2013.01.06

読書録から(ツィートまとめ)

10/27、QT @宮本武蔵: 戻ったんだ地に、何も持たないという、はじめの姿に from バガボンド(34) by 井上雄彦

11/4、QT 人間は意地が悪い、などと決して言ってはならぬ。決してこれこれの性質だなどと言うものではない。ピンを探せ from 幸福論 by アラン

同日、「あいつは~」と決めつける前に、その言動の真意、原因を探せ、ということか。これは案外、自分に向けてみても良いかもしれない。自分の気持ち、感情をみつめ、心に刺さるピンを探す QT ピンを探せ from 幸福論 by アラン

11/7、QT 要するにわれわは情念によって病気を重くするのだ。それが、ほんとうの体操を学ばなかった人たちの運命である from 幸福論 by アラン

11/10、QT 幸福というものには、人が考えるより以上に意志の力が必要である from 幸福論 by アラン

11/23、QT @ジャック・ランドール: ひとりの力で頂点に立った人間はいまだかつていない from リアル(12) by 井上雄彦

12/25、今日のありがとう。荒崎良徳先生、有難うございます。日本の三つの母の日を初めて知りました(三つの母の日.大法輪2011年4月号

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2012.07.20

読書録から(ツィートまとめ)

ひきちガーデンサービス(曵地トシ+曵地義治).雑草と楽しむ庭づくり:オーガニック・ガーデン・ハンドブック.築地書館.2011

4/2(月)、ひきちガーデンサービス『雑草と楽しむ庭づくり』(築地書館、2011)読了。いかに除草の手間を省くか。本書から学んだ答えは、根絶やしにしなくても、手なずけ、共存すればよい、ということ。野の草花にも多様な魅力があるのだから

松橋良紀.あたりまえだけどなかなかできない聞き方のルール.アスカビジネス.飛鳥出版社.2009

4/9(月)、松橋良紀『あたりまえだけどなかなかできない聞き方のルール』(飛鳥出版社、2009)読了。あたりまえと言われれば、そうかもしれないけれど、そうだったのかと、思わせられることも少なくなかった

茨木のり子.ハングルへの旅.朝日文庫.朝日新聞社.1989 (1986)

4/28(土)、茨木のり子『ハングルへの旅』(朝日文庫、1989)読了

同日、映画『マイウェイ―12,000キロの真実』(2011、韓)にも通じるものがある QT 粘りに粘って生き抜く粧刀型のほうがはるかに強く烈しいと思う from ハングルへの旅 by 茨木のり子

同日、QT 陶器の食器を使えるというのは平和の証拠です @韓国から来た留学生 from ハングルへの旅 by 茨木のり子

6/10(日)、映画『道ー白磁の人』の余韻を求め、茨木のり子の『ハングルへの旅』(朝日文庫、1989)をひもとく。浅川巧の眠る忘憂里への旅

島田裕巳.ほんとうの親鸞.講談社現代新書.講談社.2012

5/30(水)、島田裕巳『ほんとうの親鸞』(講談社現代新書.講談社.2012)読了

同日、「『歎異抄』の親鸞」でも「『伝絵』の親鸞」でもない「ほんとうの親鸞」とは、いったい誰なのか…

同日、QT 日本人は親鸞を通してどういう夢を見てきたのか from ほんとうの親鸞 by 島田裕己

6/2(土)、QT だが、カリスマも超人も、ほんとうはいない。ほんとうの親鸞は、私たちと近いところにいて、生涯にわたって、正しい信仰の道を追い求めつつも、揺れ、惑い続けた存在なのである from ほんとうの親鸞 by 島田裕巳

しげの秀一.頭文字D(45).講談社.2012

6/16(土)、しげの秀一『頭文字D』vol. 45 読了

同日、QT すごいもんやな 人間ちゅうのは・・ @久保英次 from 頭文字D(45) by しげの秀一

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2012.04.04

読書録から(ツィートまとめ)

