2010.10.16

武蔵野観音めぐり・その10

猛暑の夏が過ぎ、ようやくハイキングの季節が到来。そろそろ武蔵野観音霊場めぐりも結願を果たすべき時節である。ところが妙に妻が弱気なのだ。小学校の遠足でよほど苦しい思いをしたらしく、「子の権現(天龍寺)は登れないかもしれない、ましてそこから竹寺なんてとても無理」などと言うのだ。そんな妻を勇気づけようと、これまで家族で登ってきた山々を振り返ってみた。200メートル級の天覧山や多峯主山、物見山から始まって、300メートル級の日和田山、600メートル級の日向山、高尾山、そして900メートル級の伊豆が岳まで。その甲斐あってか、取りあえず子の権現までは行ってみようと話がまとまった。余力があれば足を延ばせばいいし、そうでなくても竹寺はまた後日とするだけのことだ。

気の変らぬうちに荷物をまとめ早めに就寝。一夜あけて今朝は空も晴れ渡りボクらは颯爽と山に向かった。西吾野駅から子の権現までは順調そのもの。もちろん登山道はそれなりにキツいが、それもまたハイクの楽しみだ。予定通り1時間半ほどで子の権現に到着。山門をくぐると有名な赤い仁王像が険しい顔でボクらを睨みつける。想像していたよりも遥かに大きくボクは思わずたじろいでしまう。道心の定まらぬ者は一歩たりとも立ち入らせない、そんなふうに言われたような心持ちだ。

そこをなんとかお通し下さい――仁王さまに手を合わせ参道の坂を登る。庫裡の前で右に曲がってもうひと登り。ようやく本堂に到着だ。ご本尊は平安時代の聖者・子の聖を神として祀った子の大権現。札所本尊の十一面観音も本堂に納められており、明治以前には一般的だった神仏習合を保っている。いつものように金剛合掌、十句観音経を黙誦。そして世界一と言われる大草鞋(鉄製)とご対面だ。古来、足腰守護に霊験あらたかと崇拝されてきた当寺には大草鞋ばかりか鉄下駄やハイヒールまで巨大な履物が奉納されている。

子どもの頃に見た草鞋よりずっと小さい、と妻が言う。恐らく当時は大きく見えただけで大きさが変わった訳ではあるまい。どうも大人になると、なんでも小さく見えて、「sense of wonder」が失われてゆくらしい。ご朱印を頂き参道を戻ると、そんな大人の心をも動かすスギの巨木が見えてくる。樹齢800年と言われる二本杉だ。そのうち1本は枯死し枝葉を失っているが目通り(周径)5メートルに及ぶ樹幹は保たれている。もう1本は目通り8メートル、樹勢も盛んで計り知れないパワーを感じる。

道を挟んだ向かいの坂を上ると子の山山頂。東屋もあったが岩に腰掛け早めの昼食、所沢のコンビニで買った握り飯を頬張った。大日如来の石仏に手を合わせ竹寺に向けて出発。竹寺方面と記された標識を頼りに坂の下の車道をくだる。急な九十九折りを抜けると傾斜も緩くなり次第に景色を楽しむ余裕も生まれる。後になって思えば、それも油断の一因であったかもしれない。いつまで経っても舗装路が続き登山道に出ないことを訝しく思い地図を確認した時には既に1キロ近くルートをそれていた。

このまま下山して竹寺は後日あらためて出直すか、それとも子の権現に戻り所定のルート(関東ふれあいの道)で竹寺を目指すか、少し迷ったが取りあえず並沢まで戻ってみることにした。駅で貰ったハイキングマップによれば豆口峠で所定ルートに合流する山道があり大幅に時間短縮できそうなのだ。もっとも家から持ってきた『山と高原地図 奥武蔵・秩父』(昭文社)には載っていない道で本当に歩けるのか確信が持てない。そこで入り口の様子を見て判断することにしたのだ。

並沢に到着。わき道から少し坂を上ると山道の入り口を示す小さな標識が足元に傾いて立っている。不安もあったが取り敢えず進んでみる。道は荒廃気味だがハイキングシューズなら問題なさそうだ。行けるかもしれない。しかし、そう思ったのも束の間。伐採直後なのか、切り倒された幼木や粗朶が道を塞ぐようになり、いちいち跨がないと前に進めない。ついに歩幅を越えるような大きな水たまりに遭遇。その先もかなりの悪路が続いている様子だ。大げさなとは思いつつも「遭難」の二文字が頭から振り払えず、傷の浅いうちに引き返すことにした。

再び並沢。あの急坂を登るのかと思うと少々腰が引けてしまうが、まだ日没までには十分余裕がある。ここは一気呵成に竹寺を目指したい。心が決まれば後は黙々と歩くばかりだ。先ずは二本杉、そして子の権現まで戻る。境内を通り抜け庫裡の脇から「関東ふれあいの道」へ進む。ほのぼのした名からは想像できないが、木の根の階段の上り下りを繰り返す山道だ。いつまで、こんな坂が続くのだろう、少し嫌気がさしてきた頃、豆口峠に到着。先ほど断念した並沢からの登山道と合流。思えば随分まわり道をしたものだが、そんな過ぎたことを思ったところで仕方がない。

