2013.04.16

3月のありがとう(ツィートまとめ)

3(日)、(久しぶりに)今日のありがとう。後藤泰成師に感謝。ポッドキャスト「高野山の時間」で不断桜の教えを頂戴しました http://www.radionikkei.jp/koyasan/

4(月)、@nhsyfamily フォロー頂き有難うございます

同日、今日のありがとう。メルマガ・C-Direct-2Uに感謝。榊都美夫の佳作・憎悪を拝読。素直に詩に感動させられたのは随分と久しぶりのこと

5(火)、あたりまえだけどなかなかできない51歳からのルール(古川裕倫、明日香出版社)読了。今日のありがとうはこの一冊に。さわやかに生き、一事をなし、さわやかに去る。後は先人の教えを後世に順送りするばかり。確かにそうありたいものだ http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4756913822/ref=redir_mdp_mobile?redirect=true&tag=yneco-22

7(木)、@from_natura 밤씨, 고마워요! 저는 밤팬, 서울日和팬 입니다!

10(日)、今日のありがとう。映画・フライトに感謝。考えさせられました。いや、今も考えています。うーむ http://www.flight-movie.jp/sp/#/home

同日、佳い一日を過ごされましたね。ボクも鳥たちの写真を楽しませて頂き、こころ休まりました。有難うございました! QT @hiyodorinosuke: 不忍池 桜に集まる鳥たち: http://hiyobird.blogspot.jp/

16(土)、今日のありがとう。東村山ふるさと歴史館に感謝。身近な町の2万年を楽しく学ぶ http://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/tanoshimi/rekishi/furusato/index.html

17(日)、一週間遅れのありがとう。菅野徹さん、いきものエッセイ「まちかど四季散歩」(読売新聞、月1回連載)に感謝。もう読めないと思うと残念ですが、10年も楽しませて頂き本当に有難うございました!

同日、今日のありがとう。ふと自燈明、法燈明という言葉を思い出した。自分自身を支配し、あるがままを受け入れれば、なにものからも自由でいられる。そう言われたような気がした

18(月)、RT @ryooory: @WaiNeco わが後を たすけたまへと頼む身は もとの誓ひの姿なりけり /良寛

同日、@ryooory 有難うございます。なにか気づかせられるものがありますね。立松和平の遺作『良寛』を思い出します

23(土)、今日のありがとうは石神井公園に。花見散歩を楽しませて頂きました。初ツバメにセキレイのサプライズまで

24(日)、昨日のありがとう。ドキュメンタリードラマ『希望の翼~あの時、ぼくらは13歳だった』に感謝。ボクには何が出来るだろう… http://www.tvk-yokohama.com/tsubasa/index.html

同日、今日のありがとう。今年も咲いてくれたサクラに感謝

28(木)、@dstkbr_biz フォロー頂き有難うございます!

30(日)、きのうの「今日のありがとう」。円空上人、東京国立博物館、松風庵かねやす・JR池袋駅店。そして坂口良子さんに。ローティーンの頃に見た前略おふくろ様やグッバイ・ママを思い出す

from http://twitter.com/WaiNeco/

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2013.03.09

2月のありがとう(ツィートまとめ)

1(金)、きのうの「今日のありがとう」。改めて自分のいたらなさを思い知らされた。ありがとう…

2(土)、今日は暖かかったですね。ありがたや、ありがたや

5(火)、@seoulbiyori 今日のありがとう。今日もソウル日和さんに感謝です。最新のポッドキャスト、ヤン先生の流暢な日本語とパッションに酔いしれました https://itunes.apple.com/jp/podcast/yuukino-jin-rimosouru-ri-he/id562863156

10(日)、きのうの「今日のありがとう」。青山俊薫先生、「道元禅師に学ぶ人生」から孫引きツィートさせて頂きました http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4140841931/ref=redir_mdp_mobile?redirect=true&tag=yneco-22

同日、今日のありがとう、その1。西武鉄道さん、沿線マップ「探索さんぽ」のおかげで楽しいウォーキングができました。今日は中井から下落合へルートを逆行 http://www.seibu-group.co.jp/railways/enjoy/walking-hiking/tansaku-sanpo/sanpo_02/03/index/__icsFiles/afieldfile/2009/12/08/sanpo_02_03.pdf

同日、今日のありがとう、その2。中井駅前のタイ家庭料理・サワディー。美味しい料理と穏やかな笑顔に感謝。嫋やかさを武器に異国を生き抜く女性たちの姿に励まされた思いがします

同日、今日のありがとう、その3。子育て猫地蔵・自性院の近隣にお住まいのかたが、玄関さきのロウバイを見ているあいだ、家に入るのを遠慮くださいました。その気遣いに感謝

