2008.05.08

トラさんとの再会

4月19日、久しぶりに巣鴨のトラさんに会う。この日は急な仕事で珍しく休日出勤。いつもより1時間ほど遅く家を出た。例によって池袋から西巣鴨への道を歩いていると何とトラさんがいるではないか。昨年10月にお見かけして以来、6ヶ月ぶりのことである。

「お久しぶり」と声をかけるとトラさんも覚えてくれていたらしく「久しぶりだねぇ」と返してくれる。義母のことがあったばかりでもあり、お元気な姿を見られたのが嬉しくてボクは思わずトラさんと握手してしまった。しばし路上で近況を語り合っていたが、いつものようにズボンのポケットを探ると、「今日はガム終わっちゃったんだよねぇ、お茶でも買ってあげようか」とトラさん。「大丈夫、喉渇いてないから」と応えたが相変わらずの気前のよさである。

驚かされたのはトラさんが携帯電話を持っていたこと。「ちょっと見てよ」と建物の影に誘われ、なにかと思ったら、トラさんは携帯電話を取り出し親指で器用に操作すると、3歳くらいの女の子の写真を見せてくれた。「姪っ子なんだよ、かわいいでしょう」と自慢げな笑顔。トラさんの楽しそうな表情を見ているとこちらも楽しくなってくる。そういう人なのだ、トラさんは。今日も元気に頑張ろう、そんな気にさせてくれるのである。

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2007.10.31

トラさん、みーっけ

10月17日。久しぶりに巣鴨のトラさんを見かけた。道を挟んで向こう側を歩いてらっしゃったので声をかけることもできなかったが元気そうなご様子で安心した。また面白い話を聞かせてもらいたいものだ。

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2007.10.25

なんとなく甘酸っぱい想い

10月6日。息子が通う高校の文化祭に妻と二人で行ってみた。どこもそうだというわけでもないのだろうが、自分の知っている限り概ね男子校は文化祭が盛大で体育祭は盛り上がらない。文化祭は女の子と出会うチャンスだが体育祭は野郎ばかりで張りきる動機がない、というわけだ。ボクが通っていた高校もそうだったし、息子のほうも例に漏れずのようである。ましてイマドキの文化祭、ボクらのころよりも遥かに華やかに、遥かに軽薄に(偏見かな?)、ボーイ・ミーツ・ガールな雰囲気があふれている。

校門で光沢紙にフルカラー印刷の贅沢なつくりのパンフレットをもらい、音楽系のクラブの発表を中心に回ることにした。吹奏楽、合唱、古典ギター、軽音楽、それぞれ技量の差はあるものの、一所懸命さが伝わってきて楽しかった。そのほかには地学部や生物部、美術部の展示を回ったが、来客こそ少なく閑散としているもののなかなか本格的な内容であった。気になったのは文芸部の展示が見当たらなかったこと。活動していないのか、存在すらないのか、ボクらのころとは世の中ずいぶん変わってしまったようだ。

息子が所属するコンピューター研究部の展示には近づくことすら禁止されており観ることができなかった。後で聞いた話ではOBが数人来てくれて、マックのハンバーガーをなんと100個も差し入れしてくれたそうだ。山と積まれたハンバーガーを部員一同ですっかり平らげたと言うのだから、男子高校生の食欲、恐るべしである。

男子校の文化祭。自分の青春時代が思い出され、また息子もそのような歳になったのだと実感させられ、なんとなく甘酸っぱい思いがした。息子よ、音楽にコン研、アニメもよいが、ボーイ・ミーツ・ガールのほうもほどほどにはがんばっておけ……。

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2007.10.17

天道虫

9月24日。駅前のデパートが改装されたからと妻に誘われるまま出かけてみる。通い慣れた駅までの道を並んで歩いていると、ふと道端のナナホシテントウに気づく。赤く丸い体に、やはり丸い黒斑が七つ。なんとなく愛嬌があり親しみが持てる。子供の頃はどこにでもいたけど近頃は余り見かけなくなったね――、そんなことを話しながら通り過ぎる。

デパートについたボクらは1階から最上階までひと通り見てまわり、たまたま開催されていた全国うまいもの展で夕飯用の惣菜とロールケーキを買って家路についた。休憩所が増えたとか、照明が明るくなったとか、他愛のないことを話しながら歩いていると、足元にナナホシテントウがいる。指先でつまみ上げ手のひらに乗せてみたが動かない。出かけたときにはチョロチョロと道を這っていたが力尽きてしまったようだ。