子の権現から一時間ほど歩いただろうか。ようやく竹寺に到着。当寺は本格的な神仏習合の遺構としては東日本随一とされ、本殿(本堂)には牛頭天王を祀る一方、本地仏の薬師如来も奉安されている。柏手を打つものやら打たぬものやら要領を得ぬまま参拝、観音堂へ向かった。少し歩くと茅の輪を備えた大鳥居に遭遇。順番が後先になってしまったが健康と安寧を願って茅の輪をくぐる。本殿には再拝せず、そのまま鳥居をくぐり戻って観音堂へ。札所本尊の聖観音に手を合わせ無事に結願を得た。納経所で御朱印と手彫りのフクロウのお守りを頂く。結願の感慨は大げさな感動というわけではなく何かほんのりと爽やかな心持ちが胸のあたりに湧いてきた。

さて結願は果たしたものの旅は未だ終わらない。ふもとの小殿バス停に向かう登山道は約600mを一気に下る急坂だ。木の根の階段が続き足場も余り良くない。手を携え、一歩、一歩、無理せず、慎重に、ゆっくりと降りてゆく。なるほど後半生の生き方とはこういうものなのかもしれない。観音さまの教えとして胸に深く納めておこう。そして最後の一歩。登山口に辿り着くとクマに注意との立て札があった。振り返ってみると大きなニホンザルがこちらを窺っている。カメラを出そうとリュックに手をかけたとき妻がその手を握って走り出す。「上、上!」と言葉にならぬ声。頭上の電線にもう一匹のサルがこちらを狙っている様子。あとは夢中でバス停まで走った。

半年に及んだ巡拝の旅のフィナーレは、観音さまの教えもなんのその、ドタバタ劇と相成った。これもボクらにはお似合いの幕切れなのかもしれない。そう。これからもドタバタしながら生きていっていいんだ。きっと観音さまはそんな二人を見守っていてくれるのだから。そんなことを思いながら飯能に向かうバスにボクらは並んで座を占めた。

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2010.06.26

武蔵野観音めぐり・その9

観音めぐりを始めてから早いもので3ヶ月が経ち、いよいよ5ヶ寺を残すばかりとなった。軽登山を要する最後の2ヶ寺は秋を待つとしても、その他は真夏の炎暑を迎える前に参詣しておきたい。そう思ってはいたもののエアコンの掃除など夏支度に時間を取られ、とうとう6月も最後の日曜を迎えてしまった。

さて2週間ぶりの旅のスタートは西武秩父線・武蔵横手駅。敷地内にヤギを飼っていることで知られる駅だ。2頭のヤギの旺盛な食欲のおかげで草刈りの手間とコストが省けるそうだ。改札を抜け、前回も歩いた国道299号線を秩父方面に向かうと、ほどなく雨が降り始めた。天気予報では曇ところにより一時雨とのことだったが、奥武蔵方面がちょうどその「ところ」に当たってしまったようだ。

15分ほどで最初の目的地、第29番札所・長念寺に到着。山門をくぐると参道の両脇が色とりどりのアジサイで埋め尽くされている。その美しさから「奥武蔵の紫陽花寺」とも称されているそうだ。参道は観音堂に突き当たるが先に本堂を拝し観音堂に戻った。アジサイのみならず植栽はどれも手入れが行き届いており、樹々のひとつひとつに花の写真入りの説明札が下げられている。

続いて鐘楼に向かう。当寺の梵鐘はハレー彗星が地球に大接近した1986年に奉納されたものだ。それを記念して鐘の上部には彗星を象った文様が入っている。合掌一礼。思い切り力を込めて鐘を突く。想像していたよりも遥かに大きな音だ。文字通り余韻に浸りながら納経所へ。坊守さんの応対も丁重で寺全体が丹念に運営されている印象を持った。

再び国道に戻り西に向かう。相変わらず車の行き来が激しい。騒音と排ガスを避けて高麗川沿いの小道に出てみるが結局もとの国道に戻ってしまう。そうこうするうちに東吾野駅が見えてくる。駅を越え高麗川の支流・虎秀川に沿って坂道を登る。夏にはホタルも見られる清流だそうだが、今日はあいにくの雨に水が濁ってしまっている。

この坂は初心者や家族連れでも歩けるハイキングコースの入り口にあたる。ボクらも昨秋、ここから山村集落のユガテに向かい、エビガ坂を超えて鎌北湖、更に北向き地蔵と五常の滝を巡って武蔵横手に戻るコースを歩いた。息子が小学生だった頃には三人でよく奥武蔵の低山を歩いたものだ。息子の成長につれて、いつしかハイキングシューズに足を入れることすらなくなっていたが、昨年から今度は妻と二人で歩くようになった。

人と自然とが寄り添って生きている、そんな感じのする村里の景色を楽しみながら歩いているうちに第30番札所・福徳寺に到着。境内に入いるとすぐ左手に素朴ながら姿かたちの整った阿弥陀堂がある。中に納められた阿弥陀三尊像も県指定重要文化財だが、このお堂自体が国の重要文化財に指定されている。突当りまで進み本堂に手を合わせ少し戻って阿弥陀堂を拝す。長く無住のこの寺には納経所はない。国道に戻り更に15分ほど西へ。同じ臨済宗の興徳寺で御朱印を頂いた。

