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2010.06.06

武蔵野観音めぐり・その8

先月の半ばから少し長く歩くと右足首が痛むようになった。飯能の札所をまわったとき志らく・談笑二人会を見に行ったときも実は鈍い痛みに悩まされていたのだ。先週は週末のランニングはもちろん、観音めぐりも、毎朝のウォーキングさえ休んで回復を図った。その甲斐あってか、朝のウォーキングくらいは難なくこなせるようになったものの、はたして一日中歩き詰めとなる今日のコースに耐えられるかどうか、ハラハラしながら武蔵野観音めぐり8日目の旅路についた。

今日の予定は日高市内の4つの寺を回るものだ。先ずは西武池袋線で飯能に向かい、秩父線に乗り換えて東飯能。さらにJR八高線に乗り換えて高麗川駅へと進む。曼珠沙華(ヒガンバナ)の群生地で知られる巾着田を始め高麗の郷には何度も足を運んできたが高麗川駅には来たことがなかった。それどころか八高線に乗ったのすら初めてだ。不慣れな手動ドアに戸惑いながら下車。改札を抜けると駅前は幅広の道が伸びて意外なほど開けていた。

トラックの多い大通りを避け住宅街を抜けると次第に畑や雑木林が増えてくる。その一角に小さな御堂があった。近づいてみると回向柱に薬師堂の文字。「奉修記念開帳」と記されてある通り扉の外からではあるが御堂の中を拝観することができる。小さな尊像には花が供えられており今でも地域の方々が大切に供養しているのだと分かる。のどか.な田舎道を更に15分ほど歩くと入定塚が見えてくる。本日の最初の目的地、番外札所・靈巖寺の16世住職・行盛を供養するものだ。行盛は弘法大師を慕って寛政9年8月5日、即身成仏を図ったという。18世紀の末、徳川家斉のもとで寛政の改革を進めた松平定信が失脚した頃のことだ。

ほどなく靈巖寺に到着。山門をくぐると住職であろうか、トレーナー姿の男性が5歳くらいの子供を遊ばせている。こんにちは、と声をかけ本堂に向かった。ご本尊の地蔵菩薩と札所本尊の聖観音菩薩を拝し納経所へ。無人販売所方式ではあるが奉拝録が備えてあり記帳できるようになっている。中を見てみると、やはり西武線沿線からの参拝者が多いが、千葉や神奈川など遠方からみえた方も思いのほか少なくない。

次に向かう聖天院は直線で結べば高麗川を挟んで500メートルほどしか離れていない。しかし最も近い出世橋でさえ蛇行する高麗川に沿って大幅に遠回りをしなければ行き着けない。靈巖寺で頂いた地図を頼りに6月上旬とは思えない暑さに喘ぎながら田舎道を歩く。時おり高麗川から畑を抜けて川風が吹いてくる。なんとも爽やかな涼しい風だ。出世橋を渡りカワセミ街道を南西に下ると程なく高麗神社が見えてくる。いつもなら立ち寄るところだが今日は先を急ぐことにした。

聖天院は朝鮮半島からの渡来人の長を務めた奈良時代の豪族・高麗若光の菩提寺である。若光自身も渡来人の一人で唐・新羅連合軍に滅ぼされた高句麗の王子とされる。そうした由縁を物語るように境内には若光の墓、高麗王廟が祀られ、また本堂の裏手には壇君や広開土王を始めとする朝鮮の伝説的な偉人たちの石像がそびえる。石像群に見守られるように築かれた在日韓民族無縁仏慰霊塔は高さ16メートルにおよび、石塔としては国内最大級だそうだ。在日コリアンの深い鎮魂の想いが伝わってくる。

そろそろ腹ごしらえと思ったが生憎この辺りは飲食店が少ない。諦めて勝音寺へ向かうことにする。カワセミ街道を10分ほど歩いた辺りから川辺に向かう脇道にそれ高岡橋を渡る。河原でバーベキューを楽しむ家族連れや若者のグループが見える。肉を焼く匂いが空腹感を刺激する。ほどなくキリスト教の教会が見えてくる。高麗聖書教会だ。ガイド本によると勝音寺はこの教会のすぐ隣。実際にその場に立つと、あたかも一つの敷地に並存しているかのようにも見える。なんだか不思議な光景だ。

仮本堂を兼ねる観音堂に手を合わせ納経所に向かう。呼鈴を鳴らすが反応がない。留守だ。かといってセルフ方式でもなく、ここで御朱印を頂くことはできない。ガイド本に書いてある通りこの先の師岡さんの家に向かう。兼務の都合で住職が留守がちなため師岡さんに代行を頼んであるのだそうだ。山門をくぐり改めて納経所を振返ると親子と思わしき二人連れの女性が戸口に立ち尽くしている。もしやと思いしばらく様子を見ていたが、何度も呼鈴を押したり引き戸を開けようとしたりしている。戻って声をかけてみると、案の定、代行のことをご存じなく途方に暮れていたそうだ。これも何かのご縁か。師岡さんの家までご一緒させて頂くことにした。

しばらく道なりに歩いているうちに「師岡」と書かれた表札を発見。さっそく玄関に向かい呼鈴を押すと中から初老の男性が出てきた。事情を話すと、それはうちではない、との答え。手馴れた様子に同じ間違いをする人の多いことが察せられたが厭な顔も見せずに別の師岡さんの家を教えてくれる。更に道なりに進むと教わった通り竹林が見えてくる。札所の看板も掲げられている。はじめからこれを目当てにすれば間違えることもなかっただろう。細道に入ると、居間だろうか、開け放した窓から子供の声とおいしそうな昼食の匂いがする。食事中にお邪魔するのも気が引けたが終わるのを待つわけにも行かず玄関先で御朱印を頂戴した。

二人連れとはここで分かれた。二人は来た道を戻ってカワセミ街道へ、ボクらはそのまま栗坪の交差点に向かったのだ。ボクらのお目当ては高麗鍋。商工会を中心とする民間のグループが日高市の新たな名物にと開発、市を挙げて普及に取り組んでいる料理だ。朝鮮半島からの渡来人の居住地だった高麗郷の歴史にちみキムチを使うところに特色がある。以前、妻が友だちと遊びに来た時に食べた高麗鍋担々麺を目指して栗坪の交差点を右折。県道を西武線の高麗駅に向かった。

県道を歩いているうちに右足首が痛くなってくる。ついに来たか。次第につのる痛みをこらえつつ歩くうちに担々麺専門店「花さんしょう」に到着。ようやく念願の高麗鍋担々麺にありついた。辛味の効いた熱々の麺とスープをすする。冷房のお蔭で一旦は退いた汗が再び湧き出してくる。足も痛いし今日はここでギブアップしてビールを呑むか、そんな考えがふと頭をよぎる。いやいや、もうひと頑張り。手ぬぐいで汗を拭いながら一気に貪るようにボクは担々麺を平らげた。

腹ごしらえを済ませ再出発。ほどなく天神橋に差し掛かる。ここで県道は右手から流れてくる高麗川を渡るが、300メートルほど歩いた先の鹿台橋では反対に左手から高麗川が流れてくる。蛇行の著しい高麗川ならではの不思議な風景だ。とはいえ景色に見とれてばかりいるわけにもいかない。足の痛みをなんとかしなければ。つま先を少し開き気味にしたり、地面を蹴り込む強さを若干ゆるめてみたり、あれこれ微調整しながら歩いているうちに驚くほど楽になってきた。何かコツがつかめたような感じだ。きっと気づかぬうちに崩れていた足のフォームというか歩き方がようやく修正できてきたのだろう。これなら行ける。予定通り瀧泉寺に向かうことにした。

県道を久保交差点で右折。国道299号線に入る。高麗川に沿って西武秩父線と並走するこの通りは奥武蔵を抜け秩父から群馬に向かい信州は茅野市にまで至る。途中、正丸トンネルを抜けるが以前は西武鉄道のみがトンネルを通り国道は峠を越えていたそうだ。余談ではあるが、その旧国道は藤原拓海と秋山渉がAE86同士で激しく競い合ったバトルの舞台としてコミック『頭文字D』13巻(しげの秀一、講談社、1998年)にも登場する。だからと言う訳でもないだろうが大型トラックに混じって疾走してゆくスポーツタイプの車が目立つ。時おり昭和時代の旧車に遭遇することもありちょっと嬉しい。だが、もっと嬉しかったのは青空を渡る猛禽類の鳥影を目にしたことだ。恐らくトビであろうが近ごろは里山もカラスばかりが幅を利かしトビすら見かけることが少なくなった。

話はすっかり脱線してしまったが足の方はしっかり国道を辿り、無事、瀧泉寺に到着。ご本尊の千手観音が納められた本堂に手を合わせ本日の巡礼を終えた。帰りは更に国道を進み、ひと駅先の武蔵横手から乗車。車窓の人となった。次回はこの武蔵横手から吾野へ向かう旅になる。が、はたして梅雨入り前に結願を果たせるか否か、少々心許なくなってきた。

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