ナナホシテントウは出かけたときとは道の反対側にいた。恐らく飛ぶ力も残っていなかったのだろう、それでもこの二時間ほどの間に幅二メートル近いこの道を這い渡ったようだ。よく歩ききったものだな――、ボクはそっと道端の草陰にてんとう虫をおいた。そして何ごともなかったかのように歩き出す。通い慣れた道、休日の遅い午後、西に傾きかけた陽の光を浴び、相変わらず他愛のない話をしながら。

しかしボクの胸のうちには不安めいた問いがうずまいていたのだ。ボクらはいつまでこうして歩いてゆけるのだろうか、忍び寄る老いのいよいよ極まったときにボクらはあの天道虫のように歩ききることができるだろうか……。

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2007.09.25

巣鴨のトラさんのこと

もうすぐ10月だというのに、いつまでも夏の思い出にひたっているのもどうかと思うが、もう一つだけ書いておきたいことがある。それは巣鴨のトラさんのことだ。

初めてトラさんと出会ったのは7月30日のこと。いつもの朝のウォーキング、池袋から三田線の西巣鴨駅を目指して明治通りを歩いていたところ、「元気に歩いてるねぇ」と声をかけられた。ゴマ塩頭に黒縁メガネ、少々腰は曲がっているものの壮健そうなおじいさんだ。そのまま立ち去るのも悪いし、特に先を急いでいるわけでもないので「いやぁ、おとうさんこそお元気そうじゃないですか」と応えた。するとおじいさんは「それがねぇ、火事で6階から落ちたものだから指が曲がっちゃって……。」と靴を脱いで足先を見せた。確かに親指が内側に曲がっている。

そこからおじいさんの身の上話が始まった。「ボクはねぇ、大正14年生まれの83歳。それにしちゃぁ元気でしょ? むかしボクシングをやってたからね。白井義男って知ってる? おんなじバンタム級だったの。今でも時々ワタナベジムに行ってるん。」おじいさんはコブシを作りジャブをして見せる。なるほど素人とは思えない速さだ。ことにコブシを引き戻し体勢を整える仕草がプロっぽい。

「ここで会って話ができたのも何かの縁だから……」とおじいさんはズボンのポケットを探り、ミンティアを2~3個とり出すと、そのうちの1つを差し出す。「おとうさん、いいよ、いいよ」と断ったが、「お話しできたのが嬉しかったから、とっておいてよ」と言う。余り断るのも却って悪いからと受取ると、「じゃぁ、また会ったらお話ししましょう」と名残惜しそうに去っていった。

それから2~3日は毎朝、同じ道でおじいさんに会った。その度に一頻り立ち話をしてミンティアやガムをもらう。「火事のせいでこっちに越してきてからは一人暮らしだから、人と話をするのが楽しくてねぇ。だから色んな人にガムをあげるの。お返しとか持ってきてくれる人もいるけど絶対に受取らない。人にもらってもらうのが嬉しいんだから」

8月7日。二回に分けた夏休みの第一弾が終わって久しぶりに明治通りを歩いたがおじいさんには会えなかった。翌日もおじいさんの姿はなく猛暑で体調を崩されたかと心配したが9日にお会いすることができた。「しばらく会わなかったけどお元気ですか? 夏バテなんかしてない?」と声をかけると、「大丈夫、大丈夫」と明るい声で返事が返ってきた。そしていつものように立ち話。

「まだお話してなかったかなぁ。ボクはねぇ、渥美清さんの運転手をやってたの。17年。ボクシングをやめた後、金馬の弟子になって鈴本に出してもらってたときにね、渥美さんが時々来てて、声かけてくれたん。偲ぶ会にも呼んでもらったし今でも時々お墓参りに行ってるの。」

ここまで話すとおじいさんは「四谷赤坂麹町、ちょろちょろ流れるお茶の水……」とフーテンの寅さんのテキ屋口上を始める。よどみなく流暢な口上は、さすが元・噺家、聞いていて飽きない。「山田洋二さんにもよくしてもらってねぇ、映画に出ないかって誘われたこともあるん。なまけもののトラさんって役はどうかって。『なまけもの』なんてねぇ、ぼくはやだよって断っちゃった。そんな役やったら仲間や親戚から何を言われるか分かんないもんねぇ。」

