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2011.03.28

城山三郎『そうか、もう君はいないのか』を読む

昨日のことだ。書斎の整理を兼ねて古本を整理することにした。読みもせずに積んである本を処分し幾らかでも銭になれば震災の義援金にあてる。本も死蔵するよりは読みたい人の手元に届けたほうが役立つだろう。狭い書斎も少しは広くなるし、それより何より気分が晴れてせいせいしそうだ。何年分も山積みになっていた『現代詩手帖』『ランナーズ』といった雑誌のバックナンバーを中心に約150冊を古書店に運び込んだ。査定が終わったら声をかけてくれると言うので、あちこち店内を物色していたところ、どうにも気になる一冊に出くわす。城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮社、2008)だ。「今日は一冊も買わない」と決めて家を出たのだが、あっさり意を曲げレジに向かう。もちろん売却代金には手をつけなかったが妙な感じがした。

さて一夜あけて早速、通勤の伴に供す。故・城山三郎が遺した妻・容子に関する回想メモを次女の井上紀子がまとめた本作は、学生時代の出会いから容子の死による別れまでの50年に及ぶ日々を淡々と綴り、そのために却って城山の愛惜の念が切なく伝わってくる。晩年の城山の様子を描いた井上による後書き「父が遺してくれたもの」も父母への愛情にあふれ感動を深くしてくれる。そして何とも秀逸なタイトル。この一冊を手に取らずにはいられないものとさせたばかりか、読み終えて再びタイトルに目をやれば城山の嘆息が生々しく感じられる。久しぶりに一行力を実感させられた。

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