2007.11.17

ボクらは明日に間に合うのか

11月2日、ダグラス・スミスの『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(平凡社)を読む。普段から漠然と感じていた不安・危機感と自己欺瞞・閉塞感とをズバリ言い当てられたような気がした。このまま経済発展を追及していては、地球環境が持たないし、貧困や格差の問題もより複雑により深刻になるばかりだ。しかし分かってはいるものの具体的な行動がとれない。長時間労働と大量消費とで経済発展を支え、破滅への航路を進む船をこぎ続ける毎日だ。

スミスは言う。ボクらをこの船に縛りつけているのは経済発展という神話、国家という神話、そして、これほどまでに働き消費しなければ幸せになれないという幻想だ。環境破壊がいよいよ深刻になったとき、ボクらはこうした神話・幻想からいやおうなく目覚めさせられる。現実に直面させられる。問題はボクらの目覚めが間に合うのか、手遅れとなってしまうのか、だ。

20世紀の最後の年に予言された目覚めの日をボクらはまだ迎えていないようだ。臨界点は一体どこにあるのか、いつまでなら間に合うのか。今日の延長線上には破滅しかないとしたら、ボクらは別の明日に間に合うことが出来るのだろうか……。

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2006.04.12

「グラウンド・ゼロ」にたちすくむ

4月6日。辺見庸と坂本龍一の対談『反定義』(朝日文庫)読了。アメリカはグローバリズムの名の下で世界を資源国、労働国、生産国、消費国へと分断、階層化し、そうした体制を暴力によって支配、維持しようとしているのではないか、と語った坂本の言葉が頭から離れない。そうしたグローバリズムに対して、辺見と坂本は、表現活動を通じて、それも反戦や反アメリカといった単純なメッセージを語るのではなく、政治的、国家的なものに回収されることのない、人間の複雑さの地平にまで届くに想像力、神話的な創造力に触れることによって対抗してゆくと語る。しかし、果たして、それは本当に有効な手段なのだろうか。もし有効だとしても、芸術を生業とするわけではない我々一般市民は、どのように生き、どのようにグローバリズムに抗していったらよいのか。

この二人といっしょに、私たちも、勇気をもって、思想と言説の「グラウンド・ゼロ」にたちすくんでみなければならない。

中沢新一による解説の最後の一行だ。辺見と坂本は一見、声高に語っているようだが、実は我々と同様にたちすくんでいる。彼らは、そこから一歩踏み出すために、人間という原点、個という原点へと立ち帰ろうとしているのだろう。もはや何ものにも倚りかかることのできない時代の立脚点として……。

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2006.02.01

命を使う

2月1日。先日、読んだ島泰三の『安田講堂1968-196』から印象に残った言葉を書き写しておく。

志と言うことができるのは、己の義を志として確立し、それに命をかける決意をした者だけだ。己の義とは何か? 祖先に向かって恥じず、子孫に伝えて恥じないと言える己の生き様ではないか。

ここのところずっと使命ということについて考えていた。それは昨年の11月、faceさんのブログ『な~んちゃって通信』にコメントしたところ、こんな返事をもらったのがきっかけだ。
自分には自分の使命のある場所が
あるんだなとは思いますけど…。
     (「『自由の女神』と『結(ゆい)』」より)

自分は「自分の使命のある場所」にいない。ボクはそのような思いがしてならないのだ。そのためか島の言葉がひどくまぶしく感じられる。
三島由紀夫はまがまがしい暗黒が迫るなかでの、栄光に満ちた死を求めていた。しかし、栄光は彼がその著作のなかで繰り返して夢想したような「ある日、天が開いて天使のラッパとともに輝く光の帯が」降りてくるというようなものではない。栄光は、この日常のただなかにある。

日々の暮らしの中で義を貫き、志を果たした者のみが「栄光」に浴することができるということだろうか。いまのボクには「栄光」は余りに遠く余りにまばゆい。
生きている間には、義を貫かなくてはならないときがあるが、そのときを得ることは、誰にもあることではない。そのときに出あえることは、むしろ幸運なのだ。

そのような「幸運」をボクはつかみ得たのか、つかみ得なかったのか。ボクが恐れるのは、つかんだはずの「幸運」をみすみす手放してしまったのではないか、ということだ。もはや既に……。

最後に安田講堂に書かれた数々の落書きの中でも最も有名な、あの言葉を引いておこう。

連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして倒れることを辞さないが
力尽くさずして挫けることを拒否する

思えば「使命」は「命を使う」とも読める。ボクも未だ終わるわけにはいかないのだ。この命は未だ燃え尽きていないのだから。

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2004.09.12

9.11,そのとき私たちは(4)

私も含めて13人の「9.11」を見てきました.
読んでくださった皆さんはどのようにお感じになられたでしょうか.

