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2010.06.28

川嶋伸次『監督ー挫折と栄光の箱根駅伝』を読む

川嶋伸次『監督―挫折と栄光の箱根駅伝』(バジリコ、2009)を読む。川嶋は東洋大・陸上競技部をシード外から育て上げ箱根駅伝2連覇の偉業へと導いた学生陸上界屈指の指導者である。しかし公式記録を紐解けば川嶋の経歴に優勝の文字はない。2008年、一般部員のしでかした不祥事の責任を取って川嶋は監督の職を辞した。箱根駅伝本戦を翌月に控えた12月のことだった。しかし東洋大駅伝チームは、出場さえ危ぶまれた、この危機を見事に乗り越え箱根駅伝史に残る活躍を示したのだ。殊に当時まだ1年生だった柏原が5区の山登りで見せた脅威的な力走は記憶に新しい。

この鮮やかな逆転劇を可能にしたのは何か奇跡的な力、例えば指導者の強力なカリスマ性、といったものではない。ごく当たり前で地道なトレーニングとチーム作り、そして川嶋が若者たちに植えつけた前向きな精神、プラス思考であろう。川嶋はこう書いている。

自分にとってプラスに働くものは、いつ何時、どこに転がっているかわからない。あらゆるものに興味を持ち、あらゆるものを感じる力が、自分を育てていく

川嶋にとって長距離走は「決してまぐれがない」スポーツだ。練習で実現できていること以上の成果を得ることはできない。だから「きちんとトレーニングをマネージメントし」「練習で実現できていることを、レースで存分に発揮できる」よう「レース中のセルフマネージメント」を徹底する。その他に成功を収める秘訣はないのだ。一方、長距離走は練習も本番も長丁場だけにハプニングに見舞われることが多い。その度に一喜一憂していたのでは自分をマネージできない。長距離走は全てをプラスに変える貪欲さ、しぶとさが問われるスポーツなのだ。再び川嶋の言葉を引こう。
よかったことは「自信」にし、悪かったことは「経験」にしてほしい

野球賭博に揺れる相撲界、W杯ベスト16に湧くサッカー、どんなスポーツも浮き沈みは避けることが出来ない。その全てを糧に変えて前に進んで行って欲しいと思う。それこそがアスリートに課せられた使命なのだから。

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2010.06.26

武蔵野観音めぐり・その9

観音めぐりを始めてから早いもので3ヶ月が経ち、いよいよ5ヶ寺を残すばかりとなった。軽登山を要する最後の2ヶ寺は秋を待つとしても、その他は真夏の炎暑を迎える前に参詣しておきたい。そう思ってはいたもののエアコンの掃除など夏支度に時間を取られ、とうとう6月も最後の日曜を迎えてしまった。

さて2週間ぶりの旅のスタートは西武秩父線・武蔵横手駅。敷地内にヤギを飼っていることで知られる駅だ。2頭のヤギの旺盛な食欲のおかげで草刈りの手間とコストが省けるそうだ。改札を抜け、前回も歩いた国道299号線を秩父方面に向かうと、ほどなく雨が降り始めた。天気予報では曇ところにより一時雨とのことだったが、奥武蔵方面がちょうどその「ところ」に当たってしまったようだ。

15分ほどで最初の目的地、第29番札所・長念寺に到着。山門をくぐると参道の両脇が色とりどりのアジサイで埋め尽くされている。その美しさから「奥武蔵の紫陽花寺」とも称されているそうだ。参道は観音堂に突き当たるが先に本堂を拝し観音堂に戻った。アジサイのみならず植栽はどれも手入れが行き届いており、樹々のひとつひとつに花の写真入りの説明札が下げられている。

続いて鐘楼に向かう。当寺の梵鐘はハレー彗星が地球に大接近した1986年に奉納されたものだ。それを記念して鐘の上部には彗星を象った文様が入っている。合掌一礼。思い切り力を込めて鐘を突く。想像していたよりも遥かに大きな音だ。文字通り余韻に浸りながら納経所へ。坊守さんの応対も丁重で寺全体が丹念に運営されている印象を持った。