同日、今日のありがとう、その4。おとめ山公園を歩く。「案内図を」と声をかけてくれた管理人さん、湧水の湧出量測定について説明してくれた海城高校・地学部員、そして、この山を守ってきた皆さんに感謝

11(月)、きのうの「今日のありがとう」をもう一つ。極寒!豪雪!“ニッポン冬の仕事人” from 日曜ビッグバラエティ http://www.tv-tokyo.co.jp/sun/backnumber/426.html

14(木)、きのうの「今日のありがとう」。青山俊薫先生の「道元禅師に学ぶ人生」に喜心、老心、大心を学びました。感謝です。 http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4140841931/ref=redir_mdp_mobile?redirect=true&tag=yneco-22

15(金)、きのうの「今日のありがとう」。Koreanclass101に感謝。意志を表す -ㄹ 것이다 と比較を表す 보다 を習いました http://www.koreanclass101.com/

16(土)、今日のありがとう。家族で墓参りができるのは、あなたがそこに眠っていらっしゃるからですね…

17(日)、今日のありがとうは、映画・王になった男 @becameking に。ニセモノがホンモノを超える奇跡の瞬間、リーダーとは如何にあるべきかを痛切に感じた

同日、RT @becameking: ありがたく頂戴いたします。

同日、@becameking 전하, 영광입니다!

19(火)、今朝の鳥たち。通勤の途中で出会ったのは、ヒヨドリ、ドバト、ハシブトカラス、スズメ、メジロ。今日のありがとうはメジロに…かな

23(土)、@nhsyfamily フォロー頂き有難うございます

24(日)、今日のありがとう。ひと仕事かたづいたので川越を散策。今日は、この街と、この街の人々に感謝

同日、きのうの「今日のありがとう」。Koreanclass101に感謝。現在進行形 -고 있다 を習いました http://www.koreanclass101.com/

from http://twitter.com/WaiNeco/

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2011.09.25

秋の高麗郷から

久しぶりに日高市・高麗郷を訪ねる。

曼珠沙華 倒木の根の間から

まずは巾着田。台風15号の爪痕か、折れ枝、倒木が目立つ。高麗川を挟んだ対岸には小規模ながら土砂崩れの跡すら見受けられた。それでも曼珠沙華は真っ赤に咲き誇り旺盛な生命力を見せつける。
秋の蝶 仁王の鼻に羽休め

少し足を延ばし聖天院参拝。急峻な石段を登ると巨大な仁王像が睨みを利かせている。キタテハだろうか。仁王の凄みをものともせず目の前をひらひらと舞い、ついには鼻先に羽を休める。ちっぽけに見えるチョウだが、むしろ人の思惑こそ自然の前ではいかほどのこともない。
川風に羽黒蜻蛉の睦まじく

高麗神社を拝し家路につく。30分ほど歩いたところで足休め。阿里山カフェに立ち寄る。テラスから見下ろす高麗川。二羽のハグロトンボがじゃれ合うように飛ぶ。もっとも「じゃれ合うように」と見るのも人の思惑に過ぎない。今日を生き抜き、次世代に命をつなぐ。自然は、ただ、そのようにある。

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2011.05.05

淵の森さんぽ

久しぶりに妻と二人散歩。秋津駅に程近い淵の森まで歩く。

むかし息子が通った小学校の通学路を抜け、畑の間を縫うように進むと、やがて西武池袋線沿いに伸びる雑木林に出る。上安松まで続く木陰の道。所沢に住んで15年になるが、こんなに静かな場所が身近にあるとは知らなかった。

林を抜けると左右に住宅街が広がる突当りを左に折れ再び線路沿いの道へ。ほどなく緑地が見えてくる。淵の森だ。実はこちらも初訪問だが、宮崎駿が映画『となりのトトロ』の構想を練った地とされ、また近隣住民の草の根活動が行政を動かしたモデルケースとしても有名なのだそうだ。

大人の背丈ほどもあるハナウドの花を左右に見ながら林の中に入いる。足元にはニリンソウが咲き、頭上からはシジュウカラやヒヨドリの声が降る。森の南端は蛇行する柳瀬川の淵に面しており、自転車で乗り付けた子供たちが浅瀬で遊んでいる。まるで1960年代にでも逆戻りしたかのようだ。

せっかくのゴールデンウィークも何となく忙しなく落ち着かない気持ちが抜けないが、しばし身近な自然に身を委ねリラックスすることができた。

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2011.02.05

上野に訪ねる仏教伝来の道

久しぶりに上野を訪ねる。お目当ては東京国立博物館の特別展『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』だ。平山氏の文化財保護活動と創作活動を一体のものとして紹介するユニークな企画である。シルクロード周辺を中心としたアジア各地の仏教美術、文化財と共に「アンコールワットの月」や「敦煌三危」、「敦煌鳴沙」などの平山作品を堪能することができた。中でも玄奘の求道の旅の足跡をたどった「大唐西域壁画」には大いに感動させられた。

