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2009.05.18

唱和から連歌へ―『私自身のための俳句入門』から(3)

あなにやしえをとめを
あなにやしえをとこを

再び原点に立ち戻ってみる。高橋睦郎『私自身のための俳句入門』(新潮選書、1992)で和歌の起源とした伊邪那岐命と伊邪那美命の「愛の歌」の「唱和」である。この歌が神々のものであったことから「公の相聞」という流れが、そして男と女の「愛の歌」であったことから「私の相聞」という流れが、それぞれ流れ出したとボクは思う。そして「唱和」という源泉からは歌合、連歌、俳諧、さらには句会へと続く、もう一つの流れが迸り出たと考えるのだ。

さて先日みたように高橋は、「季」の登場が表現の類型化を招来し、それが「形式を形式として成立させる力」として機能したという。いっぽう類型化は「せっかく成立した形式を沈滞させ、衰弱させる力として働きかねない」、「類型化と多様化とを同時に計らなければならない」とする。そして「和歌の歴史においてこれに大きな力のあったのは、歌合ではあるまいか」としている。

漢詩の到来により公の場から追われることとなった和歌。こうした趨勢に対抗し和歌の存在をアピールするために皇族らを招いた歌合が盛んに開催されたという。アピールという意味では効果は限定的であったかもしれないが、思いがけない副産物として、創作の共同化が表現の多様化をもたらし、和歌を形式の沈滞・衰弱から救い、その命脈を永らえることとなった。さらに高橋が歌合の「進化としてのヴァリエーション」と捉える連歌の誕生をももたらしたのだ。

高橋は連歌誕生の基盤には五・七調から七・五調へ、すなわち二句ないし四句切れから三句切れへの律の変化があったとする。「短歌じたい三句切れがスタンダードになること」が「上の句・下の句の唱和による連歌が一般的になる」ための前提であったとするのだ。そして、こうした変化も「唱和」から、歌いだしである唱句と続ける和句との長短のバランスの必要から生じたものだとしている。

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