« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009.07.31

花火の想い出(2)

いつものハンディ歳時記から。

手花火を命継ぐ如燃やすなり 石田波郷

順々に花火に火をつけてゆく様子を「命継ぐ如」と詠んだところが何とも波郷らしい。こういうずばりと言い切る直喩の力を活かすには俳句こそ最適の詩形だと思う。

子どもが小さかった頃は近所中なん家族も集まって盛大に手花火をしたものだ。ただ素直に花火を歓ぶ子ども達の様子をビール片手に子育て談義などしながら見守るのは実に楽しい夏の風物詩だった。こうした花火の楽しさをボクもきっと親から受け継いだのだろう。今は生意気盛りの息子もいずれはその子どもにバトンを繋いでくれると信じたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.26

花火の想い出(1)

いつの間にやら我が家ではテレビで隅田川の花火大会を見るのが毎年の恒例となっている。今夜もビール片手に画面に広がる様々な色と形の光の協演を楽しんだ。

ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火

いつものハンディ歳時記から。宿屋の布団にもぐりこみ、或いは夜行列車で線路の音を聞きながら、目を閉じると旅先で見た花火が目蓋に浮かぶ。楽しかった旅の想い出が暖かく華やかに胸に広がる。

旅行先で見た花火と言うと静岡の手筒花火を思い出す。まだ息子が小学生だった頃、なんどか掛川のヤマハつま恋リゾートで夏休みを過ごした。昼間は様々な軽スポーツとプールで汗を流し、夜は温泉、食事と縁日風のイベント。息子はスキップ楽団のコンサートが大好きで眼を輝かしながら聞いていたものだ。この夜のイベントの締めくくりが手筒花火。威勢よく吹き上がるオレンジの火柱を抱きかかえるようにして支える花火師たちの心意気が感じられる。

息子が成長するにつれすっかり足が遠のいてしまったが、つま恋は今でもスキップ楽団の音楽が流れ、手筒花火が夜空を染めているのだろうか。久しぶりに行ってみたくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.20

永久に泳ぐ人

清水哲男の『新・増殖する俳句歳時記』から。

兵泳ぎ永久に祖国は波の先 池田澄子

夏は華やかなようで気だるく、また一抹の淋しさ、悲しさを孕んでいるようにも感じられる季節だ。その原因は多々あろうが太平洋戦争の記憶も一因であると言って差し支えないだろう。撃沈された戦艦からか、撃墜された戦闘機からか、或いは島の岬に追い詰められ海に飛び込んだのか、兵士は命がけで泳ぎ何とか祖国に生きて帰ろうとする。しかし「目指す祖国は絶望的に遠」く、余りにも多くの兵士が命を落とすことになった。彼らの無念を思うとき戦争はいつまでも終わらない。
今年もまた敗戦忌がめぐってくる。そしていまだに、かつての兵(等)は波の先の彼方に祖国を実感し、泳ぎつづけている。(清水哲男)

この句を読んでボクは高校時代に観たテレビドラマ『田舎刑事・まぼろしの特攻隊』(テレビ朝日、1979)を思い出した。渥美清の演じる田舎刑事が女子学生殺人事件を追ううちに幻のブルー・フィルムに秘められた悲しい戦争の記憶に辿りつく、そんな内容のドラマだ。監督は映画『時代屋の女房』で名高い森崎東、脚本は小説家としても活躍する早坂暁。渥美のほかには高峰三枝子西村晃などが出演していた。ボクはこの作品に深く感動し、いつかもう一度みてみたいとずっと思ってきたのだが、残念ながらDVDやビデオは発売されていないようで今のところ果たせずにいる。

7月も残り10日ほどで終わり。また今年も「ヒロシマ」の日が、「ナガサキ」の日が、そして「終戦」の日がやってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.12

今日もウトウト……

よほど眠りに飢えているのか。昼食後、ぼんやりテレビを見ていたら、ついウトウトとしてしまったらしく、少しばかり記憶が途切れている。「いま寝てた?」と聞くと「いびきかいてたよ」と妻。遠くから祭囃子が聞こえてくる。