次なる目標は第31番札所・法光寺ガイド本によれば吾野駅のすぐ近くのようだが、この雨の中、しかも大型車の行き交う国道を更に一駅も歩く気にはならず東吾野に戻ることにした。途中、かたくりの郷・平栗園にて昼食。ここは飯能市の観光農園で高麗川に面したバーベキュー場もあるが、さすがに雨天決行を決め込んだ猛者は二組しかいない。ボクらは三組目になることなく食堂で大人しくウドン、ソバと磯辺焼き餅を頂いた。附けあわせの葉唐辛子の佃煮を平らげると小皿の底に懐かしい絵が現れた。むかし家で使っていたのと同じ皿だったのだ。結婚したばかりの頃に確か航空公園のフリーマーケットで買ったものだが20余年の月日が流れ一枚残らず消え失せてしまった。

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東吾野から吾野までは一駅、わずか10分足らず。改札を抜け左手を見ると法光寺の屋根が見える。急な坂を下り山門をくぐる。雨にもかかわらず植木の手入れの真っ最中だ。近頃あまり目にしない大きなカタツムリが刈り込みの終わった椿の葉の上に待機している。本堂、観音堂の順に参拝、再び本堂に戻り御朱印を頂く。坊守さんだろうか、応対して下さった年配の女性に奥の院の岩殿観音窟について聞いてみる。

ガイド本によると当寺の裏山の奥には鍾乳洞があり観音さまが祀られているそうだ。1キロほど山道を登ることになるが途中には宝生の滝や弘法の爪書き不動と称される磨崖仏もあって霊場らしい神秘的な趣きに富んでいるという。とは言え、この雨の中、傘をさして登ることが可能なのか、少々心もとない気がして様子を聞いてみたのだ。「ここのところ草刈りをさぼっているから少し歩きにくいかもしれないけど、お若いんだし大丈夫よ」との答え。更にこう言って笑う。「私みたいな、おばあちゃんだって、毎日、朝晩、通ってるんだから」

婦人の言葉に背中を押され観音窟を目指すことにする。踏切りを渡り、見慣れた「武蔵野三十三観音総開帳」の幟に沿って坂道を登る。小さな案内板が指し示す細道に入る。斜度はさほどでもないが濡れた泥道は歩きずらい。周りの草丈も次第に高くなり薮こぎというほどではないにしろ足元を隠し衣服を濡らす。妻も少々疲れた様子だ。引き返そうか、そう思い始めた途端に雨足が少し強くなってきた。「大丈夫? なんなら戻ってもいいよ。」

「そんなに心配だったら待ってるから一人で行ってくれば。」妻の答えは思いがけないものだった。少しいらだっているようにも聞こえた。弱いもの扱いされたと感じたのだろうか。「分かった。一緒に行こう。」

次第に激しさを増す雨と歩きにくい山道に悪戦苦闘させられたものの程なく宝生の滝に到着。特に増水の気配は感じられないが急ぐにこしたことはなさそうだ。爪書き不動に手を合わせ足早に観音窟へ向かう。少し急な坂を登ると突然視界が開け数メートル四方の平らな原が目に入る。その奥の岩壁にへばりつくように建てられた赤いお堂。法光寺・奥の院、岩殿観音窟懺悔堂だ。人一人がようやく通れる狭い戸口をくぐると自動的に照明が点灯し岩窟の全容が見て取れる。

石龕に納められた十一面観音に妻と二人ならんで手を合わせる。自分たちは正に霊場にいるのだという実感がわいてくる。やはり多少の無理は押してでも登る甲斐があった。ボクらは丹念に観音さまを拝し、惜しみながら雨の山道を下った。言葉少なに、しかし何か温かく満ち足りた想いを抱いて。

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2010.06.06

武蔵野観音めぐり・その8

先月の半ばから少し長く歩くと右足首が痛むようになった。飯能の札所をまわったとき志らく・談笑二人会を見に行ったときも実は鈍い痛みに悩まされていたのだ。先週は週末のランニングはもちろん、観音めぐりも、毎朝のウォーキングさえ休んで回復を図った。その甲斐あってか、朝のウォーキングくらいは難なくこなせるようになったものの、はたして一日中歩き詰めとなる今日のコースに耐えられるかどうか、ハラハラしながら武蔵野観音めぐり8日目の旅路についた。

今日の予定は日高市内の4つの寺を回るものだ。先ずは西武池袋線で飯能に向かい、秩父線に乗り換えて東飯能。さらにJR八高線に乗り換えて高麗川駅へと進む。曼珠沙華(ヒガンバナ)の群生地で知られる巾着田を始め高麗の郷には何度も足を運んできたが高麗川駅には来たことがなかった。それどころか八高線に乗ったのすら初めてだ。不慣れな手動ドアに戸惑いながら下車。改札を抜けると駅前は幅広の道が伸びて意外なほど開けていた。

トラックの多い大通りを避け住宅街を抜けると次第に畑や雑木林が増えてくる。その一角に小さな御堂があった。近づいてみると回向柱に薬師堂の文字。「奉修記念開帳」と記されてある通り扉の外からではあるが御堂の中を拝観することができる。小さな尊像には花が供えられており今でも地域の方々が大切に供養しているのだと分かる。のどか.な田舎道を更に15分ほど歩くと入定塚が見えてくる。本日の最初の目的地、番外札所・靈巖寺の16世住職・行盛を供養するものだ。行盛は弘法大師を慕って寛政9年8月5日、即身成仏を図ったという。18世紀の末、徳川家斉のもとで寛政の改革を進めた松平定信が失脚した頃のことだ。

ほどなく靈巖寺に到着。山門をくぐると住職であろうか、トレーナー姿の男性が5歳くらいの子供を遊ばせている。こんにちは、と声をかけ本堂に向かった。ご本尊の地蔵菩薩と札所本尊の聖観音菩薩を拝し納経所へ。無人販売所方式ではあるが奉拝録が備えてあり記帳できるようになっている。中を見てみると、やはり西武線沿線からの参拝者が多いが、千葉や神奈川など遠方からみえた方も思いのほか少なくない。

次に向かう聖天院は直線で結べば高麗川を挟んで500メートルほどしか離れていない。しかし最も近い出世橋でさえ蛇行する高麗川に沿って大幅に遠回りをしなければ行き着けない。靈巖寺で頂いた地図を頼りに6月上旬とは思えない暑さに喘ぎながら田舎道を歩く。時おり高麗川から畑を抜けて川風が吹いてくる。なんとも爽やかな涼しい風だ。出世橋を渡りカワセミ街道を南西に下ると程なく高麗神社が見えてくる。いつもなら立ち寄るところだが今日は先を急ぐことにした。

聖天院は朝鮮半島からの渡来人の長を務めた奈良時代の豪族・高麗若光の菩提寺である。若光自身も渡来人の一人で唐・新羅連合軍に滅ぼされた高句麗の王子とされる。そうした由縁を物語るように境内には若光の墓、高麗王廟が祀られ、また本堂の裏手には壇君や広開土王を始めとする朝鮮の伝説的な偉人たちの石像がそびえる。石像群に見守られるように築かれた在日韓民族無縁仏慰霊塔は高さ16メートルにおよび、石塔としては国内最大級だそうだ。在日コリアンの深い鎮魂の想いが伝わってくる。

そろそろ腹ごしらえと思ったが生憎この辺りは飲食店が少ない。諦めて勝音寺へ向かうことにする。カワセミ街道を10分ほど歩いた辺りから川辺に向かう脇道にそれ高岡橋を渡る。河原でバーベキューを楽しむ家族連れや若者のグループが見える。肉を焼く匂いが空腹感を刺激する。ほどなくキリスト教の教会が見えてくる。高麗聖書教会だ。ガイド本によると勝音寺はこの教会のすぐ隣。実際にその場に立つと、あたかも一つの敷地に並存しているかのようにも見える。なんだか不思議な光景だ。

仮本堂を兼ねる観音堂に手を合わせ納経所に向かう。呼鈴を鳴らすが反応がない。留守だ。かといってセルフ方式でもなく、ここで御朱印を頂くことはできない。ガイド本に書いてある通りこの先の師岡さんの家に向かう。兼務の都合で住職が留守がちなため師岡さんに代行を頼んであるのだそうだ。山門をくぐり改めて納経所を振返ると親子と思わしき二人連れの女性が戸口に立ち尽くしている。もしやと思いしばらく様子を見ていたが、何度も呼鈴を押したり引き戸を開けようとしたりしている。戻って声をかけてみると、案の定、代行のことをご存じなく途方に暮れていたそうだ。これも何かのご縁か。師岡さんの家までご一緒させて頂くことにした。

しばらく道なりに歩いているうちに「師岡」と書かれた表札を発見。さっそく玄関に向かい呼鈴を押すと中から初老の男性が出てきた。事情を話すと、それはうちではない、との答え。手馴れた様子に同じ間違いをする人の多いことが察せられたが厭な顔も見せずに別の師岡さんの家を教えてくれる。更に道なりに進むと教わった通り竹林が見えてくる。札所の看板も掲げられている。はじめからこれを目当てにすれば間違えることもなかっただろう。細道に入ると、居間だろうか、開け放した窓から子供の声とおいしそうな昼食の匂いがする。食事中にお邪魔するのも気が引けたが終わるのを待つわけにも行かず玄関先で御朱印を頂戴した。

二人連れとはここで分かれた。二人は来た道を戻ってカワセミ街道へ、ボクらはそのまま栗坪の交差点に向かったのだ。ボクらのお目当ては高麗鍋。商工会を中心とする民間のグループが日高市の新たな名物にと開発、市を挙げて普及に取り組んでいる料理だ。朝鮮半島からの渡来人の居住地だった高麗郷の歴史にちみキムチを使うところに特色がある。以前、妻が友だちと遊びに来た時に食べた高麗鍋担々麺を目指して栗坪の交差点を右折。県道を西武線の高麗駅に向かった。

県道を歩いているうちに右足首が痛くなってくる。ついに来たか。次第につのる痛みをこらえつつ歩くうちに担々麺専門店「花さんしょう」に到着。ようやく念願の高麗鍋担々麺にありついた。辛味の効いた熱々の麺とスープをすする。冷房のお蔭で一旦は退いた汗が再び湧き出してくる。足も痛いし今日はここでギブアップしてビールを呑むか、そんな考えがふと頭をよぎる。いやいや、もうひと頑張り。手ぬぐいで汗を拭いながら一気に貪るようにボクは担々麺を平らげた。

腹ごしらえを済ませ再出発。ほどなく天神橋に差し掛かる。ここで県道は右手から流れてくる高麗川を渡るが、300メートルほど歩いた先の鹿台橋では反対に左手から高麗川が流れてくる。蛇行の著しい高麗川ならではの不思議な風景だ。とはいえ景色に見とれてばかりいるわけにもいかない。足の痛みをなんとかしなければ。つま先を少し開き気味にしたり、地面を蹴り込む強さを若干ゆるめてみたり、あれこれ微調整しながら歩いているうちに驚くほど楽になってきた。何かコツがつかめたような感じだ。きっと気づかぬうちに崩れていた足のフォームというか歩き方がようやく修正できてきたのだろう。これなら行ける。予定通り瀧泉寺に向かうことにした。

県道を久保交差点で右折。国道299号線に入る。高麗川に沿って西武秩父線と並走するこの通りは奥武蔵を抜け秩父から群馬に向かい信州は茅野市にまで至る。途中、正丸トンネルを抜けるが以前は西武鉄道のみがトンネルを通り国道は峠を越えていたそうだ。余談ではあるが、その旧国道は藤原拓海と秋山渉がAE86同士で激しく競い合ったバトルの舞台としてコミック『頭文字D』13巻(しげの秀一、講談社、1998年)にも登場する。だからと言う訳でもないだろうが大型トラックに混じって疾走してゆくスポーツタイプの車が目立つ。時おり昭和時代の旧車に遭遇することもありちょっと嬉しい。だが、もっと嬉しかったのは青空を渡る猛禽類の鳥影を目にしたことだ。恐らくトビであろうが近ごろは里山もカラスばかりが幅を利かしトビすら見かけることが少なくなった。

話はすっかり脱線してしまったが足の方はしっかり国道を辿り、無事、瀧泉寺に到着。ご本尊の千手観音が納められた本堂に手を合わせ本日の巡礼を終えた。帰りは更に国道を進み、ひと駅先の武蔵横手から乗車。車窓の人となった。次回はこの武蔵横手から吾野へ向かう旅になる。が、はたして梅雨入り前に結願を果たせるか否か、少々心許なくなってきた。

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2010.05.22

武蔵野観音めぐり・その7

武蔵野観音めぐり7日目。今日は飯能駅南口からスタート。飯能は天覧山や宮澤湖、飯能河原など家族で楽しむことのできる場所が多く、息子が中学生になるまではボクらもよく遊びにきたものだ。しかし、これらの遊び場に行くには北口のほうが便利なため今まで南口には下りたことがなかった。

さて最初に向かったのは23番札所・浄心寺。ショッピングモールのサビア飯能を過ぎ飯能大橋を渡ると右手に小高く森が見える。矢颪毘沙門天の呼び名で親しまれている浄心寺だ。山門をくぐると瑠璃堂で薬師如来の虎年開帳を行なっていたが、まずは本堂に向かい、続いて観音堂、毘沙門堂を参拝する。いずれも良く古色が保たれており背後の森の新緑に映えて美しい。いつまでもボーっとしていたくなるような落ち着いた場所だ。

御朱印を頂き瑠璃堂を参拝して24番札所・観音寺に向かう。車が多い飯能大橋を避け矢久橋を渡る。幾羽ものツバメが入間川の川面をかすめるように飛んでいる。野鳥に詳しいわけではないが鳥の姿を追い囀りを聞くのが好きだ。殊にツバメはスーイ、スーイと実に気持ち良さそうに飛び羨ましくさえ思う。川のほとりから大通りに出ると飯能ツーディマーチと記されたゼッケンのようなものを身につけたハイカーの集団に出くわす。厭な予感がしたが、案の定、信号待ちで歩道にあふれ行く手を遮られる。自分もそうなのだろうが人は群れると周囲への配慮を見失うものだ。

観音寺に到着。ここは昨年の秋、天覧山を歩いた時にも参詣した寺だ。飯能河原を望む境内には石碑や石仏が多い。なかでも白象の背に座す普賢菩薩や孔雀に乗った孔雀明王の石仏は他では余り見かけないものだ。それ以外にも弘法大師像の周囲を回るように作られたお砂踏みや、鐘のない鐘撞き堂に据えられた謎の大きな白象、また本堂にも天井から2体の白馬像が吊り下げられており、何となく不思議の国めいた感じがする。昨秋お参りした時も同じような印象を持ったが、更に今回は、古びた子育て地蔵の端正な、美少年風の顔だちに驚かされ、ますますワンダーランドの感を強くした。

駅前の繁華街に戻り祥龍房で昼食。以前から気になっていた刀削麺なるものを初めて食べた。腹ごしらえの済んだところで早速3つ目の寺、25番札所・圓泉寺を目指しバスターミナルに向かう。時刻表を見ると圓泉寺のある上平松へ行く狭山市駅行きのバスは本数が非常に少なく40分待ちだ。帰りのバスのことが心配になり案内所に電話して聞いてみたところ圓泉寺には10分も滞在できないことが分かった。今度のバスで上平松へ行った場合、その15分後のバスに乗って帰ってこないと次のバスまでは1時間も待たないとならないのだ。

駅ビルのユニクロや登山用品店などをひやかしているうちにバスの時間が迫る。急いでターミナルに戻りバスに乗り込む。10分ほどで上平松に到着。足早に圓泉寺へ向かう。山門をくぐり先ずは本堂を参拝。観音堂に足を向けかけたとき住職さんが本堂から声をかけてくれた。朱印帳を先に預かるとおっしゃる。一瞬なんのことやら分からなかったが、帰りのバスまで時間がないことを察してくれたのだ。お蔭で心を落ち着けて観音さまに手を合わせることができた。本堂に戻ると住職さんはすぐに朱印帳を渡して下さり「ご苦労さま」と声を掛けてくれた。時間がないと気ぜわしい心持ちで山門をくぐった自分がなんとも恥ずかしく思われた。

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2010.05.15

武蔵野観音めぐり・その6

武蔵野観音めぐり6日目。今日は狭山市駅を起点に一気に7ヶ寺をまわった。

先ずは16番札所・慈眼寺。山門をはじめ伽藍の一部が改修工事中だったが本堂に上がることができ御本尊の聖観音像を内拝させて頂いた。隣室の床の間には円空仏を思わせる素朴な木彫像が飾ってあり、間近で繁々と見ていたところ、御住職であろうか、きちんと僧衣を身につけた僧侶が「ゆっくりしていって下さい」と声を掛けて下さった。

続いて17番札所・徳林寺。実は慈眼寺もそうだったが回忌法要と思われる法事が行なわれていた。邪魔にならないよう静かに本堂を拝し少し離れたところにある観音堂へ向かった。札所本尊の聖観音像を納めた観音堂は小高い丘に上に築かれている。その背後には像高8メートルに及ぶという白衣観音坐像がそびえる。本堂に戻り納経所に向かう。見るからに穏やかな雰囲気の坊守さんが愛猫とともに対応してくれる。朱印と散華に添えて、さり気なくオリジナルの栞を手渡してくれた。

狭山市駅に戻りぎょうざの満州で昼食。バスで入間市駅方面に向かう。入間黒須団地で下車し入間川の支流・霞川を渡って18番札所・蓮華院を参詣。宅地化が進むこの辺りも国道16号から少し離れれば、まだまだ畑や雑木林が残っていて、それなりに長閑な雰囲気を楽しむことができる。再び霞川を渡り住宅街を抜けて入間市駅に到着。今度はJR青梅線・河辺駅行きのバスで桂橋停留所に向かう。

バスを降りると程なく19番札所・東光寺に到着。境内にはガイド本にも紹介されているタラヨウの木がある。落ち葉を拾い爪で字を書くと黒く文字が浮かび上がる。ジッパの通称の通り葉に字が書ける珍しい木なのだ。茶畑の間を更に5分ほど歩くと20番札所・龍圓寺。爽やかな茶の香りが漂う境内には巨大な石碑が建っている。日本一大きな道標としてギネスブックにも掲載されているという北狭山茶場之碑だ。

納経所で対応して下さった御住職に仏子駅までの道を教わった。そこから電車に乗って帰るつもりだったが21番札所・高正寺まで足を伸ばしても大差ないと御聞きしたので行ってみることにした。この辺りは以前いとこ達と歩いたことがあると妻。霞川のほとりから茶畑を縫って桜山展望台に上ったそうだ。丘の上に城のような建物が見える。教員向けの研修施設だったらしい。

高正寺に到着。実は東光寺もそうだったが高正寺の納経所は無人販売所方式だ。箱の中に用意された朱印書を一枚いただき納経料と白紙の用紙を納める。少々味気ない気もするが寺にも寺の事情というものがあり仕方がないのだろう。もっとも、だからこそ一層、親しく対応して下さった慈眼寺や龍圓寺のご住職、徳林寺の坊守さんの姿が有難く心に残る。

仏子駅に着いたのは3時過ぎだっただろうか。このまま帰るつもりでいたのだが、すぐに入線してきた下り列車に思わず乗り込んでしまった。梅雨入り前に少しでも多く回っておきたい、ふとそんな気がして22番札所・圓照寺のある元加治駅に向かったのだ。圓照寺は弘法大師の開創とされる古刹。芸術家や各界著名人が奉納した600枚以上に及ぶ絵馬で知られる。また6基の板碑を収蔵しており中には国の重要文化財に指定されているものもある。

板碑といえば徳蔵寺板碑保存館を訪ねたのがついひと月まえ。久米川の合戦で討死した斎藤盛貞の菩提を弔う板碑が納められていた。いっぽう圓照寺には同じ戦いで亡くなった加治左衛門家貞の板碑が収蔵されている。斎藤氏は新田軍、加治氏は幕府軍の武将だ。両雄の血塗られた因縁が我が身に不吉をもたらしはしないか……などと柄にもなく怪談めいた思いに浸りつつ家路についた。