しげの秀一.頭文字D(44).講談社.2012

1/6 QT 継続する情熱こそが天才だ from 頭文字D(44) by しげの秀一

1/7 高橋啓介と北条豪のヒルクライム対決。Dの切り札は、まさかの… 頭文字D(44) by しげの秀一

清水一利.フラガール 3.11―つながる絆.講談社.2011

1/16 平穏な日常が戻ってきたのは喜ばしいことだが、復興はおろか復旧すら果たせぬうちに、日常へ埋没してゆく自分に違和感を感じる。そこで、フラガール 3.11―つながる絆 by 清水一利 を読んでみることにした

1/17 フラガール 3.11―つながる絆 by 清水一利。ちょうど半分くらい読んだところ。危急の時にも、もてなしの心を忘れず、被災客の救護に努めたハワイアンズ。感謝と賞賛の声を浴び、営業再開のシナリオも見えてきた、4月11日、まさかの事態が!

1/18 清水一利『フラガール 3.11―つながる絆』読了。東日本大震災、直下型余震による施設の損壊、原発事故による風評被害。困難を乗り越え営業再開を果たしたハワイアンズ、200日の奇跡

同日 フラガール 3.11―つながる絆(by 清水一利)。読みながら、ふと思ったのは、やっぱり仕事っていいな、ということ。仕事は仲間や顧客との絆をもたらし、その絆がボクらに仕事をさせてくれる

なばたとしたか.こびとづかん.長崎出版.2006

1/28 久しぶりに「こびとづかん」(なばたとしたか、長崎出版)を読む。奇抜な発想と細密な想像力、そして独特のテイスト。なんとも不思議な魅力がある

小沢道雄.本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ.光雲社.1998

1/28 「両足切断も有難い托鉢」と語る足無し禅師、小沢道雄の『本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ』を読む


1/30 QT 苦しみの原因は比べることにある。比べる心のもとは二十七年前に生まれたということだ。二十七年前に生まれたということをやめにして、今日生まれたことにするのだ from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 人間、つまりは"癖"の生き物なのさ。だから一度肚を決めて笑うことにしてしまえば、あとは笑い癖がついてしまう from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 人と比べるという心がいけなかったのだ。競りあいとか目標とかが必然的に無理をつくりだす。自分が自分として生きるところには無理がない from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


2/1 QT 「自己のよりどころは自己のみなり」/これはお釈迦さまの言葉である。こんな簡単なこと、こんなわかりやすいことが、我々凡人には、凡人でありたくないと思うがゆえにわからないのだ from 本日ただいま誕生 by 小沢道雄


同日 QT 比べる心の存在を認めながらも、それを「手放し」にするということはできる from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 無理のないところにはじめて自分の生きかたというものが現れる from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 目的とか目標とかに捉われてはいけないということだ。いま歩いている私の実在は、歩いているこの一歩、一歩なのだ。この一歩、一歩が私のすべてなのだ from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


2/4 QT 私における托鉢ということは、単に路頭で歩きまわるだけが托鉢ではない。育ててもらっている一切を有難く頂戴するということだ from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 QT 生きる事いっさいが托鉢ということになる。病気が来たら、病気を托鉢、死が来たら、死もまた托鉢ということで、つまり、両足切断も有難い托鉢であったというわけである from 本日ただいま誕生―苦しむのは比べるからだ by 小沢道雄


同日 鈴木格禅師が語る小沢道雄師 QT 「せいいっぱい」は彼の生きる態度であり、「よろこんで」は彼の宗教であった。事実、その通りに彼は生きた。彼は「愚図り」をやめ「堂々たるお粗末」に安んじて生きた from 本日ただいま誕生 by 小沢道雄


渡浩一.お地蔵さんの世界―救いの説話・歴史・民俗.慶友社.2011

2/11 渡浩一『お地蔵さんの世界―救いの説話・歴史・民俗』読了。古代インドの地母神が仏教に取り入れられ地蔵菩薩に。さらに中国を経て日本に土着。お地蔵さんへと転じてゆく

