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2009.11.18

川越散歩その3・蓮馨寺と唐人揃い

喜多院に続いて成田山別院に参詣。大厄のときに御護摩を焚いてもらった寺だ。七五三の親子づれに混じって不動明王に手を合わせ、いよいよ本日のメインイベント、多文化共生・国際交流パレードの会場、蔵造り通りに向かう。

このパレードは日韓友好年だった2005年に始まったもので今回が5回目。江戸時代の「唐人揃い」行列を再現し、市民レベルで国際交流を図ろうという趣旨のものだ。秀吉の出兵で冷え切った日朝関係。その修復を目指した徳川幕府の外交努力に応え朝鮮側も通信使と呼ばれる使節団を派遣。華やかで異国情緒あふれる一行の出で立ちは庶民の間でも持て囃され、その様子を模した「唐人おどり」や「唐人人形」が流行したという。川越の「唐人揃い」もそうしたものの一つで100年ほど前までは氷川神社祭礼(川越祭り)の折に奉納されていたそうだ。

パレードのスタート地点・蓮馨寺に到着。境内には既に様々な衣装を身にまとった参加者たちが集結していた。中でも異彩を放っていたのが津市分部町の伝統芸能、三重県の無形文化財にも指定されている唐人踊りの一団だ。カラフルな衣装にユーモラスな面をつけ鉦、太鼓、横笛などの楽器を携えている。当時の装束を再現した通信使の一行や愛らしい朝鮮学校の少女たちの姿も目を引く。そうした参加者たちの様子を横目に先ずは本堂へ。ご本尊の阿弥陀如来に手を合わせパレードの成功と無事を祈った。

境内の隅の茶屋で腹ごしらえをしているうちにパレードの出発時刻が迫ってきた。先回りして蔵造り通りに向かうと早くも観客でごった返している。パレードを見に来たのはこれで三度目だが年々観衆が増えているような気がする。殊に本格的なカメラを携えた写真愛好家の姿が目立つ。平気で列に割り込んだり人の前に立ったりする図々しさには閉口するが、それくらいしないと良い写真はなかなか撮れないものなのだろうか。

パレードの楽しみは華やかな衣装や珍しい踊り、また参加者たちの笑顔やはにかんだ表情など目を歓ばすところが大きいが、ボクにとってこのパレードの主役はむしろ音だ。農楽というのか、サムルノリというのか、太鼓や銅鑼、鉦などの打楽器にチャルメラに似た笛を加えた朝鮮の伝統的な民俗音楽が大のお気に入りなのだ。耳を聾するばかりの迫力、素朴で自由で力強く、それでいてどこか哀愁を帯びているというか、郷愁を誘うものがある。聞いていると血の騒ぐような感じ、魂の沸き立つような感じがして、踊りの輪の中に飛び込んでいきたくなるほどだ。

奏者、聴衆の区別なく、自分たちの手で自分たちの音を作り楽しむ。そんな音楽の楽しみ方ができたら、さぞ面白かろうと思う。

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2009.11.17

川越散歩その2・喜多院と七五三

妻の発案で始めて参詣した中院だったが庭の木々を始め見どころが多く思いがけず長居してしまった。これではパレードの前に昼食を取る時間がなくなってしまう。名残惜しいがボクらは先を急ぐことにした。

次の目的地は喜多院。いつもなら参道から入るところだが今日は隣接する仙波東照宮の方から回ることにした。喜多院と東照宮は、元々一体だったためか、今でも地続きで往来できるようになっているのだ。東照宮の本殿は非公開で普段は鉄の門で閉ざされている。今日は特別に公開されているらしく石段にはずらりと人が並んでいた。後ろ髪を引かれる思いもあったが行列を脇目に歩を進める。弁天池を擁した葵庭園に続いて鐘撞き堂と裏門を兼ねた独特の建造物が見えてくる。喜多院の鐘楼門だ。ちょうど菊祭りが開催されていて正月ほどではないものの多くの参詣客で賑わっている。菊も見たいところだが本堂に急ぐ。