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2010.04.24

武蔵野観音めぐり・その5

武蔵野観音めぐり五日目。今日は午後から用事があったが少しでも先に進みたいと思い市内の二ヶ寺を巡拝した。

小手指から早稲田大学行きのバスに乗り大日堂で下車。この付近には大日如来を納めた御堂があったそうだ。茶畑の間を縫うように歩くこと10分ほどで第14番札所・妙善院に到着。石段を登り山門をくぐると小さな立て札があった。

御願い 最近遊び場が無いために、子供らしい遊び廻る姿が少なくなり心配です。大切な境内ながら開放しますので保護者が責任を以って遊ばせ、又後片付も躾上大切なことなのでお守り下さい。 山主

なるほど子供たちが広い場所で遊べるよう、隣接する幼稚園、保育園の園庭からも境内に入れるようになっている。その子供たちを見守るように立つ子安地蔵や悲母観音の石像にも御住職の子供たちを思う暖かい御心が感じられた。本堂を拝し納経所に伺うと、当の御住職であろうか、老僧が自ら御対応くださった。何種類もの飴の入ったビンを指さし好きなのを持っていきなさいとおっしゃる。有難く頂戴し第15番札所・松林寺に向かった。

妙善院から歩いて30分ほどで松林寺に到着。山門を潜ると大きな仁王の石像がそびえる。不心得者は一歩も通さぬと言われているようで少したじろぐ。更に進むと境内には一葉観音や玄奘三蔵といった珍しい尊像、また上野・寛永寺から奉祀された薬師如来像を納める薬師六角堂などがある。本堂に伺うと扉が開いており御本尊の釈迦如来像、札所本尊の千手観音像を内拝することができた。早いもので観音めぐりも15ヶ寺目となったが本堂に上がらせて頂いたのは初めてのことである。

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2010.04.18

武蔵野観音めぐり・その4

先月から始めた武蔵野観音めぐりも早いもので四日目を迎えた。とはいっても札所三十三ヵ所の三分の一を拝したに過ぎない。まだまだ色んなことがあるだろう。その一つ一つを妻と二人で味わってゆくことに意味があるのだと思う。

さて本日は北野や山口といった所沢郊外の三ヶ寺を巡拝した。所沢もこの辺りは畑や雑木林が残っており歩いていて気持ちがよい。初めに訪ねた普門院は裏手の竹林にタヌキが棲んでいるそうだ。御朱印を頂く際に応対して下さった住職の御母堂が愛らしそうに子ダヌキの様子を話してくれた。この寺の住職は海外でも公演活動を行なっている声明の第一人者、新井弘順師である。しかし御母堂はとても気さくで大学生のお孫さんの話などもしてくれた。仲間を引き連れてバーベキューをしにくるのだそうである。続いてうかがった全徳寺は春先に香り高い黄色い花をつける蝋梅で有名。花の時期はとうに過ぎているが新緑が美しい。山門に施された達磨大師の彫刻も印象深い。ご住職であろうか、対応して下さった老僧の穏やかな笑顔に見送られ金乘院に向かう。

茶畑の間を縫って北野天神通りに出る。ロードサイドのラーメン店・しょうらい亭で昼食。椿峰ニュータウンを過ぎ六斎堂を参拝。ほどなく西武球場前駅が見えてくる。この辺りは所沢シティマラソンで毎年、走っている場所だ。全徳寺から一時間ほど歩いただろうか、狭山不動の前を通り山口観音こと金乘院に到着した。ここはボクにとってホームグラウンドのような寺で年に何度か御参りするし、毎週末のランニングの際にも必ず遙拝させて頂く。今回は広い境内をゆっくり巡り数々の御堂、石碑・石仏の一つ一つに手を合わせた。何を祈るのでもなく、ただ南無、南無と。

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2010.04.10

武蔵野観音めぐり・その3

武蔵野観音めぐり三日目。今日は七番から十番までの四ヶ寺を巡拝した。

まずは東村山の徳蔵寺。170基に及ぶ中世の板碑(板状の石造供養塔)を始め土器や石器などを納めた板碑保存館が併設されている。中でも新田義貞の将兵の供養塔、元弘の板碑(国・重文)は、『太平記』に記された戦史を実証する史料としても貴重なものだ。収蔵品の保護のためであろうか、保存館は空気がひんやりとしている。ひと通り観覧している間にすっかり体が冷えてしまったボクらは最寄の蕎麦屋に飛び込んだ。看板には「手打ち蕎麦かなさご」とあった。店主と女将、夫婦二人できりもりしているようだ。

店の奥の大きなガラス戸から英国ガーデン風の庭が見える。かなり広い。その中央に棚づくりのツル性植物が多数の白い花を咲かせている。ジャスミンのような感じだが、それにしては花数が多い。暖かい汁のきのこセイロで腹ごしらえを済ませ女将に聞いてみるとクレマチスの一種なのだそうだ。ガラス戸から庭に出させてもらうと大きな白いイヌが寝ていた。カメも飼ってるのよ、と女将が案内をしてくれる。パンジーやチューリップなど春の花々を楽しみながら進むと体長30~50センチくらいの陸ガメがいた。一頻り庭談義に話の花を咲かせ、お茶を頂いて店を出た。車寄せにガチョウがいた。ピーター・ラビットも出てきそうな不思議な店だ。

