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2011.05.23

ティク・ナット・ハン『微笑みを生きる』を読む

ティク・ナット・ハン『微笑みを生きる―「気づき」の瞑想と実践』(春秋社、1995)を読む。市の図書館にリクエストした同氏の著作3冊の内の2冊目だ。10日ほど前に読んだ『仏の教え ビーイング・ピース――ほほえみが人を生かす』 (中公文庫、1999)に比べると、呼吸の仕方など、更に一歩、具体的な方法論に踏み込んでいる印象を持つ。また詩情を感じさせる文章も多く。特にボクは「木の葉のように私たちにもたくさんの茎がある」という3ページほどのエピソードにティク・ナット・ハンの詩人としての本領を垣間見る思いがした。あらゆる生命が互いに、また地球との間に、切り離すことのできない互恵的な関係を持つことを柔らかく美しい言葉で語っている。

ところで今日は支援金シネマダイアローグ4回目『地球交響曲第四番』が放映される。19時より国分寺いずみホールにて。

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2011.05.16

植物の生命力に驚く

妻の誕生日に小さな花束を買いリビングに飾ったのが約1ヶ月前。何かが枯れるたびに庭のスズランやシランなどと入れ替えながら楽しんできたが、ふと気がつくと花束の遺物はもはやアイビーしか残っていない。もしやと思い花瓶から出してみると、案の定、切り口の上の節から細い根が出ている。よく見れば葉の根元から新しい芽が伸びて、そこだけ緑が若々しい。映画『地球交響曲第一番』に紹介された野澤重雄氏のトマトの巨木ほどではないが植物の生命力にはつくづく驚かされる。

ところで支援金シネマダイアローグ第2回『地球交響曲第二番』は5月24日(火)19時より国分寺いずみホールにて。

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2011.05.15

植物にも心はある

ゴーヤの葉が萎れてしまった。苗に添え木をあてた時に葉柄を傷つけてしまったのだ。2枚しかない本葉の一方を傷めては苗自体がもたないかもしれないとヤキモキしたが、なんとか今日まで光合成を続け、3枚目、4枚目の本葉を育ててくれた。そして、ようやく3枚目の本葉が開いた今朝、傷ついた葉は安心したかのように萎れてしまったのだ。

こうした見方は擬人化し過ぎかもしれない。恐らくは新しい葉に栄養を持ってゆかれたため枯れてしまったのだろう。だが、だからこそ、そこに英知のようなものを感じる。映画『地球交響曲第一番』で1粒のタネから1万以上ものトマトを実らせた野澤重雄氏が植物にも心があるとおっしゃっていたのを思い出す。

ところで支援金シネマダイアローグ第2回『地球交響曲第二番』は5月24日(火)19時より国分寺いずみホールにて。

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ようやく何かがふっきれた

約2ヶ月ぶりのRUN。震災以来なんとなく躊躇する気持ちがあって走りそこねてきたのだが、ようやく何かがふっきれた気がする。これも映画『地球交響曲第一番』を観たおかげだろうか。

ところで支援金シネマダイアローグ第2回『地球交響曲第二番』は5月24日(火)19時より国分寺いずみホールにて。

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2011.05.14

映画『地球交響曲第一番』を観る

龍村仁監督の映画『地球交響曲第一番(1992、日)』を観る。ラブロック博士のガイア理論に触発された龍村監督が20年に亘って撮り続けてきたオムニバス形式のドキュメンタリー『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』シリーズの最初の作品だ。2005年に第五番を観てから第三番、第七番、と観てきたボクにとっては、ようやく原点に立たせてもらったような心地である(と同時に何故か奇数制覇!)

さて『交響曲第一番』の出演者は、ハイポニカ(水気耕栽培)を発明した植物学者・野澤重雄、アポロ9号を月面に導いた元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート、世界で初めて8000メートル級全峰登頂を成し遂げた登山家のラインホルト・メスナー、亡夫・デビッドとともに密猟と戦い、親を亡くした動物の保護施設を運営してきたダフニー・シェルドリック、自然崇拝を特徴とするケルトの世界観をケルトの言葉で歌うエンヤ、ケルト芸術文化研究の第一人者・鶴岡真弓の6名だ。いずれも心に残る言葉とエピソードを示してくれたが、ボクには特に野澤さんが育てた1万個の実のなるトマトの巨木が印象的だった。