本堂に近づくにつれ思い思いに着飾った親子づれの姿が目立つようになってきた。そういえば今日は七五三だ。

拾ひたる温き土くれ七五三 山西雅子

『新・増殖する俳句歳時記』から。寺社での儀式や写真館での撮影、ご近所や親戚への挨拶まわり、七五三は子ども本人にとっては退屈で骨の折れる行事なのかもしれない。始めのうちは晴れ着も嬉しいだろうが時間が経てば窮屈なだけだし、千歳飴だって持たせてもらったは良いがなかなか食べさせてもらえない。とうとう、しゃがみ込んでイタズラを始めてしまう。その背中に降りそそぐ小春日の温かさまで伝わってきそうだ。
父らしく母らしくなり七五三 立石はるか

11月1日放映の『NHK俳句』から。選者は西村和子。親子三代が揃う七五三。祖父母にとっては孫の成長ばかりか子の成長を楽しむ時でもある。もっとも孫の成長は楽しいばかりかもしれないが「父らしく母らしく」なってゆく子の成長には複雑な感慨も混じろう。我が息子も来年はいよいよ大学生。そのような感慨をボクも少しは感じ始めている。

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2009.11.16

川越散歩その1・中院の紅葉

山門をくぐると先ず境内を埋め尽くす見事な木々に驚かされる。この時期は殊にモミジが素晴らしい。ボクらもその一人だが紅葉目当ての参詣客も多そうだ。中には三脚に一眼レフを据えてじっとシャッターチャンスを待つ本格的な写真愛好家の姿も見受けられる。

ここは天台宗別格本山中院。もとは喜多院(北院)、南院と共に星野山無量寿寺の一角をなしていたが、中院は寛永の大火で堂宇を消失し、跡地に仙波東照宮が建設されることになったため、現在の敷地に再建されたという。ちなみに南院は明治初期の廃仏毀釈により廃院となり、いまはその跡地に石碑や石仏、歴代住持の墓が残されているだけだ。

本堂に向かって進むとすぐ左手に「不染」と彫られた石碑がある。島崎藤村の書によるもので石碑の奥には藤村が義母に贈った茶室「不染亭」が移築されており今でも茶会に利用されているという。更に進むと足元に大ぶりの葉が散らばっていた。妻はその葉の主の大樹を見上げ「トチの木かな?」と訊く。近ごろ妻はトチの実が可愛いとご執心なのだ。「ホオノキじゃないかな」と答えると近くで落ち葉掃きをしていた男が「オオヤマレンゲだよ」と教えてくれた。寺男であろうか。男は70歳くらいで白髪頭を短めに刈り日焼けした顔が精悍な印象を与える。ぶっきらぼうな口調だが、その底から親切な人柄が伝わってくる。この庭の木々のことなら何でも訊いてくれと言わんばかりだ。

オオヤマレンゲはホオノキと同じモクレン科で、ここにあるのはホオノキとオオヤマレンゲを掛け合わせたウケザキオオヤマレンゲなのだそうだ。花の咲く時期なども教わり礼を言うと男は「落葉の時期は大変だねと皆さん言ってくれるけど掃いていられるうちは張り合いがあっていいんですよ。そのうち掃こうにも落ち葉がなくなってしまう。そうなると寂しいもんでね」と語る。樹齢400年を越えると言われるキンモクセイを始め、ここに根を張り枝を張り葉を茂らせ花を咲かせる木々は、こうした人たちが代々守り伝えてきたものなのだと思うと感慨深い。

焚くほどは風がもてくる落葉かな 良寛

『新・増殖する俳句歳時記』から。吹き寄せられる落ち葉で煮炊きは十分できる。良寛は正にそういった簡素な暮らしを送っていたのだろう。足るを知れというか、乏しくともあるがままを恵みとして有難く頂戴せよと諭された思いがする。改めて「不染」の碑を観る。何ものにも染められることなく自分自身を生きる――藤村の強い信念が伝わってくるようだ。わが身を振り返れば何に染められて不足を嘆き不平を並べてきたのか。いつの日か落ち葉掃きの男のように潔い心持ちで生きていけるようになれたらと思う。

