« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010.04.24

武蔵野観音めぐり・その5

武蔵野観音めぐり五日目。今日は午後から用事があったが少しでも先に進みたいと思い市内の二ヶ寺を巡拝した。

小手指から早稲田大学行きのバスに乗り大日堂で下車。この付近には大日如来を納めた御堂があったそうだ。茶畑の間を縫うように歩くこと10分ほどで第14番札所・妙善院に到着。石段を登り山門をくぐると小さな立て札があった。

御願い 最近遊び場が無いために、子供らしい遊び廻る姿が少なくなり心配です。大切な境内ながら開放しますので保護者が責任を以って遊ばせ、又後片付も躾上大切なことなのでお守り下さい。 山主

なるほど子供たちが広い場所で遊べるよう、隣接する幼稚園、保育園の園庭からも境内に入れるようになっている。その子供たちを見守るように立つ子安地蔵や悲母観音の石像にも御住職の子供たちを思う暖かい御心が感じられた。本堂を拝し納経所に伺うと、当の御住職であろうか、老僧が自ら御対応くださった。何種類もの飴の入ったビンを指さし好きなのを持っていきなさいとおっしゃる。有難く頂戴し第15番札所・松林寺に向かった。

妙善院から歩いて30分ほどで松林寺に到着。山門を潜ると大きな仁王の石像がそびえる。不心得者は一歩も通さぬと言われているようで少したじろぐ。更に進むと境内には一葉観音や玄奘三蔵といった珍しい尊像、また上野・寛永寺から奉祀された薬師如来像を納める薬師六角堂などがある。本堂に伺うと扉が開いており御本尊の釈迦如来像、札所本尊の千手観音像を内拝することができた。早いもので観音めぐりも15ヶ寺目となったが本堂に上がらせて頂いたのは初めてのことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.23

『大法輪』4月号を読む

雑誌『大法輪』4月号読了。特集は「間違えない仏教書選び」。ランニングほどではないかもしれないが近ごろ仏教も流行っているらしい。巷に出回る仏教書も増えているようだ。そんな中から何を読んだらよいのか、分野や宗派ごとに初学者向けの書籍、もっと深く知りたい人向けの書籍が紹介されている。

特集以外の記事では日本に住むカンボジア難民・久郷ポンナレットの半生を描いた香川潤子のルポルタージュ「キリングフィールドへの赦しの旅―カンボジア内戦を生き抜いてつかんだ幸せ」や、「縁は『授かるもの』であると同時に『育むもの』である」と語る酒井大岳の連載「心があったまる仏教」(第4回・花吹雪)が印象深い。

ところで前号まで連載されていたのに突然すがたを消してしまった作品がある。立松和平の小説「良寛」だ。毎号楽しみにしていたのに、もう続きを読むことができないのかと思うと、改めて立松さんの早すぎる死が悔やまれてならない。合掌。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.18

武蔵野観音めぐり・その4

先月から始めた武蔵野観音めぐりも早いもので四日目を迎えた。とはいっても札所三十三ヵ所の三分の一を拝したに過ぎない。まだまだ色んなことがあるだろう。その一つ一つを妻と二人で味わってゆくことに意味があるのだと思う。

さて本日は北野や山口といった所沢郊外の三ヶ寺を巡拝した。所沢もこの辺りは畑や雑木林が残っており歩いていて気持ちがよい。初めに訪ねた普門院は裏手の竹林にタヌキが棲んでいるそうだ。御朱印を頂く際に応対して下さった住職の御母堂が愛らしそうに子ダヌキの様子を話してくれた。この寺の住職は海外でも公演活動を行なっている声明の第一人者、新井弘順師である。しかし御母堂はとても気さくで大学生のお孫さんの話などもしてくれた。仲間を引き連れてバーベキューをしにくるのだそうである。続いてうかがった全徳寺は春先に香り高い黄色い花をつける蝋梅で有名。花の時期はとうに過ぎているが新緑が美しい。山門に施された達磨大師の彫刻も印象深い。ご住職であろうか、対応して下さった老僧の穏やかな笑顔に見送られ金乘院に向かう。

茶畑の間を縫って北野天神通りに出る。ロードサイドのラーメン店・しょうらい亭で昼食。椿峰ニュータウンを過ぎ六斎堂を参拝。ほどなく西武球場前駅が見えてくる。この辺りは所沢シティマラソンで毎年、走っている場所だ。全徳寺から一時間ほど歩いただろうか、狭山不動の前を通り山口観音こと金乘院に到着した。ここはボクにとってホームグラウンドのような寺で年に何度か御参りするし、毎週末のランニングの際にも必ず遙拝させて頂く。今回は広い境内をゆっくり巡り数々の御堂、石碑・石仏の一つ一つに手を合わせた。何を祈るのでもなく、ただ南無、南無と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.13

