2012.04.04

読書録から(ツィートまとめ)

しげの秀一.頭文字D(44).講談社.2012

1/6 QT 継続する情熱こそが天才だ from 頭文字D(44) by しげの秀一

1/7 高橋啓介と北条豪のヒルクライム対決。Dの切り札は、まさかの… 頭文字D(44) by しげの秀一

清水一利.フラガール 3.11―つながる絆.講談社.2011

1/16 平穏な日常が戻ってきたのは喜ばしいことだが、復興はおろか復旧すら果たせぬうちに、日常へ埋没してゆく自分に違和感を感じる。そこで、フラガール 3.11―つながる絆 by 清水一利 を読んでみることにした

1/17 フラガール 3.11―つながる絆 by 清水一利。ちょうど半分くらい読んだところ。危急の時にも、もてなしの心を忘れず、被災客の救護に努めたハワイアンズ。感謝と賞賛の声を浴び、営業再開のシナリオも見えてきた、4月11日、まさかの事態が!

1/18 清水一利『フラガール 3.11―つながる絆』読了。東日本大震災、直下型余震による施設の損壊、原発事故による風評被害。困難を乗り越え営業再開を果たしたハワイアンズ、200日の奇跡

同日 フラガール 3.11―つながる絆(by 清水一利)。読みながら、ふと思ったのは、やっぱり仕事っていいな、ということ。仕事は仲間や顧客との絆をもたらし、その絆がボクらに仕事をさせてくれる

なばたとしたか.こびとづかん.長崎出版.2006

1/28 久しぶりに「こびとづかん」(なばたとしたか、長崎出版)を読む。奇抜な発想と細密な想像力、そして独特のテイスト。なんとも不思議な魅力がある

小沢道雄.本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ.光雲社.1998

1/28 「両足切断も有難い托鉢」と語る足無し禅師、小沢道雄の『本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ』を読む


1/30 QT 苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは二十七年前に生まれたということだ。二十七年前に生まれたということをやめにして、今日生まれたことにするのだ from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 人間、つまりは"癖"の生き物なのさ。だから一度肚を決めて笑うことにしてしまえば、あとは笑い癖がついてしまう from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 人と比べるという心がいけなかったのだ。競りあいとか目標とかが必然的に無理をつくりだす。自分が自分として生きるところには無理がない from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


2/1 QT 「自己のよりどころは自己のみなり」/これはお釈迦さまの言葉である。こんな簡単なこと、こんなわかりやすいことが、我々凡人には、凡人でありたくないと思うがゆえにわからないのだ from 本日ただいま誕生 by 小沢道雄


同日 QT 比べる心の存在を認めながらも、それを「手放し」にするということはできる from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 無理のないところにはじめて自分の生きかたというものが現れる from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 目的とか目標とかに捉われてはいけないということだ。いま歩いている私の実在は、歩いているこの一歩、一歩なのだ。この一歩、一歩が私のすべてなのだ from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


2/4 QT 私における托鉢ということは、単に路頭で歩きまわるだけが托鉢ではない。育ててもらっている一切を有難く頂戴するということだ from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 生きる事いっさいが托鉢ということになる。病気が来たら、病気を托鉢、死が来たら、死もまた托鉢ということで、つまり、両足切断も有難い托鉢であったというわけである from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 鈴木格禅師が語る小沢道雄師 QT 「せいいっぱい」は彼の生きる態度であり、「よろこんで」は彼の宗教であった。事実、その通りに彼は生きた。彼は「愚図り」をやめ「堂々たるお粗末」に安んじて生きた from 本日ただいま誕生 by 小沢道雄


渡浩一.お地蔵さんの世界―救いの説話・歴史・民俗.慶友社.2011

2/11 渡浩一『お地蔵さんの世界―救いの説話・歴史・民俗』読了。古代インドの地母神が仏教に取り入れられ地蔵菩薩に。さらに中国を経て日本に土着。お地蔵さんへと転じてゆく