仏典を求めて中国からインドに向かった玄奘。逆にインドから中国へ禅をもたらした達磨。日本にも五度の失敗の末、鑑真が視力と引き換えに戒律を伝えて下さった。アジアの民はなぜ釈迦に端を発した仏教をその隅々にまで伝えていったのだろうか。仏塔、伽藍を建立し、仏像を荘厳し、経論を学び、時には命をも賭して。その理由はボクには分からない。ただ平山もそうした人々の一人であったということに胸を打たれるばかりだ。

さて遥かインドから伝来した仏教は上野の森にも根を下ろした。徳川家光により創建された東叡山寛永寺である。将軍家の菩提寺として権勢を誇ったが戊辰戦争の戦場となり伽藍の大部分を焼失。ほどなく明治の世に移り公園として整備されることになった。当時の名残を今に伝える清水観音堂を参拝。また話には聞いていたものの未だ一度も御目にかかったことのなかった上野大仏にも手を合わせた。

上野大仏は江戸時代の末に鋳造された釈迦如来像で関東大震災により頭部を大破。修復されぬまま戦時の金属供出により頭部、胴部を失い、今は顔面だけが残されている。レリーフとして石碑に埋め込まれた大仏の顔は、どことなくユーモラスな面持ちで悲しい来歴を感じさせない。それどころか「もう落ちることがない」からと隠れた合格祈願の名所となっているそうだ。石碑の隣には薬師如来を本尊とする仏塔がそびえ「大唐西域壁画」の長安大雁塔が思い起こされた。

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2011.01.03

初詣で

初詣と言えば先ずは元日に近所の日月神社へ。あとは松の内を目途に寺参りをするのが我が家の恒例となっている。たとえば川越の喜多院成田山別院西武球場周辺の狭山不動、山口観音。また神社が含まれることも多いが、日本橋、深川など各地の七福神めぐりも楽しい。

さて今年は昨年に続いて護国寺を参拝することにした。不勉強なもので着いてから知ったのだが今日は大般若会。時々テレビで見かける大般若経の転読を目の当たりにするチャンスと思われたが、まだまだ大分待たなければならないと知り断念。準備の進む本堂の外からご本尊の如意輪観音に手を合わせた。お守りを頂き大師堂へ。普段は静かなこの辺りも今日は初詣客が絶えない。境内のあちらこちらに棲むネコたちも珍しく遠慮がちに身を潜めている。

再び本堂前。晴れ着姿の女性数名と彼女たちを囲む取材陣の姿が見える。若手のアイドルなのだろう。取材陣と言ってもTV、雑誌各1社といった程度だ。そろそろ帰ろうかと不老門に向かうと長机に「メディア受付・ももいろクローバー」の文字。うーむ、聞き覚えの欠片もない。今更ながら、そういったことにすっかり疎くなった自分を思い知らされる。

護国寺からの帰りは雑司ヶ谷の霊園を抜けて池袋に戻ることが多いが今日は欲張って鬼子母神に向かった。途中、「雑司ヶ谷・七福神」の幟に誘われて清立院に立ち寄り、また大鳥神社では茅野輪くぐりをさせて頂いた。ケヤキ並木の下に伸びる参道を抜け鬼子母神に到着。だが余りの行列の長さに怖じ気づき、お堂のそばの石像に手を合わせるに留めさせて頂いた。落ち着いたころにまた来よう、そう言いかわしながらボクらは昼食を求めて池袋の街に向かった。

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2010.10.16

武蔵野観音めぐり・その10

猛暑の夏が過ぎ、ようやくハイキングの季節が到来。そろそろ武蔵野観音霊場めぐりも結願を果たすべき時節である。ところが妙に妻が弱気なのだ。小学校の遠足でよほど苦しい思いをしたらしく、「子の権現(天龍寺)は登れないかもしれない、ましてそこから竹寺なんてとても無理」などと言うのだ。そんな妻を勇気づけようと、これまで家族で登ってきた山々を振り返ってみた。200メートル級の天覧山や多峯主山、物見山から始まって、300メートル級の日和田山、600メートル級の日向山、高尾山、そして900メートル級の伊豆が岳まで。その甲斐あってか、取りあえず子の権現までは行ってみようと話がまとまった。余力があれば足を延ばせばいいし、そうでなくても竹寺はまた後日とするだけのことだ。

気の変らぬうちに荷物をまとめ早めに就寝。一夜あけて今朝は空も晴れ渡りボクらは颯爽と山に向かった。西吾野駅から子の権現までは順調そのもの。もちろん登山道はそれなりにキツいが、それもまたハイクの楽しみだ。予定通り1時間半ほどで子の権現に到着。山門をくぐると有名な赤い仁王像が険しい顔でボクらを睨みつける。想像していたよりも遥かに大きくボクは思わずたじろいでしまう。道心の定まらぬ者は一歩たりとも立ち入らせない、そんなふうに言われたような心持ちだ。

そこをなんとかお通し下さい――仁王さまに手を合わせ参道の坂を登る。庫裡の前で右に曲がってもうひと登り。ようやく本堂に到着だ。ご本尊は平安時代の聖者・子の聖を神として祀った子の大権現。札所本尊の十一面観音も本堂に納められており、明治以前には一般的だった神仏習合を保っている。いつものように金剛合掌、十句観音経を黙誦。そして世界一と言われる大草鞋(鉄製)とご対面だ。古来、足腰守護に霊験あらたかと崇拝されてきた当寺には大草鞋ばかりか鉄下駄やハイヒールまで巨大な履物が奉納されている。

子どもの頃に見た草鞋よりずっと小さい、と妻が言う。恐らく当時は大きく見えただけで大きさが変わった訳ではあるまい。どうも大人になると、なんでも小さく見えて、「sense of wonder」が失われてゆくらしい。ご朱印を頂き参道を戻ると、そんな大人の心をも動かすスギの巨木が見えてくる。樹齢800年と言われる二本杉だ。そのうち1本は枯死し枝葉を失っているが目通り(周径)5メートルに及ぶ樹幹は保たれている。もう1本は目通り8メートル、樹勢も盛んで計り知れないパワーを感じる。

道を挟んだ向かいの坂を上ると子の山山頂。東屋もあったが岩に腰掛け早めの昼食、所沢のコンビニで買った握り飯を頬張った。大日如来の石仏に手を合わせ竹寺に向けて出発。竹寺方面と記された標識を頼りに坂の下の車道をくだる。急な九十九折りを抜けると傾斜も緩くなり次第に景色を楽しむ余裕も生まれる。後になって思えば、それも油断の一因であったかもしれない。いつまで経っても舗装路が続き登山道に出ないことを訝しく思い地図を確認した時には既に1キロ近くルートをそれていた。

このまま下山して竹寺は後日あらためて出直すか、それとも子の権現に戻り所定のルート(関東ふれあいの道)で竹寺を目指すか、少し迷ったが取りあえず並沢まで戻ってみることにした。駅で貰ったハイキングマップによれば豆口峠で所定ルートに合流する山道があり大幅に時間短縮できそうなのだ。もっとも家から持ってきた『山と高原地図 奥武蔵・秩父』(昭文社)には載っていない道で本当に歩けるのか確信が持てない。そこで入り口の様子を見て判断することにしたのだ。

並沢に到着。わき道から少し坂を上ると山道の入り口を示す小さな標識が足元に傾いて立っている。不安もあったが取り敢えず進んでみる。道は荒廃気味だがハイキングシューズなら問題なさそうだ。行けるかもしれない。しかし、そう思ったのも束の間。伐採直後なのか、切り倒された幼木や粗朶が道を塞ぐようになり、いちいち跨がないと前に進めない。ついに歩幅を越えるような大きな水たまりに遭遇。その先もかなりの悪路が続いている様子だ。大げさなとは思いつつも「遭難」の二文字が頭から振り払えず、傷の浅いうちに引き返すことにした。

再び並沢。あの急坂を登るのかと思うと少々腰が引けてしまうが、まだ日没までには十分余裕がある。ここは一気呵成に竹寺を目指したい。心が決まれば後は黙々と歩くばかりだ。先ずは二本杉、そして子の権現まで戻る。境内を通り抜け庫裡の脇から「関東ふれあいの道」へ進む。ほのぼのした名からは想像できないが、木の根の階段の上り下りを繰り返す山道だ。いつまで、こんな坂が続くのだろう、少し嫌気がさしてきた頃、豆口峠に到着。先ほど断念した並沢からの登山道と合流。思えば随分まわり道をしたものだが、そんな過ぎたことを思ったところで仕方がない。

子の権現から一時間ほど歩いただろうか。ようやく竹寺に到着。当寺は本格的な神仏習合の遺構としては東日本随一とされ、本殿(本堂)には牛頭天王を祀る一方、本地仏の薬師如来も奉安されている。柏手を打つものやら打たぬものやら要領を得ぬまま参拝、観音堂へ向かった。少し歩くと茅の輪を備えた大鳥居に遭遇。順番が後先になってしまったが健康と安寧を願って茅の輪をくぐる。本殿には再拝せず、そのまま鳥居をくぐり戻って観音堂へ。札所本尊の聖観音に手を合わせ無事に結願を得た。納経所で御朱印と手彫りのフクロウのお守りを頂く。結願の感慨は大げさな感動というわけではなく何かほんのりと爽やかな心持ちが胸のあたりに湧いてきた。

