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2011.03.24

『かもめのジョナサン』を読む

3月24日。リチャード・バック『かもめのジョナサン』五木寛之・訳、新潮文庫、1977)を読む。20年、いや30年ぶりだろうか。こんな時に何故と、自分でも思う。むしろ、こんな時だからこそ読みたくなったのかもしれない。とどのつまりは現実逃避か……。

さて久しぶりに再読してみて思ったこと。今や街には小さなジョナサンたちがあふれているように見える。喰うためにアクセクするより大切なことがあるーーその確信に程度の差こそあれ、小ジョナサンたちはDSやPSP、ケイタイの小さな画面に向かい、或いは10キロ、20キロ、30キロ……、100キロをも走破し、又はただの数字を利益と称して積み上げる、使い切れぬ程うず高く。

かつてボクもジョナサンの側に立って、この本を読んだものだ。当時のボクにとっては書くことが飛ぶことであり、ポエジーこそがスピードであった。意外にも今回はジョナサンを追放した長老の側から読むことを得た。喰うことに一所懸命な者にとってジョナサンは極めて身勝手な邪魔な存在である。そういう苛立ちに共感を覚えたのだ。

それにしても、なぜ、と改めて思う。地震、津波、そして原発。それでもボクらはジョナサンの側に立つことが出来るのか。立つべきなのか。それとも長老や家族、そして仲間たちと身を寄せ合って不安な夜をやり過ごすべきのか……。もっとも、そんな問いすら現実逃避のように思える、今日この頃ではある。

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