突然だが,なこさんのブログ「なころぐ」にトラーックバーック!である.まぁ,そんなにリキむ必要もないのだろうが,どうも不慣れなせいか,トラックバックはちょっと緊張する.その辺が克服できないとブログはBBSほど普及しないのではないか.ブログ者たちよ,どんどんトラックバックしようや.
さて本題に戻る.@niftyのブログ「ココログ」は,トラックバックの普及を図るためであろう,「トラックバック野郎」なる企画を展開している.要は「トラックバック野郎」さまがお題を示し,これに応えるトラックバックを募集するというものだ.「なころぐ」は「ザ☆座右の銘」というお題で最優秀賞を獲得された.
あなたが空しく生きた今日は、
昨日死んでいった者が、
あれほど生きたいと願った明日。
-カシコギ(韓国の小説)より
周りの風景が、ちょっと違って見える様になる一言。
(「あなたが空しく生きた今日は」全文)
「あなたが空しく生きた今日は……」は確かに「いい言葉」だ.端的でわかり易く,人を感動させる力がある.このような素晴らしい言葉にめぐり合わせてくれた,なこさんに感謝である.
ところで,先日,引用した鮎川の詩句はどうか.
たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。
(「死んだ男」より)
戦死した友人「M」.生きていれば,こんなこともしたかっただろう,あんなこともしたかっただろう.「M」の無念を想うと,その分までしっかりと生きて,成すべきことを成し遂げなければならない.この詩句にはそのような想念が表現されているのだろう.「あなたが空しく生きた今日は……」とちょっと似ている.
しかし似ているのだけれど,ずっと分かり難いし,なんだかゴツゴツしていて,すんなりとは入ってこない.それでも「遺言執行人」と書かずにはいられないのが詩人なのだと思う.そう書かないと彼の思ったことを本当に語ったことにはならない.いや,そう書いて始めて自分が何を経験しつつあるのかが分かる.詩人とは,詩とは,そういうものなのだと思う.
だが勘違いしてはいけない.「あなたが空しく生きた今日は……」という言葉が「遺言執行人が、ぼんやりと……」より詩的でないとか、ましては劣っているということではない.ただ,それは,そのとき鮎川が経験したこととは違う,というだけだ.
敗戦の混乱も未だおさまらない1947年,鮎川は「死んだ男」を発表した.そこに示された死者への想い,そして自分たちは「荒地」に立っているという自覚と,「荒地」を拓いてゆかなければという使命感.これらは広く詩人たちの共感を呼び,「死んだ男」は戦後詩の出発点となった.
いま私たちが立っているのはどのような場所なのか.私たちはどこに向かって出発しようとしているのか.
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