あの日の衝撃の大きさ.
それ以来,世界が変わってしまったこと.
直接に被害をこうむったわけではない私たちの人生にも
「9.11」は確実に影をおとしているということ.
私はあの日に感じた恐怖と不安を新たにせざるを得ませんでした.

でも,それだけではない.
誰もが希望と願いを失わずに生きていることに感動しました.
それからBLOGってすごい,と思った.
この素晴らしい道具を正しく大切に使っていきたい.
私たちの人生のために.

最後にTakashi@videoから.

黙祷・・・

私もその祈りに加わります.

トラックバックして下さった,くぼたか。さん,るかさん,ありがとうございました.
それから勝手に引用&トラックバックさせて頂いた皆さまに,ごめんなさい&感謝.
もちろん,この単純な思いつきにつき合って読んで下さった皆さまにも感謝.
そして,もしも「9.11」で大事な人,大事なものを失くした方が
これらの記事を読んで心の痛みをかきたてられるように思われたとしたら……
申し訳ないことですが私にはお詫びの言葉も償う術もありません.
ただ,私たちも「9.11」をいつまでも忘れない,ということだけは信じて下さい.

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9.11,そのとき私たちは(3)

白夜の夢から.

そんなプレイに飽きて、テレビに映像を切り替えると、
青白い空にそびえる高いビルからあがる煙、
動揺を隠せない力のこもったキャスターの声、
先刻のゲームの非現実の世界よりも非現実的な光景、
しかしこれが現実であったのです。
私は見た瞬間に「こういう方法を用いるのか・・」と感じました。

確かに,こんなことまでするのか,って思いましたね.
ロシアの学校占拠事件の時もそう思った.おいおい学校だぜって.

オーベルジュ あかだまのシェフ日記から.

その時、仕事場のTVで飛行機の二機め三機目が
ビルに突っ込んでいる瞬間の映像を何が起こったのかわからないまま見ていました。
人が写っていないので、特撮の映画を見ているようでした。
  ……中略……
もうひとつこの日は、妻の親父の10年目の命日です。

あの年は21世紀の最初の年でもありましたね.
私たちの大事な時間を,そんなことで汚さないで欲しい.

Let's Run With こうめから.

2001年9月11日、数人で会食中に友人の携帯電話にその知らせが入った。びっくりして、食事もそこそこに家に帰ってテレビをつけると、そこには信じられない風景が映っていた。大好きなニューヨークが大変なことになっていた
  ……中略……
今年のニューヨークシティマラソンは大統領選挙の直後でもあるし、この時期にアメリカに渡るのは少々気持ちが重たい部分もあるけれど、せめて平和のメッセージを持って走ってこようと思っている。

がんばってきて下さいね.
きっとどこかに,きっとなにかに,つながると思うから.

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9.11,そのとき私たちは(2)

晴れのち曇りから.

その日、私はハワイにいました。
何が起こったのか、把握するまでかなり時間がかかりました。
テレビ画面に移された、まるで映画のワンシーンのような、現実・・・。
そして帰国するまでの、混乱と不安。
  ……中略……
願わくば、世界平和と地球全土の安らかな毎日を。
日本人が夏に戦争の悲惨さを想うように、世界中のひとたちが今日という日に平和を話し合えるように。
今日から何かが変わりますように。

私も祈ります.まだ信じているから…….

ファニィ フェイスから

その日は部屋にひとりでした。
アメリカから嘘みたいなLive映像が流れていました。
只事じゃない事態を察して、出張先の同居人にメールをしました。
「ニュース見た?」と送信したら、
「目的は何だ?」と戻ってきたと思います。
眠れずにTVの前で不安な夜を過ごしたのを覚えています。

おひとりでしたか,心細かったでしょうねぇ.
私も不安でした.これから何が起きるんだろう,どうなってしまうんだろうって.

新・東京お買い物blogミラーから.