三山喬.ホームレス歌人のいた冬.東海教育研究所.2011

2/20 ホームレス歌人のいた冬(三山喬、2011)読了


2/22 2008年12月。リーマンショックと呼ばれた世界的規模の金融危機と不況の最中、公田耕一と名乗る投稿者が朝日歌壇に登場。それから9ヶ月にわたり紙上を席巻した公田の居住地欄には「ホームレス」と記されていた ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 リーマンショックは雑誌出版の世界にも及び、フリーライター・三山喬は転職も覚悟し始めていた。そんな自身の境遇も重ねつつ、三山はホームレス歌人・公田耕一の軌跡を追った。分け入ったのは横浜のドヤ街・寿町。 ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT @寿生活館職員・鹿児島正明: 若い女性と子供がいない場所に、未来はありません from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT @寿支援者交流会事務局長・高沢幸男: ダメな人ほど助けが必要なことも事実なわけで、そういう人たちが死んでしまってもいい、という話にはなりませんからね from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 少なくない野宿者が…無気力状態になってしまうのではないか。だとすれば、彼らには経済的な支援や就職の斡旋といったサポート以前に、生きる気力を取り戻させる精神的なケアがまず必要ではないのか from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 表現のできる人は幸せだ…感情そのものはもろ刃の剣である…己を守るために感情を押し殺すようになってしまえば、心は砂漠になる。表現、という行為は、その安全弁のようなものではないか from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 少なくとも、あの作歌活動中、公田はじっと自分を見つめていた。見つめなければ、歌は詠めない…思考停止や現実逃避という方向に流されはしなかった from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT @獄中歌人・郷隼人: 人間ひとり、どのような状況下に置かれても、自分は獣ではない。一人の人間であるという『人間の尊厳、人間としてのディグニティ』を主張することを忘れてはならない from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 独房にいようと、路上に暮らそうと、「独り歌詠む時間」には、人は人としての尊厳を取り戻すことができるのだ。感情を失い、砂漠になりかけた心に、その瞬間、水を遣ることができるのだ from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 営々と築き上げられてきた私たちの共同体がいま、なすすべもなく壊れ、沈んでゆこうとしている。そのなかで、無数の人々が、その流れに抗いたい、抗う気持ちを示したい、という感情を抱いている from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


2/25 QT 私が探し求めたものは、結局のところ、苦しみの中で自らを真摯に見つめる心だった from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 人は絶望的な苦境に立たされると、心に蓋をしがちになる。だがそれは、希望をも遠ざけてしまう自己防衛である。それでも、もし、傍らに「表現」という自己確認の手立てがあれば…… from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT そうした行為※がもしあれば、極寒の路上でも孤独な独房でも、人は自分自身のまま生きてゆくことができるのではないか ※表現 from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬

出久根達郎.東京歳時記—今が一番いい時.河出書房新社.2011

2/19 QT 平凡な生活の中で、この些細な発見が大事なのではないかと思います…他人にはくだらぬ話だが、当人にとっては一大発見なのです…この発見が生き甲斐になることはあるはず…今日は昨日と、断じて同じではない from 東京歳時記 by 出久根達郎


2/22 QT 今が一番いい時。この言葉にも、私は東京を感じた…当り前の日常こそ貴重なのである。それこそが歳時記なのだ。東日本大地震以来、とみに、そう思うようになった。副題にしたゆえんである from 東京歳時記—今が一番いい時 by 出久根達郎


2/23 出久根達郎『東京歳時記—今が一番いい時』読了。さりげない日常のひとこま、ひとこまが、暖かく仄かな光に浮かび上がる。そのひとつひとつが「一番いい時」なのだと思い知らされる

それでも三月は、また.講談社.2012

3/14 「それでも三月は、また」読了。3.11以降を生きることについての17作品を収めたアンソロジー


同日 QT 生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから from 神様 2011 by 川上弘美 from それでも三月は、また


3/16 QT 歴史の積み重ねが知恵を生み、突破口を徐々に押し開きつつあるわけだ。/だからこそ、ぼくらはなおも克服を目指すべきなのだろう from RIDE ON TIME by 阿部和重 from それでも三月は、また


同日 QT 希望の芽は、最初はとても小さく、ささやかで、頼りなげに感じられる。実現できるかどうかもわからない。だが、最初の一歩を踏み出せば、具体的な形を伴った可能性が姿を現す from ユーカリの小さな葉 by 村上龍 from それでも三月は、また


同日 QT 希望の芽は、個別に、そして確実に生まれている from ユーカリの小さな葉 by 村上龍 from それでも三月は、また


同日 多和田葉子「不死の島」は重く不吉なハードブロー。巻末のデイヴィッド・ピース「惨事のあと、惨事のまえ」も重い。「この地震が収まることなどない」との一節が胸に刺さって抜けない from それでも三月は、また


同日 3.11を、どう捉え、描くか。池澤夏樹「美しい祖母の聖書」や古川日出男「十六年後に泊まる」、佐伯一麦「日和山」のように、3.11そのものを題材とした作品に惹かれた。てらいのない直球勝負 from それでも三月は、また


3/17 巻頭には谷川俊太郎の詩「言葉」。何となく選手宣誓を思わせる作品。大会長の開会宣言ではなく。そこがやっぱり谷川らしいと思う from それでも三月は、また


同日 重松清「おまじない」に寺山修司の言葉を思う from それでも三月は、また QT @terayamasyuzi: 歴史をかえてゆくのは革命的実践者たちの側ではなく、むしろくやしさに唇をかんでいる行為者たちの側にある


同日 小川洋子「夜泣き帽子」、川上未映子「三月の毛糸」、いしいしんじ「ルル」、明川哲也「箱のはなし」。なにか共通するものがあるような。例えばライナスの毛布。モノの感触に耽溺するうちに救われてゆく心 from それでも三月は、また


同日 川上弘美「神様 2011」。こういうアプローチもあったかと感心。それもオリジナルの「神様」が独特の雰囲気を構築し得ていたからであろう from それでも三月は、また


同日 QT 忘れることはできないと思ったの。でもそのほかのことではきっと笑えると思う。だから、ぜんぶをなくしたわけではないのよ from ピース by 角田光代 from それでも三月は、また

日本甲状腺学会(編).バセドウ病治療ガイドライン2011.南江堂.2011

3/24 日本甲状腺学会(編)『バセドウ病治療ガイドライン2011』読了。 バセドウ病の妻と生きるボクにとっては必読の一冊。自分の無知と誤解を思い知らされた

小倉紀蔵.心で知る、韓国.岩波現代文庫.岩波書店.2011

3/31 小倉紀蔵『心で知る、韓国』(岩波現代文庫)読了

同日 韓国。好悪を問わず、かつてない関心の高まりに、その表層を撫でまわすような言説がいく度となく繰り返される今日。小倉先生は敢えて、その深みに様々な角度から光をあてる

同日 韓くにの民の心、身体、愛、美、文化、人間関係、社会、言葉、宗教、空間、時間、他者。そして聖なる都市、ソウル

同日 QT 日本と韓国は敵やライバルという関係だけでなく、ともに同時代の問題を抱えている「問題共有者」としての関係を構築できるのではないか

4/1 QT 相手の成功や失敗から大いに学んで、自分のためにする。このような関係を、遠くの欧米ではなく、隣国と構築することにどれほどの利点があるかを、きちんと認識すべきなのである

from http://twitter.com/WaiNeco/

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2012.03.03

矮猫亭句帖2001

久しぶりに現代詩フォーラムに投稿しました。昨年詠んだ俳句16句を収めた矮猫亭句帖2011です。

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2011.09.25

秋の高麗郷から

久しぶりに日高市・高麗郷を訪ねる。

曼珠沙華 倒木の根の間から

まずは巾着田。台風15号の爪痕か、折れ枝、倒木が目立つ。高麗川を挟んだ対岸には小規模ながら土砂崩れの跡すら見受けられた。それでも曼珠沙華は真っ赤に咲き誇り旺盛な生命力を見せつける。
秋の蝶 仁王の鼻に羽休め

少し足を延ばし聖天院参拝。急峻な石段を登ると巨大な仁王像が睨みを利かせている。キタテハだろうか。仁王の凄みをものともせず目の前をひらひらと舞い、ついには鼻先に羽を休める。ちっぽけに見えるチョウだが、むしろ人の思惑こそ自然の前ではいかほどのこともない。
川風に羽黒蜻蛉の睦まじく

高麗神社を拝し家路につく。30分ほど歩いたところで足休め。阿里山カフェに立ち寄る。テラスから見下ろす高麗川。二羽のハグロトンボがじゃれ合うように飛ぶ。もっとも「じゃれ合うように」と見るのも人の思惑に過ぎない。今日を生き抜き、次世代に命をつなぐ。自然は、ただ、そのようにある。

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2011.08.24

この夏はなかなか豊作でした

最近1ヶ月ほどの間に読んだ本たち。なかなか豊作だったなぁ。

高柳芳恵『葉の裏で冬を生きぬくチョウ―ウラギンシジミ10年の観察』(偕成社、1999)

成虫で冬越しをする日本には数少ない蝶の1つ、ウラギンシジミの10年に及ぶ観察の記録。児童書然とした作りもあって「理科」が好きだった子供のころが思い出されワクワクした。

和合亮一『詩の邂逅』(朝日新聞出版、2011)

震災、津波、原発事故…。未曾有の事態に揺れる福島で詩人が出会った7人の被災者たち。詩と対話とからなる本書は、同じ命運を生き抜こうとする魂の出会いと、その出会いを糧とした危機の克服の記録と言えよう。

こうの史代『この世界の片隅に』新装版・前編同・後編(ともにアクションコミックス、2011)

いずれ読もうと以前から思っていたのだが、ドラマ化を機にということであろうか、従来より三割ほど廉価な新装版が出版されたので買ってみた(ドラマは見るの忘れた)。戦争という非常事態にあっても人は日々の暮らしを重ね、喜怒哀楽のうちに生き死にする。こうした当たり前だが忘れてはいけないことを思い出させてくれる作品だ。

菅野徹『町なかの花ごよみ鳥ごよみ』(草思社、2002)