続いて東大和の圓乘院に向かう。歩いて八国山を越える手もあったが時間を節約するため東村山駅からバスを利用した。鐘楼門をくぐると釈迦誕生仏の像が目に飛び込んできた。2日前には潅仏会(花まつり)も開催されたそうだ。その隣には珍しい仏足石も祀られている。本堂に向かって石段を登る。左手に聖観音像がそびえている。見上げると像の背後のサクラの木から風に花びらが舞い散り補陀落浄土を思わせる。本堂を拝し御朱印を頂きに納経所へうかがうと潅仏会の甘茶のティーパックを下さった。

東村山から新宿線で地元・所沢に戻る。繁華街を抜け旧市街地へ向かう。この辺りは再開発が進行中で古い商店と高層マンションが混在している。表通りから狭い参道に入ると風格ある山門が見えてくる。實蔵院だ。小じんまりとした寺だが古色を保ち趣き深い。六地蔵像の前で休んでいらした老婆とひとしきり世間話をして表通りに戻る。道を渡って東川の方向に足を進めると新光寺の竜宮門が見えてくる。ここのサクラも見事だ。お参りを済ませ納経所を訪ねると三十代くらいの僧が境内を案内しながら観音さまについて色々と教えて下さった。

徳蔵寺にしても實蔵院にしても以前から知ってはいたものの参詣にまでは至らなかった場所だ。なにも遠くまで行かなくたって仏を拝し、歴史に触れ、自然を楽しむことのできる場所は地元にもたくさんあるのだと痛感させられた。そんな一日の締めくくりは東川に残る三つ井戸。東国巡錫の折、弘法大師が法力によって開いたという伝承の残る井戸だ。その先には大師堂もある。大師像に手を合わせ色々なことのあった今日の一日を感謝しボクらは家路に着いた。

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2010.04.03

武蔵野観音めぐり・その2

武蔵野観音めぐり二日目。今日は四番から六番までの三つの札所を巡った。

先ずは保谷の如意輪寺。山門をくぐると正面に弘法大師像があり初老の男性が花を供え手を合わせていた。身なり様子からすると近隣のかたのようだ。本堂を拝し観音堂に向かうと般若心経を唱えている夫婦らしき男女。こちらも巡礼というよりは地域のかたのように見えた。

ひばりが丘で義父と落ち合い東久留米の多聞寺へ。散歩にうってつけの春らしい陽気だったので誘ってみたのだ。寺を包むように咲いている満開のサクラの下を山門に向かう。境内の枝垂れザクラも見事だ。その奥には大きな聖観音像がある。障がい児を連れた母親がサクラに目もくれず一心に手を合わせている。子の行く末を案ずる母の想いが静かに伝わってくる。

最後は清瀬の全龍寺。本堂を拝し納経所に向かうと玄関から女の子が三人とびだしてきた。寺の子であろうか。盆でも正月でも彼岸でもない、この時期に寺を巡っていると普段着の寺の姿に出くわすことがある。少々興ざめに思われることもあるが、いっぽう如意輪寺や多聞寺で見かけたように、地域の日常に溶け込んだ寺の様子に心が動かされることもある。

近代化の更に向こうを、どこへとも知れず、ただひたすら突き進んでゆく今日の社会。それでも寺はやはり存在し続けてゆく、寺の「居場所」はある、と思う。いや、なくしてはならないと思うのだ。人を想い、手を合わせる人がいる限り。

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2010.03.27

武蔵野観音めぐり・その1

今日は武蔵野観音めぐりの打ち始め。ガイド本を片手に先ずは第一番札所の東高野山・長命寺へ向かった。練馬高野台駅から歩いて5分あまり。四天王に守られた山門(南大門)をくぐると十三仏の石像が居並ぶ。広い境内には他にも弘法大師や阿弥陀仏、地蔵菩薩の尊像、三界萬霊供養塔、木遣塚碑などがある。正面の本堂を拝し観音堂に向かう。ご本尊の十一面観音の手指と繋がれた回向柱と五色の布とに触れ縁を結ばせて頂く。観音堂に続いて、地蔵堂、御影堂を巡る。更にその先には多数の石仏、石塔が林立している。高野山を模した奥之院だ。石仏や供養塔を見ていると仏にすがった古人の想いが偲ばれ切ない気持ちになる。いにしえから今に至るまで人は家族を想い、恋人や友人を想い、仏に手を合わせてきた。その何かいじらしいような想いが静かに胸に染み入ってくるのだ。今日は更に石神井まで足を伸ばし、総欅造りの三重塔にスリランカより伝来の仏舎利を奉安する豊嶋山・道場寺(二番札所)と10メートルもの平和大観音が聳える亀頂山・三寳寺(三番札所)を参拝した。

帰りは石神井公園に立ち寄り三宝寺池の周りを一周。三分咲き程のサクラを始め春の訪れを告げる花々を楽しんだ。

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