再び国道に戻り西に向かう。相変わらず車の行き来が激しい。騒音と排ガスを避けて高麗川沿いの小道に出てみるが結局もとの国道に戻ってしまう。そうこうするうちに東吾野駅が見えてくる。駅を越え高麗川の支流・虎秀川に沿って坂道を登る。夏にはホタルも見られる清流だそうだが、今日はあいにくの雨に水が濁ってしまっている。

この坂は初心者や家族連れでも歩けるハイキングコースの入り口にあたる。ボクらも昨秋、ここから山村集落のユガテに向かい、エビガ坂を超えて鎌北湖、更に北向き地蔵と五常の滝を巡って武蔵横手に戻るコースを歩いた。息子が小学生だった頃には三人でよく奥武蔵の低山を歩いたものだ。息子の成長につれて、いつしかハイキングシューズに足を入れることすらなくなっていたが、昨年から今度は妻と二人で歩くようになった。

人と自然とが寄り添って生きている、そんな感じのする村里の景色を楽しみながら歩いているうちに第30番札所・福徳寺に到着。境内に入いるとすぐ左手に素朴ながら姿かたちの整った阿弥陀堂がある。中に納められた阿弥陀三尊像も県指定重要文化財だが、このお堂自体が国の重要文化財に指定されている。突当りまで進み本堂に手を合わせ少し戻って阿弥陀堂を拝す。長く無住のこの寺には納経所はない。国道に戻り更に15分ほど西へ。同じ臨済宗の興徳寺で御朱印を頂いた。

次なる目標は第31番札所・法光寺ガイド本によれば吾野駅のすぐ近くのようだが、この雨の中、しかも大型車の行き交う国道を更に一駅も歩く気にはならず東吾野に戻ることにした。途中、かたくりの郷・平栗園にて昼食。ここは飯能市の観光農園で高麗川に面したバーベキュー場もあるが、さすがに雨天決行を決め込んだ猛者は二組しかいない。ボクらは三組目になることなく食堂で大人しくウドン、ソバと磯辺焼き餅を頂いた。附けあわせの葉唐辛子の佃煮を平らげると小皿の底に懐かしい絵が現れた。むかし家で使っていたのと同じ皿だったのだ。結婚したばかりの頃に確か航空公園のフリーマーケットで買ったものだが20余年の月日が流れ一枚残らず消え失せてしまった。

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東吾野から吾野までは一駅、わずか10分足らず。改札を抜け左手を見ると法光寺の屋根が見える。急な坂を下り山門をくぐる。雨にもかかわらず植木の手入れの真っ最中だ。近頃あまり目にしない大きなカタツムリが刈り込みの終わった椿の葉の上に待機している。本堂、観音堂の順に参拝、再び本堂に戻り御朱印を頂く。坊守さんだろうか、応対して下さった年配の女性に奥の院の岩殿観音窟について聞いてみる。

ガイド本によると当寺の裏山の奥には鍾乳洞があり観音さまが祀られているそうだ。1キロほど山道を登ることになるが途中には宝生の滝や弘法の爪書き不動と称される磨崖仏もあって霊場らしい神秘的な趣きに富んでいるという。とは言え、この雨の中、傘をさして登ることが可能なのか、少々心もとない気がして様子を聞いてみたのだ。「ここのところ草刈りをさぼっているから少し歩きにくいかもしれないけど、お若いんだし大丈夫よ」との答え。更にこう言って笑う。「私みたいな、おばあちゃんだって、毎日、朝晩、通ってるんだから」

婦人の言葉に背中を押され観音窟を目指すことにする。踏切りを渡り、見慣れた「武蔵野三十三観音総開帳」の幟に沿って坂道を登る。小さな案内板が指し示す細道に入る。斜度はさほどでもないが濡れた泥道は歩きずらい。周りの草丈も次第に高くなり薮こぎというほどではないにしろ足元を隠し衣服を濡らす。妻も少々疲れた様子だ。引き返そうか、そう思い始めた途端に雨足が少し強くなってきた。「大丈夫? なんなら戻ってもいいよ。」

「そんなに心配だったら待ってるから一人で行ってくれば。」妻の答えは思いがけないものだった。少しいらだっているようにも聞こえた。弱いもの扱いされたと感じたのだろうか。「分かった。一緒に行こう。」