祭笛遠くに聞きつ昼寝覚 ならぢゅん

今日は北秋津の八雲神社の夏祭り。通称お天王様である。山車や神輿が町内を練り歩き夜には神輿の火渡りも行なわれる盛大な祭りだ。
中年やよろめき出づる昼寝覚 西東三鬼

いつものハンディ歳時記から。中年オヤジの昼寝はどうにもだらしないイメージがある。覚めても未だ頭は朦朧としており足元がふらつく。滑稽ではあるが一抹の淋しさも感じられる。西東三鬼(1900-1962)は昭和期の俳人。口髭にベレー帽がトレードマークという洒落者で、この句の「中年」とは印象が大分ちがうようだ。
昼寝子のほのかにひらく掌 中森葦扇

こちらもハンディ歳時記から。それにひきかえ子どもの昼寝姿はなんとも愛らしい。寝入るに連れて力が抜け汗ばんだ丸く小さな手が少しずつ開いてゆく。うちの息子にもそんな時があったものだが……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

優曇華

今朝の読売新聞、長谷川櫂のコラム「四季」にこんな句が紹介されていた。

優曇華や昨日の如き熱の中 石田波郷

ウドンゲはクサカゲロウの卵。金剛明経などに登場する植物「優曇華」になぞらえてこう呼ばれる。仏典では「優曇華」は仏の出現の吉兆として3000年に1度だけ開花するとされているそうだ。もちろんクサカゲロウの卵のほうはそこまで珍しい訳ではない。しかし幽玄というか、なんとも独特な雰囲気がある。熱にうかされ、昨日と今日の区別もつかない朦朧とした状態でウドンゲに出会ったら一体どんな心持ちがすることであろうか。

さて、この記事を見せながら妻にウドンゲを見たことがあるかと訊いてみた。実は昨日、庭仕事をしていたときに朝顔のツルを誘引するためのネットにウドンゲをみつけたばかりだったのだ。案の定、見たことないという答え。しめしめとばかりに庭にあるから見てみるかと訊くと、「えー、でも虫の卵でしょう」と一蹴されてしまった。とほほ。

石田波郷(1913-1969)は昭和期の代表的俳人の一人。水原秋桜子に師事し後に句誌『馬酔木』の編集にも携わった。人間を描くことに重きを置き中村草田男加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.11

四万六千日

四万六千日というと先ずはなんと言っても浅草寺の鬼灯市が思い出される。もっともボクはまだ行ったことがないのだが……。

いつからか都電なき町鬼灯市 山越渚

例によってハンディ歳時記から。かつて東京の公共交通の主役であった都電が相次いで廃止されたのは1960年代。荒川線を除く最後の6路線が姿を消した年でさえ1972年。ボクは10歳だった。それでも何となく都電という言葉の響きには郷愁を誘われるところがある。その都電を、こちらも懐かしさを掻きたてる鬼灯と取り合わせたところに妙味を感じる。
鬼灯や子の眼のがれし二た袋 阿部みどり女
宿の娘の鬼灯一つ見せに来る 神山杏雨

ハンディ歳時記から更に2句。鬼灯が子ども達のおもちゃだった時代もあった。ボクも母から鬼灯の鳴らし方を教わったが少しも鳴らすことができなかったのを憶えている。きっと今の子ども達はそんな遊びは知らないのだろうなぁ。

もう一つ四万六千日で思い出すのは落語の『船徳』だ。遊興が過ぎて勘当を食らった若旦那の徳兵衛が馴染みの船宿に居候の挙句、船頭の真似ごとを始める。四万六千日の参拝客を乗せ大川(現・隅田川)に漕ぎ出すが……。川風の涼しさを想像しながら珍騒動に耳を傾ければ幾分かは暑さも忘れられるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.10

巣鴨とげぬき地蔵まいり

今日は久しぶりに休暇をもらい妻と巣鴨に出かけた。本当は庭のチャボヒバの剪定をするつもりで休んだのだが、思いがけず梅雨の晴れ間が続くようなので、作業は明日にまわし女房孝行をすることにした。どこにいこうかと話しているうちに、そう言えば今月はまだ巣鴨に行ってないと妻が言い出す。妻は昨年の春に亡くなった母の跡を継いで巣鴨のとげぬき地蔵に月まいりをしているのだ。だったら先ずは巣鴨に行こうと話がまとまった。あとのことは道々考えれば良いという訳だ。

