきし)に任命したという。若光は渡来人たちの尊敬を集め、その死後も神として高麗神社に祭られ、また菩提寺・聖天院が創建されたのだそうだ。

山寺は新義真言ほととぎす 高浜虚子

満開の桜に迎えられるようにして山門をくぐると虚子の句碑があった。虚子は1943年に高麗の地に訪れこの句を詠んだ。聖天院は当初、法相宗の寺院として栄えたが後に真言宗智山派に改宗。智山派は12世紀に真言宗の改革を試みた興教大師覚鑁上人の「新義」の流れをくむものだ。虚子は他にも「蛇(くちなわ)氏汝も高麗の遺臣かや」と蛇をからかうような句も残している。

本堂に向かって石段を進むと右手に旅姿の弘法大師像を見つけた。近寄ってみるとその奥に若光王の霊廟があった。思いのほか小さな祠で大師像がなかったら見落とすところだ。霊廟の前に立つと中から参拝を終えた女性が出てきた。すれ違いさまに「○○氏」とボクらの苗字を呼ぶ。なんと妻が通っている韓国語教室の先生だったのだ。先生は日高でも韓国語を教えていて今日はその生徒たちに高麗郷を案内してもらっているとのこと。妻は若光王が導いてくれたみたいだと歓んでいた。

阿弥陀堂、本堂、在日韓国人無縁仏慰霊塔を巡り、高麗神社に向かう。道をはさんで左右に畑や草はらが広がっている。つくし摘みだろうか、野を這うように何かを探している子どもたち。「オモニ」と韓国語で母を呼ぶ声が聞こえる。高麗郷は今でも韓国、朝鮮のかたが多く住んでいるのだろうか。あるいは若光王を偲んで各地から集まってみえるのかもしれない。

高麗の野にオモニ呼ぶ声つくし摘み ならぢゅん

ほどなく高麗神社に到着。鳩山一郎を始め、この神社をお参りした後に首相に就任した政治家が幾人もいることから出世明神とも呼ばれるそうだ。もっともこちらは出世などどうでもよく無病息災、家内安全を祈るばかり。参拝後あらためて境内を巡ると樹齢300年に及ぶというヒガンザクラが満開だった。高麗神社の隣には代々、宮司を務める高麗家の旧宅が公開されている。江戸時代初期の建造で重要文化財に指定されている。こちらのシダレザクラも見ごたえ十分だ。

道を挟んだほぼ向かい側の食道で遅めの昼食。ビールで喉を湿し揚げたての天ぷらを合わせた手打ちうどんを頂く。店を守る老女の上品な佇まいといい印象的な店だが店名を失念してしまった。聖天院の方角に少し戻り出世橋を渡ると、ここからは余り車も通らない畑の辺を歩くことができる。特定の作物を大規模に生産しているという様子でもないが比較的、青麦が目だっていたように思われる。

1時間ほど歩いただろうか、巾着田に到着。うわさ通り土手に立ち並ぶサクラが見事だ。その足元には菜の花畑が広がっており淡いピンクと黄色のコントラストが美しい。妻とボクは草はらに腰を下ろしヒバリの声を聞きながら早春の景色を心行くまで楽しんだ。向こうの土手に韓国語教室の一行の姿が見えた。お互いに手を振り合い二度まで出会えた偶然を喜び合った。その頭上に広がる青空には気の早いツバメが舞っている。

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2009.04.01

3月の読書録から

東京マラソンにばかり気をとられていた訳でもないが3月も僅か3冊と低調な読書生活であった。そんな中でも久しぶりに現代詩文庫『茨木のり子詩集』を読んだことが最大の収穫といえるだろうか。

大法輪.大法輪閣.2009年3月号

特集は「仏教の誤解を解く―思い違いのQ&A」。初学者のボクにとっては基本的なことを改めて学び直したり、初めて知ることも多く勉強になった。特集以外では千草子の「ヨーロッパに伝わった釈迦伝説」や大洞龍明の「シルクロードに鳩摩羅什の足跡をたどる(上)」、志村有弘の「役行者と日本人」なども興味い。また櫛谷宗則の静けさをたたえた版画(「坐のまなざし3」)も強く印象に残った。

茨木のり子詩集.現代詩文庫.思潮社.1969

たまらなく詩が読みたくなるときがある。たとえば自分の精神が弛緩しきっていると感じるとき、活を入れたくなって開く詩集があるのだ。茨城のり子はボクとってそんな詩を残してくれた詩人の一人だ。誰よりも強く自分を生きることを願った、その願いの強度がボクの心を動かすのだろう。ことに本書に収められた初期の作品群にはそうした精神が瑞々しくほとばしっているように感じられる。

大法輪.大法輪閣.2009年4月号

特集は「輪廻転生を考える―輪廻思想の問題と現代」。なんともディープなテーマだ。「輪廻転生や前世、業について、誤った考え方がテレビなどで語られて」いることを憂い、スピリチュアル・ブームに一石を投じる意図から組まれたもののようだ。第一部「仏教の説く輪廻転生と業」ではブッダならびに日本の各宗派の祖師の輪廻観などが紹介されている。第二部「輪廻転生についての様々な考え方」では仏教以外の宗教や日本の伝統的な生まれ変わり観なども取り上げられている。巻頭の写真とレポート「武者小路実篤「新しき村」の今」(佐藤泰司)も興味深かった。実篤の理想を引き継ぐ「新しき村」が現在も存続しているとは思ってもみなかったが、こうしたコミュニティの必要性はむしろ高まっているように思われた。

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