次第に激しさを増す雨と歩きにくい山道に悪戦苦闘させられたものの程なく宝生の滝に到着。特に増水の気配は感じられないが急ぐにこしたことはなさそうだ。爪書き不動に手を合わせ足早に観音窟へ向かう。少し急な坂を登ると突然視界が開け数メートル四方の平らな原が目に入る。その奥の岩壁にへばりつくように建てられた赤いお堂。法光寺・奥の院、岩殿観音窟懺悔堂だ。人一人がようやく通れる狭い戸口をくぐると自動的に照明が点灯し岩窟の全容が見て取れる。

石龕に納められた十一面観音に妻と二人ならんで手を合わせる。自分たちは正に霊場にいるのだという実感がわいてくる。やはり多少の無理は押してでも登る甲斐があった。ボクらは丹念に観音さまを拝し、惜しみながら雨の山道を下った。言葉少なに、しかし何か温かく満ち足りた想いを抱いて。

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2010.06.24

『大法輪』7月号を読む

雑誌『大法輪』7月号を読む。今月の特集は「《死》についての話」。仏教やキリスト教、イスラームなど、世界各地の宗教が死をどのように考えるかを始め、「世界のミイラ」、「メメントモリとは」、「お墓の歴史」、「落語と死」等々、広範な観点から死を取り上げた50余りの「話」が掲載されている。

編集長の交代で誌面の刷新を図っているのか、今月も菅野日彰の「日蓮聖人のことば」とA・スマナサ―ラの「テ―ラワ―ダ仏教の教科書」が最終回を迎えた。いずれも2年に及ぶ長期連載で学ぶところの多いものだった。一方、新たに連載の始まったのが片山一良の「パ―リ仏典にブッダの禅定を学ぶ」と大野芳の「評伝・吉田兼好─徒然草の風景」である。故・立松和平「良寛」小嵐九八郎の「脈脈たる仏道」が終わってしまい、なにか文学系の読み物が欲しいと思っていたところなので兼好法師の評伝に期待が持たれる。

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2010.06.08

川柳川柳『寄席爆笑王ガーコン落語一代』を読む

川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)『寄席爆笑王ガーコン落語一代』(河出文庫、2009)を読む。破天荒な落語家として知られる川柳川柳の半生記。往時の世相や落語界の動向が鮮明に描かれており、波乱万丈の個人史であると同時に庶民の昭和史、戦後落語史としても楽しめる一冊。また通常、寄席でしか聴けない「川柳のヰタ・セクスアリス」や「間男アラカルト」といった艶噺しも収録されている。

この一冊ばかりは、ぜひ寄席で或いはCDででも川柳の落語を聴いてから読んで欲しいと思う。行間から立ち上がる川柳の語り口、歌声とともに読めば二倍も三倍も楽しめるというものだ。

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2010.06.06

武蔵野観音めぐり・その8

先月の半ばから少し長く歩くと右足首が痛むようになった。飯能の札所をまわったとき志らく・談笑二人会を見に行ったときも実は鈍い痛みに悩まされていたのだ。先週は週末のランニングはもちろん、観音めぐりも、毎朝のウォーキングさえ休んで回復を図った。その甲斐あってか、朝のウォーキングくらいは難なくこなせるようになったものの、はたして一日中歩き詰めとなる今日のコースに耐えられるかどうか、ハラハラしながら武蔵野観音めぐり8日目の旅路についた。

今日の予定は日高市内の4つの寺を回るものだ。先ずは西武池袋線で飯能に向かい、秩父線に乗り換えて東飯能。さらにJR八高線に乗り換えて高麗川駅へと進む。曼珠沙華(ヒガンバナ)の群生地で知られる巾着田を始め高麗の郷には何度も足を運んできたが高麗川駅には来たことがなかった。それどころか八高線に乗ったのすら初めてだ。不慣れな手動ドアに戸惑いながら下車。改札を抜けると駅前は幅広の道が伸びて意外なほど開けていた。

トラックの多い大通りを避け住宅街を抜けると次第に畑や雑木林が増えてくる。その一角に小さな御堂があった。近づいてみると回向柱に薬師堂の文字。「奉修記念開帳」と記されてある通り扉の外からではあるが御堂の中を拝観することができる。小さな尊像には花が供えられており今でも地域の方々が大切に供養しているのだと分かる。のどか.な田舎道を更に15分ほど歩くと入定塚が見えてくる。本日の最初の目的地、番外札所・靈巖寺の16世住職・行盛を供養するものだ。行盛は弘法大師を慕って寛政9年8月5日、即身成仏を図ったという。18世紀の末、徳川家斉のもとで寛政の改革を進めた松平定信が失脚した頃のことだ。