『大法輪』3月号を読む

雑誌『大法輪』3月号読了。特集は「これでわかる密教」。独特の世界観と教義で知られる真言、天台の両密教を分かりやすく解説。殊に廣澤隆之の「密教の現代的意義」は、情報化社会において密教は記号化する身体を呪術性によって自然へと解放する役目を担っていると論じ、興味深い。

ちなみに『大法輪』は既に4月号5月号も発売されています。トホホ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.10

武蔵野観音めぐり・その3

武蔵野観音めぐり三日目。今日は七番から十番までの四ヶ寺を巡拝した。

まずは東村山の徳蔵寺。170基に及ぶ中世の板碑(板状の石造供養塔)を始め土器や石器などを納めた板碑保存館が併設されている。中でも新田義貞の将兵の供養塔、元弘の板碑(国・重文)は、『太平記』に記された戦史を実証する史料としても貴重なものだ。収蔵品の保護のためであろうか、保存館は空気がひんやりとしている。ひと通り観覧している間にすっかり体が冷えてしまったボクらは最寄の蕎麦屋に飛び込んだ。看板には「手打ち蕎麦かなさご」とあった。店主と女将、夫婦二人できりもりしているようだ。

店の奥の大きなガラス戸から英国ガーデン風の庭が見える。かなり広い。その中央に棚づくりのツル性植物が多数の白い花を咲かせている。ジャスミンのような感じだが、それにしては花数が多い。暖かい汁のきのこセイロで腹ごしらえを済ませ女将に聞いてみるとクレマチスの一種なのだそうだ。ガラス戸から庭に出させてもらうと大きな白いイヌが寝ていた。カメも飼ってるのよ、と女将が案内をしてくれる。パンジーやチューリップなど春の花々を楽しみながら進むと体長30~50センチくらいの陸ガメがいた。一頻り庭談義に話の花を咲かせ、お茶を頂いて店を出た。車寄せにガチョウがいた。ピーター・ラビットも出てきそうな不思議な店だ。

続いて東大和の圓乘院に向かう。歩いて八国山を越える手もあったが時間を節約するため東村山駅からバスを利用した。鐘楼門をくぐると釈迦誕生仏の像が目に飛び込んできた。2日前には潅仏会(花まつり)も開催されたそうだ。その隣には珍しい仏足石も祀られている。本堂に向かって石段を登る。左手に聖観音像がそびえている。見上げると像の背後のサクラの木から風に花びらが舞い散り補陀落浄土を思わせる。本堂を拝し御朱印を頂きに納経所へうかがうと潅仏会の甘茶のティーパックを下さった。

東村山から新宿線で地元・所沢に戻る。繁華街を抜け旧市街地へ向かう。この辺りは再開発が進行中で古い商店と高層マンションが混在している。表通りから狭い参道に入ると風格ある山門が見えてくる。實蔵院だ。小じんまりとした寺だが古色を保ち趣き深い。六地蔵像の前で休んでいらした老婆とひとしきり世間話をして表通りに戻る。道を渡って東川の方向に足を進めると新光寺の竜宮門が見えてくる。ここのサクラも見事だ。お参りを済ませ納経所を訪ねると三十代くらいの僧が境内を案内しながら観音さまについて色々と教えて下さった。

徳蔵寺にしても實蔵院にしても以前から知ってはいたものの参詣にまでは至らなかった場所だ。なにも遠くまで行かなくたって仏を拝し、歴史に触れ、自然を楽しむことのできる場所は地元にもたくさんあるのだと痛感させられた。そんな一日の締めくくりは東川に残る三つ井戸。東国巡錫の折、弘法大師が法力によって開いたという伝承の残る井戸だ。その先には大師堂もある。大師像に手を合わせ色々なことのあった今日の一日を感謝しボクらは家路に着いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.06

テレビあれこれ

4月2日(金)。日テレ金曜ロードショーで映画『天使にラブソングを2』(米国、1994)
を観る。シリーズ前作もそうだったが歌の力、音楽の楽しさを感じさせてくれる作品だ。最近ボクは余り音楽を聴かなくなってきているのだが久しぶりに聴いてみようかなという気にさせられた。

4月3日(土)。NHK古代史ドラマスペシャル『大仏開眼』(前編)を観る。疫病、政争、内乱、未曾有の危機に見舞われた平城京を舞台に、唐から帰還した吉備真備(吉岡秀隆)の苦悩と活躍を描く。吉岡の演技が素晴らしく、殊に藤原仲麻呂(高橋克典)との対決や行基(笈田ヨシ)との出会いのシーンは印象深い。今週末の後編が楽しみだ。