この著者は一体どのような暮らしをしているのだろうか。生きものに関する知識の豊富さ、見識の高さはもちろんのこと、自宅周辺を隈なく知りつくすほどの地道で長期にわたるフィールドワークには圧倒される。それだけではない。フランス文学や漢詩を中心に洋の東西を問わず古典にも精通しており、一体どのように時間を捻出しているのだろうと思わせられる。

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2011.08.20

盂蘭盆会三句

仮住まい我には詣る墓もなく
夏つばめ塔婆の高さ測るよに
抱腹の態で果つるや油蝉

ある夕暮れのこと。お盆と言っても都会では親戚付合いの廃れた昨今、詣るべき墓も精霊棚もなく、せめても近隣の地蔵堂霊園を訪ねてみた。コウモリと競うように飛ぶツバメに驚かされた

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2011.08.16

真夏のシュプレヒコール

久しぶりに詩(らしきもの)を書いてみました。やむにやまれずという感じです。ご笑覧下さい。矮猫

真夏のシュプレヒコール

8.6、広島。原爆犠牲者慰霊平和記念式典
同日、三里塚。天神峰現地闘争本部(通称・団結小屋)、強制撤去
同日、ロンドン。警察に射殺された男の追悼集会

8.7、お台場。反「韓流」非合法デモ
同日、福島。「がんばろう!ふくしま」第33回ふくしま花火大会
同日、西武池袋線。落雷により5時間運行停止。乗客多数、車内に閉じ込められる

8.8、ニューヨーク。ダウ工業株平均株価5.55%下落
同日、ロンドン。市内各所に暴動拡散
同日、ソマリア。首都モガディシオに飢饉避難民数千人押し寄せる

8.9、長崎。原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
同日、東京。日経平均終値9000円割れ(下落率は1.68%)
同日、旧制長崎県立瓊浦中学校。最後の同窓慰霊会

ニュースの向こう
呼び交わされる声に
耳を澄ます
その声の
核心を聞き定めて
本当のことだけ
響かせたい
涼しい胸に
凛とした声音で
シュプレヒコールを


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2011.05.23

ティク・ナット・ハン『微笑みを生きる』を読む

ティク・ナット・ハン『微笑みを生きる―「気づき」の瞑想と実践』(春秋社、1995)を読む。市の図書館にリクエストした同氏の著作3冊の内の2冊目だ。10日ほど前に読んだ『仏の教え ビーイング・ピース――ほほえみが人を生かす』 (中公文庫、1999)に比べると、呼吸の仕方など、更に一歩、具体的な方法論に踏み込んでいる印象を持つ。また詩情を感じさせる文章も多く。特にボクは「木の葉のように私たちにもたくさんの茎がある」という3ページほどのエピソードにティク・ナット・ハンの詩人としての本領を垣間見る思いがした。あらゆる生命が互いに、また地球との間に、切り離すことのできない互恵的な関係を持つことを柔らかく美しい言葉で語っている。

ところで今日は支援金シネマダイアローグ4回目『地球交響曲第四番』が放映される。19時より国分寺いずみホールにて。

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2011.04.26

ぴーひょろろろろーがーぎー

かつてNIFTY-serveだった皆さまへ

もうニフティ25周年記念サイトにはお出かけになられましたか?

かつて夜な夜な食い入るように見つめていた、あの懐かしい黒い画面が見られます。いちおうフォーラムにも行けますし、twitterからですが掲示板に投稿もできます(#nifty25)。ボクはさっそくgo fpoemしてみました。今にもモデムの音が聞こえてきそうです。

追伸 かつてfpoemだったtwitterの皆さま、#go_fpoemに呟いてみませんか?

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謝々

拙作を中国語に訳してくれたかたがいらっしゃるようだ。どのように謝意を伝えたらよいものか。ともかく「謝々」と呟いてみる。

翻译矮猫亭的自由小文--迷途
http://hi.baidu.com/tanbarin/blog/item/53b34e45fbc2f42a86947374.html

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2010.09.04

本当に切実な言葉

本日の読売新聞夕刊「魂の一行詩」から。

現代詩でも短歌でも、「原爆忌」を詠うことがなくなった。唯一、俳句だけが季語であることから作句される

「魂の一行詩」主宰、角川春樹氏の言葉だ。何たる皮肉か、かつて「第二芸術」と呼ばれた俳句が「第二芸術」であるが故に核心を突き続けている。例えば角川氏が選んだ次の二句:
語らねば語らねば原爆忌を老いて 石山秀太郎
戦争が水飲みに来る天の川 松永富士見

本当に切実な言葉を発しているのは誰か、真剣に考えるべきときが来ているのだと思う。少なくとも角川氏はそう考えているに違いない。

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