ほどなく靈巖寺に到着。山門をくぐると住職であろうか、トレーナー姿の男性が5歳くらいの子供を遊ばせている。こんにちは、と声をかけ本堂に向かった。ご本尊の地蔵菩薩と札所本尊の聖観音菩薩を拝し納経所へ。無人販売所方式ではあるが奉拝録が備えてあり記帳できるようになっている。中を見てみると、やはり西武線沿線からの参拝者が多いが、千葉や神奈川など遠方からみえた方も思いのほか少なくない。

次に向かう聖天院は直線で結べば高麗川を挟んで500メートルほどしか離れていない。しかし最も近い出世橋でさえ蛇行する高麗川に沿って大幅に遠回りをしなければ行き着けない。靈巖寺で頂いた地図を頼りに6月上旬とは思えない暑さに喘ぎながら田舎道を歩く。時おり高麗川から畑を抜けて川風が吹いてくる。なんとも爽やかな涼しい風だ。出世橋を渡りカワセミ街道を南西に下ると程なく高麗神社が見えてくる。いつもなら立ち寄るところだが今日は先を急ぐことにした。

聖天院は朝鮮半島からの渡来人の長を務めた奈良時代の豪族・高麗若光の菩提寺である。若光自身も渡来人の一人で唐・新羅連合軍に滅ぼされた高句麗の王子とされる。そうした由縁を物語るように境内には若光の墓、高麗王廟が祀られ、また本堂の裏手には壇君や広開土王を始めとする朝鮮の伝説的な偉人たちの石像がそびえる。石像群に見守られるように築かれた在日韓民族無縁仏慰霊塔は高さ16メートルにおよび、石塔としては国内最大級だそうだ。在日コリアンの深い鎮魂の想いが伝わってくる。

そろそろ腹ごしらえと思ったが生憎この辺りは飲食店が少ない。諦めて勝音寺へ向かうことにする。カワセミ街道を10分ほど歩いた辺りから川辺に向かう脇道にそれ高岡橋を渡る。河原でバーベキューを楽しむ家族連れや若者のグループが見える。肉を焼く匂いが空腹感を刺激する。ほどなくキリスト教の教会が見えてくる。高麗聖書教会だ。ガイド本によると勝音寺はこの教会のすぐ隣。実際にその場に立つと、あたかも一つの敷地に並存しているかのようにも見える。なんだか不思議な光景だ。

仮本堂を兼ねる観音堂に手を合わせ納経所に向かう。呼鈴を鳴らすが反応がない。留守だ。かといってセルフ方式でもなく、ここで御朱印を頂くことはできない。ガイド本に書いてある通りこの先の師岡さんの家に向かう。兼務の都合で住職が留守がちなため師岡さんに代行を頼んであるのだそうだ。山門をくぐり改めて納経所を振返ると親子と思わしき二人連れの女性が戸口に立ち尽くしている。もしやと思いしばらく様子を見ていたが、何度も呼鈴を押したり引き戸を開けようとしたりしている。戻って声をかけてみると、案の定、代行のことをご存じなく途方に暮れていたそうだ。これも何かのご縁か。師岡さんの家までご一緒させて頂くことにした。

しばらく道なりに歩いているうちに「師岡」と書かれた表札を発見。さっそく玄関に向かい呼鈴を押すと中から初老の男性が出てきた。事情を話すと、それはうちではない、との答え。手馴れた様子に同じ間違いをする人の多いことが察せられたが厭な顔も見せずに別の師岡さんの家を教えてくれる。更に道なりに進むと教わった通り竹林が見えてくる。札所の看板も掲げられている。はじめからこれを目当てにすれば間違えることもなかっただろう。細道に入ると、居間だろうか、開け放した窓から子供の声とおいしそうな昼食の匂いがする。食事中にお邪魔するのも気が引けたが終わるのを待つわけにも行かず玄関先で御朱印を頂戴した。