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2009.11.15

川越散歩その0

今日は久しぶりに川越へ出かけた。お目当ては今年で5回目となる多文化共生・国際交流パレードだったが、その前に紅葉を見ようと早めに家を出て中院などの寺にも立ち寄った。なかなか趣き深い散策となったので何回かに分けて書き残しておきたい。

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2009.11.02

久しぶりに読書録から

8月から10月にかけて読んだのはマンガと実用書を数冊、あとは定期購読している雑誌『大法輪』ぐらい。なんだか相変わらず低調である。トホホ。

バガボンド・30(井上雄彦、講談社、2009)

ふらっと立ち寄った本屋で見かけて即買い。5月に発売されていたのに3ヶ月近く気づかずにいたのだ。我ながら情けない。さて30巻はストーリーの折返し地点となる一冊のようだ。これまでの武蔵の戦いの数々が回顧され、そして小次郎との死闘に続く新たな物語の始動が示唆されている。

50代からの生き方ノート(シニアライフ取材班・編、はまの出版、2006)

そろそろ老後を意識した働き方、暮らし方を考え始めなければならない。しかし何をどう考えたらよいやらピンとこない。そこでセルフチェック式の本書を試してみた。なるほど読んだだけで仕度ができるわけではないが、どう仕度を進めるか少しはイメージできたような気がする。

大法輪・8月号(大法輪閣、2009)

特集は「日蓮聖人と『立正安国論』」。よく知りもせずに毛嫌いしてきた日蓮だが少しずつその凄さが分かってきたように思う。

危ない呑み方・正しい呑み方(仮屋暢聡、マイコミ新書、毎日コミュニケーションズ、2008)

思うところあって少々アルコールを控えようかと考えている。そこで先ず手に取ったのが本書。ボクとしては結構ショッキングな記述もあり改めて飲酒の弊害を思い知らされた。

読むだけで絶対やめられる禁酒セラピー(アレン・カー、阪本章子・訳、ロングセラーズ、2002)

かといって簡単に節酒できる訳もなくタバコを止めたときに世話になったアレン・カーの本を読んでみた。が、そもそも止めようと思っている訳ではないんだよなぁ。少々控えめにというだけで……。でも、これがまた難しいんだなぁ。

バガボンド・31(井上雄彦、講談社、2009)

この巻の焦点は又八とその老母の人生にある。思えば武蔵の恐るべき才能と情熱、激しい生き方に翻弄されてきた二人だが、ようやく解放されるときを迎えたようだ。

大法輪・9月号(大法輪閣、2009)

特集は「一日5分からのお経入門」。短時間でできる日常勤行の方法とその際に読む経典を宗派ごとに紹介。ボクは始めて「修証義」に触れ大いに関心を持った。

近所の景色・無能の人(つげ義春コレクション、ちくま文庫、筑摩書房、2009)

つげの作品は「ねじ式」など若い頃の前衛的なものも好きだが、映画化された「無能の人」に代表される私小説的な作品も捨てがたい。こういうダメダメさは間違いなく自分にもあるし、誰にだってあるんじゃないかと思う。

あったかい仏教―道元禅師の修証義にきく(酒井大岳、大法輪閣、2004)

「修証義」は道元の主著『正法眼蔵』』から名言を抽出、再構成し、曹洞宗の教義のエッセンスをまとめたもの。平易で親しみやすい解説を読むうちにボクはすっかり「修証義」に惚れ込み巣鴨の仏具店で折本を買ってしまった。

大法輪・10月号(大法輪閣、2009)

特集は「暮らしの中の仏教語-その本当の意味」。諦める・自然・引導・インゲン豆・祇園・菩提樹……日本語には仏教に由来する言葉が多い。それだけ仏教は日本人の生活に密着していたのだろう。

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