4月4日(日)。NHKアーカイブス『京女三人、桜の下で~記念写真につづられた20年~』(ドキュメントにっぽん、1998)を観る。写真家・新正卓が20年に亘って毎年、桜の下で撮り続けてきた三人の女性の記念写真。その一枚一枚に写し撮られた彼女たちの半生を辿る。記念撮影はその後も続いており今では娘たちや孫たちまでもが加わっているという。派手な脚色を避け淡々と綴るNHKらしい佳品である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.05

シャボン玉

昨日のNHK俳句から。

しやぼん玉ふつとさびしくなりにけり 木原登

この日の句題は「石鹸玉」。年中いつでも見られなくはないが春の季語と言われれば確かに今の季節がよく似合う。雪も消え陽気も暖かくなり、ようやく庭に出られるようになった幼子の小さな口元。その先のストローから次々と吹き上がるシャボン玉。そよ風に散りふわふわと青空へ登ってゆく。そして魔法のように跡形のこさず消えてしまう。「ふつとさびしく」なるのは、その儚さゆえか。或いは成長して巣立っていった子供たちのことが思い出されるからか。

シャボン玉といえば先々週の土曜日のこと、二分咲きほどのサクラの下でシャボン玉を飛ばしている子供を見た。天気は良かったが未だ少し風が冷たく、それでも待ちに待った春の到来にじっとしていられなかったのだろう、石神井池の畔にレジャーシートを敷いて若夫婦と五歳くらいの娘の三人で花見をしていた。明るい日差しが降りそそぎ幸せを絵に描いたような風景だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.03

武蔵野観音めぐり・その2

武蔵野観音めぐり二日目。今日は四番から六番までの三つの札所を巡った。

先ずは保谷の如意輪寺。山門をくぐると正面に弘法大師像があり初老の男性が花を供え手を合わせていた。身なり様子からすると近隣のかたのようだ。本堂を拝し観音堂に向かうと般若心経を唱えている夫婦らしき男女。こちらも巡礼というよりは地域のかたのように見えた。

ひばりが丘で義父と落ち合い東久留米の多聞寺へ。散歩にうってつけの春らしい陽気だったので誘ってみたのだ。寺を包むように咲いている満開のサクラの下を山門に向かう。境内の枝垂れザクラも見事だ。その奥には大きな聖観音像がある。障がい児を連れた母親がサクラに目もくれず一心に手を合わせている。子の行く末を案ずる母の想いが静かに伝わってくる。

最後は清瀬の全龍寺。本堂を拝し納経所に向かうと玄関から女の子が三人とびだしてきた。寺の子であろうか。盆でも正月でも彼岸でもない、この時期に寺を巡っていると普段着の寺の姿に出くわすことがある。少々興ざめに思われることもあるが、いっぽう如意輪寺や多聞寺で見かけたように、地域の日常に溶け込んだ寺の様子に心が動かされることもある。

近代化の更に向こうを、どこへとも知れず、ただひたすら突き進んでゆく今日の社会。それでも寺はやはり存在し続けてゆく、寺の「居場所」はある、と思う。いや、なくしてはならないと思うのだ。人を想い、手を合わせる人がいる限り。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.02

ふらここを揺らして(2)

『新・増殖する俳句歳時記』から。

ふらここを降り正夢を見失う 塩野谷仁

ブランコを揺らしながら反芻していた夢をブランコから降りたとたんに忘れてしまった。ただそれだけと言えばそれだけなのだが、どこか夢幻的な感触が印象深い。どんな夢を見たのか。それが現実のものとなることをどのような気持ちで予感していたのか。恐れか、希望か。中七の夢をただの夢ではなく正夢としたところに想像力を起爆させる重層性が生まれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.01

最後の入学式?

今日は息子の入学式。もっとも大学生ともなると平日でもあるし参列にまでは及ばない。少し離れたところから胸の内でひっそりとエールを送るばかりだ。

入学児に鼻紙折りて持たせけり 杉田久女

『新・増殖する俳句歳時記』から。もはや面影すら見受けられなくなったが我が息子にもそんな日々があった。小学校の入学式。パンジーやチューリップが咲き乱れる庭の花壇の前で記念写真を撮ったのを思いだす。それが最初の入学式。そして今日が最後の入学式となるかもしれない。

■ 追記・2010年4月7日 ■

『ハンディ版・入門歳時記』から。

入学児母を離れて列にあり 松尾静子
入学の吾子人前に押し出だす 石川桂郎

ハラハラしながら見守る母と敢えて背中を押す父。子供に対する姿勢というか、距離の取り方というか、こうして二句ならべてみるとコントラストがはっきりと見て取れ興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »