2008.06.03

GWを振り返る

5月6日。早いもので11連休に及んだ超大型連休も今日でおしまい。振り返ってみると「お出かけ」が5回にランニングが3本と、3月末に義母を亡くしたばかりで余り華やかなことはなかったものの、それなりに充実していたように思われる。

4/29は狭山の山口観音に参詣。義母の最後を看取ったときボクは山口観音のお守りを握りしめ延命十句観音経を心の中で念じ続けていた。義母が安らかに息を引き取ったのは観音さまのご加護があってのことと思う。そこで妻と二人、観音さまに御礼を申し上げるとともに、義母の冥土への旅を見守って下さるようお願いしてきたのだ。また弘法大師の御影を頂き、翌30日、初月忌(最初の月命日)を迎えた義母の中陰壇に果物と共にお供えした。翌1日は義父も誘って三人で下落合の薬王院へ。3日は妻の実家で食事会。

そして最終日の今日は妻と息子と三人で上野の鈴本演芸場を訪ねた。口開けは来年3月に二代目三平を襲名する林家いっ平、トリは一昨年、大名跡を継いだ正蔵と、何かと話題の絶えない兄弟二人を迎え、立ち見も出る盛況ぶりだった。正蔵は「お菊の皿」を演じたが、現代風に味付けされておりながら過度に浮ついたところがなく、なかなかしっかりとした出来栄えだった。もう名実共に「こぶちゃん」ではないようだ。他にも大好きな柳家喜多八(「小言念仏」)や三遊亭小円歌(三味線漫談)をライブで見られご機嫌であった。

ランニングは4/26、4/30、5/5と3~4日おきに11キロずつ走った。自宅から八国山を越えて多摩湖までの道を往復するいつものコースだ。1月にランニングを再開以来、徐々にペースを上げ、ようやく57分台前半まで辿りついたが、このコースの自己ベストにはまだまだ2分ほど届かない。せめてあと1分、入梅までにタイムを削っておきたいところだ。

「お出かけ」とランニング以外に何をしていたかというと庭仕事と読書くらいなものだ。庭仕事は主に草むしりと掃除。昨年の秋に腰を痛めてからは庭の手入れもさぼりがちで、すっかり荒れ果てた庭に謝るようにして一本一本、雑草を抜いていった。読書のほうもマンガばかりだったが、友人に薦められて読んだ石塚真一の『岳』(1~6巻)が余りにも素晴らしくて何度も繰返し読んでしまったほどだ。作者の山への熱い想い、山に登らずにはいられない人々への深い愛情、そしてそこで命を落とすまで戦い抜いた人々への尊崇な敬意がずっしりと伝わってくる作品だ。この作品に出会えたこともGWの大きな収穫である。あとは待ちに待った『頭文字D』の最新刊・37巻。こちらは例によって例のごとくなのだが、ボクはそれが好きなのだから、それでいい。

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2008.05.16

薬王院へ行く

5月1日。下落合の薬王院を訪ねる。義母のことがあってから家にこもりがちな義父を外に連れ出そうと、妻が義父を誘い三人で行ってみることにしたのだ。

薬王院は真言宗豊山派の寺で東長谷寺とも呼ばれる。豊山派の総本山である京都の長谷寺から牡丹100株を譲り受け、今では1000株に及ぶ牡丹が植えられているという。今年は暖かい日が多かったせいか、例年より花の咲きだしが早く、既に見ごろを一週間ほど過ぎてしまっているとのことだった。それでも牡丹の花の美しさを十分に楽しむことができたのは、それほどに多種多数の牡丹が植えられているからだ。

牡丹園父と娘と腕組んで 矮猫

牡丹は元来、薬用として栽培されていたそうだ。しかし、花が大柄で花形も花色も多彩なことから園芸植物としても親しまれるようになり、唐代以来、百花の王と珍重されてきた。俳句の世界でも初夏の季題としてしばしば取り上げられている。
白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子
牡丹花の眠るが如き入日かな 上田敏
夕牡丹しずかに靄を加えけり 水原秋桜子

牡丹は大柄で豪華な花ながら押しつけがましいところがなく、優美な官能性、おっとりとした印象を与える。ここに挙げた句もそのような牡丹の風情を感じさせるものだ。

薬王院は本堂こそ近年になって建て直されたものだが、古い石仏や石碑も多数あり、古寺の趣きを保っている。隣接する野鳥公園も訪れたが、小さな池の周りにモミジやミズナラなど多数の樹木が植えられており、静けさと新緑を満喫することができた。

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2008.01.08

初富士

1月2日。ここ数年、正月2日には川越へ行くことが多かったが、今年は趣向を変えて市内の山口観音(吾庵山金乗院)に参詣することにした。山口観音は奈良時代に行基が開いたとされる古刹で、その後、弘法大師が東国巡錫の折に立ち寄り霊泉を得たとされる。

本尊の秘仏・千手観音に手を合わせた後、マニ車を回しながら本堂を一巡り。お守りを頂いて裏手の五重塔に向かった。普段は扉が閉ざされている塔だが今日は特別に開扉されており、初めて中に入ることができた。狭い階段を登り露台から外を望む。眼下に広がる狭山丘陵。遥か秩父の峰の向こうには富士山を望むこともできた。

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五重塔には聖観音像の頭部が納められている。かつて、この場所には奥の院があり聖観音像が納められていたが、太平洋戦争末期の金属不足により軍から供出を求められ、当時の住職は止むなくこれに応じたものの、この頭部のみは忍びがたく本堂に隠し置いたのだそうだ。その後、五重塔が再建された折に聖観音像の頭部は塔内に戻されたが、以来、思いがけない場所に残された戦争の爪あとを拝観者に示し続けてきたのだ。

初富士のめでたさも世の中が平和であればこそ。紛争の絶えない現代にあっては、めでたさも中くらいなり、といわざるを得ない。ボクは聖観音に手を合わせ平和を祈った。

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2007.09.18

夏休みの終わりに

8月14日、いつも思うことだが、待ちに待った夏休みも始まってしまえばアッという間に過ぎ今日が最終日。せっかくだから映画でも観に行こうかと声をかけると妻は『夕凪の街、桜の国』が観たいと言う。珍しくすんなり話がまとまり親子三人で池袋のシネ・リーブルに向かう。

この映画は「夕凪の街」と「桜の国」の二つの物語からなる。「夕凪の街」は昭和30年代の広島を舞台に被爆者・皆実の死を描いたものだ。一方、「桜の国」では皆実の姪にあたる七波がひょんなことから広島を訪れ被爆という家族の歴史の原点を見つめなおすことになる。この二つの物語が次第に交錯し、やがて一つの物語、戦争と戦後を生きた家族の歴史を描くタペストリーに織りあげられる。ささやかな日常を丁寧に描いており、全体に落ち着いたトーンを持つ作品だが、そのために却って幾世代にもわたる被爆の悲惨が染み入るように伝わってくる。

印象に残った台詞を一つ引用しておきたい。

なあ、うれしい?
十三年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やったぁ、また一人殺せた!』って、ちゃんとおもうてくれとる?

死を目前にした皆実の言葉だ。悲しみや怒り、憎しみを自分のうちに抑え、泣き叫びたい気持ちをじっとこらえて、それでも心の隙間から漏れ溢れる切なる想い。ボクには涙を耐えることができなかった。

戦争は畢竟、敵国に勝ち国益を守るために、人の命を奪い暮らしを破壊することなのだろう。原爆を落とした兵士も皆実を殺そうとしたわけではないはずだ。だが、だからこそ許せないのだ。なによりも尊いはずの人の命を道具や手段におとしめてしてしまう、戦争ということが、ボクには許せないのだ。

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2007.08.31

今日は大久保へ

8月12日、ひばりが丘の義父母を誘って大久保に行く。ツレアイが韓国語を習っていることもあって我が家は時々大久保のコリアンタウンに出かける。以前から義父が行ってみたいと言っていたので今日は連れ立って遊びに行くことにした。とはいえ35度を超える猛暑続き、午後、遅めに出かけて先ずは韓国料理を楽しみ、それから夜の街を歩いてみることにした。

所沢でおち合って西武新宿についたのが4時半ころ。それでもまだ陽はカンカンと照りつけ時おり吹く風もさわやかというより熱風だ。職安通りをゆっくり歩きドンキホーテの脇を曲がる。この通りはコリアンタウンでもかなりディープに韓国色が強く、料理屋も小さな現地風の店が多い。お目当ての店は大久保通りに突き当たる少し手前、韓国風家庭料理のモイセだ。「モイセ」とは韓国語で「集まれ!」という意味とのこと。料理は旨いし、韓国風なのだろうか、飾らず、それでいて温かいのもてなしが心地よい店だ。カルビに豚カルビ、チャプチェにチジミ、石焼ビビンパ、どれも美味しくマッコリが進む。

食事を終え再び職安通りに戻る。夜といってもまださほど遅くないからだろうか、街はかなりの人出で賑わっている。通りを渡り韓国広場に向かう。この店は韓国の食材や調味料、加工食品などが豊富に揃っていて面白い。値段も手ごろで普通のスーパーで売っているような野菜もかなり安い。コチジャンに百歳酒、スナック菓子に韓国海苔、インスタントラーメン、などなど持ちきれないほど買い物をして店を出る。

ボクらは再び西武線で所沢まで戻り、ホームから入いれるスターバックスで一息ついた。香り豊かなコーヒーとコリアンタウンの余韻を楽しみながら、しばし別れを惜しんだのである。

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2007.08.29

夏休みを上野で過ごす

8月3日、家族で上野へ出かける。今年は夏休みを3~6日と11~14日の2回に分けて取ることにした。今日はその初日。以前なら夏休みといえば家族で旅行に出かけたものだが、息子も高校生になり部活やらなにやら夏休みも忙しかろうと、今年は旅行はやめにした。とはいえ折角の夏休み、どこか行きたいところはないかと尋ねたところ、息子は美術館に行きってみたいと言う。ボクとツレアイにとって美術館は学生時代の定番デートコースだったし、結婚した後も息子が生まれるまではしばしば足を運んでいた。だから久しぶりに美術館を訪ねることが出来るのは大歓迎……ではあるが、ボクとしては寄席に行きたい気持ちもあり、上野の国立西洋美術館から鈴本演芸場に向かう少々ユニークなコースを巡ることにした。

国立西洋美術館は「パルマ―イタリア美術、もう1つの都」展が開催されていたが、特にイタリア美術に興味があるわけでもないので常設展とロマネスク美術写真展を観た。膨大な松方コレクションがベースになっているだけあって常設展だけでも十分に見ごたえがある。特にロダンやモネの作品が多いところが嬉しい。他にはドルチの「悲しみの聖母」やグレコの「十字架のキリスト」、エルンストの「石化した森」といったところがボクのお気に入り。息子はもっと古い作品が好みらしく、中世から17~18世紀の絵画やロマネスク美術写真展の写真にじっと見入っていた。

美術館から鈴本までは普通に歩いて15分程度。開場までまだだいぶ間があるので、西郷さんの銅像を見たり清水観音をお参りしたりと上野の山をぶらつき、山の向こうの不忍池まで足を伸ばすことにした。不忍池は丈高い蓮の葉が一面に生い茂り、ところどころに薄ピンクの大きな花が咲いて、都会のオアシスというよりも生々しく力強い生命力、野生を思わせる景色だった。折から開催されていた骨董市をひやかしながら半周ほど池の周りを散歩して鈴本に向かう。途中のコンビニでパンやおむすび、スナック菓子やお茶(ボクはワンカップの日本酒)を買い込み、開場と同時に中に入る。

そこから先は別世界。太神楽(曲芸)に漫才、奇術に落語。浮世を忘れ、ひたすら笑い、芸を楽しんでいるうちに時は過ぎ、あっという間の3時間だった。これで御代は2800円というのだから寄席は安いものだ。さて、この日、聞いた落語ではなんといってもトリの橘家文左衛門が演じた「らくだ」が素晴らしかった。大ネタである上、登場人物のクセが強く、しかも話の展開につれて立場が逆転するようなシーンもあり、高度な演技力が求められる噺だと思うが、文左衛門はしっかりと演じきっていた。その他には古今亭菊志んの「寄合酒」や桂藤兵衛の「へっつい幽霊」が面白かった。

美術館に寄席、こんな取り合わせが気取らずに自然に楽しめるところが上野のよさであろうか。それにしても、こんな取り合わせをすっかり楽しめるようになるとは我が息子も随分と成長したものだ。

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2007.07.06

オランダにも行ってきた

6月6日、シカゴを立つ。行き先は日本ではなくオランダ。もちろんこちらも仕事だが個人的に印象に残ったことをいくつか……。

オランダは近すぎる……夕方17時50分発の便でシカゴを出る。アムステルダム空港には翌朝9時15分に到着の予定。会議は11時半からだから、飛行機の中でゆっくり休めばどうにかなる、と思いきやシカゴとアムステルダムの時差は7時間なのでフライトそのものは8時間しかない。機中でゆっくり食事をしたり映画を観たりしたら寝不足必至。というわけで着座早々、毛布をかぶって寝ることにした。

トルコの人に諭される?……わずか一泊二日の慌しい滞在を終えアムステルダム空港へ。ようやく一息つけると、ボクはエントランス付近で立ったままミネラルウォータをゴクリゴクリ。すると近くにいた老人が「シナ、シナ」と声を掛けてくる。なんのことやら分からなかったが手招きに応じて近寄ってみると、どうやら「座れ」と言っている様子。座ってゆっくり落ち着いて飲んだらどうだ、と諭してくれたようだ。隣に座ると今度は「トゥルク、トゥルク」と言う。トルコから来たのかと英語で尋ねると、どうやら通じたらしく老人は大きく頷く。そして再び「シナ、シナ」の声。中国人かと聞かれていることにようやく気づき日本人だと答えた。老人は出稼ぎ帰りといった風情、よい旅を、といって分かれたが、元気で暮らしているだろうか。

薬師丸ひろ子を見る……日本に向かうフライトは夜8時半発。時差ぼけもあって眠気が襲ってくるが、ここで寝てしまうと日本にもどってから眠れなくなりそうだ。こんなときは映画でも観て眠気を紛らすほかない。で、まず観たのが『セーラー服と機関銃』。久しぶりに観たがやはり薬師丸ひろ子がよい。清純なばかりではなく、大人たちへの反発や苛立ち、大人の男へのほのかな恋心と憧れ、といった少女期に特有なものが自然に滲み出ていた。 『台風クラブ』もそうだったけれど監督の相米慎二が描く少女には独特な魅力がある。次に観たのが『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』。バブル期の世相がコミカルに描かれているところが笑えた。この映画では薬師丸ひろ子が主人公の母親役を演じていて時の流れを感じさせた。主演の広末涼子はというと、はすっぱな感じがよく出ていてなかなかであった。彼女にはそういう役が合うのかもしれない。

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2007.06.29

シカゴへ行ってきた

6月3日。成田よりシカゴに向けて出発。一年ぶりの海外出張である。仕事はともかく個人的に印象に残った出来事をいくつか備忘のために記す。

JAL名人会を聴く……機内での楽しみといえば酒に食事、映画に読書、といったところが定番だが、ボクの場合はこれに演芸が加わる。今回はJAL名人会をたっぷり楽しんだ。『厩火事』や『幇間腹』といった馴染み深い噺に加え、いままで聴いたことのなかった『城木屋』、『住吉駕籠』、『牛ほめ』を聴くことができた。しかし、それよりも今回の大きな収穫は初めて講談を聴いたこと。『曲垣と度々平』、『太閤記・長短槍試合』の2作を聴いたが内容も語りも素晴らしく、また聴きたくなった。

16オンスのステーキを喰らう……到着した日の夜のこと、同僚と誘い合わせてステーキハウスへ出かけた。メニューを見ると小さいもので12オンス、大きいものは24オンス。ちょうど中間くらいの16オンスを頼んだ。焼き豚まるまる一本ほどの大きさのステーキが運ばれてきたときには驚いたが、うまいうまいと口に運ぶうちにペロリと食べられてしまい、またビックリ。日本の牛肉ほど油気が強くないから食べられてしまうのだろう。ホテルに戻り調べてみると16オンスはなんと約450グラム。アメリカのステーキは見てびっくり食べてびっくり食べ終わってまたびっくりである。

大リーグを観る……USセルラー球場でホワイトソックス対ヤンキース戦を見た。試合内容は三安打を放った井口の活躍もあってほとんどホワイトソックスのワンサイドゲームとやや興をそぐものであったが、日本の野球とは大きく異なる大リーグの雰囲気を堪能できた。なにが違うといって、まず観客席と選手との間が近い。応援団がいるわけでもなくファンはそれぞれの楽しみ方で野球を楽しんでいる。それでいて7回にはみな立ち上がって「Take me out to the ball game」の大合唱。ちなみに松井はあわやホームランというような大きな二塁打で一矢報いた。

見上げた空に……実はボクはアメリカが嫌い。グローバリズムとか言って自分に都合のよいことばかり振りかざす。でもボクはアメリカが好き。フレンドリーな人たち、多様でカジュアルな文化、なんとなく憧れるところがある。アメリカを立つ日の午後、よく晴れた青い空の下で、自分の中にあるアメリカへの愛憎をどう考えたらよいのか分からず、ただ空高くわたる一羽の鳥の姿を見上げ呆然と立ちつくすばかりだった。

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2007.03.02

106,398歩、ソウルの旅(15)

※「106,398歩、ソウルの旅」は昨年のゴールデンウィークに家族三人でソウルを訪ねた旅の記録です。

今回は旅のアルバムから5月3日に撮った写真をご紹介。

金浦空港
ソウルの旅はここから始まりました。
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乙支路地下街の軽食堂
ソウルで始めて食事をした場所。マンドゥラーメンが旨かった。
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狎鴎亭の街角
スターバックスの窓から息子が撮った写真。
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夜の明洞
食事にも買い物にもブラつくだけでも楽しい。
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2007.02.26

106,398歩、ソウルの旅(14)

※「106,398歩、ソウルの旅」は昨年のゴールデンウィークに家族三人でソウルを訪ねた旅の記録です。

5月3日。明洞餃子で夕食を済ませ。しばし街歩きを楽しむ。たとえば原宿・竹下通りや池袋・サンシャイン通り、東京にもありそうな店が多いが、どこかが微妙に違う。全体に値段が安いように思われるし、店員と客との距離感も近い感じがする。それに商品もなんとなく韓国っぽい。そこがいい。もちろん、それ以上に楽しいのは、これぞ韓国、といったお国柄を感じさせるような店。もっとも大分、夜も更けてきたし、足も疲れてきたので、そろそろホテルに戻ることにする。

道すがらセブンイレブンに立ち寄る。朝食は前日のうちにコンビニで買っておく、妻は前からそう決めていたのだという。確かに、毎食毎食、韓国料理を食べていたら、さすがに飽きそうだし、もしかすると辛さで胃をやられてしまうかもしれない。もちろんコンビニのほうが経済的だし、三人それぞれ好きなものが食べられる。なかなか合理的な選択だ。

セブンイレブンは店内の様子も品揃えも日本と大して違いがない。でもやはり微妙に違っていて、そこがやっぱり面白い。パン、おにぎり、ジュース、お茶、チーズ、ゆで卵、カップラーメン、などなど、それぞれ好きなものをピックアップしながら店内を巡る。もちろん夕食時に呑み損ねたビールも忘れない。ボクは現地の代表的な銘柄・HITEビールを選んだ。それからミネラルウォーターとティーバック。ホテルの部屋でお茶が飲めないと寂しいし、水は明日、持ち歩く分も必要だ。おっと、おやつも買っておかないと……。なんだか本当に「経済的」なのか、ちょっと疑わしくなってきた。

大きなコンビニ袋をぶら下げてホテルに戻る。先ずはそれぞれの寝床を決める。柔らかいベッドの苦手なボクはあえてエキストラベッドを希望。これが後に仇となるのだが、それは次回の話としよう。つづいて順繰りに入浴。ボクと妻は湯上りビールを楽しみながら、息子はスナック菓子を頬張りながらソウルの街の印象を語り合う。

話も尽きてきたところでテレビをつける。驚いたことに日本語が飛び込んできた。NHKの衛星放送だ。『BSアニメ夜話』という番組で『王立宇宙軍――オネアミスの翼』という長編アニメ映画が紹介されていた。特に興味があったわけではないが制作時のエピソードなど、思いのほか面白く、息子と二人ついつい見入ってしまった。が、テレビを見ながら夜更かしをしている場合ではない。明日も早朝からたっぷりソウルを歩き回るのだ。

かくしてソウルの旅の最初の一日が終った。万歩計を見ると29356歩。よくもまぁ歩いたものだ。

続きはいずれまた……。

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2007.02.19

106,398歩、ソウルの旅(13)

※「106,398歩、ソウルの旅」は昨年のゴールデンウィークに家族三人でソウルを訪ねた旅の記録です。

5月3日。ロッテホテルを出て夜のソウルに繰り出す。ソウルは眠らない街だと妻から聞いていた通り、街路には人があふれ昼間よりよほど多いくらいだ。トッポギやおでんの屋台が軒を連ね道幅を狭くしていることも混雑を助長している。ロッテデパートを過ぎヤングプラザの前から地下道に入る。地下のショッピング街もかなり面白そうなのだが、なにしろ腹が減っていることもあって先を急ぐことにした。目指すは明洞(ミョンドン)。若者や家族連れ、また夜は仕事帰りのサラリーマンが多い庶民的な繁華街なのだそうだ。東京で言えばさしずめ池袋や新宿のようなところか。

地下道を抜けると風景が一変した。ロッテデパートの界隈はどことなく華やかさが感じられたが、このあたりはもっとむき出しな感じ、猥雑な感じを帯びている。東西に伸びた街路の左右に衣料品やアクセサリーの店、ゲームセンターやインターネットカフェの類、そして様々な飲食店が立ち並ぶ。引き売りや屋台も少なくない。この街路と交差して4つの通りが南北に走り、また通りと通りとの間を幾筋もの路地がつないでいる。明洞の繁華街はこのように網目状に広がっているのだ。

4つ目の角を右手に折れ南に向かう。このあたりには予めガイドブックで目星をつけておいた店がいくつかある。曲がってすぐ右側に明洞餃子、左側には民俗居酒屋が何軒か並んでいる。その先の右側には海鮮鍋横丁と呼ばれる路地がある。ボクはこの横丁のオモニチプという店で海鮮鍋が食べたかったのだが、路地の入り口から店の様子を伺ったところで妻と息子からNG。いかにも路地裏といった雰囲気がお気に召さなかったようだ。

少々北に戻り明洞餃子に腰を落ち着けることにした。メニューは3つだけ。しかも全て同料金というシンプルなものだ。餃子(ワンタンのようなもの)と大量の揚げニンニクが入った韓国ウドン・カルグクス、大豆スープの冷麺・コングクス、そして肉まん風のマンドゥ、どれもうまそうだ。しかも、なにを注文してもライスとキムチは無料サービス、おかわり自由。これで600円程度というのだから安い。ボクらはそれぞれカルグクスを1ぱいずつ、それからマンドゥ1皿をシェアすることにした。

店内はほぼ満席。あちらこちらから、にぎやかな話し声と麺をすする音が聞こえてくる。ビールがないのが残念だが、それは後のお楽しみにとっておこう。席に着くとほどなくキムチをもってきてくれる。あまり発酵の進んでいない酸味の少ないものだ。これがなんとも辛い。辛いが実にうまい。普段はキムチを食べない息子も喜んでパクついていた。やっぱり本場のキムチは違う、などとナマイキなことを言いながら……。

後で分かったことだが彼のナマイキもまんざらではなかったようだ。ソウルで食べたキムチの殆どがこうした酸味の少ないものだったのだ。ボクのイメージでは本場のキムチというとしっかりと発酵しているものなのだが、どうやら近頃のソウルっ子の好みは息子と近いらしい。また帰国後、妻が韓国語教室の先生に聞いたところでは、明洞餃子のキムチは韓国人にとってもそうとう辛く、なかには食べられない人もいるのだそうだ。ひとくちにキムチと言っても、さすがは本場、なんとも奥が深い。

そうこうするうちにマンドゥとカルグクスが運ばれてくる。マンドゥは皮がもっちりしていて肉まんというよりも小籠包や蒸し餃子に近い感じ。カルグクスは上品な鶏だしのスープで想像していたよりもあっさりしている。これがとびきり辛いキムチとよくあう。ご飯と一緒に頂いてもおいしいだろうなぁ、と思うのだが、ダイエット中の身としては我慢せざるを得ない。

続きはいずれまた……。

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2007.01.16

106,398歩、ソウルの旅(12)

※「106,398歩、ソウルの旅」は昨年のゴールデンウィークに家族三人でソウルを訪ねた旅の記録です。

5月3日。鳥山公園を出て狎鴎亭洞駅に向かう。再び地下鉄に乗り乙支部三街駅へ。だいぶ慣れてきたせいか、行きとは違い車窓の景色を楽しむ余裕もでてきた。ほのかに赤らみ始めた空の下をゆっくりと漢河が流れている。これぞソウル、旅情をかきたてる風景にしばし言葉を忘れて眺め入る。

ふと車内に目を移すとお年寄りに席を譲る若者の姿が見えた。日本では余り見かけなくなった光景だが儒教の影響が強い韓国ではあたりまえのことだと聞く。日本の若者の一人である我が息子はどうだろう。お年寄りを大切にする心は持ち合わせているとは思うが、席を譲るといった行動にまで結びついているか。いや、先ずは自分自身の心と行動を問うべきところだ。

地下鉄を乗り継ぎ乙支部入口駅に戻る。いったんロッテホテルの部屋に帰りひと休み。ティーバックのお茶で喉を潤す。窓の外を見ると南山の頂きにソウルタワーが見える。その後ろの空は夕焼け色から濃紺へと少しずつに変化てゆく。星もちらほら見え始めた。自分たちはいまソウルにいるのだ。改めてしみじみとそう思う。何ヶ月も前から計画を立て準備を進めてきた妻も感慨深そうな表情だ。

しかし食べ盛りの息子を持つ身としては、いつまでも旅情に耽っているわけにもいかない。さぁ、夜のソウルに繰り出して本場の韓国料理を思う存分ぱくつくのだ。あれ、食欲旺盛なのは息子だけじゃなくボクもか!

続きはいずれまた……。

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2007.01.12

106,398歩、ソウルの旅(11)

※「106,398歩、ソウルの旅」は昨年のゴールデンウィークに家族三人でソウルを訪ねた旅の記録です。

5月3日。パークBOFへ戻り妻と落ち合う。あこがれの場所を訪ねたばかりの妻は少々興奮気味だ。それでもやはり腹はすいていたらしく、スターバックスで買ったチョコレートを嬉しそうに口に運んだ。再び狎鴎亭洞の街中に向かう。ソウルでは日本食が流行っているらしく、しゃれた外観のビルに日本語で「寿司」や「おでん」と書かれた看板が下がっていることが少なくない。その中には微妙におかしな日本語もしばしば見受けられた。なかでも「GAOの厨房」という店の看板は傑作。三人で大笑いしてしまった。

おいしい すしが
ウォ ソとは しんじがたいね
しょちゆう いぱいに すし
ひとつ たべながら
ぼくのごこゐを まぎ らして みる
ああ いいよ ああ いいよ

しんじがたい わだんに
じかたい げんをうてきな
あじと ふんいき
これが むてぽろ をのもである
     (「GAOの厨房」の看板から)


もっとも東京にしたってネイティヴから見れば微妙におかしな英語が街のあちらこちらにゴロゴロしているのだろうが……。

街歩きも少々飽きたので鳥山公園に立ち寄る。カップルや家族連れが思い思いに初夏の遅い午後を楽しんでいる。ウォーキングや体操に精を出すお年寄りの姿も目立つ。この公園は、日帝占領下の独立運動を率いた韓国の国民的英雄・安昌浩の業績を記念したものだという。園内にはツツジなど色とりどりの花に混じって占領下の苦難と独立運動の勇姿を描いたレリーフが飾られていた。このようなかたちで不幸な歴史の痕を突きつけられると、韓流ブームに浮かれるようにしてソウルを訪ねたボクも複雑な心持ちを覚える。いつまでも過去を引きずるべきではないかのもしれないが、だからといって、すっかり清算したような気になっていていいものか、疑わしくなってくるのだ。

続きはいずれまた……。

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2007.01.04

正月の航空公園

1月3日。久しぶりに妻と散策。航空公園を歩いた。雲間からもれる薄日を背景にいくつもの凧が宙を舞う様子が印象的だった。池畔のメタセコイアは妻のお気に入り。韓国ドラマ『冬のソナタ』を思い出すらしい。
 
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2006.12.08

106,398歩、ソウルの旅(10)

5月3日。さて、ここからはしばし息子と二人旅である。大通りに戻りスターバックスへ向かう。時間のゆとりができたせいか、さっきまで余り気にも留めていなかった周りの様子が目に入いるようになってきた。改めて観察してみると日式と書かれた高級そうな日本料理屋が多い。小洒落たブティックやアクセサリーショップなども目立つ。

もっともボクらの目を引いたのはクルマ。さすがにヒュンダイが多いがベンツやBMWなどのドイツ車、トヨタやニッサン、ホンダなどの日本車も少なくない。そんな話をしながら歩いていると、街の様子がますます華やかに賑わってきた。いよいよ狎鴎亭の中心地にさしかかったらしい。大通りのこちら側にもあちら側にも日本車を含めた外車のショールームが乱立している。ちょっと覗いてみたい気がしたが息子に断られてしまった。少々疲れが出たのか、早くスターバックスに行こうと言う。

見慣れた緑の看板がようやく見えてきた。ビルの2階、自動ドアを抜けカウンターに向かう。英語で話しかけてみたところ、さすがはスターバックス、きちんと通じた。普段ならエスプレッソかブレンドを注文するところだが、小腹がすいて糖分がとりたかったのでキャラメルマキアートにした。アイスクリーム好きな息子はフラペチーノ。コーヒーの味が分かるようになるには未だ早いらしい。

ここから見下ろす街並みは正に繁華街。だが真下の歩道には小さな小屋がいくつか立ち並んでいてちょっと違和感を感じさせる。ニューススタンドか軽食の屋台か、そういったところだろう。息子はちょっと飽きてしまった様子。話しかけてもあまりのってこない。少しや休ませてやろうと、そっとしておいたら、デジタルカメラで窓の外を撮りはじめた。そうこうするうちに約束の時間が迫ってくる。妻も小腹をすかしているだろうと、おやつにカウンターでチョコレートを買い外に出た。

続きはいずれまた……。

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106,398歩、ソウルの旅(9)

5月3日。刺繍博物館を出たボクらは強面男たちに目もくれず、もと来た大通りへと急いだ。5分ほどで大きな交差点。ここを左折すると街の雰囲気が微妙に違う。どことなくあかぬけた感じ、ほどよく趣味よく高級感を漂わせているのだ。狎鴎亭という街らしい。東京なら赤坂や青山にあたる流行発信地だそうだ。ゆっくり散策するにはもってこいの街並みだが、今は先を急がなくてはならない。本日のメインイベントの予約の時間が迫っている。

大通りを左に切れ路地に入る。間に合った。ここがお目当てのパークBOF、ヨン様ファンの聖地である。ペ・ヨンジュンの所属事務所BOFの旧社屋を改装した言わばぺ・ヨンジュン記念館だ。ドラマ『冬のソナタ』をきっかけに韓国好きとなった妻にとっては、ソウルに来た以上、必ず訪問しなくてはならない場所。いや、この旅の最大の目的の1つと言ってもいいだろう。

門の周りには明らかに日本人と思わしき観光客が数名、デジタルカメラで記念写真を撮っている。どうやら予約せずに来たために入館できなかったらしい。ボクらが門をくぐりぬける様子を羨ましげに見送っている。さて、その門の内側は思いのほか狭く、小さな庭と左手に2階建ての建物があるだけだ。建物もさほど大きくはない。ちょっとした郊外のカジュアル・レストランといった趣きである。

妻は庭に置かれた四輪駆動車を見つけると急いで駆け寄った。そばにあった標識を見ると映画『四月の雪』の撮影に使用された車だという。カメラを取り出し妻と車とのツーショットをフィルムに納める。この旅には普段使っているデジタルカメラに加えて銀塩一眼レフを持ってきた。大切な写真はやっぱりフィルムで撮りたいから……妻の強いこだわりである。

入り口で受付を済ませ館内に消えてゆく妻を見送り、ボクと息子は二人、パークBOFを後にした。ガイドブックで近くにスターバックスがあることを確認、ボクらはそこで1時間ほど休憩を取り、その後、再びここで妻と落ち合うことにしたのだ。韓国語がまるっきり分からないボクらだけでも、スターバックスならなんとかなるだろう。そう思ってのことである。だが、しかし、もしもスターバックスがなくなってしまっていたら……、まぁ、そのときはそのとき、散歩でもしていれば1時間くらいすぐに過ぎてしまうだろう。いつの間にやらボクの心配性も影が薄れ、韓国的なケンチャナヨ(大丈夫、なんとかなるの意)精神が芽生えてきたようだ。

続きはいずれまた……。

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2006.12.01

106,398歩、ソウルの旅(8)

5月3日。午後3時半頃であったか、鶴洞駅に到着。階段を昇ると大通りに出た。この辺りはオフィス街といった感じであろうか。屋上に大看板を掲げたビルが目立つ。しばらく歩道を進むと街並みには似合わぬ屋台があった。見ると大きな鍋のなかでドロっとした真っ赤なソースがグツグツ煮えている。ガイド本で見たトッポギだ。棒状の餅「トック」をコチュジャンで甘辛く煮たものだと書いてあった。韓国人なら誰もが好む庶民的なおやつだそうである。鍋から漂う牛ダシと唐辛子の香りが食欲をそそる。後ろ髪を惹かれる思いがしたが先を急がねばならない。なにしろ予約の時間がある。

屋台を通りすぎ脇道に入る。更に歩くこと数分、道を渡り右側の路地に入る。黒塗りの外車が数台、その周りには屈強そうなスーツ姿の男が数人たむろしている。ヤバイところに来てしまったかな、一瞬、緊張が走る。近くのビルの看板に目をやると英語でボディガードと書いてあった。それなら大丈夫か、ホッと息を呑む。強面男たちの脇をすり抜け、古いビルの入り口に入る。狭い階段を上るとガラス扉があり、いかにも診療所といった様子の受付が目に入る。本当にここなのだろうか? しかし妻は少しも躊躇せずに扉を開く、ボクには読めないハングル文字の表札に刺繍博物館と書かれていたのだろう。

妻が受付の女性と二言、三言、言葉を交わすと、その女性は「こちらです」とばかりボクらを別室に案内してくれた。妻の韓国語はちゃんと通じているようだ。なんとも心強い。別室に入ると、そこは照明も暗めで、いかにも博物館らしい落ち着いた雰囲気。伝統的な刺繍が施された衣類や掛けもの等の布製品、韓国式パッチワーク「ポジャギ」、などなど数多くのアンティークが展示されている。

ひと通り鑑賞を終えて出入り口に向かうと一人の男性が立っていた。恐らく館長さん、というか診療所の院長先生が趣味で集めたアンティークを公開している、といったところだろう。ガイド本で覚えた韓国語で挨拶すると、案の定、写真集や小物などを土産にどうかと勧めてくる。折角だから欲しいものがあったら買ったら、と妻に促したが、先を急ぎたい様子で、特にいいわ、と答える。そうだ、予約の時間が迫っているのだ。次の行き先がメインイベントだとすると刺繍博物館は前座に過ぎない。ボクらはそそくさと博物館を後にして次の目的地へと急いだ。

続きはいずれまた……。

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2006.11.24

106,398歩、ソウルの旅(7)

5月3日。はやいもので連載7回目となったが未だに5月3日のままだ。そろそろ先を急ごう。昼食を終えたボクら三人は地下鉄の乙支部入口駅を目指して地下道を歩いた。東京の地下道とさほど変わらない様子なのだが、なにしろ目に入る文字が全てハングル。あたりまえのことではあるが、なんとも奇妙な感覚だ。標識を頼りに、いや、標識を頼りに改札を探す妻を頼りにノコノコとついてゆく。ものの5分かそこらのことだったがえらく長く感じられた。

乙支部入口駅。妻はハングル文字の路線図を確認し自動販売機で切符を買う。何度もガイド本で予習していたのだろう。初めてのはずなのに少しも戸惑った様子がない。どちらかというと機械には弱いはずなのに、好きこそものの上手なれとはよく言ったものだ。改札を抜けホームへ。ほどなく到着した列車に乗り込む。車内はさほど混んでもいなかったが座れるほどではなかった。三人ならんで吊り革にぶら下がる。――次で乗換えだからね、妻が言う。ここではぐれたら一大事だ。ボクの心配性のスイッチがオンになる。

乙支部三街駅。息子がはぐれぬよう、そして妻に遅れぬよう、ボクは後ろに前に気を配りながら列車を降りた。――今度は3号線に乗るから、と妻。路線番号の3を頼りにホームを探す。ソウルの地下鉄はすべての路線に番号がついており、壁の案内板や通路の床にもこの番号を目印とした導線が示されている。だから初めてでも外国人でも目当てのホームが探しやすい……とは言うもののホームにつくまではやはりハラハラ、ドキドキさせられる。

3号線に乗換える。ここからは高速???駅(???の部分はハングル。「バスターミナル」の意だそうだ)まで大よそ20~30分。歴史あるソウルの中心部・河南地区から漢河を越え流行・文化の最先端・河北地区へと向かう列車の旅だ。少し落ち着いた心持ちがして、あれこれ車内を観察していたところ、軍服姿の若い男たちが目立つことに気がついた。なかには母親と思われる年かさの女性と二人づれの兵士もいる。たまの休暇で里帰りというところか。なるほど、これが徴兵制のある国の日常風景なのだ、と思う。

そうこうするうちに高速バスターミナル駅に到着。今度は7号線に乗換え、三駅先の鶴洞へ向かう。ここにはソウルの旅の最大の目的……といっても妻にとってのではあるが……が待ち受けている。

続きはいずれまた……。

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2006.10.05

106,398歩、ソウルの旅(6)