二人連れとはここで分かれた。二人は来た道を戻ってカワセミ街道へ、ボクらはそのまま栗坪の交差点に向かったのだ。ボクらのお目当ては高麗鍋。商工会を中心とする民間のグループが日高市の新たな名物にと開発、市を挙げて普及に取り組んでいる料理だ。朝鮮半島からの渡来人の居住地だった高麗郷の歴史にちみキムチを使うところに特色がある。以前、妻が友だちと遊びに来た時に食べた高麗鍋担々麺を目指して栗坪の交差点を右折。県道を西武線の高麗駅に向かった。

県道を歩いているうちに右足首が痛くなってくる。ついに来たか。次第につのる痛みをこらえつつ歩くうちに担々麺専門店「花さんしょう」に到着。ようやく念願の高麗鍋担々麺にありついた。辛味の効いた熱々の麺とスープをすする。冷房のお蔭で一旦は退いた汗が再び湧き出してくる。足も痛いし今日はここでギブアップしてビールを呑むか、そんな考えがふと頭をよぎる。いやいや、もうひと頑張り。手ぬぐいで汗を拭いながら一気に貪るようにボクは担々麺を平らげた。

腹ごしらえを済ませ再出発。ほどなく天神橋に差し掛かる。ここで県道は右手から流れてくる高麗川を渡るが、300メートルほど歩いた先の鹿台橋では反対に左手から高麗川が流れてくる。蛇行の著しい高麗川ならではの不思議な風景だ。とはいえ景色に見とれてばかりいるわけにもいかない。足の痛みをなんとかしなければ。つま先を少し開き気味にしたり、地面を蹴り込む強さを若干ゆるめてみたり、あれこれ微調整しながら歩いているうちに驚くほど楽になってきた。何かコツがつかめたような感じだ。きっと気づかぬうちに崩れていた足のフォームというか歩き方がようやく修正できてきたのだろう。これなら行ける。予定通り瀧泉寺に向かうことにした。

県道を久保交差点で右折。国道299号線に入る。高麗川に沿って西武秩父線と並走するこの通りは奥武蔵を抜け秩父から群馬に向かい信州は茅野市にまで至る。途中、正丸トンネルを抜けるが以前は西武鉄道のみがトンネルを通り国道は峠を越えていたそうだ。余談ではあるが、その旧国道は藤原拓海と秋山渉がAE86同士で激しく競い合ったバトルの舞台としてコミック『頭文字D』13巻(しげの秀一、講談社、1998年)にも登場する。だからと言う訳でもないだろうが大型トラックに混じって疾走してゆくスポーツタイプの車が目立つ。時おり昭和時代の旧車に遭遇することもありちょっと嬉しい。だが、もっと嬉しかったのは青空を渡る猛禽類の鳥影を目にしたことだ。恐らくトビであろうが近ごろは里山もカラスばかりが幅を利かしトビすら見かけることが少なくなった。

話はすっかり脱線してしまったが足の方はしっかり国道を辿り、無事、瀧泉寺に到着。ご本尊の千手観音が納められた本堂に手を合わせ本日の巡礼を終えた。帰りは更に国道を進み、ひと駅先の武蔵横手から乗車。車窓の人となった。次回はこの武蔵横手から吾野へ向かう旅になる。が、はたして梅雨入り前に結願を果たせるか否か、少々心許なくなってきた。

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2010.06.04

『大法輪』6月号を読む

雑誌『大法輪』6月号読了。今月号の特集は「奈良―行きたいお寺と知りたい教え」。平城遷都1300年祭に湧く奈良は日本の仏教史にとっても極めて重要な地である。仏教伝来から近現代にいたる歴史や奈良仏教の代表的寺院と教義、ゆかりの深い人物や庶民信仰などが紹介されている。

特集以外の記事では、自分の智慧に欺かれないようになることが禅にも武にも共通する至極の道であるとする吉田叡禮師の「禅から武道へのアドバイス」や、戒は能く万徳の門を開くと説く松浦俊昭師の「戒を生活に活かそう」が心に残った。また自殺志願者への支援活動に取り組む篠原鋭一の「自殺志願者駆け込み寺から」にも大いに考えさせられた。

6月号で連載を終了した記事がいくつかある。いずれも毎号たのしみにしていたものだが、中でも、数々の仏者の求道の人生を描いてきた小嵐九八郎の読みきり小説「脈脈たる仏道」シリーズが終わってしまったのは寂しい限りだ。

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