2007.10.17

月に照らされて(四行詩日記・9月25日)

今夜は月がきれいだよ、と息子にメールしてみた
返信――確かに。でも、いきなりどうした(;^ω^)
そう尋ねられると自分でもなぜだろうと思う
携帯電話の液晶画面が妙にまぶしい

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2007.06.01

しじみじる(四行詩日記・6月1日)

しじみの命をかぞえつ
夕餉のひと椀を頂けば
御御御付と呼んだ人の心を
しみじみ知る思いがする

※ 御御御付=おみおつけ

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翼なきもの・3(四行詩日記・5月31日)

つばめが飛ぶのを見ていると空はどんなに心地よいだろうかと思う
つばめも思うのだろうか、地を這う者、歩む者はどんな心持ちかと
いいや、そんなこと考えないから、ああして安々と飛んでいられるのさ
つばめが飛ぶのを見ていると空からそんな声が聞こえてくるようだ

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2007.05.22

翼なきもの・2(四行詩日記・5月16日)

翼なきゆえ老いの身を引きずり
地を這うように浮浪う者がいる
わずかな食を分け与えている
ささやかな翼でその身命を運ぶ者らに

※ 浮浪う=さまよう

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2007.05.17

翼なきもの(四行詩日記・5月15日)

雲ひとつない五月の空の下で
鋭い陽光が雀の羽を射抜くのを見た
それは少年が母の首を携え出頭した朝のこと
ささやかな翼すら僕らには許されていないのか

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2007.05.10

にせものの風が(四行詩日記・4月28日)

にせものの風が吹いている
吹溜りに積もる言葉もにせものばかりだ
かく言う私はほんものだろうか
もう一人の私が風に吹かれている

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2007.04.10

走る(四行詩日記・4月7日)

アイツに勝ちたいわけじゃないんだ
アイツは明日のオレだから
早く追いつきたい。それだけなんだ
昨日のオレに負けないために

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2007.04.05

春暁夢譚二篇(四行詩日記・3月20日)

   その一

「水をやろう。俺の持ちものはこの水ばかりだ」
「せっかくだが水なら俺も持っている。そうだ、俺の水をやろう」
そこは清らかな泉のほとり、水だけは豊富だが水しかないのだ
そんな夢を見た。どこかほのぼのとした、しかし確かに悪夢だった

   その二

大切な約束があるのに電車がこない、いくら待っても
いくら待っても――いやそもそも時間が一向に進んでいない
ほっと胸をなでおろすものの安堵してもいいものかどうか
やれやれ、これも悪夢か。いつまでも続く執行猶予のとき

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2007.03.30

四行すら(四行詩日記・3月30日)

日に日に膨らんでゆく花芽の速さに
四行すらもどかしく
満幹万樹おおいつくす夜桜を仰ぎ
声なく、ただ笑いがこみ上げるばかり



日記のように、毎日、四行詩を……、と意気込んだものの、慌しい日々にすっかり三日坊主。日々、濃くなってゆく春色を前に一言の詩句もひとひらの詩想もモノにできぬまま、いたずらに時は過ぎてゆく。見上げれば桜はすっかり満開だ。極楽を思わす景色に声を失う。ふと笑いがこみ上げてくる。そうか、この笑いか、これが詩か。そんな気がしてくる。後にはただ口元に爽やかな微笑が残るばかりだ。

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曲がり角に棲んで(四行詩日記・3月21日)

たとえば自転車のベルや時候の挨拶
子どもたちの笑い声、車の警笛、うわさ話
曲がり角に棲んで
出会いを聞きながら暮らしている



リビングで新聞を読んでいたら自転車のベルの音が聞こえてきた。窓から外を見ると、家の前の小さな三叉路で四歳くらいの子どもが、まだ補助輪もとれぬ自転車のベルをしきりに鳴らしている。曲がり角を曲がったところで、たまたま友だちと出くわし、習い覚えたばかりのベルで挨拶を交わしていたようだ。思えばこの小さな三叉路の前に棲んでいるおかげで、いろいろな出会いの音を聴くことができる。主婦同士の挨拶や立ち話、道を譲り合った車の「ありがとう」の警笛、たまには慌てものの自転車の急ブレーキの音も。普段は騒音と思うばかりだが、こうした出会いの音を聞きながら暮らすのも悪くはない気がしてきた。

ごくまれだが夜遅くに三叉路で話をしている若者らしい声を耳にすることもある。仲間同士か恋人同士か、一緒に出かけた帰り道、この三叉路で今宵の別れを惜しんでいるようだ。こうした別れは明日ふたたび出会うための準備とも言えるだろう。だが、そのまま二度と逢えぬこともないわけではないのだ。そう考えるとまして出会いの音は心地よく有難いもののように思えてくる。

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