という訳でボクはひそかにおじいさんのことを巣鴨のトラさんと呼ぶようになったのだが、実はそれ以来、トラさんとゆっくり話をしたことがない。翌週の17日には信号待ちをしていたトラさんをみかけ声をかけたが、すぐに信号が変わってしまったため、ほんの1~2分しか話すことができなかった。ここ1ヶ月ときたら姿を見かけることさえない。ご高齢なので体調を崩されたのではと気にもかかるし、トラさんの元気な声を聞かない朝はなんとなく物足りなく寂しい。

トラさん、またお会いしましょう。ボクはいつものように歩いていますから……。

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2007.08.15

いのちの色

7月25日。庭の草取りをしていたときのことだ。ふと顔を上げると1メートルほど先にハチが飛んでいることに気づいた。あちこち飛び回るわけではなく、ひとところに浮遊している。気のせいかこちらを警戒しているようにも見える。もしやと思い、ハチが浮かんでいる、その下の辺りを見てみると、案の定、伏せてあった大きなバケツのふちにトックリを逆さにしたような形の巣がはりついている。直径5センチほどあろうか、けっこう大きな巣だ。このまま放置しておいては家族が刺されたりして危ないのではないか、ボクは意を決して巣を撤去することにした。

幸運なことに手元には蚊取り線香がある。攻撃してこないか様子を伺いながら静かにハチに近づく。警告を発しているような黄色と黒の体色、見るからに獰猛そうな顔立ち。おじけづく気持ちを抑え線香をハチの下に置く。立ち上る白い煙にしばらくは耐えるように旋回していたが、さすがに蚊取り線香にはかなわなかったのだろう、ハチはとうとうどこかに飛び去ってしまった。戻ってこないうちにとボクは手元にあった園芸用のシャベルの先で巣を剥がし取り、地面に落ちた巣を突き崩した。すると中から鮮やかな緑色のアオムシが5~6匹あらわれた。まだ生きて動いている。その下には、ハチの卵であろうか、ほのかに黄色く、ねっとりとした感じの丸いものが隠されていた。ボクは見てはいけないものを見てしまったような心持ちがして、慌ててレジ袋に巣とアオムシと卵とをすくい取り、むしり取ったままにしておいた雑草で覆った。そしてレジ袋の口を固く結んだ。

そのまま草取りを続けているとハチが帰ってきた。蚊取り線香を頼りに身を潜めて観察していると、ハチは巣のあった辺りをしばらくは去り難そうに漂っていたが、とうとう諦めたのか、ひときわ高く空へと飛び去った。そんなハチの姿を見ているうちに虫たちの命を奪ってしまったことを悔やむ気持ちが湧き上がってきた。ハチの卵を殺し、その卵を育むはずだったアオムシの生命を無為に奪い、生命の連鎖を次代に繋ごうとしたハチの営みを無に帰してしまった。そのようなことをする権利、資格がボクのどこにあるというのか。その必要性すらなかったのではないか。目を閉じると黄と黒のハチの体色やアオムシの鮮やかな緑、生々しい卵の薄黄色が思い出される。それだけではない。雑草の葉と茎、根と土の色、ハチが飛び立っていった空の青、強烈な太陽の光……激しく押し寄せてくる濃密な「いのちの色」に取り囲まれて、ボクはただひとり、おろおろとうろたえるばかりだった。

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2007.07.19

今日も嫌な夢を見た

7月10日。今日も嫌な夢を見た。それも2つも。寝苦しい夜が続いているせいだろうか……。

デパートの屋上らしき家族連れでにぎわう場所で、ボクは一人、外の景色を眺めている。そのうちにふと周囲のフェンスが低いことが気になり始める。これではちょっとしたことでも人が落ちかねない。しばらく様子を伺っていると、2歳くらいの女の子を抱っこした父親に近くでふざけていた若者がぶつかる。その拍子に女の子は父親の手を離れフェンスの向こうに放り出される。しゃがみこんで頭を抱える父。不安が的中してしまったボクはなすすべもなく呆然と立ち尽くす……。

そんな悪夢にうなされるようにして目が覚めた。枕もとの時計を見ると午前3時。台所に向かい湯呑みに麦茶を注ぎ一気に飲み干す。トイレによって寝床に戻るがなかなか寝付けない。気分を変えようとiPodで音楽を聴いているうちにいつの間にか眠りに落ちている。