5月3日。午後2時ころであったか。投宿先のロッテホテルを出てソウルの街に出る。ここからは妻の初級韓国語と練りに練った観光プラン、そしてガイドブックだけが頼りである。とにかく腹が減っていたし、早く目的地に向かわないと予約の都合もあるので、さっと手早く食べられそうな店を探しに地下街へおりる。しばらく歩くとこじんまりとした軽食堂が目に入る。日本で言えば立ち食いそば屋にあたるような簡単な店だ。妻は少し躊躇していたが、まぁ、とにかく入ってみよう、なんとかなるさ、と背中を押す。

昼食にはやや遅い時間だったせいか、5~6席のテーブル席には客の姿はなく、カウンターに1人、初老の男性が麺類をすすっているだけだった。カウンターの中から、これまたオモニ風のおばさんがなにやら声をかける。早くて聞き取れない、妻はこころなしか青ざめた様子。とにかくテーブル席に座を占めメニューを開く。マンドゥ(ワンタンのようなもの)の入ったラーメンと韓国海苔巻き(キムパプ)を注文する。妻の韓国語はちゃんと通じたようでカウンターの中のおばさん2人、せっせと手を動かし始める。男性客がなにやら店員の2人に話しかける。日本人の観光客がくるとは驚いたなぁ、とでも言っているのだろうか。

韓国の海苔巻きは酢飯ではなく、かわりに胡麻油がきかせてある。ラーメンはインスタントラーメンのような揚げ麺だ。スープはもちろん真っ赤で辛い。しかしこれがうまいのだ。家族3人、汗を拭き拭き、あっという間に平らげてしまった。ボクはもとより小洒落た気取った店よりも肩の凝らない庶民的な感じの店の方が好きだ。料金の心配をせずに安心して食べられるし、たいていはそういう店の味の方がボクには合う。それになんとなく他の客や店の人との間の敷居が低そうな感じがする。この店はどうやら息子の味覚にもあったようで、明日もここにこよう、と言う。せっかくソウルにきたのだから、さすがにそれはどうかと思うが、またふらっと立ち寄りたくなる店ではあった。

続きはいずれまた……。

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2006.09.29

106,398歩、ソウルの旅(5)

5月3日。家族三人、おもいおもいに快適な空の旅を楽しんでいるうちに、いよいよ韓国の上空に差し掛かる。眼下に広がる韓国の田舎の景色は、山あり、川あり、田んぼあり、意外なほど日本と似ている。次第にマンションやビルが増え、ソウルの郊外へ。そして金浦空港が姿を現す。大きな揺れもなく怖いほど順調だ。

11時半(ころであったか、もはや記憶も定かではなくなってきた)、予定より30分ほど早く着陸。いよいよ韓国の地に足を踏み入れるときがきた。降機も滞りなく荷物の受取りもトラブルなし。ここまでは順調そのものだったが入国手続きの際に驚かされることがあった。家族三人の先頭をきってゲートをくぐり、係官に英語で話しかけると、明らかに戸惑ったような顔をしたのだ。英語が通じない! 妻から聞かされてはいたが、まさか空港内ですら通じないとは、ここから先は妻の初級韓国語だけが頼り……。もっとも係官の日本語はボクの英語よりはるかに流暢で、手続きそのものにはなんの問題もなかった。

大きな自動ドアを抜けると両脇に多数の出迎えの人々がすずなりとなっていた。旅行会社の小旗を頼りにガイドと合流。朗らかでしっかり者、世話好きそうな様子で、妻の言葉によれば、いかにもオモニ(お母さん)といった感じだ。他のツアー客を待って駐車場に向かう。雲ひとつない五月晴れ。少し暑いくらいだ。ドライバーに手伝ってもらい荷物をボディサイドに詰め込んでバスに乗車。総勢30人ほどだろうか。もちろん全員日本人だ。全部が全部ということでもないだろうが韓流ブームの凄まじさを思い知らされる。

漢河を越えソウル市街に向かう。近代的な街並みのそこここに時代に取り残されたような古い路地、家並みが残り、興味をそそる。オモニ風のガイドは観光案内を交えながら、チェックインの手続きや注意事項の説明、オプショナルツアーや免税店の紹介をそつなくこなしてゆく。達者な日本語だ。そんなガイドの名は李さん。親兄弟とは南北に分かれて暮らしているという。朝鮮の不幸な歴史を伝えたい気持ちでガイドの仕事をしている、そんな言葉が心に残った。

そうこうするうちにロッテホテルに到着。団体客専用ロビーでチェックインを済ませ部屋へ。さすがに少し疲れたけれどお腹もすいたし時間がもったいないので、早速、街に出ることにする。

続きはいずれまた……。

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2006.07.25

106,398歩、ソウルの旅(4)

5月3日。いよいよソウルに向けて離陸である。日本を離れるまでに、これ程の字数を重ねることになろうとは思ってもみなかったが、書き始めてみると、あれこれ懐かしく思い出され、ついつい長舌になってしまった。

久しぶりに飛行機に乗って驚いたのはエコノミークラスの充実ぶりである。昔に比べれば座席も広くなり、座り心地も随分とよくなった。座席ごとにディスプレーがあって各自好きな番組が見られるようになったのもビックリだ。こんなことはしばしば飛行機を利用している人にとっては驚きでもなんでもないのだろうが、なにしろボクは5年ぶりだか6年ぶりだかの飛行機である。

緊急時の避難方法等の説明が終わるとゆっくりと飛行機が動き出した。息子は家から持ってきた文庫本を読んでいる。ボクはガイド本を見ながら初日の旅程について妻と話をしていたが、実は内心、少しずつ飛行機恐怖症が頭をもたげ出していた。

滑走路についたのだろうか。いよいよ本格的に加速が始まる。息子は顔を挙げ驚いたような表情を見せる。すげー加速、何キロ出てんだこれ。聞いてて恥ずかしくなるよう