ところで支援金シネマダイアローグ第2回『地球交響曲第二番』は5月24日(火)19時より国分寺いずみホールにて。

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2011.05.13

支援金シネマダイアローグ

― 『地球交響曲』全7作品を一挙上映! ―

久しぶりにオフィス・カレイドからメールが届いた。さっそく拝見したところ、東日本大地震被災者支援のためのチャリティー映画会を開催するとのこと。上映作品は龍村仁『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』全7作品。入場料は各会なんと500円である(予約の場合)。

『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』はラブロック博士のガイア理論に触発された龍村監督が20年に亘って撮り続けているオムニバス形式のドキュメンタリー映画。自然の猛威を思い知らされた上、巨大技術を代表する原子力利用の脆さ、危うさに直面させられた今日、自然と人との交感を描いた、この作品に触れることには大きな意味があるだろう。

最後にオフィス・カレイドについても少々触れたい。クリスタルボール奏者でもある代表・山本浩司(山本コヲジ)氏は「自分らしさ」を軸にドキュメンタリー映画の上映など様々な活動を繰り広げている。その姿はカレイドスコープのように柔軟で変幻自在でありながら、しかし強い信念、こだわりも感じさせるものだ。

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2011.05.12

ティク・ナット・ハン『仏の教え ビーイング・ピース』を読む

ティク・ナット・ハン『仏の教え ビーイング・ピース――ほほえみが人を生かす』 (中公文庫、1999)を読む。雑誌『大法輪』1月号2月号)に掲載されていた「今を生きる、ともに生きる」というエッセイを読んで、この人のことがもっと知りたくなり取りあえず市の図書館に所蔵されていた3冊すべてリクエストした。その一冊目がようやく手元に届いたのだ。

ティク・ナット・ハンはベトナム出身の禅僧で「社会参画仏教」(engaged buddhism)の創始者とされる。ベトナム戦争中、仏教徒として社会運動に取り組む一方、非暴力・中立の立場から戦争の早期終結を訴え、キング牧師からノーベル平和賞に推挙されたそうだ。しかし反戦勢力の弾圧を目論む南北いずれの政府からも国を追われ亡命。今もフランスを拠点に活動しベトナム帰国を果たせずにいるという。

ティク・ナット・ハンは、誰もが取り組めるよう工夫された、意識的呼吸と微笑を中心とする瞑想法により心の平安を取り戻し、その安らかさを周りの人に、更には社会全体、世界全体に広げてゆくことで平和を確立しようと語る。平易で分かりやすく文章にも「ほほえみ」があふれているようだ。

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2011.05.08

二代目・広沢虎造『忠治・赤城落ち』を聴く

二代目・広沢虎造『忠治・赤城落ち』(テイチク、1997)を聴く。落語ブームと言われるようになってから既に何年か経った。しかし同じ古典的大衆芸能でありながら浪曲や講談は依然、お笑いほどには光が当たらないままだ。残念なことである。

さて二代目・虎造といえば『清水次郎長伝』シリーズが有名だが今日は敢えて国定忠治を選んでみた。恩義のある叔父を殺すよう命じられ苦悩する浅太郎。その慄きを察しながらも毅然と振舞い、最後まで甥の身を案じ続けた勘助。そして突然に父親を奪われた、いとけない勘太郎。『忠治・赤城落ち』は不条理な命運にみまわれた人間の姿をリアルに描いたボクのお気に入りなのだ。

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2011.05.07

屋根の上どころか、雲の上です

某ハウスメーカーのリフォーム相談会へ行く。太陽光発電施設の後付けプランを紹介してくれるというので聞いてみることにしたのだ。ソーラーパネルで屋根を埋めつくしパワーコンディショナーなどの関連機器を設置するのに必要な投資を、国・県・市の補助金、自家使用により節約できる電気代、そして余剰電力の売電収入で回収するには何年かかるか。実は数年前にも別の業者に試算してもらったことがあるのだが、今回、提示された見積りもほぼ同じ約25年という結果であった。

地球環境などというと口はばったいが、いざというときの備えのためにも太陽光発電を設置したい。だが率直に言って、まだまだ初期投資が過大で(少なくともボクにとっては)、なかなか手が届かない。まして余剰電力の買取り価格がコロっと変わるようでは(実際、この春、48円/キロワット時から42円/キロワット時に引き下げられた)、回収の見込みも絵にかいた餅となりかねない。どうにか普通の市民がもう少し手軽に自然エネルギーを利用できるような制度、仕組みはないものかと思う。