さて結願は果たしたものの旅は未だ終わらない。ふもとの小殿バス停に向かう登山道は約600mを一気に下る急坂だ。木の根の階段が続き足場も余り良くない。手を携え、一歩、一歩、無理せず、慎重に、ゆっくりと降りてゆく。なるほど後半生の生き方とはこういうものなのかもしれない。観音さまの教えとして胸に深く納めておこう。そして最後の一歩。登山口に辿り着くとクマに注意との立て札があった。振り返ってみると大きなニホンザルがこちらを窺っている。カメラを出そうとリュックに手をかけたとき妻がその手を握って走り出す。「上、上!」と言葉にならぬ声。頭上の電線にもう一匹のサルがこちらを狙っている様子。あとは夢中でバス停まで走った。

半年に及んだ巡拝の旅のフィナーレは、観音さまの教えもなんのその、ドタバタ劇と相成った。これもボクらにはお似合いの幕切れなのかもしれない。そう。これからもドタバタしながら生きていっていいんだ。きっと観音さまはそんな二人を見守っていてくれるのだから。そんなことを思いながら飯能に向かうバスにボクらは並んで座を占めた。

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2010.06.26

武蔵野観音めぐり・その9

観音めぐりを始めてから早いもので3ヶ月が経ち、いよいよ5ヶ寺を残すばかりとなった。軽登山を要する最後の2ヶ寺は秋を待つとしても、その他は真夏の炎暑を迎える前に参詣しておきたい。そう思ってはいたもののエアコンの掃除など夏支度に時間を取られ、とうとう6月も最後の日曜を迎えてしまった。

さて2週間ぶりの旅のスタートは西武秩父線・武蔵横手駅。敷地内にヤギを飼っていることで知られる駅だ。2頭のヤギの旺盛な食欲のおかげで草刈りの手間とコストが省けるそうだ。改札を抜け、前回も歩いた国道299号線を秩父方面に向かうと、ほどなく雨が降り始めた。天気予報では曇ところにより一時雨とのことだったが、奥武蔵方面がちょうどその「ところ」に当たってしまったようだ。

15分ほどで最初の目的地、第29番札所・長念寺に到着。山門をくぐると参道の両脇が色とりどりのアジサイで埋め尽くされている。その美しさから「奥武蔵の紫陽花寺」とも称されているそうだ。参道は観音堂に突き当たるが先に本堂を拝し観音堂に戻った。アジサイのみならず植栽はどれも手入れが行き届いており、樹々のひとつひとつに花の写真入りの説明札が下げられている。

続いて鐘楼に向かう。当寺の梵鐘はハレー彗星が地球に大接近した1986年に奉納されたものだ。それを記念して鐘の上部には彗星を象った文様が入っている。合掌一礼。思い切り力を込めて鐘を突く。想像していたよりも遥かに大きな音だ。文字通り余韻に浸りながら納経所へ。坊守さんの応対も丁重で寺全体が丹念に運営されている印象を持った。

再び国道に戻り西に向かう。相変わらず車の行き来が激しい。騒音と排ガスを避けて高麗川沿いの小道に出てみるが結局もとの国道に戻ってしまう。そうこうするうちに東吾野駅が見えてくる。駅を越え高麗川の支流・虎秀川に沿って坂道を登る。夏にはホタルも見られる清流だそうだが、今日はあいにくの雨に水が濁ってしまっている。

この坂は初心者や家族連れでも歩けるハイキングコースの入り口にあたる。ボクらも昨秋、ここから山村集落のユガテに向かい、エビガ坂を超えて鎌北湖、更に北向き地蔵と五常の滝を巡って武蔵横手に戻るコースを歩いた。息子が小学生だった頃には三人でよく奥武蔵の低山を歩いたものだ。息子の成長につれて、いつしかハイキングシューズに足を入れることすらなくなっていたが、昨年から今度は妻と二人で歩くようになった。

人と自然とが寄り添って生きている、そんな感じのする村里の景色を楽しみながら歩いているうちに第30番札所・福徳寺に到着。境内に入いるとすぐ左手に素朴ながら姿かたちの整った阿弥陀堂がある。中に納められた阿弥陀三尊像も県指定重要文化財だが、このお堂自体が国の重要文化財に指定されている。突当りまで進み本堂に手を合わせ少し戻って阿弥陀堂を拝す。長く無住のこの寺には納経所はない。国道に戻り更に15分ほど西へ。同じ臨済宗の興徳寺で御朱印を頂いた。