今度の夢の中ではボクは中学1年生くらい、父母に連れられて祭り見物にきている。街を挙げてのイベントでボクらはもう半日ほど歩き続けている。雑踏に疲れたのか、同じような景色が続く町並みに飽きてしまったのか、父の足取りは重く遅れがちである。母はそんな父の様子が気に入らないらしくとうとう口論が始まる。険悪な雰囲気の中、とりあえず図書館でひと休み。祭りのメイン会場に向かうのは諦めて駅に戻ることにする。図書館の自動ドアを抜けると誰かがついてくる気配。ふと振り返ると閉じたままのガラス扉を通り抜けて大きなキリンの形の風船のような妖精(?)がついてくる。こんなものを連れて帰ったらますます母の機嫌が悪くなる。でも勝手についてくるものを自分の意思ではどうにもできない……。

午前5時45分。いつもの目覚ましの音。2つの夢の嫌な気分が交じり合ったまま残ってる。それでも今日を始めないわけにはいかない。

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2007.07.11

嫌な夢をみた

7月9日。嫌な夢を見た。大学時代の友人K君の葬儀の夢だ。K君は当時、新左翼系団体と関係のあるサークルに所属していたが、そのためだろうか、夢の中でK君はセクト間の内ゲバで殺された。そのサークルの先輩X氏(名前が思い出せない)が礼装?の白いヘルメット姿で葬儀を取しきり、アジテーションまがいの挨拶をしていたのがなんとも切なかった。

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2006.10.04

秋の大運動会

10月1日。秋の大運動会。運動会といっても息子の通う学校の話ではない。当地は今どき珍しく町内会の運動会があるのだ。今年は輪番制で回ってくる役員を務めているためボクも手伝いに駆り出された。担当は用具係。朝8時、小学校のグランドに集合。体育館やら用具倉庫やらから、マットにボール、跳び箱、玉入れ籠、などなどをグランドに運び出す。そのうちに軽トラックがやってくる。消防団の倉庫にしまってあった機材や買い物競争に使う地場産の野菜などを運んできたのだ。これらも荷台から降ろしグランドに運び込む。

全員総出の開会式、準備体操が終るのを待って、最初の競技、玉入れの用意。籠を設置し玉を散らばせ、籠下に待機。スタートの合図と共に参加者が玉を投げ入れる。用具係は頭に背中にこぼれ玉を受けながら、じっと籠の支柱を支えていなければならない。終了の合図、支柱を持ち上げ、籠に玉が入らないようにする。落ち着いたのを見計らって今度はゆっくり支柱を傾け、審判の、ひとつ、ふたつ……、の掛け声に合わせ高々と玉を投げ上げる。玉入れが終ると急いで籠と玉を片付け、今度はパン食い競争の準備。そんなことを繰り返しているうちにあっという間に一日が過ぎた。なによりきつかったのは80個の風船を膨らますこと。空気入れもなく一人5個から10個くらいづつ息で膨らませた。ようやく終わったと思うと膨らませた風船が一つ二つと割れてゆく。クラクラする頭を振りながら、ふたたび風船に息を吹き込む。

途中から降り始めた雨による急なプログラムの変更もあり、なにしろドタバタ、大忙しの一日だったが、町内会で用意してくれたおむすびとビールはなんとも言えずうまかった。普段は言葉を交わすこともまれだが、ご近所一同、一緒に体を動かして汗を流すことで心がつながり笑顔が広がる。時代遅れのように思われがちな、町内会の行事ごとだが、実は地域づくりを通じて、教育や福祉、防犯、防災などにも役立っているのかもしれない。

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2006.09.08

あぁベレットGTR!