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2011.05.06

狩野一信『五百羅漢図』を観る

両国は江戸東京博物館に行く。お目当ては特別展『五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信』。半年ほど前だったか、NHKのハイビジョン特集で『秘宝公開 驚異の仏画 五百羅漢図』を見て以来、待ちに待ちに待ちに待った全百幅総開陳だ。3月5日の再々放送は見逃したものの、一信と五百羅漢を特集した『芸術新潮』5月号で予習も万端。しかし実物は予想を遥かに超える迫力だ。大きな画幅を埋め尽くす奇想天外な情景、鮮やかな色彩、そして偏執狂的な程に緻密な筆線。日本画、仏画のイメージをあっさりと覆してくれる。

なお本展は東日本大震災の影響により会期が3/15~5/29から4/29~7/3に変更されているので要注意。ただし変更前に購入された前売り券も有効とのことだ。

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2011.05.05

淵の森さんぽ

久しぶりに妻と二人散歩。秋津駅に程近い淵の森まで歩く。

むかし息子が通った小学校の通学路を抜け、畑の間を縫うように進むと、やがて西武池袋線沿いに伸びる雑木林に出る。上安松まで続く木陰の道。所沢に住んで15年になるが、こんなに静かな場所が身近にあるとは知らなかった。

林を抜けると左右に住宅街が広がる突当りを左に折れ再び線路沿いの道へ。ほどなく緑地が見えてくる。淵の森だ。実はこちらも初訪問だが、宮崎駿が映画『となりのトトロ』の構想を練った地とされ、また近隣住民の草の根活動が行政を動かしたモデルケースとしても有名なのだそうだ。

大人の背丈ほどもあるハナウドの花を左右に見ながら林の中に入いる。足元にはニリンソウが咲き、頭上からはシジュウカラやヒヨドリの声が降る。森の南端は蛇行する柳瀬川の淵に面しており、自転車で乗り付けた子供たちが浅瀬で遊んでいる。まるで1960年代にでも逆戻りしたかのようだ。

せっかくのゴールデンウィークも何となく忙しなく落ち着かない気持ちが抜けないが、しばし身近な自然に身を委ねリラックスすることができた。

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2011.05.03

7時間、笑いつづけ

久しぶりに寄席に行く。浅草演芸ホールだ。昼席を口あけから6時間すっかり平らげた上、夕立に降りこめられたせいもあって、夜の部も1時間ほど居続けた。

昼席は、川柳川柳橘家圓蔵鈴々舎馬風など、プログラムに名前を見ただけでウキウキさせられるベテラン勢が元気なところを見せ嬉しかった。ショックだったのは、あした順子が一人で出演していたこと。相方のひろしは病気療養中だそうだで、順子はうまく前座をイジって爆笑を誘い、芸歴半世紀を上回る貫禄を見せつけたが、ぜひ再び二人で舞台に立ってほしいものだ。

一方、大きな名前を継いだ林家三平や林家木久蔵が例によって先代(=父親)をしつこくネタにしたのには、こればっかりでもなぁ、と思わせられたが、もっとも三遊亭小円歌もいつものように師匠・圓歌で笑いを稼ぎ、またトリを務めた林家木久扇も得意の「林家彦六伝」を演じたことからすると、実は「昭和」礼讃が本席の主任を務めた木久扇の狙いであったのかもしれない。

夜の部は我が隣町・東村山出身の柳亭こみちを始めボクのお気に入りが続く。いったんはホールを出ようとしたものの諦めきれず、激しい雨が降り出したのを口実に居続けることにした。脱力感が魅力と自称する柳家喜多八(でも噺に入ると意外に疾走感があると思う)、これこそ寄席でしか見られない寄席芸の極みぺぺ桜井(ギター漫談)、と1時間ほど楽しんだところで、いつまでもキリがないと妻に諭され渋々ながら帰ることにした。本当は昭和のいる・こいるも見たかったのだけど、だいぶ腹も減っていたし笑い疲れも出始めて、その辺りがちょうど頃合いだったかもしれない。

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飛べなくなった人

iPhoneのロック画面を石田徹也の「飛べなくなった人」に変更。いつからかボクはずっとこんな感じなのだ。飛べなくなったことに戸惑いながら生きている。無様な翼(?)を広げたまま。

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