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2009.08.30

秋蝉鳴く(3)

昨年の春に母を亡くしてから妻は今でも月命日の墓参を欠かさない。毎月30日は父と連れ立って霊園に向かう。今日は久しぶりに休日と重なったのでボクと息子も一緒に出かけることにした。あいにく雨であったが航空公園駅から霊園に向かうバスは満席。殆どの乗客が花を携え、法事であろうか、中には喪服姿の家族もいる。

サイパンの砂より熱き墓洗う 小林光

今週の「読売俳壇」から。8月の強い日差しに照らされて熱を帯びた墓を洗う。それはサイパンで戦死した父、あるいは兄弟、あるいは戦友の墓。癒しようもない苦しみを想い、せめて冷たい水で汗を拭うように墓を洗う。「読売俳壇」は毎週月曜日、読売新聞の朝刊に掲載。選者は森澄雄宇多喜代子正木ゆう子小澤實の4名である。先週掲載された村山義一の「妻たちはあの夏のまま無言館」という句も印象深かった。やはり日本の夏は死者を悼み、戦争と平和を考える季節なのだ。

バスを降りると雨は小止みになっていた。すっかり憶えてしまった小道を辿り義母の墓の前に立つ。先ずは手分けして掃除。それから花と線香を供え静かに手を合わせる。いつものように一番長くその姿勢でいたのは妻だった。少し雲が切れ晴れ間がのぞく。その途端、静まり返っていた林からセミの声が聞こえてきた。

仰のけに落ちて鳴きけり秋の蝉 小林一茶

うつ伏せか仰向けか知らないがボクも遠からず地に落ちるときを迎える。その時ボクには鳴き続ける歌があるか、そんなことをふと思ってしまう。

義母の墓前はいつも何となく去りがたい。生前の人柄がそうさせるのだろう。だが、いつまでもこうしている訳にもいかない。再び降り始めた雨。ボクらは足早にバス停に向かう。夏の終わりを厳然と告げるかのように冷たい雨が全てを濡らしてゆく。

蜩や微分積分くそくらえ 藤沢二千男

「NHK俳句」(8月16日放送)より。夏の終わりは宿題のシーズンでもある。早いもので高3となった息子の現在の心境はこんなところか。もちろんボクにも覚えがあるが、今になってみれば、それもまた佳き想い出だ。

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