9月7日。ベレットGTRを見る。夜9時頃のこと、いつものように職場最寄り駅から一駅先まで歩いているとき、交差点で青信号を待っているベレットGTRを見かけた。1969年発売。その名の通り弾丸を思わす流線型のボディに1600ccのツインカムを搭載した名車。この交差点では何度かフェラーリのお姿と音を楽しませてもらったことがあり、ポルシェやディアブロを見かけたこともあったが、まさか現役のベレットに出会えるとは。旧車好きとしては思いもかけない恩寵である。とはいえ信号待ちの間の数分間のできごと、ボクはしばし足を止め、走り去る後姿を見送った。末永く現役で走っていて欲しい一台だ。

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2006.09.01

夏休みの思い出から(2)

8月14日。久しぶりに義父母の家を訪ねる。夏休みの間に一度は一緒に食事をと誘われたのだ。友達と遊ぶ約束があるという息子は後から合流することとし、早速、妻と二人、ひばりが丘に赴いた。

ひとしきり茶のみ話に興じていたところ義父が大事な話があると切り出した。なんのことかと思うと将来の遺産相続の話だ。となり近所の年寄りが突然に亡くなったり入院したり認知症を患ったりする様子を見ていると、元気なうちに話しておかなければと思ったそうだ。ひとは誰でもいずれは命を失うものであるが、しかし、そのことを忘れて日々を過ごしているのもひとである。この義父ともいずれは、いや義母も実の両親も妻や息子とも……、別れの日は避けることが出来ない。その事実を突然に突きつけられた思いがした。義父母も寂しげな様子ではあったが大事な話が出来て安心したとも言われた。老境を過ごすうちに心の準備も整ってゆくものなのだろうか……。

煮物、漬物を肴に焼酎を酌み交わすうちに息子がやってきた。回転すしの銚子丸に行き、ここでも冷酒をさしあう。いずれ別れが避けられないのであれば、せめて今宵は和やかに笑って過ごそう。そんなことを思いながら寿司をつまんでいるうちに夏の日もすっかり暮れていった。

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2006.03.13

美しく生きる

3月7日。久しぶりに屋形船に乗る。勤め先の先輩が母親の介護のため退職されることになり送別の宴をはった。海から見る東京は光に満ち美しい。しかし、その光の下で人は美しく暮らすことができているのだろうか。いくら見た目に小洒落た生活をしていても人として美しく生きていることにはならない。安定した職を捨て、地位を捨て、母の世話をしながら畑を耕す暮らしを選んだ人をボクは美しいと思う。

3月11日。庭の水仙が咲く。長い冬の後、いち早く土を割って満面の笑顔のような花を咲かす。人の暮らしもこのように咲くことができれば美しいのに……。

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2005.11.10

おとなはこれを愛というのさ、なんちゃって

11月9日。未明、尿意を催し目が覚める。いつものことだ。枕元の時計を見ると4時半。判で押したように毎朝この時間である。

隣で眠っている妻を起こさないよう静かに床を離れトイレに立った。やけどしないようにね――妻の声。起こしてしまったかと思ったが寝言だ。寝言に答えてはいけないとよく言われるが、大丈夫だよ、と咄嗟に声が出てしまった。うん、よかった――再び妻の声。そして静かな寝息。

ほんのささやかな出来事だが、長年、互いに思いやり、気遣い合ってきたことの証左のように思われ、胸にぽっと火のともったような暖かい気持ちになった。

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2005.10.28

雨中痩猫の記

10月27日。朝、雨中、仔猫の鳴く声を聞く。頼りなげな声だ。切なく思われたが、とは言えどこから聞こえるとも知れず、まして通勤途上のこと、どうにもしようがない。

3週間ほど前のことであろうか、雨に降り込められ、一日中、家で過ごした休日、仔猫が頻りに鳴くのを聞いた。いぶかしく思われカーテンの隙間からそっと覗くと軒下に三毛の幼猫が身をひそめていた。野良の生まれが親とはぐれたか、それとも飼い猫が迷いいでたか、痩せ細った姿が哀れを誘う。ミルクでもくれようかと思ったが、味をしめて居すわられても厄介かと、思案しているうちに声がやんだ。

あるいは朝の仔猫はこの三毛であったか。あれからずっと心細く迷い続けていたのだろうか。思い返せば矮猫亭のささやかな庭に似つかわしい痩せ猫、今度、家にきたら、その時こそ……、そんなことを思いながら会社に向かった。

帰宅後、夕餉の折、妻に朝の仔猫のことを話すと、想いがけず仔猫の消息が分かった。昼間、5~6匹の仔猫を連れた親猫が近所の路地を歩いていた。その隊列の一番うしろに、ひときわ小さな仔猫。路地のあれこれが気にかかるらしく、立ち止まったり、いたずらしたりしているうちに、隊列から遅れ、はぐれてしまいそうになる。その度に仔猫は情けない声で親を呼ぶ。この猫が三毛であり、どう見ても雨の日の猫だと言うのだ。