次なる目標は第31番札所・法光寺ガイド本によれば吾野駅のすぐ近くのようだが、この雨の中、しかも大型車の行き交う国道を更に一駅も歩く気にはならず東吾野に戻ることにした。途中、かたくりの郷・平栗園にて昼食。ここは飯能市の観光農園で高麗川に面したバーベキュー場もあるが、さすがに雨天決行を決め込んだ猛者は二組しかいない。ボクらは三組目になることなく食堂で大人しくウドン、ソバと磯辺焼き餅を頂いた。附けあわせの葉唐辛子の佃煮を平らげると小皿の底に懐かしい絵が現れた。むかし家で使っていたのと同じ皿だったのだ。結婚したばかりの頃に確か航空公園のフリーマーケットで買ったものだが20余年の月日が流れ一枚残らず消え失せてしまった。

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東吾野から吾野までは一駅、わずか10分足らず。改札を抜け左手を見ると法光寺の屋根が見える。急な坂を下り山門をくぐる。雨にもかかわらず植木の手入れの真っ最中だ。近頃あまり目にしない大きなカタツムリが刈り込みの終わった椿の葉の上に待機している。本堂、観音堂の順に参拝、再び本堂に戻り御朱印を頂く。坊守さんだろうか、応対して下さった年配の女性に奥の院の岩殿観音窟について聞いてみる。

ガイド本によると当寺の裏山の奥には鍾乳洞があり観音さまが祀られているそうだ。1キロほど山道を登ることになるが途中には宝生の滝や弘法の爪書き不動と称される磨崖仏もあって霊場らしい神秘的な趣きに富んでいるという。とは言え、この雨の中、傘をさして登ることが可能なのか、少々心もとない気がして様子を聞いてみたのだ。「ここのところ草刈りをさぼっているから少し歩きにくいかもしれないけど、お若いんだし大丈夫よ」との答え。更にこう言って笑う。「私みたいな、おばあちゃんだって、毎日、朝晩、通ってるんだから」

婦人の言葉に背中を押され観音窟を目指すことにする。踏切りを渡り、見慣れた「武蔵野三十三観音総開帳」の幟に沿って坂道を登る。小さな案内板が指し示す細道に入る。斜度はさほどでもないが濡れた泥道は歩きずらい。周りの草丈も次第に高くなり薮こぎというほどではないにしろ足元を隠し衣服を濡らす。妻も少々疲れた様子だ。引き返そうか、そう思い始めた途端に雨足が少し強くなってきた。「大丈夫? なんなら戻ってもいいよ。」

「そんなに心配だったら待ってるから一人で行ってくれば。」妻の答えは思いがけないものだった。少しいらだっているようにも聞こえた。弱いもの扱いされたと感じたのだろうか。「分かった。一緒に行こう。」

次第に激しさを増す雨と歩きにくい山道に悪戦苦闘させられたものの程なく宝生の滝に到着。特に増水の気配は感じられないが急ぐにこしたことはなさそうだ。爪書き不動に手を合わせ足早に観音窟へ向かう。少し急な坂を登ると突然視界が開け数メートル四方の平らな原が目に入る。その奥の岩壁にへばりつくように建てられた赤いお堂。法光寺・奥の院、岩殿観音窟懺悔堂だ。人一人がようやく通れる狭い戸口をくぐると自動的に照明が点灯し岩窟の全容が見て取れる。

石龕に納められた十一面観音に妻と二人ならんで手を合わせる。自分たちは正に霊場にいるのだという実感がわいてくる。やはり多少の無理は押してでも登る甲斐があった。ボクらは丹念に観音さまを拝し、惜しみながら雨の山道を下った。言葉少なに、しかし何か温かく満ち足りた想いを抱いて。

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2010.06.06

武蔵野観音めぐり・その8

先月の半ばから少し長く歩くと右足首が痛むようになった。飯能の札所をまわったとき志らく・談笑二人会を見に行ったときも実は鈍い痛みに悩まされていたのだ。先週は週末のランニングはもちろん、観音めぐりも、毎朝のウォーキングさえ休んで回復を図った。その甲斐あってか、朝のウォーキングくらいは難なくこなせるようになったものの、はたして一日中歩き詰めとなる今日のコースに耐えられるかどうか、ハラハラしながら武蔵野観音めぐり8日目の旅路についた。