今日の巣鴨は異様なほど人通りが少なかった。普段なら平日でも真っすぐに歩けないほど混み合う地蔵通り商店街だが道の真ん中を悠々と歩くことができる。考えてみると今日は観音さまの御縁日、この日に参詣すれば四万六千日お参りしたのに等しい御利益が頂けるという四万六千日だ。にぎやかに鬼灯市が開催される浅草の方へ人が流れたのかもしれない。理由はともあれ人が少なかったおかげで御参りもゆっくりできたし、商店街をのんびり冷やかすこともできた。とげぬき地蔵から猿田彦神社まで足を伸ばし折り返して江戸六地蔵・第四番の真性寺も訪ねた。ただし真性寺の御地蔵さんは修理中で拝見することができなかったが……。

その後はというと、ボクら夫婦には良くあるパターン(韓国料理好きのボクと韓国好きの妻)、新大久保まで出てコリアタウンで食事と買い物である。今日は初めて入った本家という店でサンギョプサルを頂いた。帰りは西武新宿から西武線に乗ったが、少しばかりビールが入っていたせいか二人とも眠りこけてしまい航空公園まで乗り過ごす始末。まぁ、それも夏の一日を笑いで飾る御愛嬌といったところか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.07

こっくり居眠りしていたら

今朝のことだ。いつもの通勤列車。たまに座れたと思ったら居眠りしてしまったらしく、気がついた時には勤め先の一つ先の駅である。慌てて列車を飛び出し通路を渡って向かいのホームに移ると、後ろから聴きなれた声がボクの名を呼ぶ。職場の後輩だ。しかし待てよ、彼女もボクと同じ方角から通ってきているはずなのに……。そんなことを思っていると彼女は「xxさんもですか?」と照れくさそうに言う。なんたる偶然。彼女も寝過ごしてしまったのだそうだ。どうにもバツが悪いが、まぁ、お互いさま。顔を見合わせて笑うしかない。

不機嫌にみな眠りをり夏の汽車 徳川夢声

転んだらタダでは起きるまい。折角だから居眠りに関する俳句を探してみたところ詩人・清水哲男の『増殖する俳句歳時記』でこの句がみつかった。夜毎つのる暑さに睡眠不足と蓄積した疲労を背負ったまま通勤列車に乗り込む勤め人たち。心地よいはずの居眠りすら不機嫌そうに見える。そんな様子が目に浮かぶようだ。

徳川夢声は1984年生まれのタレント。無声映画の弁士として出発したが後にトーキーが普及すると漫談師に転身。映画やラジオ、テレビでもタレントとして活躍した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.02

五月闇

「五月闇」という季語は含みというかニュアンスに富んでいて、ちょっと使ってみようかと思わせる魅力がある。だが素人が使うには難しいようで例えばこんな無様をさらすことになる。

五月闇我れ凡なるを思ひ知り ならぢゅん
五月闇点滴瓶のほの明し ならぢゅん

「我れ凡なるを…」は2002年、「点滴瓶の…」は2003年の作。なるほど我ながら「凡なるを思いひ知」らされるような句だ。とほほ。

さて、いつものハンディ歳時記から気に入った句を2つばかり引いてみよう。

五月闇青銅厚き地獄門 有馬朗人

上野の西洋美術館にあるロダン『地獄の門』であろうか。黒く底光りするブロンズ、そして人間の苦悩を象徴する「地獄」が「五月闇」と良くマッチしている。有馬は東大総長や文部大臣を務めたことで知られるが戦後の代表的俳人の一人でもある。
二三歩に地をうしなへり五月闇 井沢正江

闇が深く足元の二、三歩しか見えない。日常のひとこまを写し取った句でありながら中七の「地をうしなへり」という表現が巧みで何やら実存的な不安を感じさせる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »