2012.07.20

読書録から(ツィートまとめ)

ひきちガーデンサービス(曵地トシ+曵地義治).雑草と楽しむ庭づくり:オーガニック・ガーデン・ハンドブック.築地書館.2011

4/2(月)、ひきちガーデンサービス『雑草と楽しむ庭づくり』(築地書館、2011)読了。いかに除草の手間を省くか。本書から学んだ答えは、根絶やしにしなくても、手なずけ、共存すればよい、ということ。野の草花にも多様な魅力があるのだから

松橋良紀.あたりまえだけどなかなかできない聞き方のルール.アスカビジネス.飛鳥出版社.2009

4/9(月)、松橋良紀『あたりまえだけどなかなかできない聞き方のルール』(飛鳥出版社、2009)読了。あたりまえと言われれば、そうかもしれないけれど、そうだったのかと、思わせられることも少なくなかった

茨木のり子.ハングルへの旅.朝日文庫.朝日新聞社.1989 (1986)

4/28(土)、茨木のり子『ハングルへの旅』(朝日文庫、1989)読了

同日、映画『マイウェイ―12,000キロの真実』(2011、韓)にも通じるものがある QT 粘りに粘って生き抜く粧刀型のほうがはるかに強く烈しいと思う from ハングルへの旅 by 茨木のり子

同日、QT 陶器の食器を使えるというのは平和の証拠です @韓国から来た留学生 from ハングルへの旅 by 茨木のり子

6/10(日)、映画『道ー白磁の人』の余韻を求め、茨木のり子の『ハングルへの旅』(朝日文庫、1989)をひもとく。浅川巧の眠る忘憂里への旅

島田裕巳.ほんとうの親鸞.講談社現代新書.講談社.2012

5/30(水)、島田裕巳『ほんとうの親鸞』(講談社現代新書.講談社.2012)読了

同日、「『歎異抄』の親鸞」でも「『伝絵』の親鸞」でもない「ほんとうの親鸞」とは、いったい誰なのか…

同日、QT 日本人は親鸞を通してどういう夢を見てきたのか from ほんとうの親鸞 by 島田裕己

6/2(土)、QT だが、カリスマも超人も、ほんとうはいない。ほんとうの親鸞は、私たちと近いところにいて、生涯にわたって、正しい信仰の道を追い求めつつも、揺れ、惑い続けた存在なのである from ほんとうの親鸞 by 島田裕巳

しげの秀一.頭文字D(45).講談社.2012

6/16(土)、しげの秀一『頭文字D』vol. 45 読了

同日、QT すごいもんやな 人間ちゅうのは・・ @久保英次 from 頭文字D(45) by しげの秀一

from http://twitter.com/WaiNeco/

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2011.05.16

植物の生命力に驚く

妻の誕生日に小さな花束を買いリビングに飾ったのが約1ヶ月前。何かが枯れるたびに庭のスズランやシランなどと入れ替えながら楽しんできたが、ふと気がつくと花束の遺物はもはやアイビーしか残っていない。もしやと思い花瓶から出してみると、案の定、切り口の上の節から細い根が出ている。よく見れば葉の根元から新しい芽が伸びて、そこだけ緑が若々しい。映画『地球交響曲第一番』に紹介された野澤重雄氏のトマトの巨木ほどではないが植物の生命力にはつくづく驚かされる。

ところで支援金シネマダイアローグ第2回『地球交響曲第二番』は5月24日(火)19時より国分寺いずみホールにて。

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2011.05.15

植物にも心はある

ゴーヤの葉が萎れてしまった。苗に添え木をあてた時に葉柄を傷つけてしまったのだ。2枚しかない本葉の一方を傷めては苗自体がもたないかもしれないとヤキモキしたが、なんとか今日まで光合成を続け、3枚目、4枚目の本葉を育ててくれた。そして、ようやく3枚目の本葉が開いた今朝、傷ついた葉は安心したかのように萎れてしまったのだ。

こうした見方は擬人化し過ぎかもしれない。恐らくは新しい葉に栄養を持ってゆかれたため枯れてしまったのだろう。だが、だからこそ、そこに英知のようなものを感じる。映画『地球交響曲第一番』で1粒のタネから1万以上ものトマトを実らせた野澤重雄氏が植物にも心があるとおっしゃっていたのを思い出す。

ところで支援金シネマダイアローグ第2回『地球交響曲第二番』は5月24日(火)19時より国分寺いずみホールにて。

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2009.09.26

庭と生きてゆく(3)

シルバーウィーク3日目の火曜日、敬老の日の集まりで妻の実家を訪ねた。義父に園芸用三脚を買ったことを話すと「チャボヒバを切るならノコギリを貸すよ」と言われた。酒の勢いもあって「では借りていきます」。今日はそのノコギリを携えて庭に出た。

植え込みに三脚ハシゴを立てて登るとチャボヒバの頭を少し見上げるくらいの高さまで上がることができた。ひと回り枝の張り具合を確かめ、切った跡が枝葉に隠れるよう狙いをつけて、ノコギリの歯を木の幹にあてる。木に余計な傷をつけないよう、そして自分がハシゴから落ちないよう、慎重にノコギリを挽く。チャボヒバの幹は思ったよりも堅くノコギリはなかなか進まない。木にしてみれば、ここまで生長したものをそうそう容易く切られてはたまらない、ということか。それでも何とか七割がた切れたところでノコギリを反対側に移す。最後は右手で木の頭をつかみ左手でノコギリを挽いて切り離した。ハシゴの道具置きにノコギリを残し木の頭を持ったまま芝生に下りる。今度は先日ケーヨーD2で買った癒合剤を持って登り幹の切り口に塗る。

そんなことを三度くり返すうちに昼どきとなった。食事にしましょうと居間から降りてきた妻が車寄せに置かれた木の頭を見て笑う。「アフロ頭が3つ転がっているみたいでコワい」。なるほどそう見えなくもない。

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2009.09.23

庭と生きてゆく(2)

早いものでシルバーウィークも今日で終わり。宮沢湖で温泉につかったり妻の実家で敬老の日の御祝いをしたり、あとは別にこれと言って特別なこともないまま5日間が過ぎた。

最終日の今日は庭仕事。先ずは妻と二人、自転車で東村山のケーヨーD2に行き、プランターや球根、用土などを購入。戻ったら庭仕事に専念できるよう、途中のスーパーで買い物も済ませた。家に帰ると調理パンや即席スープなどで簡単に腹ごしらえ。食休みもそこそこに早速、庭へ出た。

最初に手をつけたのは花壇。この夏はアサガオを背景にレモンイエローのキンギョソウと淡いピンクのニチニチソウを合わせてみたが、さすがにキンギョソウは草臥れてきたのでスプレー菊のセザンヌと植替えた。初冬まではこの組み合わせで過ごし、後はパンジーかビオラでも植えようと思う。

次は球根の植え付け。春の庭を楽しむには絶対に欠かせない作業だ。長年、芝生の脇に一列に咲かせてきたスイセンを今夏は久しぶりに堀り上げたので、木の樽型プランターに植えてみることにした。同じプランターをもう一つ用意し、こちらには混色のチューリップを植えて並べて置く予定だ。

チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子

『新・増殖する俳句歳時記』から。選者の清水哲男は「季語「チューリップ」に名句なし」と手厳しい。「日本人好みの微妙な陰影が感じられない花だからだ」そうだ。ところが掲句はそこを「逆手に取って」みせる。「花そのものに陰影がないからこそ、花と作者との間に陰影が生まれた」と言うのだ。

この句から細見の心の「鬱屈」を読み取るのはなかなか難しい。しかし確かにチューリップには春のなんとなく物憂く気だるい感じを吹き飛ばす勢いのようなものが感じられる。ただ真っ直ぐに背筋を伸ばして春到来の喜びを喜び切る、そんな若々しい力に満ちた佇まいが魅力的な花だ。

チューリップを始めとする春の花々と出会うには厳しい冬を乗り越えなければならない。更にその前に球根を植え種を播かなければならない。今こそ、その時である。

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2009.09.19

庭と生きてゆく

久しぶりに清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』から一句。

鈴虫を放ちわが庭売りにけり 柳田風琴

どんな事情があるにせよ庭を手放すのはつらいことだと思う。そこは家族の歴史の舞台であり思い出に満ちあふれた場所だ。いや飼い犬や飼い猫のように家族そのものだと言ってもいいのかもしれない。庭は家人の手により守られ育てられ、家人と共に生きてきたのだから。そんな特別な場所である庭との避けられない別れであれば、せめて自分の形見に鈴虫を残していきたいと思ったとしても不思議はない。

さて我が家にもささやかながら庭がある。今から十数年前、息子に故郷を残してやりたいばかりに少々無理を押して一戸建てを手に入れた。義父に勧められるまま庭の主木はヒメシャラ、塀際にはチャボヒバを植えた。ここまでは所沢園芸の助けを借りたが芝張りは全くの自力だった。免許はあっても車に乗らないボクは今はなきドイト所沢店に何度も自転車で往復して、張り芝と目土を運んだものだ。ただただ芝生を駆け回る息子の姿を見たいばかりに……もっとも駆け回れるほど広くもなかったが。

それからずっと庭と共に生きてきた。芝生は残念ながらカタバミやヂドメソウに占領されつつある。チャボヒバも随分と背が伸びて剪定しずらくなってきた。そこで今年は意を決して五尺の園芸用三脚を購入。大げさなようだが、これからも庭と共に生きてゆくためには不可欠の投資だ。実際に使ってみると安定感もあって作業が大分やりやすくなった。しかし高さがもう一息たらない。むしろ植木屋にでも頼んで木の丈を詰めるべきなのかもしれない。

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2007.01.04

正月庭景色

1月3日。この時期、庭の彩りといえばナンテンやセンリョウ、マンリョウといった赤い小さな実が思い浮かぶが、我が家の場合、チャボヒバの根元のグラウンドカバーにピンクの愛らしい花が咲く。ご近所さまから頂いたもので名前は判らない。枯芝に目を移すとスイセンの芽がだいぶ大きくなってきている。花壇にはチューリップの芽も出始めているがこちらは未だ小さく、写真におさめるのは難しい。
 
200701032
200701031
 

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2006.02.06

ささやかながら、これも使命と……

2月4日。陽光に誘われ久しぶりに庭に出る。思いのほか風は冷たかったが植木に寒肥を施し、花壇の土ごしらえをする。あまた水仙の芽を認める。

午後、寒風ますます厳しく吹きすさんだが、芝生に散り溜まった落ち葉を掃く。ここにも水仙が多数みずみずしい緑の芽を地上に突き出している。植木の下の裸土はまだ一面の霜柱だが春は確実に近づいてきている。

このような小さな発見の喜びを分かち合うことも、ささやかながらボクの使命の一つだと改めて思う。

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2005.06.14

カルミア、満開

Kalmia

咲いた
カルミア、満開


2週間前の写真です。遅まきながらアップしました。いまはもう花は散ってしまいました。来年、また会えるかな。

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