三山喬.ホームレス歌人のいた冬.東海教育研究所.2011

2/20 ホームレス歌人のいた冬(三山喬、2011)読了


2/22 2008年12月。リーマンショックと呼ばれた世界的規模の金融危機と不況の最中、公田耕一と名乗る投稿者が朝日歌壇に登場。それから9ヶ月にわたり紙上を席巻した公田の居住地欄には「ホームレス」と記されていた ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 リーマンショックは雑誌出版の世界にも及び、フリーライター・三山喬は転職も覚悟し始めていた。そんな自身の境遇も重ねつつ、三山はホームレス歌人・公田耕一の軌跡を追った。分け入ったのは横浜のドヤ街・寿町。 ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT @寿生活館職員・鹿児島正明: 若い女性と子供がいない場所に、未来はありません from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT @寿支援者交流会事務局長・高沢幸男: ダメな人ほど助けが必要なことも事実なわけで、そういう人たちが死んでしまってもいい、という話にはなりませんからね from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 少なくない野宿者が…無気力状態になってしまうのではないか。だとすれば、彼らには経済的な支援や就職の斡旋といったサポート以前に、生きる気力を取り戻させる精神的なケアがまず必要ではないのか from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 表現のできる人は幸せだ…感情そのものはもろ刃の剣である…己を守るために感情を押し殺すようになってしまえば、心は砂漠になる。表現、という行為は、その安全弁のようなものではないか from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 少なくとも、あの作歌活動中、公田はじっと自分を見つめていた。見つめなければ、歌は詠めない…思考停止や現実逃避という方向に流されはしなかった from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT @獄中歌人・郷隼人: 人間ひとり、どのような状況下に置かれても、自分は獣ではない。一人の人間であるという『人間の尊厳、人間としてのディグニティ』を主張することを忘れてはならない from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 独房にいようと、路上に暮らそうと、「独り歌詠む時間」には、人は人としての尊厳を取り戻すことができるのだ。感情を失い、砂漠になりかけた心に、その瞬間、水を遣ることができるのだ from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 営々と築き上げられてきた私たちの共同体がいま、なすすべもなく壊れ、沈んでゆこうとしている。そのなかで、無数の人々が、その流れに抗いたい、抗う気持ちを示したい、という感情を抱いている from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


2/25 QT 私が探し求めたものは、結局のところ、苦しみの中で自らを真摯に見つめる心だった from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT 人は絶望的な苦境に立たされると、心に蓋をしがちになる。だがそれは、希望をも遠ざけてしまう自己防衛である。それでも、もし、傍らに「表現」という自己確認の手立てがあれば…… from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬


同日 QT そうした行為※がもしあれば、極寒の路上でも孤独な独房でも、人は自分自身のまま生きてゆくことができるのではないか ※表現 from ホームレス歌人のいた冬 by 三山喬

出久根達郎.東京歳時記—今が一番いい時.河出書房新社.2011

2/19 QT 平凡な生活の中で、この些細な発見が大事なのではないかと思います…他人にはくだらぬ話だが、当人にとっては一大発見なのです…この発見が生き甲斐になることはあるはず…今日は昨日と、断じて同じではない from 東京歳時記 by 出久根達郎


2/22 QT 今が一番いい時。この言葉にも、私は東京を感じた…当り前の日常こそ貴重なのである。それこそが歳時記なのだ。東日本大地震以来、とみに、そう思うようになった。副題にしたゆえんである from 東京歳時記—今が一番いい時 by 出久根達郎


2/23 出久根達郎『東京歳時記—今が一番いい時』読了。さりげない日常のひとこま、ひとこまが、暖かく仄かな光に浮かび上がる。そのひとつひとつが「一番いい時」なのだと思い知らされる

それでも三月は、また.講談社.2012

3/14 「それでも三月は、また」読了。3.11以降を生きることについての17作品を収めたアンソロジー


同日 QT 生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから from 神様 2011 by 川上弘美 from それでも三月は、また


3/16 QT 歴史の積み重ねが知恵を生み、突破口を徐々に押し開きつつあるわけだ。/だからこそ、ぼくらはなおも克服を目指すべきなのだろう from RIDE ON TIME by 阿部和重 from それでも三月は、また


同日 QT 希望の芽は、最初はとても小さく、ささやかで、頼りなげに感じられる。実現できるかどうかもわからない。だが、最初の一歩を踏み出せば、具体的な形を伴った可能性が姿を現す from ユーカリの小さな葉 by 村上龍 from それでも三月は、また


同日 QT 希望の芽は、個別に、そして確実に生まれている from ユーカリの小さな葉 by 村上龍 from それでも三月は、また


同日 多和田葉子「不死の島」は重く不吉なハードブロー。巻末のデイヴィッド・ピース「惨事のあと、惨事のまえ」も重い。「この地震が収まることなどない」との一節が胸に刺さって抜けない from それでも三月は、また


同日 3.11を、どう捉え、描くか。池澤夏樹「美しい祖母の聖書」や古川日出男「十六年後に泊まる」、佐伯一麦「日和山」のように、3.11そのものを題材とした作品に惹かれた。てらいのない直球勝負 from それでも三月は、また


3/17 巻頭には谷川俊太郎の詩「言葉」。何となく選手宣誓を思わせる作品。大会長の開会宣言ではなく。そこがやっぱり谷川らしいと思う from それでも三月は、また


同日 重松清「おまじない」に寺山修司の言葉を思う from それでも三月は、また QT @terayamasyuzi: 歴史をかえてゆくのは革命的実践者たちの側ではなく、むしろくやしさに唇をかんでいる行為者たちの側にある


同日 小川洋子「夜泣き帽子」、川上未映子「三月の毛糸」、いしいしんじ「ルル」、明川哲也「箱のはなし」。なにか共通するものがあるような。例えばライナスの毛布。モノの感触に耽溺するうちに救われてゆく心 from それでも三月は、また


同日 川上弘美「神様 2011」。こういうアプローチもあったかと感心。それもオリジナルの「神様」が独特の雰囲気を構築し得ていたからであろう from それでも三月は、また


同日 QT 忘れることはできないと思ったの。でもそのほかのことではきっと笑えると思う。だから、ぜんぶをなくしたわけではないのよ from ピース by 角田光代 from それでも三月は、また

日本甲状腺学会(編).バセドウ病治療ガイドライン2011.南江堂.2011

3/24 日本甲状腺学会(編)『バセドウ病治療ガイドライン2011』読了。 バセドウ病の妻と生きるボクにとっては必読の一冊。自分の無知と誤解を思い知らされた

小倉紀蔵.心で知る、韓国.岩波現代文庫.岩波書店.2011

3/31 小倉紀蔵『心で知る、韓国』(岩波現代文庫)読了

同日 韓国。好悪を問わず、かつてない関心の高まりに、その表層を撫でまわすような言説がいく度となく繰り返される今日。小倉先生は敢えて、その深みに様々な角度から光をあてる

同日 韓くにの民の心、身体、愛、美、文化、人間関係、社会、言葉、宗教、空間、時間、他者。そして聖なる都市、ソウル

同日 QT 日本と韓国は敵やライバルという関係だけでなく、ともに同時代の問題を抱えている「問題共有者」としての関係を構築できるのではないか

4/1 QT 相手の成功や失敗から大いに学んで、自分のためにする。このような関係を、遠くの欧米ではなく、隣国と構築することにどれほどの利点があるかを、きちんと認識すべきなのである

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2009.04.28

4月の読書録から

今月はランニング関係の本を中心に6冊。寡読なボクとしてはまぁまぁの数だし、内容的にもなかなか充実した読書ライフであった。

『仰臥漫録』(正岡子規、岩波文庫、1989)

正岡子規が病床で綴った最後の日記。前作『墨汁一滴』と異なり公表を前提としておらず、よりあからさまで率直な日々の記録となっている。当ブログでも「正岡子規『仰臥漫録』を読む」で紹介した。

『浅井えり子の「新・ゆっくり走れば速くなる」―マラソン・トレーニング改革』(ランナーズ、1997)

初のフルマラソンを走り終えた直後は至福の5キロの印象ばかりが強かったが思い返すうちに不甲斐ないタイムが悔やまれるようになった。欲が出てきたというべきだろうか。次回は格段のタイムアップをと考えトレーニングの方法を学び直すことにした。まず手始めに読んだのが本書。恩師にして亡夫である故・佐々木功監督の後継者として浅井えり子が自らの経験をベースにLSD理論を解説したものだ。LSD(Long Slow Distance)で無理なく、しっかり身体を作る――トレーニングの原点はここだと学んだ。

『マラソン実戦力アップマニュアル―目標タイム別3カ月トレーニング計画』(ベースボール・マガジン社、2007)

続いて紐解いたのが本書。この本では目標タイムの設定方法や、目標タイムに応じたトレーニングのあり方を学んだ。殊に時期によって練習の内容を変える期分けの考え方は大いに参考になった。

『21世紀のマラソントレーニング―成功への道しるべ 』(前河洋一ほか、ランナーズ、2003)

極めつけが最後に読んだ本書。最新の運動生理学に基づきトレーニングのあり方を論じている。それだけに多少難解な面もあるが、トレーニングの教科書として役立つだけでなくサイエンスの本としても興味深い。

『赤色エレジー』(林静一、小学館文庫、2001)

「赤色エレジー」というと、あがた森魚の同タイトルの名曲を思い浮かべる人のほうが多いかもしれないが元祖はこちら、本書に収録されている劇画「赤色エレジー」だ。古典的な情念の物語を斬新な表現で描いた本作は40年たった今も、いや今だからこそ増して新鮮である。

『大法輪』2009年5月号(大法輪閣)

今号の特集は「図解・お寺と宗派の見分け方」。寺の建物や仏像・仏具、葬儀等の儀式や行事など、日本の主な宗派の特徴、それぞれの違いが示されている。前号から続く古山健一の「知られざるビルマ仏伝の世界(後編)」や田主誠の「興福寺阿修羅像の美」も面白かった。

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2009.04.07

正岡子規『仰臥漫録』を読む

4月3日。正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫、1989)読了。1月に読んだ『墨汁一滴』(岩波文庫、1984)と同様、子規が病床で筆を取った晩年の作品である。しかし『墨汁一滴』が新聞『日本』に連載されたのに対し『仰臥漫録』は公表を前提としておらず、よりあからさまで率直な日々の記録となっている。

明治卅四年九月二日  雨 蒸暑
庭前の景は棚に取付いてぶら下りたるもの
夕顔二、三本瓢二、三本糸瓜四、五本夕顔
とも瓢ともつかぬ巾着形の者四つ五つ

『墨汁一滴』校了から2ヶ月。子規の病状は更に進み最早うつ伏せになることもできなかったという。それでも子規は書くことをやめず、綴じた半紙に仰向けのまま筆を運び『仰臥漫録』の執筆を始めた。とはいえ、その内容は、食事や体温、便通などの記録を主とし、見舞い客や家族との交流、窓外の景物などを加える程度に留まることが多く、『墨汁一滴』ほどの多彩さは見受けられない。しかし、それだけに却って子規の書くことへの強い執念が感じられる。
つくつくぼーし明日なきやうに鳴きにけり

献身的に子規の看護にあたる妹・律への傲慢ともいえるような批判なども交えつつ、約1ヶ月間、子規は1日も休まず筆を執り続ける。しかし病いが進むにつれ精神状態も不安定となり、10月上旬には「この後は逆上のため筆をとらず」と4日間の中断。同月13日には「自殺熱」が「むらむら」と起こり、枕元の小刀で喉を裂き、千枚通しで心臓を突けば死ねるのではないかと記すに至る。その後も容態が安定しなかったのか、「十月廿九日 曇」の記述を最後に『仰臥漫録』は半年近い空白期間を迎える。
梅の花見るにし飽かず病めりとも手震はすは画にかかましを

日記が再開したのは翌35年3月10日。だが、これも3日しか続ない。そして3ヶ月後の6月20日からは「痲麻痺剤服用日記」が記されるようになるが、概ね1日1行、天気や麻痺剤の服用時刻、食事の内容など覚書き程度のものに過ぎない。服用日記も7月29日で途絶え、その後、日付の付された記述は9月3日のみ。花のスケッチの脇に添えられた僅か3行が日記の最後となった。
卅五年
 九月三日夜写
     夜会草ノ花

そのあとには夥しい数の短歌と俳句が残されている。絶命までの16日間に詠まれたものなのか、それとも折に触れて書き残されてきたものなのか、確かなことは分からないが、ボクには前者のように思われる。絵が描けなくなっても、文章が書けなくなっても、子規は最後の最後まで歌と句だけは手放さなかった。そのように思われるのだ。
千本が一時に落花する夜あらん

鳥の子の飛ふ時親はなかりけり


短歌と俳句に混じって夏の季語が羅列されている箇所がある。数えてみたところ114語あった。この季題も詠みたい、あの季題も詠みたい、まだまだ詠みたりない、と子規の呟く声が聞こえるような気がした。
糸瓜さへ仏になるぞ後るるな

明治35年9月19日、子規は34年の短い生涯を終えた。上記の句はそのほぼ1年前、『仰臥漫録』にしたためられた作品だ。前書きに「草木国土悉皆成仏」とある。子規の命日は「糸瓜忌」と呼ばれ今もなお墓前にその偉業を偲ぶ者が少なくないという。

※短歌、俳句はいずれも『仰臥漫録』より引用。

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2009.02.16

1月の読書録から

1月31日。早いもので新年を迎えてからもう1ヶ月が経ってしまった。このひと月の間に読んだ本は雑誌を含めて4冊。殆どが仏教に関するものばかりで詩のほうは相変わらずすっかりお留守だ。

『遺教経に学ぶ―釈尊最後の教え』(松原泰道、大法輪閣)

100歳を越えた今も幅広く活躍される禅僧・松原泰道による『遺教経』の入門書。『遺教経』は死を間近に控えた釈尊が弟子たちに語った最後の説法を記録したもので釈尊の教えのエッセンスが凝縮されていると言われる。そういう意味では『遺教経』の入門書であると同時に初期仏教の入門書ともいえよう。

『大法輪』2009年1月号(大法輪閣)

特集は「禅語百選――生き方・考え方を一変させる禅の真髄」。日々是好日、滅却心頭火自涼など誰にとっても馴染み深い言葉をはじめ100語におよぶ禅の名言が紹介されている。新連載の「仏教民俗学入門」(塩入亮乗)や日野原重明による「鈴木大拙師の最期」も興味深い。

『墨汁一滴』(正岡子規、岩波文庫)

正岡子規の晩年の名随筆。「観察と思考と回想と幻想が相集ってなまなましい批評的場を形成し」ていると解説の粟津則雄は評している。当ブログにも先月2回、登場しているので併せてご覧頂きたい(「『墨汁一滴』を読む」「あら玉の年のはじめの七くさを」)。

大法輪 2009年 02月号(大法輪閣)

特集は「これでわかる[道元]――今・道元から学ぶもの」。日本曹洞宗の開祖とされる道元禅師の思想と生涯を解説。著作ガイドや現代語訳つきの名言集なども収録されており、映画『禅ZEN』で改めて関心を集める道元の入門書として大いに役立ちそうだ。

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2009.01.29

『墨汁一滴』を読む

1月9日。『墨汁一滴』(正岡子規、岩波文庫)読了。子規がその死の前年、約6ヶ月にわたって新聞『日本』に連載した同名の随筆をまとめたものである。子規は執筆の動機をこんな風に書いている。

年頃苦しみつる局部の痛の外に左横腹の痛去年より強くなりて今ははや筆取りて物書く能はざるほどになりしかば思ふ事腹にたまりて心さへ苦しくなりぬ。かくては生けるかひもなし。はた如何にして病の牀のつれづれを慰めてんや。思ひくし居るほどにふと考へ得たるところありて終に墨汁一滴といふものを書かましと思ひたちぬ。