今日の予定は日高市内の4つの寺を回るものだ。先ずは西武池袋線で飯能に向かい、秩父線に乗り換えて東飯能。さらにJR八高線に乗り換えて高麗川駅へと進む。曼珠沙華(ヒガンバナ)の群生地で知られる巾着田を始め高麗の郷には何度も足を運んできたが高麗川駅には来たことがなかった。それどころか八高線に乗ったのすら初めてだ。不慣れな手動ドアに戸惑いながら下車。改札を抜けると駅前は幅広の道が伸びて意外なほど開けていた。

トラックの多い大通りを避け住宅街を抜けると次第に畑や雑木林が増えてくる。その一角に小さな御堂があった。近づいてみると回向柱に薬師堂の文字。「奉修記念開帳」と記されてある通り扉の外からではあるが御堂の中を拝観することができる。小さな尊像には花が供えられており今でも地域の方々が大切に供養しているのだと分かる。のどか.な田舎道を更に15分ほど歩くと入定塚が見えてくる。本日の最初の目的地、番外札所・靈巖寺の16世住職・行盛を供養するものだ。行盛は弘法大師を慕って寛政9年8月5日、即身成仏を図ったという。18世紀の末、徳川家斉のもとで寛政の改革を進めた松平定信が失脚した頃のことだ。

ほどなく靈巖寺に到着。山門をくぐると住職であろうか、トレーナー姿の男性が5歳くらいの子供を遊ばせている。こんにちは、と声をかけ本堂に向かった。ご本尊の地蔵菩薩と札所本尊の聖観音菩薩を拝し納経所へ。無人販売所方式ではあるが奉拝録が備えてあり記帳できるようになっている。中を見てみると、やはり西武線沿線からの参拝者が多いが、千葉や神奈川など遠方からみえた方も思いのほか少なくない。

次に向かう聖天院は直線で結べば高麗川を挟んで500メートルほどしか離れていない。しかし最も近い出世橋でさえ蛇行する高麗川に沿って大幅に遠回りをしなければ行き着けない。靈巖寺で頂いた地図を頼りに6月上旬とは思えない暑さに喘ぎながら田舎道を歩く。時おり高麗川から畑を抜けて川風が吹いてくる。なんとも爽やかな涼しい風だ。出世橋を渡りカワセミ街道を南西に下ると程なく高麗神社が見えてくる。いつもなら立ち寄るところだが今日は先を急ぐことにした。

聖天院は朝鮮半島からの渡来人の長を務めた奈良時代の豪族・高麗若光の菩提寺である。若光自身も渡来人の一人で唐・新羅連合軍に滅ぼされた高句麗の王子とされる。そうした由縁を物語るように境内には若光の墓、高麗王廟が祀られ、また本堂の裏手には壇君や広開土王を始めとする朝鮮の伝説的な偉人たちの石像がそびえる。石像群に見守られるように築かれた在日韓民族無縁仏慰霊塔は高さ16メートルにおよび、石塔としては国内最大級だそうだ。在日コリアンの深い鎮魂の想いが伝わってくる。

そろそろ腹ごしらえと思ったが生憎この辺りは飲食店が少ない。諦めて勝音寺へ向かうことにする。カワセミ街道を10分ほど歩いた辺りから川辺に向かう脇道にそれ高岡橋を渡る。河原でバーベキューを楽しむ家族連れや若者のグループが見える。肉を焼く匂いが空腹感を刺激する。ほどなくキリスト教の教会が見えてくる。高麗聖書教会だ。ガイド本によると勝音寺はこの教会のすぐ隣。実際にその場に立つと、あたかも一つの敷地に並存しているかのようにも見える。なんだか不思議な光景だ。

仮本堂を兼ねる観音堂に手を合わせ納経所に向かう。呼鈴を鳴らすが反応がない。留守だ。かといってセルフ方式でもなく、ここで御朱印を頂くことはできない。ガイド本に書いてある通りこの先の師岡さんの家に向かう。兼務の都合で住職が留守がちなため師岡さんに代行を頼んであるのだそうだ。山門をくぐり改めて納経所を振返ると親子と思わしき二人連れの女性が戸口に立ち尽くしている。もしやと思いしばらく様子を見ていたが、何度も呼鈴を押したり引き戸を開けようとしたりしている。戻って声をかけてみると、案の定、代行のことをご存じなく途方に暮れていたそうだ。これも何かのご縁か。師岡さんの家までご一緒させて頂くことにした。

しばらく道なりに歩いているうちに「師岡」と書かれた表札を発見。さっそく玄関に向かい呼鈴を押すと中から初老の男性が出てきた。事情を話すと、それはうちではない、との答え。手馴れた様子に同じ間違いをする人の多いことが察せられたが厭な顔も見せずに別の師岡さんの家を教えてくれる。更に道なりに進むと教わった通り竹林が見えてくる。札所の看板も掲げられている。はじめからこれを目当てにすれば間違えることもなかっただろう。細道に入ると、居間だろうか、開け放した窓から子供の声とおいしそうな昼食の匂いがする。食事中にお邪魔するのも気が引けたが終わるのを待つわけにも行かず玄関先で御朱印を頂戴した。