迷ってばかりのチビ猫に何となく我が身の来し方が重なる。お互い無事に生き残れればと、妙な連帯感と共に、安寧を願うばかりである。

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2005.10.08

キンモクセイ

10月8日。駅に向かう道。甘く爽やかに鼻をくすぐる匂いに気づく。足許ばかり見ていた顔を上げると金木犀の花が満開である。毎朝、毎夕、仕事の行き帰りに歩いている道だが、この香りに気づいたのは今日が初めてだ。なにか大事なものを見失っている、と教えられたような気がする。

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2005.09.13

ウォーターボーイズには会えなかったけれど

日曜日のことだ。川越高校くすのき祭に行ってきた。高校とはどんなところか、息子(中二)に少しずつ興味を持ってもらいたいと思ってのことだ。しかし、いざ行ってみると生徒たちのイキイキとした姿が爽やかで、むしろボクと妻の方が楽しんでいたかもしれない。

元祖ウォーターボーイズ・男子シンクロはさすがに人気が高く、ふらりと立ち寄ったボクらが入場できるような状況ではなかったが、それ以外の展示・催事は高校の文化祭らしい混み具合。美術部の作品展、軽音楽部のバンド演奏、応援団の演技、物理部のロボット・コンテスト(vs 浦和高校・春日部高校)、郷土部や地学部のポスター発表などなどを観覧した。

で、驚いたことに且つ残念なことに、なんと文芸部の展示がなかった。きっと部誌を売っているはずだから何冊か買ってやろう、そう思っていたのに。いまの男子高校生には文学は不人気なのだろうか……。

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2005.09.07

9.11、そのときあなたは

今年も「9.11」が近づいてきた。しかし衆院選挙の投票日と重なってしまったためか、あの日のことを回顧し未来への教訓を得ようとする動きは殆ど見られない。あのできごとはまだまだ語りつくされていないはずなのに……。

昨年の「9.11」、ボクはこのブログでつぶやいてみた。

あなたの「9.11」が知りたい.
もし良かったらここにトラックバックか,コメントしてもらえないだろうか.

その結果、思いがけずボクは12人の「9.11」に接することが出来た。「カテゴリー」の「9.11」にまとめられているので、是非、ご覧頂きたい。そして、あの出来事の意味をもう一度考えてみて欲しい。衆院選、誰に投票するのかも、その上で決めるべきだと思うのだ。

「9.11」を決して忘れないために、あの日、あなたがどこでどのように過ごしていたか、教えて頂けないだろうか。トラックバック or コメントをお待ちする。

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2005.03.30

やはり調和が大切ですね

愛・地球博。さつきとメイの家が評判のようですね。昨日は、この二人のお母さんが入院していた七国山病院に行ってきました。もちろん正確にはそのモデルとなった病院、八国山の新山手病院です。持病の顎関節症が悪化して余り口が開かなくなってしまい、3週間前から口腔外科に通っているのです。週に一度、会社を半休して……、いまに席がなくなりそう、はは。

でも、もしかすると、生意気なことばかり言ってきたからバチがあたったのかもしれない。これ以上、大口がたたけないように。それこそ席がなくなる前に、会社から、家庭から、仲間から……。

昨日は親知らずを抜いてもらいました。一本だけ残っていた親知らず。これが伸びて噛み合わせをおかしくしていたらしいのです。時には突出することも必要ですが、やはり、そればかりではいけない。調和が大切なのですね。

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2005.03.26

笑う花たち

ボクのうちのささやかな庭
ハリネズミはこないけど
三毛ネコがよく来る
で、用を足して去ってゆく
でも、おかげで土が肥えたのか
花がよく咲く、よく笑う

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2004.12.14

もはや生理として

ここではすっかりおなじみのfaceさんの『な~んちゃって通信』にトラックバックである。

僕にも愛する日本の風景や土地はたくさんあるが、「国」「祖国」という言葉にはどうしてもいかがわしい、そして哀しいイメージがつきまとう。だから僕もホイットマンのように祖国を歌うことはできない。(face「祖国を歌えない」より)

僕もこの国の風土を愛している。思春期には憎しみの対象でさえであった、この国の風土を。だが、いや、だからこそ、僕には歌えない歌がある。サーキットでも野球場でも、息子の卒業式や入学式でさえ、僕には歌うことができなかった。それは思想的にというよりも、もっと素朴に良心として、いや、もはや生理として。