原稿用紙に吐きだされることで名随筆に結晶した腹にたまっていた「思ふ事」は、身の回りの事物や過去の回想から、俳論・歌論といった文学論、社会批評、ショートショート風の小品までと、実に幅広く、しかも「雑多な羅列」に堕していない。粟津則雄は文庫版の「解説」に「病床にあって毎日一回ずつ書くという条件」が「子規という人を全体的に生かすための格好の場」を提供し、「なまなましい批評的場を形成」したとしている。
一 人間一匹
右返上申候時々幽霊となって出られ得る様以特別御取計可被下候也
 明治三十四年月日                      何 が し
     地水火風御中

「四月九日」の作品。徐々に容態が悪化し死を覚悟しながらも自己観察、自己批評とユーモアを忘れない子規の強靭な精神が感じられる。

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2009.01.27

あら玉の年のはじめの七くさを

1月7日。妻が夕食に七草粥を炊いてくれた。例年のこととはいえ時候に合った季節感のある食べ物を頂けるのは嬉しい。照れくさくて面と向かってはなかなか言えないことだが、妻に感謝である。

さて七草といえば会社帰りに読んでいた正岡子規『墨汁一滴』(岩波文庫)に七草にちなんだ短歌があった。

あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため

『墨汁一滴』は子規の晩年の随筆で、病床から見た身の回りの事物や幼少の或いは若き日の思い出、俳論・歌論といった文学論、更には社会批評やショートショート風の小品まで、幅広い内容となっている。弟子をはじめとした見舞い客との交流もしばしば取り上げられていて、外出はおろか庭に出ることも病床を離れることさえできなくなった子規を慰めようと、みな様々な工夫を凝らしていた様子が伺える。たとえば墨井恕堂が当時まだ珍しかった蓄音機を持ち込み海外の音楽を聞かせたり、寒川鼠骨がブリキ缶に本物の御籤を入れて持ってきて子規に引かせたり、といった具合だ。子規も見舞い客の好意に応え、蓄音機から流れる曲におどけた歌詞をつけてみたり、ブリキ缶から引いた凶のくじの詩句が分からないと1ヶ月も考え込んだりする。

子規は短歌や俳句の近代化を目指し、自ら作品や評論を残す一方、伊藤左千夫長塚節斎藤茂吉高浜虚子河東碧梧桐、といった数々の弟子を育てた。『墨汁一滴』に示された心温まる交流からは名伯楽・子規の指導力を支えたであろう人徳・人柄が伺えるように思われる。

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2007.02.07

宮本武蔵

1月22日。司馬遼太郎の『宮本武蔵』を読む。主人公の武蔵をはじめ、日ごろ読み親しんでいるマンガ『バガボンド』で馴染みの登場人物ばかりだが、『バガボンド』で描かれた人物像とは大きく異なっていることに興味を覚えた。司馬の描いた人物像が史実を踏まえたものだとすれば、『バガボンド』のほうは創作の要素が大きい。そのどこまでを原作、吉川英治の『宮本武蔵』に負っているのか、どこからが井上雄彦の独創なのか、ちょっと気になってきた。いよいよ吉川の武蔵に手を出すときか? とはいえ確か文庫で8冊くらいあったよなぁ……。うーむ。

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2006.11.27

考えるヒント

11月27日。2週間ほど前のことであったか、無性に小林秀雄の文章が読みたくなって近所のブックオフで『考えるヒント』を買った。以来、折を見てはひろい読みしているのだが、やはり小林の文章はキレがあって良い。

そんな話を中三の息子にしたら、小林の文章は問題集にでてきたけど堅苦しいばかりで面白くない、との答えが返ってきた。もっと簡単に言えるはずのことをいたずらに難しく書いているだけで単なる受験生の敵だと。おいおい、それはないだろう……。

とはいえ、小林の文章のどこがどう面白いのか、自分にもどうもよく分からないのだ。文章の姿勢のすっと背筋が伸びているような感じ、議論の運びや言葉選びの鋭いキレ味に何ともいえない魅力を感じる。ただただ、そんなふうにしか言いようがない。

それにしても息子と小林秀雄の文章について語るような日が来るとは。時の流れ、子供の成長は早いものだ。

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