二人連れとはここで分かれた。二人は来た道を戻ってカワセミ街道へ、ボクらはそのまま栗坪の交差点に向かったのだ。ボクらのお目当ては高麗鍋。商工会を中心とする民間のグループが日高市の新たな名物にと開発、市を挙げて普及に取り組んでいる料理だ。朝鮮半島からの渡来人の居住地だった高麗郷の歴史にちみキムチを使うところに特色がある。以前、妻が友だちと遊びに来た時に食べた高麗鍋担々麺を目指して栗坪の交差点を右折。県道を西武線の高麗駅に向かった。

県道を歩いているうちに右足首が痛くなってくる。ついに来たか。次第につのる痛みをこらえつつ歩くうちに担々麺専門店「花さんしょう」に到着。ようやく念願の高麗鍋担々麺にありついた。辛味の効いた熱々の麺とスープをすする。冷房のお蔭で一旦は退いた汗が再び湧き出してくる。足も痛いし今日はここでギブアップしてビールを呑むか、そんな考えがふと頭をよぎる。いやいや、もうひと頑張り。手ぬぐいで汗を拭いながら一気に貪るようにボクは担々麺を平らげた。

腹ごしらえを済ませ再出発。ほどなく天神橋に差し掛かる。ここで県道は右手から流れてくる高麗川を渡るが、300メートルほど歩いた先の鹿台橋では反対に左手から高麗川が流れてくる。蛇行の著しい高麗川ならではの不思議な風景だ。とはいえ景色に見とれてばかりいるわけにもいかない。足の痛みをなんとかしなければ。つま先を少し開き気味にしたり、地面を蹴り込む強さを若干ゆるめてみたり、あれこれ微調整しながら歩いているうちに驚くほど楽になってきた。何かコツがつかめたような感じだ。きっと気づかぬうちに崩れていた足のフォームというか歩き方がようやく修正できてきたのだろう。これなら行ける。予定通り瀧泉寺に向かうことにした。

県道を久保交差点で右折。国道299号線に入る。高麗川に沿って西武秩父線と並走するこの通りは奥武蔵を抜け秩父から群馬に向かい信州は茅野市にまで至る。途中、正丸トンネルを抜けるが以前は西武鉄道のみがトンネルを通り国道は峠を越えていたそうだ。余談ではあるが、その旧国道は藤原拓海と秋山渉がAE86同士で激しく競い合ったバトルの舞台としてコミック『頭文字D』13巻(しげの秀一、講談社、1998年)にも登場する。だからと言う訳でもないだろうが大型トラックに混じって疾走してゆくスポーツタイプの車が目立つ。時おり昭和時代の旧車に遭遇することもありちょっと嬉しい。だが、もっと嬉しかったのは青空を渡る猛禽類の鳥影を目にしたことだ。恐らくトビであろうが近ごろは里山もカラスばかりが幅を利かしトビすら見かけることが少なくなった。

話はすっかり脱線してしまったが足の方はしっかり国道を辿り、無事、瀧泉寺に到着。ご本尊の千手観音が納められた本堂に手を合わせ本日の巡礼を終えた。帰りは更に国道を進み、ひと駅先の武蔵横手から乗車。車窓の人となった。次回はこの武蔵横手から吾野へ向かう旅になる。が、はたして梅雨入り前に結願を果たせるか否か、少々心許なくなってきた。

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2010.06.04

『大法輪』6月号を読む

雑誌『大法輪』6月号読了。今月号の特集は「奈良―行きたいお寺と知りたい教え」。平城遷都1300年祭に湧く奈良は日本の仏教史にとっても極めて重要な地である。仏教伝来から近現代にいたる歴史や奈良仏教の代表的寺院と教義、ゆかりの深い人物や庶民信仰などが紹介されている。

特集以外の記事では、自分の智慧に欺かれないようになることが禅にも武にも共通する至極の道であるとする吉田叡禮師の「禅から武道へのアドバイス」や、戒は能く万徳の門を開くと説く松浦俊昭師の「戒を生活に活かそう」が心に残った。また自殺志願者への支援活動に取り組む篠原鋭一の「自殺志願者駆け込み寺から」にも大いに考えさせられた。

6月号で連載を終了した記事がいくつかある。いずれも毎号たのしみにしていたものだが、中でも、数々の仏者の求道の人生を描いてきた小嵐九八郎の読みきり小説「脈脈たる仏道」シリーズが終わってしまったのは寂しい限りだ。

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