 私は当日、ヨーロッパ路線をフライト中だった。
 乗客に配慮してか、機内では一切説明はなく、成田に戻ってきてから事の重大さを初めて知った。知らぬが仏とはこのことだ。

う~む,飛行機の中であの事件を知ったら,そりゃたまんないですよねぇ.

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9.11,そのとき私たちは(1)

るかさんからもトラックバックを頂きました.感謝です.

あの日、ちょうどNYにすむ従姉妹と電話で話をしていた。お互いTVをみながら話していると、2機目がタワーに突っ込んでいく画像が流れた。日本とNY、同時に見ていた私達は、一瞬、何が起こったのか分からなかった。

当時,従姉妹は妊娠中だったとのこと.さぞや,ご心配だったでしょうね.

その年の11月に姪っ子が生まれたが、9.11が来るたびに姪っ子の成長を思うと同時に、テロ活動に対して深い悲しみを感じている。

子供の成長は嬉しいことのはずなのに…….

ココログナビで「9.11」を検索してみると,結構,ヒットしますね.

白湯さん(2度目のご登場)のお友達Mさんの場合.

ちなみにMはヨルダンでテロの日を迎えたそうで。連合赤軍の仕業だ、という情報だったんだって。そしてヨルダンの人は大喜びしていたらしい。反米感情がすごいんだなー(怒涛の3連続更新、最後は飲み話より)

連合赤軍はいまでもヒーローなんですか…….
私もサウジで仕事をしたことがあるので,その雰囲気はなんとなく想像できます.

夜長の考察から.CNNでご覧になられていたそうです.

直後、2機目の機体が残ったツインタワーの片割れに激突した。
その時の映像は衝撃だった。
1機目も激突したのは理解していたが、中継は激突後に始まったものだ。
リアルタイムにその瞬間を見た時の衝撃は、これまでの人生で最も大きなものだったかもしれない。(9.11より)

ほんとに衝撃的でした.
夜長の考察さん(お名前がわからないので……)も書いていらっしゃる通り
それでいて非現実的な感じもあった.
実は私には,美しい,とも感じられた.
あの恐ろしい凄惨な風景が,なぜか美しいと…….

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9.11,そしてイラク

くぼたか。さんからトラックバックを頂きました.ありがとう.

深夜のTVをザッピングしてたら、
でっかいビルに、でっかいジェット機が突っ込んでいた。
ちょうど1機目の。

いつものようにテレビを見ていたら……,ですね.
みんな,そうだよなぁ.
日常から突然,「9.11」的世界に引きずり込まれてしまった.

テロは許せないが、
戦争も許せない。
(とくに日本の)、過去の過ちを生かせないのは、もっと許せない。

私も許せない.
テロも戦争も,戦争を止められなかった私自身も.
私は息子に戦争を見せるために父になったのではない.
だが,戦争を止めることは出来なかった.

私は,くぼたか。さんにも謝らなくてはならないのかもしれない.
どうも……すみません……,でも……
くぼたか。さん,決して私を許さないで下さいね.
私も私を許さないから…….

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2004.09.11

9.11,そのとき私は

いつものようにココログの新着をチェック.
白湯さんのGinger Buiscuitに「9.11」というタイトルの書き込みがあった.

3年前の9月11日、私はイギリスにいてテロのニュースをクラスメイトから知らされた。

あの事件をどこでどのように知りどのように受けとめたのか
余り人と話したことがなかったような気がする.
そしてそのことには意味があるように思われ少し悔やまれる.

悔やまれる? いまからでも遅くないじゃないか.

私にとって9月11日は「9.11」である以上に結婚記念日だ.
3年前のその日も私たちは家族3人で食事に出かけた.
もう忘れてしまったが,妻には何かささやかな贈物をしたはずだ.
2時間ほど楽しんだ後,帰宅.
いつものように慌しく風呂に入り,息子をベッドへ.
茶を入れテレビのスイッチを入れた直後あの映像が眼に飛び込んできた.
私は世界の終わりの始まりであるように感じ恐れおののいた.
しかしその恐ろしい映像から目を話すことが出来ず
妻と私はいつまでも無言でテレビを見ていた.
あれから3度目の結婚記念日を迎えた.
もちろん今でも「9.11」とこの日とを切り離すことが出来ない.
私たちの結婚記念日は永遠に血で染められてしまったのだ.

あなたの「9.11」が知りたい.
もし良かったらここにトラックバックか,コメントしてもらえないだろうか.
(トラックバックのやり方はここを参照)


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