思いだすことがある。僕の父はサンマの塩焼きが食べられない。胃が弱く油ものを避けていた父のことだから特に不思議にも思っていなかったのだが、ある夜、ふと、その理由をもらしたことがあった。

それは父がまだ高校生だった頃のこと、学校の講堂で原爆の記録映画が上映されたそうだ。初めて見た被爆直後の映像に父は大変ショックを受けたという。その夜、食卓にのぼったのがサンマだった。夕餉のおかずを見るなり、一面の焼け野原と化したヒロシマ、まっ黒に炭化した遺体、あるいは力なく横たわる被爆者の焼けただれた皮膚、そうしたイメージが次々と思いだされ、焼けこげたサンマに重なり、父は夕飯を食べることが出来なかった。それ以来、父はサンマが食べられなくなってしまった。

僕には歌えない歌がある、父に食べられない魚があるように。

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2004.12.04

金曜日のすごい人たち

昨日は3人もすごい人に出会った。

まずは昼下がりの山手線の中。2歳くらいの女の子が若い母親のひざに抱かれている。「えーん、えーん」と女の子。「泣きまねしてるのは誰かなぁ」と母。「ミキちゃん!」(仮称)と女の子が元気に小さな手を上げる。

この遊びがよほど気に入ったのか、女の子は何度も何度も繰り返す。その内にバリエーションが出てきて

えーん、えーん、にゃーにゃー。
泣きまねしてるのはネコちゃん?
あたりー。

もーもーウシさん、けろけろカエルさん、ぴょんぴょんウサギさん、おっと、さかなさんまで泣きまねをする。

えーん、えーん…………。
今度はだーれ?
よーん!

女の子は親指を曲げた手を勢いよく突き上げる。おどろいた。数字の4の泣きまね。なんという発想だろう。

続いては会社帰りの西武線。疲れた身体を座席に押しこみ文庫本を読んでいたらパラリと栞が落ちてしまった。立ち上がって拾うにも前に立っている人の迷惑になる。もともと本についていた、どうということもない栞だし、とあきらめることにした。

ふと気づくと「次は所沢」のアナウンス。どうやら、すっかり眠っていたようだ。本をかばんにしまい立ち上がろうとすると、前に立っていた20歳くらいの青年が栞を差し出す。その絶妙なタイミング、押しつけがましさのない自然な振舞い、さわやかな笑顔。まいった。その歳でそのような気遣いができるとは、なんというできた男だ。

最後は誰もが知っている倉本総さんがすごい。就寝前のメールチェックがてらfaceさんのブログ『な~んちゃって通信』を覗いてみたら倉本さんは「ただものではない」との記事。どんな風にただものでないかは是非そちらでお確かめを。

それにしてもこういうすごい人たちに出会うと自分はまだまだだと思い知らされる。負けたとか、自分はダメだとか、そういう苦い感じではなく、さわやかな心地がする。

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2004.11.07

庭木にヤモリ!

所沢に住んでいると
庭の掃除をしているだけで
ニホンヤモリ(多分)に出会えたりする。
ほどほどに田舎な町なのだ、ここは。
そんなところが大好きなのだ。

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2004.08.03

八月が転がっている

今朝のことである.

通勤途上の池袋駅.
数メートル前を行く女の足元から何やら得体の知れないものが転がりだした.
女は一瞥をくれただけで何ごともなかったかのように去っていった.
あれはいったい何だったのだろう.
通りすぎざまに目をやると仰向けに転がった蝉の死骸.

八月.
まだ夏の盛りではあるが,そこには既に終焉も孕まれている.

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2004.07.22

朝の日課

通勤の途中,巣鴨から西巣鴨まで歩く.約15分.
つい先週まではこれが日課だったのだが……
今週から更に距離を伸ばし池袋から西巣鴨まで歩くことにした.
池袋で西武線から山手線に乗換え巣鴨まで行って……
ってなことしてるうちに歩き出せば
同じ時間で西巣鴨まで行けるのではと思ったのだ.
試してみたら,案の定,却って早く西巣鴨に着くくらいだ.
これで出社時間を変えずに10分余計に歩くことができる.

思いがけない副産物.
発見! 池袋のはずれには安くてよさそうな居酒屋,立飲みが何軒も.

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